聖書箇所:創世記22章1ー24節
これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。創世記22:1
春の前には冬があり、夜明け前には闇があるように、復活の前には十字架の死があり、歓喜の前には苦しさがあります。
キリストの愛に揺り動かされて、本気でキリストに従おうとする時、私たちは葛藤や苦痛、困難に直面します。しかしキリストは「自分の十字架を負ってわたしについて来なさい」と言われます。キリストに従うことは、キリストの苦しみの欠けたところを満たすことに他なりません(コロサイ1:24参照)。
苦しむこと、自己否定が目的(ゴール)ではありません。しかし苦難を通して、人間性がその極みまで、真の人間であるイエス・キリストの身丈まで成長すると私は確信します。
苦難の意味は、キリストに従うことを通して、私たちがキリストのように変えられるところにあります。それは、私たち自身が、全世界の祝福の基として、他者のために存在する教会となるためです。
世界宣教の使命に生きる教会として、自分の十字架を負い、ともにキリストに従っていきましょう。
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