礼拝メッセージ「父を用いられる神」

09 Father's Day

礼拝メッセージ「父を用いられる神」

聖書箇所:ヘブル人への手紙12章1-13節

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。ヘブル人への手紙12章11-12節

父というのは、山の稜線の急峻な岩肌に、しがみつくようにして立っている大きな木のようです。

稜線は山々における馬の背のような部分ですから、いつも風や雨の当たりが強く、しばしば落雷がある所です。しかしどこにも逃げ場はなく、まさに矢面です。そんな過酷な所に、父は立ち続けなければならないのです。

ですから父の一週間は、まるで懲らしめを受け続けるかのような毎日です。週末になる前に、「やってられない今日この頃!」と叫びたくもなるでしょう。

しかし上記のみことばは、そのような苦しみの中に置かれている父、そして私たちに対する、天の父からの語りかけです。

天の父なる神は、地上の父たちに平安な義の実を結ばせようとしておられます。天の父なる神は、地上の父たちを豊かに用いて、やがて矢面に立ち、明日の家族と社会を背負って立つ子どもたちを、将来に備えて育成されるのです。

Trees like Father

イースター歓迎礼拝メッセージ「復活信仰」

09Easter

イースター歓迎礼拝メッセージ「復活信仰」

聖書箇所:創世記22章1ー24節

御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」創世記22:12

不信仰を超えて約束を果たしてくださる全能の主を知ったアブラハムは、試みの時、主の命令の通り、自分の子、自分のひとり子イサクさえ惜しまないで、神にささげました。

新約聖書へブル人への手紙11章17-19節には、この時のアブラハムの信仰が説き明かされています。

『信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。」と言われたのですが、彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。』

神には人を死者の中からよみがえらせることもできる。実にアブラハムは、そのような復活信仰をもって全能の神を仰ぐ信仰の父へと変えられ、死者の中からイサクを取り戻したのでした。これはキリストの弟子たちでさえ見習うべき復活信仰です(ルカの福音書24章41節等参照)。

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