Oh Give Thanks 教会福音讃美歌48


Oh give thanks unto the Lord!
For He is good, Yes He is good!
For He is worthy worthy,
For He is good, Yes He is good!
感謝の心で 主イエスに歌おう
讃美の歌声 主イエスに献げよう
主は素晴らしい 素晴らしい
主イエスをたたえよう

人生の海の嵐に 教会福音讃美歌443


人生の海の嵐に もまれ来しこの身も
ふしぎなる神の手により 命びろいしぬ
いと静けき港に着き われはいま安ろう
救い主イエスの手にある 身はいとも安し

ペット、動物、鳥、生き物は天国に行けるのか?

ペット、動物、鳥、生き物は天国に行けるのか?
登山する犬
家族と同じように、時に家族以上に寄り添っていっしょに生きている「わんちゃん」や「ねこちゃん」やペット。動物、鳥、生き物は天国に行けるのかを一緒に考えてみましょう。ポイントになるいくつかの聖書箇所を記します。
1、ノアの箱舟(救いの箱舟)の中に招かれたすべての動物や生き物たち(創世記6章18ー21節)
しかし、わたしは、あなたと契約を結ぼう。あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟に入りなさい。また、すべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつ箱舟に連れて入り、あなたといっしょに生き残るようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。また、各種類の鳥、各種類の動物、各種類の地をはうものすべてのうち、それぞれ二匹ずつが、生き残るために、あなたのところに来なければならない。あなたは、食べられるあらゆる食糧を取って、自分のところに集め、あなたとそれらの動物の食物としなさい。」
Do not disturb
TOBU ZOO giraffe きりん
東武動物公園 TOBU ZOO
TOBU ZOO rhinoceros
  
2、ヨナ書の最後に記されている主なる神のことば
まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。ヨナ4章11節
3、イザヤ書11章6−9節と65章25節
狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。【主】を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。 イザヤ書11章6−9節
狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食い、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない」と【主】は仰せられる。イザヤ書65章25節
4、ローマ書8章19−22節 被造物の救い
被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。ローマ書8章19−22節
見つめられて
5、文脈から探る伝道者の書3章21節の意味
だれが知っているだろうか。人の子ら(=正しい人)の霊は上に上り、獣(=悪者)の霊は地の下に降りて行くのを。
6、文脈から探る黙示録22章15節の意味
犬ども(=以下のような悪者)、魔術を行う者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行う者はみな、外に出される。
NEKO BUS
カメレオンねこ

愛し合いでも愛冷めて不倫へと、元の鞘だよ両成敗なら

「ゲスの極み乙女」の川谷絵音氏とベッキー氏の不倫ニュースで、またとても悲しい気持ちになっている。特に川谷氏の奥様の立場と気持ちを考えると、本当にやるせない。そして次のような歌が浮かんだ。「愛し合い でも愛冷めて 不倫へと 元の鞘だよ 両成敗なら」。
まるで結婚が、うまくいかなかったらすぐにリセット(卒業)できるゲーム感覚だ。相手さえ変えれば、自分は変わらなくても幸せになれるというオトナチックなイリュージョンの中で、一緒に支え合って生きてきた大切な伴侶を裏切り、別の誰かと新しい歩みをスタートさせるために離婚を試みる。でもまた問題が生じたら、またしてもそこから逃げ出し、すべてを放棄してしまう可能性は高い。
結婚は、デザイナーでありメーカーである神がデザインしてくださった特別な研磨機で、結婚した夫婦は、研磨機に入れられた2つの原石のようだと私はイメージしている。お互いに宝石だけれども原石のままで荒削り。そのような二人が一つ屋根の下に一緒に生活し始めると、たちまちささいなことでぶつかり合う。ガチンコの衝突を繰り返し、やりあい、傷つけ合う。でもそのプロセスの中で、あやまり合い、赦し合い、補い合い、支え合い、お互いに磨かれていくのだ。宝石だって磨かなければ光らない。だから、置かれた場所から逃げ出さないで、そこに留まり続ける必要がある。磨かれないまますぐリセット(卒業)していたら、いつまでたっても未熟なままで、自分の幸せしか考えることができない、本当のゲスの極みになりかねない。

福音、その最もたいせつなこと

福音、その最もたいせつなこと
万年筆聖句書道