神の痛みの神学のキリスト中心的理解
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1999年度 東海聖書神学塾 卒業論文
*『神の痛みの神学』のキリスト中心的理解 [#j13621fc]
-キリスト者の生活における苦難の積極的意味を求めて-
A graduation thesis of Tokai Theological Seminary in 1999
The Christ-centric understanding of
“Theology of the Pain of God”
-Seeking positive meaning of the pain in Christian life-
教職志願者コース4年 野町 真理
(所属教会:日本同盟基督教団・豊橋ホサナキリスト教会)
*Abstract [#o61d40d3]
Kazo Kitamori, a Japanese theologian wrote the book nam...
In this thesis, having addressed to Jesus Christ descri...
By "splagchnizomai", the painful heart or joy of God is...
The Christ-centric understanding of "Theology of the Pa...
*1、内容の総括 [#p84f5f65]
共観福音書に記されているイエス・キリストに目を向け、エ...
共時的に見たスプランクニゾマイは、キリストに対してだけ...
通時的に見た場合、あわれむ、かわいそうに思うといった隠...
新約聖書において、イエス・キリストに対してだけ用いられ...
『神の痛みの神学』のキリスト中心的理解によって、日本的...
*2、結論 [#b7c0d351]
**(1)砕かれた人間の姿によって心の底から揺り動かされる...
エレミヤ31:20の「我が腸かれの為に痛む」という言葉...
スプランクニゾマイで表現される心の動きも受動的である。ま...
**(2)イエス・キリストによって明らかにされた「絶対他者...
スプランクニゾマイは、キリストにだけ用いられることによ...
ルカ15章の放蕩息子の父親に対する用例は、文脈から失われ...
スプランクニゾマイは、まさしく神の神性の極みとしての神...
**(3)キリスト者の生活における苦難の積極的意味 [#pc5537...
(神の5つのチャレンジ)
1、 赦し(あわれみ)による和解への招き
一万タラントの借金(罪の負債)を十字架によって赦された者...
2、 良き隣人となることへの招き
良き隣人キリストに助けられた者として、他者のために生きる...
3、悔い改めと喜びへの招き
信仰によって神の愛を体験した者として、共に喜ぶ苦難へのチ...
4、祈りによる宣教の情熱への招き
他者の為に祈る苦難へのチャレンジ
5、信仰への招き
信仰の苦難へのチャレンジ
スプランクニゾマイの用例を見ると、上記のような5つのチ...
*目次 [#jc779433]
#contents
*第一章 序論 ―「絶対他者」か「痛む神」か? [#ca03a9f2]
**1、神観の重要性について [#zd906df7]
私たち人間は生まれ育った、あるいは置かれた環境の中で、...
地理的環境とは、風土と言う言葉に置き換えることもできる...
また、歴史的環境とは、思想、宗教、哲学、文学、神学、科...
具体的な思想としては啓蒙思想、進化論などを挙げることが...
私たちはある一つの言葉を聞いたり、見たりした時、その言...
北森嘉蔵が指摘しているように、「神学とは福音の厳密なる...
ヘブル語で書かれた旧約聖書とギリシア語で書かれた新約聖...
**2、北森嘉蔵とカール・バルトの神観の相違―第二次世界大戦...
***北森嘉蔵の神観―「痛む神」 [#g2b9a7f2]
北森嘉蔵(1916-1998)は、『キリスト教神学への日本の寄...
キリスト教神学事典(A.リチャードソン/J.ボウデン編、教文...
以下に、モルトマンの北森嘉蔵に対する評価を記す。
『わたしはもはや単にキリストの十字架が人間にとって何を意...
アリスター・マグラス(Alister McGrath)も”Christian The...
『日本の神学者である北森は、神の痛みについて名著を残して...
と述べている
『神の痛みの神学』は1946年、第二次世界大戦直後(1...
***初期のカール・バルトの神観―「絶対他者」 [#cf3e4a91]
カール・バルト(Karl Birth 1886-1968)は、人間中心主義...
これは結果として、神と人間との「質的差異」を強調したと...
バルトにとって「神の神性」とは、人間と対比して、まさし...
ドイツがヒットラーによってナショナリズム、アウシュビッ...
以下に、1940年、ドイツが勝ち誇っていて、誰もその年には5...
『神はただひとり在したまい、神にならぶべきいかなる存在も...
これは、戦時下の日本の教会が、国家神道のナショナリズム...
戦時下において、日本基督教団(トップ)は伊勢神宮に参拝...
『神の痛みの神学』の中で、北森嘉蔵はバルトの神観につい...
『この神学の見た神は、人間との「対立」における神であり、...
北森の神観は「痛む神」であり、北森が受けとめたカール・...
**3、神の受苦不能性について [#e07d034e]
初代教会は、十字架につけられたイエス・キリストを神とし...
『(1)神は、その本質的な受苦不能性により、人間およびあ...
(2)神が、その永遠の生命へと人間たちをあずからせるこ...
それ故、受苦不能性は、人間の救いにとって、土台となるよ...
『キリスト教神学において、受苦不能性が本来意味することは...
「絶対他者」としての神がもしあらゆる点で「苦しまない神...
[1] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、講談社学術文庫、1986年、2...
[2] Wycliffe Bible Translatorsのホームページ
(http://www.wycliffe.org/wbt-usa/trangoal.htm)参照
[3] A.リチャードソン/J.ボウデン編、佐柳文男訳『キリスト教...
[4] J.モルトマン『二十世紀神学の展望』、新教出版社、1989年...
[5] 日本基督教団千歳船橋教会『「神の痛み」の60年-北森...
[6] ジョアンナ&アリスター・マグラス『自分を愛することの...
[7] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、巻末の北森の解説(292-29...
[8] エバーハルト・ブッシュ、小川圭治訳『カール・バルトの...
[9] カール・バルト、小川圭治・岩波哲男訳『世界の大思想3...
[10] 富岡幸一郎『使徒的人間―カール・バルト』、講談社、199...
[11] J.モルトマン『二十世紀神学の展望』、新教出版社、168...
[12] リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー、永井清彦訳『荒野の40年―ヴァイツ...
[13] 大木英夫『人類の知的遺産72 バルト』、講談社、1984年...
[14] カール・バルト、加藤常昭訳『福音主義神学入門―カール...
[15] 太田和功一『アジアのキリスト者とともに』、いのちのこ...
[16] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、29-31頁
[17] J.モルトマン、土屋清訳『組織神学論叢1 三位一体...
[18] 同書、53頁
*第二章 『神の痛みの神学』の中心的主張点-神の痛みに基礎...
『神の痛みの神学』における主題は、「痛む神」という神観...
(1)まずそれは神が愛すべからざる者(神の敵である罪人)...
(2)次にそれは、父なる神がその愛し給う独子を死なしめ給...
『神の痛みの神学』において、北森はエレミヤ31:20を...
この章では、まず「神の痛み」なる概念の根拠とされるエレ...
**1、「神の痛み」なる概念の根拠とされる釈義的研究―エレミ...
北森嘉蔵は『神の痛みの神学』において「痛む神」という神...
(フォントの都合により、原文に記載したヘブルテキスト(WTT...
『神の痛みの神学』の第二版から附録として加えられている...
新改訳
エフライムは、わたしの大事な子なのだろうか。それとも、喜...
・・主の御告げ。・・
エレミヤ31:20
どうか、天から見おろし、聖なる輝かしい御住まいからご覧く...
イザヤ63:15
文語訳
エホバいいたまう、エフライムは我が愛するところの子、悦ぶ...
エレミヤ31:20
ねがわくは天より俯しみそなわし、その栄光にあるきよき居所...
イザヤ63:15
King Jemes Version
Is Ephraim my dear son? is he a pleasant child? for since...
Jeremiah 31:20
Look down from heaven, and behold from the habitation of ...
Isaiah 63:15
ここで異常なものとして北森が注目している言葉は、「メイ...
この同じ言葉はエレミヤ31:20においては「我が腸…痛む...
エレミヤ31:20について
北森はエレミヤ31:20の釈義をする際、中心的には翻訳...
『ルターはこのエレミヤ記31:20を次のごとくに翻訳して...
―ich empfinde den heftigsten Schmerz.(我はいと激しき痛み...
『ルターの翻訳と並んで注意すべきはカルヴィンの注解である...
…エフライムはなんの尊敬にも値せず、決して愛の対象ではなか...
…(かくしてカルヴィンは「我が腸…痛む」の個所に達する)。...
以下に、北森が退任記念講演『「神の痛み」の60年』にお...
『「摂理の神」ではなくて「罪の赦し」の神ということになっ...
しかしながらこういう神の態度をなんと名付けたらいいかと...
これが昭和一二年で、今から六〇年前でございます。そして...
それで、このことを非常に巧みに解説してくれた旧約聖書学...
先ほどのエレミヤ記の三一・二〇は新共同訳では非常にいい...
イザヤ63:15について
イザヤ63:15の「切なる仁慈」は、エレミヤ31:20...
**2、痛みにおける神 [#l20fbb8a]
北森は預言者エレミヤの言葉(エレミヤ31:20)によっ...
『痛みにおける神は、御自身の痛みを解決し給う神である。イ...
である。
神の痛みの音ずれが福音である理由は、痛みにおける神が、...
テオドシウス・ハルナック(Luthers Theologie, I, N. A., ...
植村正久(植村全集第4巻331頁)によれば、「神は言うべ...
北森は、痛みなき神を説く神学に対しての「折伏」として、...
**3、神の痛みと歴史的イエス [#tc8b57aa]
北森は「神の痛みと歴史的イエス」として、近代主義の陣営...
(1) たといイエスが神の愛と同時に神の痛みについて語り給...
⇒イエスの死・復活・召天に続いて聖霊が降りたもうまでは、こ...
(後述するように、北森はここで、新約聖書でキリストの痛み...
(2) イエスにおいてむしろ神の痛みよりも神の愛の方に優位...
⇒神の痛みとは具体的には罪の赦しである。そして「赦すという...
歴史的イエスの問題と関連して、ヨハネ福音書における神の...
『イエスの生涯全体が「痛みの途」(via dolorosa)であった...
**4、神の本質としての痛み [#f2613bd7]
北森はヘブル2:10を引用して、痛みは神にとってふさわ...
「それ多くの子を栄光に導くに、その救の君を苦難によりて全...
『…我々がこのテキストから読み出し得ることは、神の痛みが神...
