かなりU2を意識しているような音作りの曲、でもミスチルらしいサウンドと歌詞。素敵です!
カテゴリー: 人間論
あなたに伝えたいこと
あなたに伝えたいこと
20歳の時、ある友人から聖書をプレゼントされました。しかし、自分には関係のない世界だと思って読みませんでした。でも、毎日の単調な生活の中で、何のためにいきているのかがわからず、空しさと孤独感を持って生きていました。
そのころ住んでいた所の窓から外を見ると、一本の葉を落とした木が木枯らしに吹かれて揺れている姿があり、私の心もまるですきま風が吹くようでした。自分もいつか死んでしまう存在。そして、一度しかない人生をどうやって生きれば後悔しないような歩みができるのか、わからなかったからです。
でも、北海道の塩狩峠で列車が暴走したときに、列車の前に身を投げて乗客を助けた一人のクリスチャンのことを読みました。自分にはない何かを、クリスチャンは持っているような気がして、自分で聖書を読み始めました。
聖書はまるで本当の自分を映し出す鏡のようで、私は自分の心の中の醜さ、弱さを知りました。しかし、人間が造った神ではなく、人間を、そしてこの無限の大宇宙を造られた神のひとり子、イエス・キリストは、私たちの心もすべてご存知で、ありのままの私たちを愛していてくださっていることを知り、イエス様を信じ、心にお迎えする祈りをしてクリスチャンになりました。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」という聖書のことばを、イエス様が私の罪の身代わりとして十字架にかかって死んでくださり、三日目によみがえって、今も生きておられることを信じたのです。
その次の朝のことでした。朝起きて窓から外を見ると、昨日まで色あせていた景色が新鮮で輝いて見えました。生きていてよかった。いや私は神によって生かされているのだという感謝の思いと喜びが、まるで泉のように湧き上がってきました。そして心の中は、晴れ渡った青空のように、空しさや孤独感がなくなっていました。
私は今、イエス様の素晴らしさを知る者に変えられました。この素晴らしいイエス様を、あなたにもぜひ知って欲しいのです。イエス様はあなたを愛しておられます。ぜひ十字架が掲げられたキリスト教会に足を運んでみてください。神さまからのラブレターと呼ばれている聖書を読んでみてください。あなたの上に、イエス様の祝福が豊かにありますように。
まず縦棒 それから横棒 自ずから
十字架には縦棒と横棒がある。
十字架の縦棒は「天の神」と「地の私」との垂直的関係、対神関係に例えることができる。
十字架の横棒は「私」と「隣人」との水平的関係、対人関係に例えることができる。
対人関係を良くしたいと願うならば、まず「天の神」と「地の私」との垂直的関係を回復しなければならない。
神との関係が和解し、縦棒が回復するならば、隣人との関係も自ずから和解と回復に導かれる。
「まず縦棒 それから横棒 自ずから」。これが聖書的原則、スピリチャルな原則である。
聖書の中でも特に大切な「十戒」と「主の祈り」は、まさにこの「まず縦棒それから横棒」という原則に基づいている。
いずれもまず「天の神」と「地の私」との垂直的関係が取り扱われ、それから私と隣人との水平的関係が取り扱われる。
ではどうすれば、十字架の縦棒、「天の神」と「地の私」との垂直的関係、縦の関係を回復することができるのか?
祈りと黙想の中で天を見上げ、聖霊の助けを祈り求めながら聖書に耳を傾け、主イエス・キリストの十字架を見上げる。そして以下のことに思いを巡らすなら、十字架の縦棒、「天の神」と「地の私」との垂直的関係、縦の関係を回復することができる。
まず神が、私を造り、存在へと招いてくださり、私の存在そのものを喜んでおられること。
まず神が、私に存在価値と意味、目的、使命を与えてくださったこと。
まず神が、愛し難い私を愛してくださったこと。
まず神が、受け入れ難い私を受け入れてくださったこと。
まず神が、赦し難い私を赦してくださったこと。
まず神が、私の隣人となって仕えてくださったこと。
まず神が、私のために命をかけてくださったこと。
まず神が、私のために最も大切なものを十字架で献げてくださったこと。
ワンピース名言メモ
世界累計4億4千万部突破!杉戸キリスト教会一階の図書室に、ワンピース(ONE PIECE)1巻から90巻(最新刊)まであります。どなたでもお立ち寄りください。
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ワンピース名言メモ(更新中)
ノジコ!ナミ!誰にも負けるな!女の子だって強くなくちゃいけない!何があっても、生まれてきたこの時代を憎まないで!人に褒められなくたって構わない!いつでも笑ってられる強さを忘れないで。生き抜けば必ず楽しいことが・・・たくさん起こるから・・・!
巻九 第79話「生きる」より ベルメールの言葉
「おれは剣術を使えねぇんだコノヤロー!航海術も持ってねぇし!料理も作れねぇし!ウソもつけねぇ!おれは助けてもらわねぇと生きていけねぇ自信がある!」
巻十 第90話「何ができる」よりモンキー・D・ルフィーの言葉
己の行動に罪を感じた時、人は最も弱くなる。
巻二十七 第255話「うわばみと探索組」より ガン・フォールの言葉
傷つけるのはお前じゃねぇだろ?政府の人間もお前の存在を罪というが、どんな凶器をかかえてようとも、そこにいるだけで罪になるなんて事はねぇ!存在することは罪にならねぇ!!!
