"Gospel(ゴスペル)"とは、「福音の神からの良い知らせ(God-spell)」というような意味です。
それは有名なアメイジング・グレイス(驚くばかりの恵み)という曲で歌われているように、
あなたにとっても、心躍る、本当に素晴らしい知らせです!!!
ゴスペルの曲を歌うための秘訣は、私たち自身が、ゴスペルの素晴らしさを味わうことです。
そのメッセージの豊かさは、簡単には表現しきれませんが、
聖書に記された『イエス・キリストの福音』の内容は次のようなものです。
(引用聖書は、すべて日本聖書刊行会発行の新改訳聖書です。)
私自身、『イエス・キリストの福音』の、さらに深くて広くて高くて長い理解と、より良い表現を求め続けています。
そのためこのページは随時更新します。
メールによる意見、感想、質問をお待ちしています ^・^
私たち人間はどこから来たのでしょうか?聖書の答えは、
『初めに、神が天と地を創造した。…神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。』(創世記1章より)です。
田舎で夜空を見上げると、規則正しく動く、数え切れないほどの輝く星たちが目に飛び込んできます。
また私たちは、朝になると、規則正しく太陽が昇ってくるのを見ることが出来ます。
『天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。
話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。
しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。
神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた。
太陽は、部屋から出て来る花婿のようだ。勇士のように、その走路を喜び走る。
その上るのは、天の果てから、行き巡るのは、天の果て果てまで。
その熱を、免れるものは何もない。』
詩篇19篇1−6節
また、外に出ると、美しい自然を見ることが出来ます。
しかし、大切なものは目には見えません。
目には見えませんが、この世界にはすべてのものを創造され、今も動かしておられる唯一の神がおられます。
この方は人間が造った神ではなく、あなたを造り、あなたにいのちを与え、あなたを生かして下さっている神です。
『それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。
私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。
私のたましいは、それをよく知っています。
私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。
あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。
私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。』
詩篇139篇13−16
この方は私たち一人一人を愛するために、つまり「神と共に生きるためのパートナー」として、造って下さいました。
聖書が語る神とは、私たちのためにこの宇宙を整え、私たち人間を創造の冠として造って下さった造り主なのです。
ですから、あなたは今、偶然に存在しているわけではありませんし、サルから進化したわけでもありません。
進化論的なものさし(価値観)では、弱肉強食の世界となり、無能な者は、生きるに値しない生命と見られます。
しかし、私たちの天のお父さんは、あなたを能力や成果に関係なく、かけがえのない存在として愛しておられます。
また、あなたが気付いていなくても、「神はいつもあなたと共にいます」。
神様からのラブレターと呼ばれている聖書には、こう書かれています。
『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。』
イザヤ書 43章4節
『永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。
それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。』
エレミヤ書 31章3節
全宇宙をのせることができる天秤があるとします。
一方にあなたが乗り、そして もう一方に全宇宙をのせたら、神の目にはどちらが重いのでしょうか?
★"The Gospel of Jesus Christ"の答え★
神の瞳に映るあなたは、
全世界よりも、全宇宙よりも高価で尊い、かけがえのないパートナーです!!!
『あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。
それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。』
エペソ人への手紙 2章8−9節
イエス・キリストはインマヌエル(「神は私たちと共におられる」という意味)と呼ばれています。
(マタイの福音書1章23節参照)
この方は、すべてのものを造られた神であられますが、
クリスマスに一人のユダヤ人として生まれ、肉体を持った人間として、私たちの間に住んで下さいました。
「神は愛であり、あなたを愛している」ということ、
また神が決して私たちを見捨てず、共に生きておられることは、
このイエス・キリストによって最高に明らかにされました。
神を神としないで、神なしで自己中心に生きること、つまり、自分を神として生きることを聖書では罪といいます。
また、神の喜ばれないことをすること、口に出すこと、心に思い巡らすことも罪と言えます。
しかし、わたしたちが神に背を向け、自分は悪いとも思わず、神なしで生きていけると思い違いをしていた時に、
イエス・キリストは、私たちのすべての罪を背負って、身代わりに十字架で死んで下さいました。
『しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、
神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。』
ローマ人への手紙 5章8節
『まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。』
イザヤ書 53章4−6節
とても自分の力では払うことの出来ない罪の負債をすべて、イエス・キリストが代りに支払ってくれたのです!
そしてイエス・キリストは3日目によみがえり、今も私たちと共に生きておられます。
『兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。
これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、
また、それによって立っている福音です。
また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、
私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。
私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。
キリストは、聖書の示すとおりに、
私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、
また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、
また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。
その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。』
コリント人への手紙第一 15章1ー6節
イエス・キリストは世の終りまで、いつも私たちと共にいて下さるお方です。
『見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』
マタイの福音書 28章20節
イエス・キリストは、永遠のいのちと豊かな愛の関係の中に、いつでもあなたを招いておられます。
それは、あなたに、いのちをかけても惜しくない使命、人生の目的を与えてくださるためなのです。
『人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。
そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。』
マタイの福音書16章26節
あなたがもし、イエス・キリストを心に迎え、キリストと共に生きるなら、
あなたに永遠のいのちが与えられ、生き生きとしたいのちが回復します。
『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、
その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。』
ヨハネの福音書 7章37−38節
あなたのすべての罪が赦され、和解によって神との関係が回復します。
『主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、 あなたのいのちを穴から贖い、
あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。
あなたの若さは、わしのように、新しくなる。』
詩篇103篇3−5
あなたのすべてがきよめられ、新しく造られた者とされます。
『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』
コリント人への手紙第二 5章17節
神をもう一度「お父さん」と呼ぶことの出来る神の子どもとされ、愛を受けることが出来ます。
『しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、
神の子どもとされる特権をお与えになった。 』
ヨハネの福音書 1章12節
そして、神の子どもとして父なる神を信頼し、キリストに似たものに変えられ続ける生涯に入れられます。
『私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、
栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。
これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。』
コリント人への手紙第二 3章18節
人を愛し、人を赦すことが出来る者に、将来必ず変えられます。
心からのやすらぎを持つことができ、生きる力が与えられます。
『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。』
マタイの福音書 11章28−30節
人生の様々な問題や苦難を乗り越えることが出来る力と知恵と愛が与えられます。
喜ぶものと共に喜び、泣くものと共に泣くことの出来る人生を生きることが出来ます。
他者の心・気持ちを理解する感受性が豊かにされるからです。
全世界の祝福の基として、他者のために生きることが出来ます。
いつまでも残る、信仰と希望と愛に生きることが出来ます。
すべての栄光を主イエス・キリストの三位一体の神に帰することが出来ます。
これが、本当の意味で、人生の勝利者、成功者になるということです。
人間としての存在価値、生きる目的・意味の回復がここにあります。
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野町 真理