『福音において究極的な言葉は神の痛みである。神が我々人間...
**5、神の痛みへの奉仕 [#j83668ae]
ここで北森は、イサク奉献におけるアブラハムを神奉仕の父...
人間の痛みはそれ自体としては単なる闇、無意義、非生産的...
神の痛みが我々の痛みを癒すとき、それはすでに痛みの領域...
我々においては痛みの経験そのものでさえも罪として成立す...
また北森は、我々の痛みが神の痛みへの証として奉仕する時...
北森のことばを借りると、『「神の痛みの神学」は痛みの類...
ここで、痛みの類比において、人間の想像を絶する神の痛み...
北森は痛みの類比の例としてイエスの母マリア、父なる神に...
[1] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、235頁
[2] 寺園喜基『バルト神学の射程』、ヨルダン社、1987年、18頁
[3] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、258-289頁
[4] 北森嘉蔵の『日本ルーテル神学専門学校卒業論文―キリス...
[5] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、263頁
[6] 同書、263-264頁
[7] 北森嘉蔵『「神の痛み」の60年―北森嘉蔵牧師記念誌』、...
[8] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、268-269頁
[9] 同書、25頁
[10] 同書、25頁
[11] 同書、61-63頁
[12] 同書、67頁
[13] 同書、70頁
[14] 同書、74-75頁
[15] 同書、82-87頁
[16] 同書、87-91頁
[17] 同書、90頁
*第三章 『神の人間性』に見る後期カール・バルトの神観 [#m2...
―神の神性の内に含まれる神の人間性(神の受苦性)
**1、かつての方向転換の回顧と新たな方向転換のための命題...
バルトは70歳の時、1956年9月25日、36年前あのアドルフ・フ...
これは、歴史的状況によって迫られた、バルトの神学的思惟...
『神の人間性。
―これは、正しく理解されるなら、 次のことを意味する他...
すなわち、 神の人間への関係と顧み。
―約束と命令において人間と語り給う神。
―人間のための神の存在と出現と行為。
―神が人間と持ち給う交わり。
―神の自由な恵み。
その恵みにおいて神は人間の神としてとは違う仕方では神で...
これである。』[2]
バルトは聖書に啓示された神観を具体的かつ的確にとらえる...
約40年前、バルトは、絶対他者としての神の神性、無限の質...
『一体しかし、以前の神学は神の神性について何かをしって...
しかしその際、キリスト中心的に方向転換をしなかったがゆ...
『しかし、これは確かに言えることだが、われわれを先ず魅...
『生ける神の-そしてこの神に我々はやはり関わりを持ちたい...
なお、『神の人間性』が講演される3年前(1953年)に...
『神が一切の相対的なものとは反対に、ただ全く絶対的であ...
このバルト自身の言葉から、かつてバルトを魅了した「絶対...
しかしバルト自身が、イエス・キリストにだけ注目し、イエ...
**2、命題のキリスト論的展開―「神の神性」と「神の人間性」...
バルトが改めて発見した上記の命題は「神の神性とは、それ...
『そのことを、われわれはどこから知るのであろうか。どこ...
バルトはこの命題を、キリスト論によって基礎付けられ、また...
『あのかつての方向転換を共に経験しなかった人や、神が神で...
ということである。
バルトは、聖書においてわれわれに証しされているイエス・...
聖書においてわれわれに証しされている、神であり人である...
『神が御自身を啓示し、それと同時にその本性を、また神的...
***「神の神性」のキリスト論的理解 [#n460a174]
「神はイエス・キリストにおいて誰であり、何であり給うの...
その際、最初に目に飛び込んでくる根本的なことは、疑いも...
イエス・キリストとの関連において、神の神性は人間性を排...
神の神性とは、神がご自身の中で、ご自身のためだけのため...
***「神の人間性」のキリスト論的理解と「神の受苦性」 [#wcc...
バルトが語る「神の人間性」とは、前述したように「神の人...
バルトはイエスのたとえの中に登場する失われた息子を憐れ...
『憐れむとは、すなわち、予期せぬ寛大な徹底的な憐れみの...
以上のことから、「神の人間性」という言葉を、バルトは明...
創世記を見ると、もともと人間は神のかたちに似せて造られ...
罪を犯して恵みの神に背を向け、神の敵となった私たち人間...
カール・バルトは、キリスト中心的に神学を続ける歩みの中...
図1は上記の「神の神性」と「神の人間性(受苦性)」との...
#ref(fig1.jpg)
二重の同心円。内円が人間性、外円が神性。
図1「神の神性」と「神の人間性」との関係のモデル
[1] カール・バルト、寺園喜基訳『神の人間性―カール・バルト...
[2] 同書、349頁
[3] 同書、351頁
[4] 同書、356-357頁
[5] 同書、357頁
[6] カール・バルト、井上良雄訳『教会教義学 和解論Ⅰ/2 ...
[7] カール・バルト『神の人間性―カール・バルト著作集3』、...
[8] 同書、354頁
[9] カール・バルト『教会教義学 和解論Ⅰ/2 僕としての主...
[10] カール・バルト『神の人間性―カール・バルト著作集3』...
[11] 五章参照
[12] カール・バルト『神の人間性―カール・バルト著作集3』...
*第四章 『神の痛みの神学』における課題点 [#ba9d73c0]
**1、「日本的な」神学であることについて、バルトが真剣な...
バルトは、著書『福音主義神学入門』の日本語版序文(1962...
『正しい神学者というものは、どこにあっても自分の足で立...
この章では、『神の痛みの神学』が「日本的なもの」である...
そして次に、日本的なもの、日本的思惟とは何かを考えたい...
前述したように、戦時下の日本の教会は、国家神道のナショ...
この書翰において、見逃すことが出来ない点は、この書翰が...
***日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰 [...
(1944年)
「福音と世界」一九六七年五月号より転載
『 序文
キリスト教は福音である。すなわち「大いなる歓喜の音信」...
今ここに日本基督教団が東亜共栄圏内の諸教会および同信同...
日本基督教団は東亜共栄圏内のキリスト教会に対して常に関...
日本基督教団の現代的使徒書翰は、本書が第一信であって、...
予は教団の統理者として種々記したいこと多いが、今は書翰...
最後に予は二千年来伝え来たった使徒的挨拶をもってこの序...
昭和十九年 千九百四十四年復活節の日
日本基督教団教団統理者 富田 満
第一章
われら、日本に在りてキリスト・イエスとその福音とを告白...
主に在りて忠信なる兄弟たちよ。われらは未だ面識の機会な...
われらは聖書に基づく洞察と認識とによって彼らの現状を憐...
日本はこの敵性国家群の不正義に対してあらゆる平和的手段...
次にわれらを種々の相違にもかかわらず一つに結ぶ第二の、...
第二章
愛する兄弟たちよ。 われらは諸君に期待し、諸君を信頼して...
そもそもわが日本帝国は、万世一系の天皇これを統治し給い...
兄弟たちよ。諸君は使徒が「おおよそ真なること、おおよそ...
諸君の既にしばしば聞き知っていられるように、われら日本...
第三章
わが国の有力なキリスト者の一人である内村鑑三は、当時欧...
彼の予言はまた諸君にもあてはまるところであり、心ある士...
日本にキリスト教が渡来したのは、遠く天文十八年(一五四...
先代先覚者によって薫陶された第二、第三の後継者たちも大...
しかして遂に名実とも日本のキリスト教会を樹立するの日は...
かかる経過を経て成立したものが、ここに諸君に呼びかけ語...
本年四月には在来の諸学校が教団立神学校として統一され、...
第四章
われらの敬愛する兄弟たちよ。
われらは諸君にわれらの信仰を告白しわれらの衷情を披瀝し...
兄弟たちよ。われわれはこのキリストを証しする証人であり...
兄弟たちよ。われらはこの慰めとこの希望とを一つにするが...
われらは祈る。キリストの恩恵、父なる神の愛、聖霊の交際...
***日本的思惟とは [#p73ae1df]
土居健郎はその著書『「甘え」の構造』において、日本的な...
土居によると、日本的思惟の特徴は非論理的な甘えの心理で...
日本政府による、教育勅語、日の丸、君が代を用いた、天皇...
『日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰...
**2、『神の痛みの神学』における課題点 [#a0b23286]
日本的思惟についての以上のような考察と、バルトの『神の...
***A、痛みの類比における課題点 [#r94432fc]
北森は『神の痛みの神学』において、痛みの類比(analogia...
(1)神の痛みの超越性を引き下げる傾向にある。
それゆえ、神の痛みが人間的な(感傷的あるいは浪花節的)...
(2)人間の持つ痛みの感覚の限定性を越えることを困難にす...
他者に対しての痛みの感覚を持つことを困難にする。
特に他民族に対しての痛みの感覚が持てない。
その結果、責任転嫁、開き直りといった虚偽によって、すべ...
(3)日本民族優越性の主張、高慢。
これらの問題は、北森が神の痛みと日本的つらさの比較をす...
『神の痛みと日本のこころとをめぐる以上のごとき考察は、以...
第一、日本の悲劇における「つらさ」すなわち痛みは、他者...
第二、痛みへの感覚をもって神の痛みを捕らえるとき、その...
第三、痛みへの感覚は、神の痛みに奉仕するとき始めて真に...
北森は日本の悲劇における「つらさ」、すなわち痛みの例と...
これは戦時下の日本において、天皇のために、日本国のため...
『本居宣長が日本(やまと)武尊(たけるのみこと)の悲運に連関...
敗戦を迎えた日本の教会が、まずキリストを裏切ったことに...
また、日本人としての痛みの感覚をもって神の痛みを捕らえ...
痛みの類比を行う際、北森は日本の庶民のこころが他の民族...
***B、神観についての課題点 [#x314a65e]
北森は『神の痛みの神学』において、絶対他者としての神観...
(1)神と人間の質的差異、つまり神の超越性を認識して「神...
⇒ 偶像礼拝の罪
⇒ あるいは神を自分のために利用する信仰、
私のためのキリストにとどまる信仰
(2)律法を福音の内に含まれる恵みとして認識することを困...
⇒ 安価な恵み、服従を伴わない信仰、実質的には自分が主で...
北森は『神の痛みの神学』において、「絶対他者」という神...
このことは十戒に代表される律法、そして主イエスが示され...
かつて日本の教会は神社参拝が宗教であるかどうかという判...
この日本的思惟の問題は、まさに私たちに真剣な疑問符を提...