巻三十九 第375話「エニエス・ロビーの超人達」より フランキーの言葉
あなた達の生きる未来を、私達が諦めるわけにはいかない!
巻四十一 第396話「サウロ」より ニコ・オルビアの言葉
”歴史”は・・・人の財産。あなた達がこれから生きる未来をきっと照らしてくれる。だけど過去から受け取った歴史は、次の時代へ引き渡さなくちゃ消えていくの。
巻四十一 第396話「サウロ」より ニコ・オルビアの言葉
よく聞けロビン・・・。今は一人だけどもよ、いつか必ず”仲間”に会えるでよ!海は広いんだで・・・いつか必ず!!!お前を守ってくれる”仲間”が現れる!この世に生まれて一人ぼっちなんて事は絶対にないんだで!!!
巻四十一 第397話「未来へ届くように」より ハグワールの言葉
ごめんね。ーもっとみんなを遠くまで運んであげたかった・・・ごめんね。ずっと一緒に冒険したかった・・・だけどぼくは、だけどぼくは、幸せだった。今まで大切にしてくれてどうもありがとう。ぼくは本当に幸せだった。
巻四十四 第430話「降りそそぐ追想の淡雪」より ゴーイング・メリー号の言葉
船長が”威厳”を失った一味は必ず崩壊する!!!
巻四十五 第438話「プライド」より ロロノア・ゾロの言葉
災難ってモンはたたみかけるのが世の常だ。言い訳したらどなたか助けてくれんのか?死んだらおれはただそこまでの男・・・!
巻五十 第484話「ぷに」より ロロノア・ゾロの言葉
能力や技じゃない。ーその場にいる者達を次々に自分の味方につける。この海において、あの男は最も恐るべき力を持っている・・・!
巻五十七 第561話「ルフィVSミホーク」より ジュラキュール・ミホークの言葉
今は辛かろうがルフィー・・・!それらを押し殺せ!失った物ばかり数えるな!無いものは無い!確認せい!お前にまだ、残っておるものは何じゃ!!!
巻六十 第590話「弟よ」より ジンベイの言葉
万引き家族と神の家族
井上貴詞先生(東京基督教大学国際キリスト教福祉学科准教授)の講演「神の家族の新たな『かたち』を求めて」を月曜日に聴いた後、気になっていた映画「万引き家族」をどうしても観なければという思いになり、火曜日に観て来ました。
「万引き家族」は、結婚関係にない大人たちと血のつながりのない子どもたちが、生きていくために互いを必要とし、一緒に集まり、本当の家族のように毎日共に生きるという映画です。一緒に住んでいる家族に捨てられたおばあちゃんの年金をあてにしながら、日雇い労働者の大人と親に捨てられた子どもが協力して万引きをし、何とか食いつないでいます。それでも、血のつながりのある家族から虐待され、寒い中ベランダでお腹を空かして凍えている女の子を見た時、見て見ぬ振りができず、思わず一緒に連れて帰り、アイロンで焼かれた火傷の痛みを共有する優しい家族です。
全体を通して、「血のつながりのある家族が、果たして本当の家族になっているのか?」「血のつながりのある家族の元に帰れば、本当に幸せに暮らせるのか?」という真剣な問いかけがなされていました。この映画が世界に認められたということは、世界中で血のつながりのある家族が崩壊しているということでしょう。DV、虐待、遺棄、ネグレクトなどによって。そして、何とかその日を生き抜くために、血のつながりはないけど共に生活しながら、本当の家族を切に求めている人々が多くいることでしょう。講演で聴いた真剣な問いかけ、「世界中の人々が必死になって、本物の家族や人間の尊厳を切に求めているのに、教会は神の家族に本当になっているのか?その必要に応えているのか?」が、改めて重く響きます。
子どもに対する優しい一声が、すべてを変え始める
万引き家族に転機となった出来事がある。駄菓子屋のおじさんが、万引きをして立ち去ろうとする子どもに声をかけ、商品をプレゼントしながら、「妹にはさせるなよ。」とお兄ちゃん役の子どもに優しい声をかける場面だ。それまで見て見ぬ振りをしていた店のおじさんの、子どもに対する優しい一声が、すべてを変え始める。
その後、父親役が駐車してある車のガラスを割って、中のものを盗もうとした時、その子は幼く尋ねる。「これは店に並べてあるものじゃないから、誰かのものだよね。」そして一緒に犯罪を続けることから距離を置こうとする。「店に並べてあるものはまだ誰のものでもない。だから万引きすることは悪いことではない。」と父親役に教えられ、万引き常習犯として生きていた少年の方向転換が始まった。
その後、妹を外で待たせ、自分だけ店に入って万引きをしようとした時、妹が店に入ってきてまた万引きをしようとする。恐らくその時、「妹にはさせるなよ。」というあの優しい言葉が少年の心に響いたのだ。そして「こんなことしてちゃダメだ!」と心の中で叫んだのだろう。だからその時、妹をかばうように、わざと商品を落として店員の注意を引きながら、商品を持って逃げるという行動に出た。わざと捕まることで、少年は終止符を打ちたかったのだ。子どもに対する優しい一声が、すべてを変え始める。