信仰を持ったとしても、聖い神の前に、罪をまったく犯さない歩みをすることは不可能である。人間には、信仰者であったとしても、神の命令を守ることの出来ない弱さがある。そのような私たち人間の弱さや罪深さをよく知っておられる神は、私たちのために、罪が赦される道、きよめられて聖なるものとされる道を絶えず備えてくださっている。
レビ記には、どうすれば罪が赦されるのか、どうすれば汚れがきよめられて聖なるものとされるのかが記されている。それは、キリストが自分の罪の身代わりのいけにえとして十字架でほふられて血を流し、よみがえられたということを信じ、神の命令に従って生きることによる。罪の赦しときよめは、私たち人間にとって、心の健康と肉体の健康をもたらす神の恵みである(聖という言葉は、本来健康でいのちに溢れているという意味である)。
レビ記には、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。(レビ19:18)」という黄金律も記されている。「あなたの隣人」の中には、貧しい者や在留異国人、あるいは白髪の老人等も含まれている。
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野町 真理