[1] カール・バルト『福音主義神学入門―カール・バルト著作集...
[2] 太田和功一『アジアのキリスト者とともに』、いのちのこ...
[3] 井上良雄『戦後教会史と共に1950-1989』、新教出版社、1...
[4] 日本同盟基督教団・横浜上野町教会役員会一同、
『横浜上野町教会よりアジアの中の日本にある基督教徒に...
http://www.imasy.or.jp/~yasu-yok/church/tegami01.html
[5] 土居健郎『「甘え」の構造』、弘文堂、1971年
[6] 『新教コイノニア3 日本のキリスト教とバルト』、新教...
[7] 井戸垣彰『このくにで主に従う―日本人とキリストの福音...
[8] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、89-91頁、2章参照
[9] 同書、235-236頁
[10] 同書、229-232頁
[11] 同書、45頁
[12] 『新教コイノニア3 日本のキリスト教とバルト』、新...
[13] 渡辺信夫『教会が教会であるために 教会論再考』、新...
*第五章 『神の痛みの神学』のキリスト中心的理解 [#f8a7d4bf]
-新約聖書におけるスプランクニゾマイ
-神の神性の極み(核)としての神の人間性
四章において、『神の痛みの神学』が日本的思惟に影響され...
キリスト中心的に神観を受けとめていく最も適切な方法は、...
ここで、新約聖書に用いられている「スプランクニゾマイ」...
新改訳聖書において、「スプランクニゾマイ」は、「かわい...
したがってこの語は、北森が『神の痛みの神学』における「...
バルトは『神の人間性』において、直接この言葉には触れて...
『われわれに聖書で証しされているイエス・キリストにおいて...
まず最初に、それぞれの新約聖書の文脈の中で、この「スプ...
**1、共時的に見た新約聖書におけるスプランクニゾマイ [#ta...
新約聖書における「スプランクニゾマイ」の用例が見られる...
splagcnizomai@viao--3s 6 (verb ind aor pass dep 3rd per...
splagcnizomai@vipn--1s 2 (verb ind pres mid or pass dep...
splagcnizomai@vpaonm-s 3 (verb part aor pass dep nom masc...
splagcnizomai@vraonm2s 1 (verb part (imper) aor pass dep ...
***マタイの福音書におけるスプランクニゾマイ [#h8b845fe]
Mt 9:36(⇔Mk6:34)羊飼いとしてのイエスの、失われてい...
Mt 14:14(⇔Mk6:34) イエスの後を追ってくる病んでいる人...
Mt 15:32(⇔Mk8:2) 空腹の群衆を見られたイエスの口から、...
Mt 18:27 1万タラント(6千億円)の借金を赦す王のたと...
Mt 20:34 二人の目の見えない人たちの嘆願に応えて癒され...
マタイ9:36(比較マルコ6:34) 羊飼いとしてのイエスの、失...
また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れて...
マタイ9:35-10:1参照
ここでスプランクニゾマイは、12弟子を遣わす直前に、イ...
羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている大勢の群衆を...
J・シュニ―ヴァントは9:36に対して、『しかしイエスは...
増田誉雄は『<かわいそうに思われた>と訳されたスプラン...
なお、加藤常昭はこのテキストによる説教において、以下の...
『…この「深くあわれむ」ということばは、少しも苦しんでいな...
これほどに、はらわたが痛むほどに、愛を注ぐ神というのは...
このギリシア人の考え方はよく分かります。神々だけではな...
ここに述べられている、神の子イエスのお姿は、その通りギ...
マタイ14:14(参照マルコ6:34) イエスの後を追ってくる病...
イエスは舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深...
マタイ14:12-14:22 参照
ここでもスプランクニゾマイはイエスの心の動きに対して用...
『<深くあわれんで>(スプランクニゾマイ)は、内臓まで動...
マタイ15:32(参照マルコ8:2) 空腹の群衆を見られたイエス...
イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「かわいそうに、こ...
マタイ15:29-39 参照
ここではスプランクニゾマイが、弟子たちに対して直接語ら...
その時にイエスの目に映っていたものは、三日間何も食べず...
加藤常昭はこの個所から説教しているが、このときのイエス...
『三二節によれば、そのようにイスラエルの神への賛美が歌わ...
いや、それだけではないのです。「もう三日間もわたしと一緒...
マタイ18:27(マタイ18:21-35) 1万タラント(...
―赦し難い罪の負債を徹底的に赦すスプランクニゾマイ
しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免...
マタイ18:15-35参照
たとえが語られた背景
マタイの福音書において、スプランクニゾマイが用いられて...
このたとえでイエスが語ろうとされたことは、「天の御国の...
たとえの内容
驚いたペテロにイエスがたとえを話し始められた。「王はそ...
ここでたとえで語られている状況を把握するために、一万タ...
10000タラント=6000デナリX10000=60,000,000デナリ=6千...
仮に日当1万円とすると、一万タラントとは、6千万日X1万...
<集中構造―私案>
A 七度を七十倍するまで赦しなさい(イエスの言葉)
B 清算をしたい王
C 王のところに連れて来られる一万タラントの借りのあ...
D 牢に投げ入れられそうになる返済できないしもべ
E 主人の前にひれ伏して赦しを乞うしもべ
F 深いあわれみによって(スプランクニゾマイ)し...
F‘一万タラント赦されたのに100デナリの借りの...
E‘ あわれみのないしもべの前にひれ伏して赦しを乞...
D‘返済できないしもべを牢に投げ入れる、あわれみのな...
C‘主人のところに呼びつけられる赦さなかったしもべ
B‘清算をした王
A’心から赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたを赦さ...
スプランクニゾマイについて(誰の何に対して用いられている...
18:27 しもべの主人は、かわいそうに思って(スプランクニゾ...
ここで、スプランクニゾマイはキリストがたとえを語る中で...
「かわいそう」という言葉を国語辞典で引くと、『〔形動〕...
さらにこの言葉の後には、赦すという行為、借金を免除する...
なぜ王はこれほどの借金を免除したのか?[11]
ここで改めて考えたいことは、なぜ王はこれほどの借金を免...
私たちは、ただ神の憐れみによって赦されている自分の罪が...
ところが、そのしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼...
ここで100デナリとはどれぐらいの金額なのかを考えたい。...
このたとえの展開は、自分が多くを赦されていながら、なぜ...
次に、この様子を見ていた仲間たちの反応と主人の反応を見...
彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、...
ここで王は、返すことのできない借金をしたことを責めてい...
この憐れみ深い地上の王は主イエス・キリストによって啓示さ...
スプランクニゾマイという言葉は、他の聖書個所を見るとき...
スプランクニゾマイは神の憐れみの極みとしてのキリストの...
天の御国は、ただ、キリストのあわれみ(私たちに対する神...
マタイ20:34 二人の目の見えない人たちの嘆願に応えて...
イエスはかわいそうに思って、彼らの目にさわられた。すると...
マタイ20:27-21:2参照
このテキストは他の共観福音書にも記載されている記事であ...
E・シュヴァイッアーはこのイエスの憐れみが「わたしたち...
***マルコの福音書におけるスプランクニゾマイ [#w27abf9d]
Mk 1:41 ひとりのらい病人の信仰によ...
Mk 6:34(⇔Mt9:36,14:14) 羊飼いとしてのイエスの、失われて...
Mk 8:2(⇔Mt15:32) 空腹の群衆を見られたイエスの口...
Mk 9:22 イエスに対しての不信仰な祈...
マルコ1:41 ひとりのらい病人の信仰による嘆願に応えられ、癒...
イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた...
マルコ1:40-2:1参照
ここでもスプランクニゾマイは、イエスの心の動きを表現す...
<イエスの教えといやし> マルコ1:16-2:17
Aイエスの召命に従った4人の漁師たち
B教えたもうイエス
Cイエスの教えに驚く人々
Dイエスの命令で出て行く悪霊
Eイエスの権威(新しい教え)
F熱病で寝たままのシモンの姑
G病人たちをイエスの所に連れて来た人々
H戸口に集まった町中の人々とイエスのいやし
I寂しい所へ出て行くイエス
J「出て行って宣べ伝えよう」
K清められることを願うらい病人
Lイエスの深いあわれみと按手(核)
K‘らい病人を清めたもうイエス
J‘出て行って言い広める者
I‘寂しい所にとどまるイエス
H‘戸口にまであふれる人々とイエスの宣教
G‘中風の者をイエスの所に連れてきた人々
F‘中風で寝たままの男
E‘イエスの権威(罪の赦し)
D‘イエスの命令で出て行く中風の者
C‘イエスのいやしに驚く人々
B‘教えたもうイエス
A‘イエスの召命に従った徴税人レビ
マルコ6:34(参照マタイ14:14) 羊飼いとしてのイエスの...
イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。...
マルコ6:29-45参照
ここでもスプランクニゾマイはイエスの心の動きに対して用...
マルコ8:2(参照マタイ15:32) 空腹の群衆を見られたイエ...
「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしといっしょに...
マルコ7:31-8:10参照
異邦人の地で、大ぜいの人の群れが集まっていたが、食べる...
マルコ9:22 イエスに対しての不信仰な祈りの中で用いられ...
この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ...
マルコ9:14-9:32参照
<てんかん息子のいやし> マルコ9:9-32
A復活・受難告知と弟子の無理解
B解決策を求めての論争
C弟子の無能力(父親の言葉の中で)
D地に倒れる息子
E悪霊による発作のため転げまわる息子
Fたびかさなる悪霊の脅威
G「おできになるなら、…お助けください」(←こ...
H信仰に不可能なし(イエスの答え)(核)
G‘「信仰のないわたしをお助けください」
F‘「二度と入るな」(悪霊に対するイエスの叱責)
E‘悪霊による発作のため死んだようになる息子
D‘立ち上がった息子
C‘弟子の無能力(彼ら自身の問い)
B‘祈りこそ解決の秘訣(イエスの答え)
A‘受難・復活予告と弟子の無理解
マルコ9:22においては、汚れた霊を追い出してもらうた...
***ルカの福音書におけるスプランクニゾマイ [#u45c11dd]
Lk 7:13 ひとり息子の死を嘆き悲しんでいるナインのやもめ...
―死を打ち破るスプランクニゾマイ
Lk 10:33 良きサマリヤ人のたとえ:強盗に襲われた敵の隣人...
―(民族間の・神と人との間の)敵意の壁を打ち破るスプランク...
