礼拝メッセージ「青年は幻、老人は夢」

礼拝メッセージ「青年は幻、老人は夢」

聖書箇所:使徒の働き2章1ー21節

『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。使徒の働き2章17節

「あ」であり、「ん」である神。つまり万物の最初であり、最後である神。歴史(History)は、そのような神による壮大なストーリー(His Story)です。そして聖書66巻は、あらゆる時代と文化を貫く壮大な歴史絵巻です。

神という串によって貫かれている3つの団子を想像してみてください。3つの団子には、創造、堕落、再創造という名前が付けられています。

創造。初めに神は、天地万物すべてのものを良いものとしてお造りになりました。

堕落。神のかたちに似せて造られた私たち人間が、神に反逆して堕落し、いのちと絆と価値を失ったということです。

再創造。それは失われた私たちとこの天地万物を、神が再び新しく創造するということです。いのちの回復、絆の回復、そして価値の回復。それこそが聖書が語っている救いであり福音です。

再創造は、神の霊が一人一人に注がれることによって出来事となります。オアシスの創造です。

礼拝メッセージ「復活の証人」

礼拝メッセージ「復活の証人」

聖書箇所:使徒の働き1章15ー26節

すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。使徒の働き1章22節

福音書では、主イエスが徹夜で祈って選ばれた12人の弟子たちが、使徒と呼ばれていました。使徒の働き以降では、新たな使徒が加えられます。彼らは決して、非の打ち所のないエリートではなく、私たちと同じような弱さ未熟さを抱えた普通の人でした。

イスカリオテ・ユダも使徒として選ばれていました。ところがユダは主イエスを裏切り、銀貨30枚で主イエスを売り渡してしまいました。 ユダは主イエスを捕えた者どもの手引きをし、不正なことをして得た報酬で地所を手に入れました。しかしユダは後悔し、罪責感から自殺してしまいました。

残された使徒たちと兄弟たちは、聖書に導きを求め、新たに使徒を補充するために話し合いました。その際、上記のみことばのような条件で、二人の人物が立てられました。そして祈りの中で、マッテヤが選ばれ、使徒として新たに加えられました。

ペンテコステ(聖霊降臨)以降、ダイナマイトの語源となる上からの力が与えられ、使徒たちだけでなく一人一人の弟子たちが、復活の証人として豊かに用いられ、行列のできる教会が形成されていきます。

礼拝メッセージ「約束を待ちなさい」

礼拝メッセージ「約束を待ちなさい」

聖書箇所:使徒の働き1章1ー14節

この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。使徒の働き1章14節

私たちのために苦しみを受け、十字架で死なれた主イエスは、3日目に復活されました。復活された主イエスは、『エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。』と使徒たちに命じられ、それから天に上げられていきました。

この主イエスの命令に使徒たちがどう応答したのか。それが上記のみことばです。彼らはエルサレムに留まり、自分たちだけではなく、婦人たちやイエスの母マリヤ、そしてイエスの兄弟たちとともに、みなで心を合わせて、祈りに専念したのです。

この書には、映画のエンドロールのように、数え切れない有名無名の人たちが紹介されています。使徒の働きという名前が付けられていますが、決して使徒たちだけの働きではありません。メンバー全員の働き、つまり「教会の働き」がこの書には記されています。

キリストに呼び集められた一人一人が十字架のもとに力を合わせ、協力することによって、働きは進められました。そしてこの働きは、世界中で現在進行形の働きです。私たちにもバトンが手渡されています。主イエスは今もあなたを必要とされています。

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礼拝メッセージ「母を用いられる神」

09Mother's Day

礼拝メッセージ「母を用いられる神」

聖書箇所:詩篇139篇

それはあなたが私の内蔵を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。詩篇139篇13-14節

世の中には2種類の神がいます。人間「が」造った神と、人間「を」造った神です。一字しか違いませんが、「が」と「を」の間には天地の違いがあります。私たち人間を、母の胎の中で造られた主なる神を覚えつつ、赤裸々な祈りがささげられる。それが詩篇139篇です。

主は私たちを探り、私たちをことごとく知っておられます。ことばが私たちの舌にのぼる前に、なんと主はそれをことごとく知っておられます。主は前からうしろから私たちを取り囲み、御手を私たちの上に置かれました。

詩人は神について黙想する(黙って思いを巡らせる)中で、なぜ主が私たちを完全に知っておられるのかという理由に至ります。それが上記のみことばです。その時黙想は、神への感謝と賛美に変えられます。

最後に詩人は、敵を覚える祈りとともに、『神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。』と祈ります。

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礼拝メッセージ「アブラハムのしもべ」

礼拝メッセージ「アブラハムのしもべ」

聖書箇所:創世記24章34ー67節

アブラハムのしもべは、彼らのことばを聞くやいなや、地にひれ伏して主を礼拝した。創世記24:52

アブラハムのしもべは、とても大切な働きに任命され、アブラハムの息子イサクのために花嫁さがしの旅に遣わされました。

目的地付近に着いた時、アブラハムのしもべは具体的な相談を神さまとしていました。ところが、心の中で話し終わらないうちに、リベカさんという素敵な女性が現れ、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう。』と言いました。

アブラハムのしもべは、具体的な祈りによって具体的な答えを神さまからいただき、さらに具体的に話を進めました。その結果、相手と相手の家族から驚くばかりの応答をいただき、神さまが旅を成功させてくださったことを確信することができました。

私たちは洗礼(バプテスマ)を受ける時、アブラハムのしもべのように、とても大切な働きに任命され、旅に派遣されます。それは福音宣教、世界宣教、キリストの花嫁である教会形成、花嫁さがしの旅です。

信仰によって、具体的に祈りつつ前に向かって歩んで行く時、みこころかどうかを確証することができます。その時私たちは、それぞれの旅を成功させてくださる神を体験することができるのです。

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