あなたにピッタリの仕事を見つける秘訣その5

5、EXPERIENCE:あなたの経験を見つめる
あなたの経験を見つめることは、あなたにピッタリの仕事を見つけるための第五ステップです。以下の質問に答えてください。
 WHAT :あなたはこれまでどんなことを経験をされましたか?
      特に痛みの経験、悲しみの経験、失敗の経験は貴重です。
 WHO :誰のためにその経験を用いることができるでしょうか?
 WHEN :どんな時にその経験を用いることができるでしょうか?
 WHERE :どんな所でその経験を用いることができるでしょうか?
 WHY :なぜその経験があなたに与えられたのでしょうか?
      同じような経験をしている人々の助けとなるためです。

あなたにピッタリの仕事を見つける秘訣その2

2、HEART:あなたの心(興味や関心)を見つめる
 あなたの心(興味や関心)を見つめることは、あなたにピッタリの仕事を見つけるための第二ステップです。以下の質問に答えてください。
 WHAT :あなたは何に興味や関心がありますか?
 WHO :誰が気になりますか?憧れの人は?
 WHEN :どういう時に幸せや喜びを覚えますか?
 WHERE :どういう場所が好きですか?
 WHY :なぜあなたの心は、そのように反応するのでしょうか?
      そこにあなたの素晴らしさがあります。
つづく

あなたにピッタリの仕事を見つける秘訣

あなたにピッタリの仕事を見つける秘訣
 仕事を見つけることがとても難しい時代です。でも大丈夫です。あなたにピッタリの仕事を一緒に見つけましょう!
1、SITUATION:あなたが置かれている状況を見つめる
 今あなたが置かれている状況を見つめることは、あなたにピッタリの仕事を見つけるための始めの一歩です。以下の質問に答えてください。
 WHAT :今あなたはどんな状況の中に置かれていますか?
 WHO :今あなたのまわりには誰がいますか?
 WHEN :今あなたが置かれているのはどんな時ですか?
 WHERE :今あなたはどんな場所にいますか?
 WHY :なぜ今、あなたはそのような状況に置かれているのでしょうか?
      そこには、あなたにしかできないことがきっとあるはずです。
続く

礼拝メッセージ「価なしに義と認められる」ローマ8

礼拝メッセージ「価なしに義と認められる」ローマ8(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙3章19ー31節

さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人々に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。なぜなら、律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。ローマ3章19-24節

ローマ人への手紙の主題は、「信仰義認」という四文字熟語で言い表すことができます。これは「イエス・キリストを信じる信仰によってのみ、あなたは神の前に価なしに義と認められる」という聖書の真理、イエス・キリストの福音を要約したものです。
けれども多くの人になじみ深いのは、「信仰義認」ではなく「行為義認」です。これは「自分の努力と頑張り、行為によって、代価を払うことのできた者だけが神の前に義と認められる」という考えです。
「信仰義認」の真理は、あなたを義と認め、罪責感や良心のとがめ、劣等感や優越感から解放し、あなたに喜びと平安と神への賛美を与えます。

プレイズバンド賛美2012年3月

プレイズバンド賛美2012年3月(クリックで聴けます)
我が主キリスト
スティル(静まって知れ)
驚くばかりの
君は愛されるため生まれた

礼拝メッセージ「怒りを下す神は不正か」ローマ7

礼拝メッセージ「怒りを下す神は不正か」ローマ7(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙3章1ー18節

しかし、もし私たちの不義が神の義を明らかにするとしたら、どうなるでしょうか。人間的な言い方をしますが、怒りを下す神は不正なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。もしそうだとしたら、神はいったいどのように世をさばかれるのでしょう。でも、私の偽りによって、神の真理がますます明らかにされて神の栄光となるのであれば、なぜ私がなお罪人としてさばかれるのでしょうか。「善を現すために、悪をしようではないか」と言ってはいけないのでしょうか‐‐私たちはこの点でそしられるのです。ある人たちは、それが私たちのことばだと言っていますが。‐‐もちろんこのように論じる者どもは当然罪に定められるのです。では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。ローマ3章5-9節

悲惨な出来事の中で、「神がいるならどうしてこんなことが起こるのか?」という問いが生じます。
この問いの背後には、「怒りを下す神は不正である」という人間中心的な神学があります。「愛の神は正しいが、怒りを下す神は正しくない」、「赦す神は正しいが、裁く神は間違っている」というような考えです。このような神学は、「十字架を必要としない見せかけの神の愛と赦し」に行き着きます。
このような人間中心的な神学に対して、パウロは、「絶対にそんなことはありません」と強調します。
本当の神は、私たちの身代わりとして、十字架に磔にされたひとり子イエス・キリストの上に、容赦のない怒りを下された神です。

青年福音喫茶 SUGITO GOSPEL CAFEのご案内

金曜夜7時半から青年福音喫茶OPENします。
USTREAMも午後8時ごろから試験配信予定です。
杉戸近辺の方はぜひお気軽に杉戸キリスト教会にお集いください。
番組ページはこちら
番組ページにて、これまでのライブ配信の録画を視聴できます。
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