Lk 15:20 ルカ15章のたとえ:父が遠くに帰ってきた放蕩息...
―失われた(死んでいた)息子を見出した父親の歓喜を表わすス...
ルカ7:13 ひとり息子の死を嘆き悲しんでいるナインのやも...
―死を打ち破るスプランクニゾマイ
主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい。...
ルカ7:11-7:23参照
イエスと弟子たちは、ナインという町の門に近づかれた。す...
『<かわいそうに思う>は腸を揺り動かされること。死の問題は...
ルカ10:33(ルカ10:25-37) 良きサマリヤ人のた...
―(民族間の・神と人との間の)敵意の壁を打ち破るスプランク...
ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼...
ルカ10:25-37参照
たとえが語られた背景
このたとえが語られた背景は、ある律法学者がイエスをため...
おそらく彼には、隣人を限定し自分の好きな人々ということ...
<集中構造―良きサマリア人のたとえ> ルカ10:25-37
A「何をしたら…?」(律法学者の問い)
B隣人愛
C「隣人とはだれですか」
D奪う者
E傷つける者
F行き過ぎる者
G到来し、深くあわれむサマリア人(核)(←スプ...
F‘近寄る者
E‘介抱する者
D‘差し出す者
C‘「だれが隣人になったと思うか」
B‘慈悲深い行い
A‘「同じようにしなさい」(イエスの答え)
たとえの内容
10:30 イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムから...
エルサレムからエリコまでは距離約27キロメートル、高低...
ここでエルサレムからエリコへ下る道で強盗に襲われた人は...
『<サマリヤ人>は混血の「外国人」(17:18)だからユ...
このたとえでは驚くべきことに、このユダヤ人とは民族的に...
ここでサマリヤ人は旅の途中であったが、そこに来合わせた...
スプランクニゾマイについて(誰の何に対して用いられている...
10:33 ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わ...
10:34 近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたい...
10:33においてスプランクニゾマイは、サマリア人が旅...
ここでスプランクニゾマイは、サマリア人が強盗に襲われた...
イエス・キリストによって明らかにされた憐れみ深い神
ここで、イエス・キリストによって明らかにされた憐れみ深...
そのイエス・キリストが私たちの罪の負債をすべて支払うた...
ルカ15:20(ルカ15:1-32) ルカ15章のたとえ:...
―失われた息子を見出した父親の歓喜を表わすスプランクニゾマイ
こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところ...
ルカ15:1-32参照
ルカ15章のたとえが語られた背景
15:1―3節の文脈に、イエスがこのたとえを話されたきっ...
15:1 さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとし...
15:2 すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言...
15:3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえ(単数形=一つ...
取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして近寄っ...
たとえの内容
一見するとルカ15章には、羊のたとえ、銀貨のたとえ、息...
3つのたとえ(羊のたとえ、銀貨のたとえ、息子のたとえ)は...
1、3つの失われたもの(羊、銀貨、息子)
2、3つの回復されたもの(いのち、価値、関係)
3、3つの歓喜:失われたものが見つかることによってわき...
(天に、神の御使いたちに、父に)!
神の前に失われたものが見つかること(回復されること)...
4、悔い改めて、イエスと共に喜ぶことへの3度の招き: 「...
しかし、3つのたとえはまったく同じことを語っているわけ...
おそらく救いという概念において、最も豊かな表現は、信仰...
森彬が指摘しているように、このたとえには以下の二つの集...
<集中構造1―放蕩息子の父のたとえ> ルカ15:11-32
A「あなたのものを私に」(弟が父に)
B弟の家出
C放尽
D飢えに苦しむ弟
E豚飼への零落と人々の冷遇
F父へのざんげ(決意として)
G父の所へ出かける子
H息子を見つけて、深くあわれむ父(核)(←ス...
G‘走り寄る父
F‘父へのざんげ
E‘子としての復権と父の厚遇
D‘「食べて楽しもう」(父が弟息子に)
C‘蕩尽(兄が言及)
B‘弟の帰還(兄が言及)
A‘「私のものはお前のものだ」(父が兄息子に)
<集中構造2―放蕩息子の兄> ルカ15:24-32
A生き返り、見つかった弟
B開かれる祝宴
C帰還した弟(これまで父と別居)
Dほふらせた肥えた子牛
E孝行息子(兄)
F兄の不服の申し立て(核)
E‘放蕩息子(弟)
D‘ほふらせた肥えた子牛
C‘兄(いつも父と同居)
B‘開かれる祝宴
A‘生き返り、見つかった弟
スプランクニゾマイについて(誰の何に対して用いられている...
15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。 ...
ここでスプランクニゾマイは、父が遠くに帰ってきた放蕩息...
ここに自由な赦しの愛により、再び子どもとして受け入れら...
以下にJ・シュニーヴァントによる、このテキストにおける...
『さて、かくして、息子は帰っていった。異国でかれを帰省にか...
ここでJ・シュニーヴァントが指摘しているように、スプラ...
***まとめ [#kfeccdd2]
ここで、共時的に見た新約聖書におけるスプランクニゾマイ...
Mat 9:36 (⇔マルコ6:34) 羊飼いとしてのイエスの、失われて...
Mat 14:14(⇔マルコ6:34) イエスの後を追ってくる病んでいる人...
Mat 15:32(⇔マルコ8:2) 空腹の群衆を見られたイエスの口から...
Mat 18:27 1万タラント(6千億円)の借金を赦す王のたとえ ...
Mat 20:34 二人の目の見えない人たちの嘆願に応えて癒される...
マタイの福音書において、この語は5回用いられている。1...
Mar 1:41 ひとりのらい病人の信仰による嘆願に応えられ、癒し...
Mar 6:34 羊飼いとしてのイエスの、失われていた羊に対する深...
Mar 8:2 (⇔マタイ15:32) 空腹の群衆を見られたイエスの口から...
Mar 9:22 イエスに対しての不信仰な祈りの中で用いられたスプ...
マルコの福音書において、この語は4回用いられている。マル...
Luk 7:13 ひとり息子の死を嘆き悲しんでいるナインのやもめを...
Luk 10:33 良きサマリヤ人のたとえ:強盗に襲われた敵の隣人...
Luk 15:20 ルカ15章のたとえ:父が遠くに帰ってきた放蕩息...
ルカの福音書において、この語は3回用いられているが、い...
以上のように、この語はイエス・キリストにだけ用いられる...
まとめると、スプランクニゾマイは、まさしく神の神性の内...
スプランクニゾマイということばで表現される心の動きは受...
**2、通時的に見たスプランクニゾマイ [#s690e0bb]
―世俗ギリシア語、後期ユダヤ文献、新約聖書におけるスプラン...
ここではスプランクニゾマイ、スプランクナというギリシャ...
スプランクニゾマイを通時的に見た場合、あわれむ、かわい...
***A、ギリシア語の用例 [#g0913694]
The New International Dictionary of New Testament ...
ギリシア語には、あわれみを表す3つの異なった単語Eleos, ...
Mercy, Compassion
splavgcna(スプランクナ):内臓、はらわた、腸、よって感情...
splagcnivzomai(スプランクニゾマイ):あわれむ、あわれみ...
スプランクノンについて(ホメロス(B.C.8世紀)からたどって...
腸は自然なパッション(怒り、落ち着かない願望、愛)のあ...
この動詞の最古の形はスプランクネウオーで、内臓を食べる...
Theological Dictionary of the New Testament(TDNT) V...
By EDITORS:GERHARD KITTEL,GERHARD FRIEDRICH より以...
1、 名詞
初期のギリシアの文献において、この名詞はほとんどいつも...
転じた用法として、スプランクナは衝動的なパッション(例...
ギリシア語の用法、少なくともキリスト教以前の時代におい...
2、 動詞
動詞スプランクネウオーはいけにえの内臓のためのスプラン...
3、 合成(複合)語
ユダヤ教や初期のキリスト教文章の中に使われたこの語の合...
しかし、ポストクラシックの用法においては意味の変化が起...
***B、後期ユダヤの文献における用例 [#n63b4ac7]
1、 70人訳(LXX)
The New International Dictionary of New Testament ...
LXX(70人訳)には、この単語が名詞形で15回、動詞形で2...
Theological Dictionary of the New Testament(TDNT) V...
By EDITORS:GERHARD KITTEL,GERHARD FRIEDRICH より以...
この語の名詞(複数形のみ)と動詞は、70人訳において決して...
動詞は箴言17:5(中態)と2マカベア6:8(能動態)...
しかし、ときどきスプランクナが“感情の座”を意味する用法...
少なくとも、さらに明確な用法のヒントが箴言の2つの個所に...
2、12族長の遺訓(Test.ⅩⅡ)
The New International Dictionary of New Testament ...
Test.ⅩⅡ(12族長の遺訓:後期ユダヤ文献)は顕著に...
Theological Dictionary of the New Testament(TDNT) V...
By EDITORS:GERHARD KITTEL,GERHARD FRIEDRICH より以...
総括的に12部族の遺訓における用例を見ると、スプランク...
スプランクナによるラハミムの翻訳は70人訳においては実際...
***C、新約聖書における用例 [#m68375e8]
The New International Dictionary of New Testament ...
NT1 ルカ1:78における用法は別として、共観福音書にお...
NT2 動詞スプランクニゾマイは次に示す2つのケースにおいて...
(a)イエス・キリストの態度、感じ方において
(b)3つのたとえ話の転換点における重要人物の行動...
(a)この単語の意味は、人々の必要の叫びを目にして“イエス...
(b)以下の2つのたとえ話、すなわち、マタイ18:23-...
良きサマリヤ人のたとえ(ルカ10:30-37)において...
Theological Dictionary of the New Testament(TDNT) V...
By EDITORS:GERHARD KITTEL,GERHARD FRIEDRICH より以...
1、 共観福音書におけるsplagcnivzomai Test. XII(→551,14f...
a.この動詞はイエスの3つのたとえにおいて中心的位置を占め...
***スプランクニゾマイのヘブル語ラハムとの関連性について [...
ここで、改めてエレミヤ31:20において「我が腸かれの...
(WTT Jeremiah 31:20 参照)
ここでレヘイムはラハムの不定詞の独立形(強意法)であり...
ここではラハムが強調形で重ねて用いられることによって非...
けれども新約聖書において、スプランクニゾマイによって、...
なお、エレミヤ31:20の前の文脈を見ると、このように...
わたしは、エフライムが嘆いているのを確かに聞いた。『あな...
これは自らの高ぶり、偶像礼拝、背信によって神の怒りの懲...
ラハミム(ラハム)とヘセッドについて
ラハムの名詞形ラハミムというヘブル語はヘセッドと組み合...
『ラハミムが用いられるときには、ヘセッドの場合のように義...
この用語が用いられるとき、「愛」の意味内容は、それが特...
これに対応する動詞ラハムも、全く同じ仕方で用いられてい...
[1] カール・バルト『神の人間性―カール・バルト著作集3』、...
[2] J・シュニ―ヴァント『NTD 別巻 マタイの福音書』、...
[3] ウイリアム・バークレー『聖書注解シリーズ マタイ福音...
[4] 増田誉雄『新聖書注解 新約1』、いのちのことば社、197...
[5] 加藤常昭『加藤常昭説教全集7 マタイによる福音書2』...
[6] 増田誉雄『新聖書注解 新約1』、135頁
[7] J・シュニ―ヴァント『NTD 別巻 マタイの福音書』、...
[8] 加藤常昭『加藤常昭説教全集8 マタイによる福音書3』...
[9] 集中構造については、ヨルダン社から刊行されている森彬...
[10] 国語大辞典(新装版)小学館 1988
[11] 鈴木英昭『神の国への招き-たとえ話のこころ』、いのち...
[12] 河野勇一『神学概論-東海聖書神学塾・基礎科(組織神学...
[13] J・ジースラー、森田武夫訳『パウロの福音理解-オックスフォード聖...
[14] D・ジェームズ・ケネディ、『拡大する伝道プログラム』...
[15] J・シュニ―ヴァント『NTD 別巻 マタイの福音書』...
[16] E・シュヴァイッアー『NTD マタイの福音書』、548頁
[17] 森彬『聖書の集中構造下―新約篇』、ヨルダン社、1994年...
[18] 森彬『聖書の集中構造下―新約篇』、32-35頁
[19] 榊原康夫『新聖書注解 新約1(ルカの福音書)』、347頁
[20] 森彬『聖書の集中構造下―新約篇』、60-63頁
[21] 榊原康夫『新聖書注解 新約1(ルカの福音書)』、365頁
[22] カール・バルト、井上良雄訳『教会教義学 和解論Ⅰ/2...
[23] 河野勇一『神学概論-東海聖書神学塾・基礎科(組織神学...
[24] 森彬著、聖書の集中構造下―新約篇、ヨルダン社、1994年
[25] フィリップ・ヤンシー、山下章子訳『だれも知らなかった...
[26] J・シュニーヴァント『放蕩息子』、新教出版社、55-56頁
[27] フィリップ・ヤンシー『だれも知らなかった恵み』、87頁...
[28] ヘンリー・J.M.ノーエン共著『コンパッション―揺り...
[29] J・シュニ―ヴァント『放蕩息子』、新教出版社、1961年...
[30] レオン・モリス『愛―聖書における愛の研究』、教文館、...
*総括 [#pd9f1467]
北森嘉蔵は『神の痛みの神学』において、預言者エレミヤの...
カール・バルトは、キリスト中心的に神学を続ける歩みの中...
共観福音書に記されているイエス・キリストに目を向け、エ...
共時的に見たスプランクニゾマイは、イエス・キリストに対...
スプランクニゾマイということばで表現される心の動きは受...
スプランクニゾマイを通時的に見た場合、あわれむ、かわい...
新約聖書において、イエス・キリストに対してだけ用いられ...
『神の痛みの神学』のキリスト中心的理解によって、より具...
*結論 [#ve09ebd9]
**1、砕かれた人間の姿によって心の底から揺り動かされる神 ...
預言者エレミヤの聞いた「我が腸かれの為に痛む」という神...
スプランクニゾマイということばで表現される心の動きも受...
**2、イエス・キリストによって明らかにされた「絶対他者」...
スプランクニゾマイは、イエス・キリストにだけ用いられる...
そしてこの心の底からの動きが、イエスを具体的な愛の行動...
スプランクニゾマイは、まさしく神の神性の極みとしての神...
『神の痛みの神学』のキリスト中心的理解によって、より具...
**3、キリスト者の生活における苦難の積極的意味 [#u901a930]
神の苦難へのチャレンジ
新約聖書においてスプランクニゾマイが用いられている用例...
赦す苦難、他者の為に生きる苦難、共に喜ぶ苦難、他者のた...
これらの苦難の積極的な意味は、これらの御言葉に従うこと...
***1、 赦し(あわれみ)による和解への招き [#w0b02898]
一万タラントの借金(罪の負債)を十字架によって赦された...
Mat 18:27 1万タラント(6千億円)の借金を赦す王のたとえ
―赦し難い罪の負債を徹底的に赦すスプランクニ...
Mat 18:27 しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、...
Mat 18:33 私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲...
***2、 良き隣人となることへの招き [#v495b8b3]
良き隣人キリストに助けられた者として、他者のために生き...
(自ら造ったの壁を超えて、憐れみ深く共に生きること)
Luk 10:33 良きサマリヤ人のたとえ:強盗に襲われた敵の隣人...
―(民族間の・神と人との間の)敵意の壁を打ち破るスプランク...
Mat 15:32(⇔マルコ8:2) 空腹の群衆を見られたイエスの口から...
Mar 8:2 (⇔マタイ15:32) 空腹の群衆を見られたイエスの口から...
Mar 6:34 羊飼いとしてのイエスの、失われていた羊に対する深...
Luk 7:13 ひとり息子の死を嘆き悲しんでいるナインのやもめを...
Luk 10:33-37
ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼...
Luk 6:36 あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたも...
***3、悔い改めと喜びへの招き [#hb48478c]
信仰によって神の愛を体験した者として、共に喜ぶ苦難への...
Luk 15:20 ルカ15章のたとえ:父が遠くに帰ってきた放蕩息...
Luk 15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行っ...
Luk 15:31 父は彼に言った。『おまえはいつも私といっしょに...
Luk 15:32 だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来た...
***4、祈りによる宣教の情熱への招き [#q9867aa6]
他者の為に祈る苦難へのチャレンジ
Mat 9:36 (⇔マルコ6:34) 羊飼いとしてのイエスの、失われて...
Mat 9:36 また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果て...
Mat 9:37-38 そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが...
***5、信仰への招き [#w74ec4c4]
信仰の苦難へのチャレンジ
Mat 14:14(⇔マルコ6:34) イエスの後を追ってくる病んでいる人...
Mat 20:34 二人の目の見えない人たちの嘆願に応えて癒される...
Mar 1:41 ひとりのらい病人の信仰による嘆願に応えられ、癒し...
Mar 9:22 イエスに対しての不信仰な祈りの中で用いられたスプ...
Mat 14:13-14 イエスはこのことを聞かれると、舟でそこを去り...
Mat 20:29-34 彼らがエリコを出て行くと、大ぜいの群衆がイエ...
Mar 1:40-42 さて、ひとりのらい病人が、イエスのみもとにお...
Mar 9:22-24 この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や...
*謝辞 [#b6ebef5e]
この卒業論文を書くにあたり、いつも笑顔をもって私を支え...
私が現在所属している日本同盟基督教団・豊橋ホサナキリス...
そして、本論文の執筆に関して、特に御指導を頂いた河野勇...
また、羽鳥泰樹師、野田英敏師、野田喜裕師、湯沢英房師、...
たくさんの方々の励ましと祈りによって、これからの伝道・...
栄光在主
A.D.2000年2月25日
豊橋ホサナキリスト教会・東田チャペルにて
野町 真理
*参考文献 [#yc99c804]
ここでは、本文中に脚注という形で引用した文献に加えて、...
北森嘉蔵に関する文献
日本基督教団千歳船橋教会『「神の痛み」の60年-北森嘉蔵...
北森嘉蔵『ガラテヤ人への手紙講解説教』、教文館、1999年
ジョアンナ&アリスター・マグラス『自分を愛することのジレンマ(THE ...
北森嘉蔵『日本人と聖書』、教文館、1995年
A.リチャードソン/J.ボウデン編、佐柳文男訳『キリスト教神学...
井上良雄『戦後教会史と共に1950-1989』、新教出版社、1995年
佐藤敏夫『キリスト教神学概論』、新教出版社、1994年
宮本威『神の痛みの神学を読む』、キリスト新聞社、1993年
中島修平『ホスピスの窓から-産みの痛みの神学』、キリスト...
中島修平、中島美知子『福音主義神学16「実践的神義論をめ...
北森嘉蔵『憂いなき神―聖書と文学』、講談社学術文庫、1991年
J.モルトマン『二十世紀神学の展望』、新教出版社、1989年
北森嘉蔵『神の痛みの神学』、講談社学術文庫、1986年
『新教コイノニア3 日本のキリスト教とバルト』、新教出版...
E.S.ゲルステンベルガー/W.シュラーゲ、吉田泰/鵜殿博喜訳...
H.G.ペールマン、蓮見和男訳『現代教義学総説』、新教出版社...
北森嘉蔵『自乗された神』、日本之薔薇出版社、1981年
北森嘉蔵以外による神の受苦性に関しての文献
J.モルトマン、沖野政弘訳『今日キリストは私たちにとって...
A.リチャードソン/J.ボウデン編、『キリスト教神学事典』、教...
中島修平『ホスピスの窓から-産みの痛みの神学』、キリスト...
J.モルトマン、土屋清訳『組織神学論叢1 三位一体と神の...
寺園喜基『バルト神学の射程』、ヨルダン社、1987年
E.S.ゲルステンベルガー/W.シュラーゲ、吉田泰/鵜殿博喜訳...
H.G.ペールマン、蓮見和男訳『現代教義学総説』、新教出版社...
エバハルト・ユンゲル、大木英夫・佐藤司郎訳『神の存在-バ...
ヘルムート・ティーリケ、大崎節郎訳『主の祈り-世界を包む...
カール・バルトに関する文献
カール・バルト、小川圭治・岩波哲男訳『世界の大思想33 ...
カール・バルト、井上良雄訳『教会教義学 和解論Ⅰ/1 和解...
カール・バルト、井上良雄訳『教会教義学 和解論Ⅰ/2 僕と...
カール・バルト、井上良雄訳『教会教義学 和解論Ⅰ/3 僕と...
カール・バルト、井上良雄訳『教会教義学 和解論Ⅰ/4 僕と...
カール・バルト、井上良雄訳『地上を旅する神の民-バルト「...
カール・バルト、鈴木正久訳『キリスト教倫理Ⅱ-交わりにおけ...
カール・バルト、井上良雄訳『啓示・教会・神学/福音と律法...
カール・バルト、寺園喜基訳『神の人間性―カール・バルト著作...
カール・バルト、加藤常昭訳『福音主義神学入門―カール・バル...
カール・バルト、天野有訳『キリスト教的生Ⅰ』、新教出版社、...
カール・バルト、天野有訳『キリスト教的生Ⅱ』、新教出版社、...
カール・バルト、佐藤敏夫訳『バルト自伝』、新教出版社、199...
エバーハルト・ブッシュ、小川圭治訳『カール・バルトの生涯...
富岡幸一郎『使徒的人間―カール・バルト』、講談社、1999年
大木英夫『人類の知的遺産72 バルト』、講談社、1984年
大島末男『人と思想75 カール=バルト』、清水書院、1986年
『新教コイノニア3 日本のキリスト教とバルト』、新教出版...
寺園喜基『バルト神学の射程』、ヨルダン社、1987年
吉永正義『受肉と聖霊の注ぎ-バルト神学とその特質Ⅱ』、新教...
エバハルト・ユンゲル、大木英夫・佐藤司郎訳『神の存在-バ...
日本的思惟・罪責告白に関する文献
大内三郎、土肥昭夫、堀光男、柏井創編纂、『日本基督教団史...
土居健郎『「甘え」の構造』、弘文堂、1971年
太田和功一『アジアのキリスト者とともに』、いのちのことば...
井戸垣彰『このくにで主に従う―日本人とキリストの福音』、い...
井戸垣彰『日本の教会はどこへ―戦前・戦中・戦後の教会の姿』...
井上良雄『戦後教会史と共に1950-1989』、新教出版社、1995年
日本同盟基督教団・横浜上野町教会役員会一同、『横浜上野町...
渡辺信夫『教会が教会であるために 教会論再考』、新教出版...
渡辺信夫『今、教会を考える』、新教出版社、1997年
リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー、永井清彦訳『荒野の40年―ヴァイツゼッカー...
J.モルトマン『二十世紀神学の展望』、新教出版社、1989年
スプランクニゾマイ、ラハムに関する文献
Editor:Colin Brown, ”The New International Dictionary...
Editors:GERHARD KITTEL, GERHARD FRIEDRICH, “Theological D...
Horst Balz, Gerhard Schneider, ”EXEGETICAL DICTIONARY OF ...
森彬『聖書の集中構造上―旧約篇』、ヨルダン社、1991年
森彬『聖書の集中構造下―新約篇』、ヨルダン社、1994年
ヘンリー・J.M.ノーエン共著『コンパッション―揺り動かす...
レオン・モリス『愛―聖書における愛の研究』、教文館、1989年
加藤常昭『加藤常昭説教全集7 マタイによる福音書2』、ヨ...
加藤常昭『加藤常昭説教全集8 マタイによる福音書3』、ヨ...
J・シュニ―ヴァント『NTD 別巻 マタイの福音書』
E・シュヴァイッアー『NTD マタイの福音書』
ウイリアム・バークレー『聖書注解シリーズ マタイ福音書上...
増田誉雄『新聖書注解 新約1(マタイの福音書)』、いのち...
山口昇『新聖書注解 新約1(マルコの福音書)』、いのちの...
榊原康夫『新聖書注解 新約1(ルカの福音書)』、いのちの...
鈴木英昭『新聖書講解シリーズ3 ルカの福音書』、いのちのこと...
J・シュニ―ヴァント『放蕩息子』、新教出版社、1961年
鈴木英昭『神の国への招き-たとえ話のこころ』、いのちのこ...
A.M.ハンター、吉田信夫訳『イエスの譬えの意味』、新教出版...
河野勇一『神学概論-東海聖書神学塾・基礎科(組織神学部門...
J・ジースラー、森田武夫訳『パウロの福音理解-オックスフォード聖書概...
D・ジェームズ・ケネディ、『拡大する伝道プログラム』、日本...
国語大辞典(新装版)小学館、1988年
その他
R.ボーレン、加藤常昭訳『憧れと福音』、教文館、1998年
D.ボンヘッファー、森平太訳『ボンヘッファ-選集3 キリス...
D.ボンヘッファー、森野善右衛門訳『共に生きる生活』、新教...
ヘンリー・J.M.ノーエン、太田和功一訳『いま、ここに生...
フィリップ・ヤンシー、村瀬俊夫訳『痛むキリスト者とともに...
フィリップ・ヤンシー、山下章子訳『神に失望した時』、いの...
フィリップ・ヤンシー、山下章子訳『だれも知らなかった恵み...
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1999年度 東海聖書神学塾 卒業論文
*『神の痛みの神学』のキリスト中心的理解 [#j13621fc]
-キリスト者の生活における苦難の積極的意味を求めて-
A graduation thesis of Tokai Theological Seminary in 1999
The Christ-centric understanding of
“Theology of the Pain of God”
-Seeking positive meaning of the pain in Christian life-
教職志願者コース4年 野町 真理
(所属教会:日本同盟基督教団・豊橋ホサナキリスト教会)
*Abstract [#o61d40d3]
Kazo Kitamori, a Japanese theologian wrote the book nam...
In this thesis, having addressed to Jesus Christ descri...
By "splagchnizomai", the painful heart or joy of God is...
The Christ-centric understanding of "Theology of the Pa...
*1、内容の総括 [#p84f5f65]
共観福音書に記されているイエス・キリストに目を向け、エ...
共時的に見たスプランクニゾマイは、キリストに対してだけ...
通時的に見た場合、あわれむ、かわいそうに思うといった隠...
新約聖書において、イエス・キリストに対してだけ用いられ...
『神の痛みの神学』のキリスト中心的理解によって、日本的...
*2、結論 [#b7c0d351]
**(1)砕かれた人間の姿によって心の底から揺り動かされる...
エレミヤ31:20の「我が腸かれの為に痛む」という言葉...
スプランクニゾマイで表現される心の動きも受動的である。ま...
**(2)イエス・キリストによって明らかにされた「絶対他者...
スプランクニゾマイは、キリストにだけ用いられることによ...
ルカ15章の放蕩息子の父親に対する用例は、文脈から失われ...
スプランクニゾマイは、まさしく神の神性の極みとしての神...
**(3)キリスト者の生活における苦難の積極的意味 [#pc5537...
(神の5つのチャレンジ)
1、 赦し(あわれみ)による和解への招き
一万タラントの借金(罪の負債)を十字架によって赦された者...
2、 良き隣人となることへの招き
良き隣人キリストに助けられた者として、他者のために生きる...
3、悔い改めと喜びへの招き
信仰によって神の愛を体験した者として、共に喜ぶ苦難へのチ...
4、祈りによる宣教の情熱への招き
他者の為に祈る苦難へのチャレンジ
5、信仰への招き
信仰の苦難へのチャレンジ
スプランクニゾマイの用例を見ると、上記のような5つのチ...
*目次 [#jc779433]
#contents
*第一章 序論 ―「絶対他者」か「痛む神」か? [#ca03a9f2]
**1、神観の重要性について [#zd906df7]
私たち人間は生まれ育った、あるいは置かれた環境の中で、...
地理的環境とは、風土と言う言葉に置き換えることもできる...
また、歴史的環境とは、思想、宗教、哲学、文学、神学、科...
具体的な思想としては啓蒙思想、進化論などを挙げることが...
私たちはある一つの言葉を聞いたり、見たりした時、その言...
北森嘉蔵が指摘しているように、「神学とは福音の厳密なる...
ヘブル語で書かれた旧約聖書とギリシア語で書かれた新約聖...
**2、北森嘉蔵とカール・バルトの神観の相違―第二次世界大戦...
***北森嘉蔵の神観―「痛む神」 [#g2b9a7f2]
北森嘉蔵(1916-1998)は、『キリスト教神学への日本の寄...
キリスト教神学事典(A.リチャードソン/J.ボウデン編、教文...
以下に、モルトマンの北森嘉蔵に対する評価を記す。
『わたしはもはや単にキリストの十字架が人間にとって何を意...
アリスター・マグラス(Alister McGrath)も”Christian The...
『日本の神学者である北森は、神の痛みについて名著を残して...
と述べている
『神の痛みの神学』は1946年、第二次世界大戦直後(1...
***初期のカール・バルトの神観―「絶対他者」 [#cf3e4a91]
カール・バルト(Karl Birth 1886-1968)は、人間中心主義...
これは結果として、神と人間との「質的差異」を強調したと...
バルトにとって「神の神性」とは、人間と対比して、まさし...
ドイツがヒットラーによってナショナリズム、アウシュビッ...
以下に、1940年、ドイツが勝ち誇っていて、誰もその年には5...
『神はただひとり在したまい、神にならぶべきいかなる存在も...
これは、戦時下の日本の教会が、国家神道のナショナリズム...
戦時下において、日本基督教団(トップ)は伊勢神宮に参拝...
『神の痛みの神学』の中で、北森嘉蔵はバルトの神観につい...
『この神学の見た神は、人間との「対立」における神であり、...
北森の神観は「痛む神」であり、北森が受けとめたカール・...
**3、神の受苦不能性について [#e07d034e]
初代教会は、十字架につけられたイエス・キリストを神とし...
『(1)神は、その本質的な受苦不能性により、人間およびあ...
(2)神が、その永遠の生命へと人間たちをあずからせるこ...
それ故、受苦不能性は、人間の救いにとって、土台となるよ...
『キリスト教神学において、受苦不能性が本来意味することは...
「絶対他者」としての神がもしあらゆる点で「苦しまない神...
[1] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、講談社学術文庫、1986年、2...
[2] Wycliffe Bible Translatorsのホームページ
(http://www.wycliffe.org/wbt-usa/trangoal.htm)参照
[3] A.リチャードソン/J.ボウデン編、佐柳文男訳『キリスト教...
[4] J.モルトマン『二十世紀神学の展望』、新教出版社、1989年...
[5] 日本基督教団千歳船橋教会『「神の痛み」の60年-北森...
[6] ジョアンナ&アリスター・マグラス『自分を愛することの...
[7] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、巻末の北森の解説(292-29...
[8] エバーハルト・ブッシュ、小川圭治訳『カール・バルトの...
[9] カール・バルト、小川圭治・岩波哲男訳『世界の大思想3...
[10] 富岡幸一郎『使徒的人間―カール・バルト』、講談社、199...
[11] J.モルトマン『二十世紀神学の展望』、新教出版社、168...
[12] リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー、永井清彦訳『荒野の40年―ヴァイツ...
[13] 大木英夫『人類の知的遺産72 バルト』、講談社、1984年...
[14] カール・バルト、加藤常昭訳『福音主義神学入門―カール...
[15] 太田和功一『アジアのキリスト者とともに』、いのちのこ...
[16] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、29-31頁
[17] J.モルトマン、土屋清訳『組織神学論叢1 三位一体...
[18] 同書、53頁
*第二章 『神の痛みの神学』の中心的主張点-神の痛みに基礎...
『神の痛みの神学』における主題は、「痛む神」という神観...
(1)まずそれは神が愛すべからざる者(神の敵である罪人)...
(2)次にそれは、父なる神がその愛し給う独子を死なしめ給...
『神の痛みの神学』において、北森はエレミヤ31:20を...
この章では、まず「神の痛み」なる概念の根拠とされるエレ...
**1、「神の痛み」なる概念の根拠とされる釈義的研究―エレミ...
北森嘉蔵は『神の痛みの神学』において「痛む神」という神...
(フォントの都合により、原文に記載したヘブルテキスト(WTT...
『神の痛みの神学』の第二版から附録として加えられている...
新改訳
エフライムは、わたしの大事な子なのだろうか。それとも、喜...
・・主の御告げ。・・
エレミヤ31:20
どうか、天から見おろし、聖なる輝かしい御住まいからご覧く...
イザヤ63:15
文語訳
エホバいいたまう、エフライムは我が愛するところの子、悦ぶ...
エレミヤ31:20
ねがわくは天より俯しみそなわし、その栄光にあるきよき居所...
イザヤ63:15
King Jemes Version
Is Ephraim my dear son? is he a pleasant child? for since...
Jeremiah 31:20
Look down from heaven, and behold from the habitation of ...
Isaiah 63:15
ここで異常なものとして北森が注目している言葉は、「メイ...
この同じ言葉はエレミヤ31:20においては「我が腸…痛む...
エレミヤ31:20について
北森はエレミヤ31:20の釈義をする際、中心的には翻訳...
『ルターはこのエレミヤ記31:20を次のごとくに翻訳して...
―ich empfinde den heftigsten Schmerz.(我はいと激しき痛み...
『ルターの翻訳と並んで注意すべきはカルヴィンの注解である...
…エフライムはなんの尊敬にも値せず、決して愛の対象ではなか...
…(かくしてカルヴィンは「我が腸…痛む」の個所に達する)。...
以下に、北森が退任記念講演『「神の痛み」の60年』にお...
『「摂理の神」ではなくて「罪の赦し」の神ということになっ...
しかしながらこういう神の態度をなんと名付けたらいいかと...
これが昭和一二年で、今から六〇年前でございます。そして...
それで、このことを非常に巧みに解説してくれた旧約聖書学...
先ほどのエレミヤ記の三一・二〇は新共同訳では非常にいい...
イザヤ63:15について
イザヤ63:15の「切なる仁慈」は、エレミヤ31:20...
**2、痛みにおける神 [#l20fbb8a]
北森は預言者エレミヤの言葉(エレミヤ31:20)によっ...
『痛みにおける神は、御自身の痛みを解決し給う神である。イ...
である。
神の痛みの音ずれが福音である理由は、痛みにおける神が、...
テオドシウス・ハルナック(Luthers Theologie, I, N. A., ...
植村正久(植村全集第4巻331頁)によれば、「神は言うべ...
北森は、痛みなき神を説く神学に対しての「折伏」として、...
**3、神の痛みと歴史的イエス [#tc8b57aa]
北森は「神の痛みと歴史的イエス」として、近代主義の陣営...
(1) たといイエスが神の愛と同時に神の痛みについて語り給...
⇒イエスの死・復活・召天に続いて聖霊が降りたもうまでは、こ...
(後述するように、北森はここで、新約聖書でキリストの痛み...
(2) イエスにおいてむしろ神の痛みよりも神の愛の方に優位...
⇒神の痛みとは具体的には罪の赦しである。そして「赦すという...
歴史的イエスの問題と関連して、ヨハネ福音書における神の...
『イエスの生涯全体が「痛みの途」(via dolorosa)であった...
**4、神の本質としての痛み [#f2613bd7]
北森はヘブル2:10を引用して、痛みは神にとってふさわ...
「それ多くの子を栄光に導くに、その救の君を苦難によりて全...
『…我々がこのテキストから読み出し得ることは、神の痛みが神...
『福音において究極的な言葉は神の痛みである。神が我々人間...
**5、神の痛みへの奉仕 [#j83668ae]
ここで北森は、イサク奉献におけるアブラハムを神奉仕の父...
人間の痛みはそれ自体としては単なる闇、無意義、非生産的...
神の痛みが我々の痛みを癒すとき、それはすでに痛みの領域...
我々においては痛みの経験そのものでさえも罪として成立す...
また北森は、我々の痛みが神の痛みへの証として奉仕する時...
北森のことばを借りると、『「神の痛みの神学」は痛みの類...
ここで、痛みの類比において、人間の想像を絶する神の痛み...
北森は痛みの類比の例としてイエスの母マリア、父なる神に...
[1] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、235頁
[2] 寺園喜基『バルト神学の射程』、ヨルダン社、1987年、18頁
[3] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、258-289頁
[4] 北森嘉蔵の『日本ルーテル神学専門学校卒業論文―キリス...
[5] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、263頁
[6] 同書、263-264頁
[7] 北森嘉蔵『「神の痛み」の60年―北森嘉蔵牧師記念誌』、...
[8] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、268-269頁
[9] 同書、25頁
[10] 同書、25頁
[11] 同書、61-63頁
[12] 同書、67頁
[13] 同書、70頁
[14] 同書、74-75頁
[15] 同書、82-87頁
[16] 同書、87-91頁
[17] 同書、90頁
*第三章 『神の人間性』に見る後期カール・バルトの神観 [#m2...
―神の神性の内に含まれる神の人間性(神の受苦性)
**1、かつての方向転換の回顧と新たな方向転換のための命題...
バルトは70歳の時、1956年9月25日、36年前あのアドルフ・フ...
これは、歴史的状況によって迫られた、バルトの神学的思惟...
『神の人間性。
―これは、正しく理解されるなら、 次のことを意味する他...
すなわち、 神の人間への関係と顧み。
―約束と命令において人間と語り給う神。
―人間のための神の存在と出現と行為。
―神が人間と持ち給う交わり。
―神の自由な恵み。
その恵みにおいて神は人間の神としてとは違う仕方では神で...
これである。』[2]
バルトは聖書に啓示された神観を具体的かつ的確にとらえる...
約40年前、バルトは、絶対他者としての神の神性、無限の質...
『一体しかし、以前の神学は神の神性について何かをしって...
しかしその際、キリスト中心的に方向転換をしなかったがゆ...
『しかし、これは確かに言えることだが、われわれを先ず魅...
『生ける神の-そしてこの神に我々はやはり関わりを持ちたい...
なお、『神の人間性』が講演される3年前(1953年)に...
『神が一切の相対的なものとは反対に、ただ全く絶対的であ...
このバルト自身の言葉から、かつてバルトを魅了した「絶対...
しかしバルト自身が、イエス・キリストにだけ注目し、イエ...
**2、命題のキリスト論的展開―「神の神性」と「神の人間性」...
バルトが改めて発見した上記の命題は「神の神性とは、それ...
『そのことを、われわれはどこから知るのであろうか。どこ...
バルトはこの命題を、キリスト論によって基礎付けられ、また...
『あのかつての方向転換を共に経験しなかった人や、神が神で...
ということである。
バルトは、聖書においてわれわれに証しされているイエス・...
聖書においてわれわれに証しされている、神であり人である...
『神が御自身を啓示し、それと同時にその本性を、また神的...
***「神の神性」のキリスト論的理解 [#n460a174]
「神はイエス・キリストにおいて誰であり、何であり給うの...
その際、最初に目に飛び込んでくる根本的なことは、疑いも...
イエス・キリストとの関連において、神の神性は人間性を排...
神の神性とは、神がご自身の中で、ご自身のためだけのため...
***「神の人間性」のキリスト論的理解と「神の受苦性」 [#wcc...
バルトが語る「神の人間性」とは、前述したように「神の人...
バルトはイエスのたとえの中に登場する失われた息子を憐れ...
『憐れむとは、すなわち、予期せぬ寛大な徹底的な憐れみの...
以上のことから、「神の人間性」という言葉を、バルトは明...
創世記を見ると、もともと人間は神のかたちに似せて造られ...
罪を犯して恵みの神に背を向け、神の敵となった私たち人間...
カール・バルトは、キリスト中心的に神学を続ける歩みの中...
図1は上記の「神の神性」と「神の人間性(受苦性)」との...
#ref(fig1.jpg)
二重の同心円。内円が人間性、外円が神性。
図1「神の神性」と「神の人間性」との関係のモデル
[1] カール・バルト、寺園喜基訳『神の人間性―カール・バルト...
[2] 同書、349頁
[3] 同書、351頁
[4] 同書、356-357頁
[5] 同書、357頁
[6] カール・バルト、井上良雄訳『教会教義学 和解論Ⅰ/2 ...
[7] カール・バルト『神の人間性―カール・バルト著作集3』、...
[8] 同書、354頁
[9] カール・バルト『教会教義学 和解論Ⅰ/2 僕としての主...
[10] カール・バルト『神の人間性―カール・バルト著作集3』...
[11] 五章参照
[12] カール・バルト『神の人間性―カール・バルト著作集3』...
*第四章 『神の痛みの神学』における課題点 [#ba9d73c0]
**1、「日本的な」神学であることについて、バルトが真剣な...
バルトは、著書『福音主義神学入門』の日本語版序文(1962...
『正しい神学者というものは、どこにあっても自分の足で立...
この章では、『神の痛みの神学』が「日本的なもの」である...
そして次に、日本的なもの、日本的思惟とは何かを考えたい...
前述したように、戦時下の日本の教会は、国家神道のナショ...
この書翰において、見逃すことが出来ない点は、この書翰が...
***日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰 [...
(1944年)
「福音と世界」一九六七年五月号より転載
『 序文
キリスト教は福音である。すなわち「大いなる歓喜の音信」...
今ここに日本基督教団が東亜共栄圏内の諸教会および同信同...
日本基督教団は東亜共栄圏内のキリスト教会に対して常に関...
日本基督教団の現代的使徒書翰は、本書が第一信であって、...
予は教団の統理者として種々記したいこと多いが、今は書翰...
最後に予は二千年来伝え来たった使徒的挨拶をもってこの序...
昭和十九年 千九百四十四年復活節の日
日本基督教団教団統理者 富田 満
第一章
われら、日本に在りてキリスト・イエスとその福音とを告白...
主に在りて忠信なる兄弟たちよ。われらは未だ面識の機会な...
われらは聖書に基づく洞察と認識とによって彼らの現状を憐...
日本はこの敵性国家群の不正義に対してあらゆる平和的手段...
次にわれらを種々の相違にもかかわらず一つに結ぶ第二の、...
第二章
愛する兄弟たちよ。 われらは諸君に期待し、諸君を信頼して...
そもそもわが日本帝国は、万世一系の天皇これを統治し給い...
兄弟たちよ。諸君は使徒が「おおよそ真なること、おおよそ...
諸君の既にしばしば聞き知っていられるように、われら日本...
第三章
わが国の有力なキリスト者の一人である内村鑑三は、当時欧...
彼の予言はまた諸君にもあてはまるところであり、心ある士...
日本にキリスト教が渡来したのは、遠く天文十八年(一五四...
先代先覚者によって薫陶された第二、第三の後継者たちも大...
しかして遂に名実とも日本のキリスト教会を樹立するの日は...
かかる経過を経て成立したものが、ここに諸君に呼びかけ語...
本年四月には在来の諸学校が教団立神学校として統一され、...
第四章
われらの敬愛する兄弟たちよ。
われらは諸君にわれらの信仰を告白しわれらの衷情を披瀝し...
兄弟たちよ。われわれはこのキリストを証しする証人であり...
兄弟たちよ。われらはこの慰めとこの希望とを一つにするが...
われらは祈る。キリストの恩恵、父なる神の愛、聖霊の交際...
***日本的思惟とは [#p73ae1df]
土居健郎はその著書『「甘え」の構造』において、日本的な...
土居によると、日本的思惟の特徴は非論理的な甘えの心理で...
日本政府による、教育勅語、日の丸、君が代を用いた、天皇...
『日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰...
**2、『神の痛みの神学』における課題点 [#a0b23286]
日本的思惟についての以上のような考察と、バルトの『神の...
***A、痛みの類比における課題点 [#r94432fc]
北森は『神の痛みの神学』において、痛みの類比(analogia...
(1)神の痛みの超越性を引き下げる傾向にある。
それゆえ、神の痛みが人間的な(感傷的あるいは浪花節的)...
(2)人間の持つ痛みの感覚の限定性を越えることを困難にす...
他者に対しての痛みの感覚を持つことを困難にする。
特に他民族に対しての痛みの感覚が持てない。
その結果、責任転嫁、開き直りといった虚偽によって、すべ...
(3)日本民族優越性の主張、高慢。
これらの問題は、北森が神の痛みと日本的つらさの比較をす...
『神の痛みと日本のこころとをめぐる以上のごとき考察は、以...
第一、日本の悲劇における「つらさ」すなわち痛みは、他者...
第二、痛みへの感覚をもって神の痛みを捕らえるとき、その...
第三、痛みへの感覚は、神の痛みに奉仕するとき始めて真に...
北森は日本の悲劇における「つらさ」、すなわち痛みの例と...
これは戦時下の日本において、天皇のために、日本国のため...
『本居宣長が日本(やまと)武尊(たけるのみこと)の悲運に連関...
敗戦を迎えた日本の教会が、まずキリストを裏切ったことに...
また、日本人としての痛みの感覚をもって神の痛みを捕らえ...
痛みの類比を行う際、北森は日本の庶民のこころが他の民族...
***B、神観についての課題点 [#x314a65e]
北森は『神の痛みの神学』において、絶対他者としての神観...
(1)神と人間の質的差異、つまり神の超越性を認識して「神...
⇒ 偶像礼拝の罪
⇒ あるいは神を自分のために利用する信仰、
私のためのキリストにとどまる信仰
(2)律法を福音の内に含まれる恵みとして認識することを困...
⇒ 安価な恵み、服従を伴わない信仰、実質的には自分が主で...
北森は『神の痛みの神学』において、「絶対他者」という神...
このことは十戒に代表される律法、そして主イエスが示され...
かつて日本の教会は神社参拝が宗教であるかどうかという判...
この日本的思惟の問題は、まさに私たちに真剣な疑問符を提...
[1] カール・バルト『福音主義神学入門―カール・バルト著作集...
[2] 太田和功一『アジアのキリスト者とともに』、いのちのこ...
[3] 井上良雄『戦後教会史と共に1950-1989』、新教出版社、1...
[4] 日本同盟基督教団・横浜上野町教会役員会一同、
『横浜上野町教会よりアジアの中の日本にある基督教徒に...
http://www.imasy.or.jp/~yasu-yok/church/tegami01.html
[5] 土居健郎『「甘え」の構造』、弘文堂、1971年
[6] 『新教コイノニア3 日本のキリスト教とバルト』、新教...
[7] 井戸垣彰『このくにで主に従う―日本人とキリストの福音...
[8] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、89-91頁、2章参照
[9] 同書、235-236頁
[10] 同書、229-232頁
[11] 同書、45頁
[12] 『新教コイノニア3 日本のキリスト教とバルト』、新...
[13] 渡辺信夫『教会が教会であるために 教会論再考』、新...
*第五章 『神の痛みの神学』のキリスト中心的理解 [#f8a7d4bf]
-新約聖書におけるスプランクニゾマイ
-神の神性の極み(核)としての神の人間性
四章において、『神の痛みの神学』が日本的思惟に影響され...
キリスト中心的に神観を受けとめていく最も適切な方法は、...
ここで、新約聖書に用いられている「スプランクニゾマイ」...
新改訳聖書において、「スプランクニゾマイ」は、「かわい...
したがってこの語は、北森が『神の痛みの神学』における「...
バルトは『神の人間性』において、直接この言葉には触れて...
『われわれに聖書で証しされているイエス・キリストにおいて...
まず最初に、それぞれの新約聖書の文脈の中で、この「スプ...
**1、共時的に見た新約聖書におけるスプランクニゾマイ [#ta...
新約聖書における「スプランクニゾマイ」の用例が見られる...
splagcnizomai@viao--3s 6 (verb ind aor pass dep 3rd per...
splagcnizomai@vipn--1s 2 (verb ind pres mid or pass dep...
splagcnizomai@vpaonm-s 3 (verb part aor pass dep nom masc...
splagcnizomai@vraonm2s 1 (verb part (imper) aor pass dep ...
***マタイの福音書におけるスプランクニゾマイ [#h8b845fe]
Mt 9:36(⇔Mk6:34)羊飼いとしてのイエスの、失われてい...
Mt 14:14(⇔Mk6:34) イエスの後を追ってくる病んでいる人...
Mt 15:32(⇔Mk8:2) 空腹の群衆を見られたイエスの口から、...
Mt 18:27 1万タラント(6千億円)の借金を赦す王のたと...
Mt 20:34 二人の目の見えない人たちの嘆願に応えて癒され...
マタイ9:36(比較マルコ6:34) 羊飼いとしてのイエスの、失...
また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れて...
マタイ9:35-10:1参照
ここでスプランクニゾマイは、12弟子を遣わす直前に、イ...
羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている大勢の群衆を...
J・シュニ―ヴァントは9:36に対して、『しかしイエスは...
増田誉雄は『<かわいそうに思われた>と訳されたスプラン...
なお、加藤常昭はこのテキストによる説教において、以下の...
『…この「深くあわれむ」ということばは、少しも苦しんでいな...
これほどに、はらわたが痛むほどに、愛を注ぐ神というのは...
このギリシア人の考え方はよく分かります。神々だけではな...
ここに述べられている、神の子イエスのお姿は、その通りギ...
マタイ14:14(参照マルコ6:34) イエスの後を追ってくる病...
イエスは舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深...
マタイ14:12-14:22 参照
ここでもスプランクニゾマイはイエスの心の動きに対して用...
『<深くあわれんで>(スプランクニゾマイ)は、内臓まで動...
マタイ15:32(参照マルコ8:2) 空腹の群衆を見られたイエス...
イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「かわいそうに、こ...
マタイ15:29-39 参照
ここではスプランクニゾマイが、弟子たちに対して直接語ら...
その時にイエスの目に映っていたものは、三日間何も食べず...
加藤常昭はこの個所から説教しているが、このときのイエス...
『三二節によれば、そのようにイスラエルの神への賛美が歌わ...
いや、それだけではないのです。「もう三日間もわたしと一緒...
マタイ18:27(マタイ18:21-35) 1万タラント(...
―赦し難い罪の負債を徹底的に赦すスプランクニゾマイ
しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免...
マタイ18:15-35参照
たとえが語られた背景
マタイの福音書において、スプランクニゾマイが用いられて...
このたとえでイエスが語ろうとされたことは、「天の御国の...
たとえの内容
驚いたペテロにイエスがたとえを話し始められた。「王はそ...
ここでたとえで語られている状況を把握するために、一万タ...
10000タラント=6000デナリX10000=60,000,000デナリ=6千...
仮に日当1万円とすると、一万タラントとは、6千万日X1万...
<集中構造―私案>
A 七度を七十倍するまで赦しなさい(イエスの言葉)
B 清算をしたい王
C 王のところに連れて来られる一万タラントの借りのあ...
D 牢に投げ入れられそうになる返済できないしもべ
E 主人の前にひれ伏して赦しを乞うしもべ
F 深いあわれみによって(スプランクニゾマイ)し...
F‘一万タラント赦されたのに100デナリの借りの...
E‘ あわれみのないしもべの前にひれ伏して赦しを乞...
D‘返済できないしもべを牢に投げ入れる、あわれみのな...
C‘主人のところに呼びつけられる赦さなかったしもべ
B‘清算をした王
A’心から赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたを赦さ...
スプランクニゾマイについて(誰の何に対して用いられている...
18:27 しもべの主人は、かわいそうに思って(スプランクニゾ...
ここで、スプランクニゾマイはキリストがたとえを語る中で...
「かわいそう」という言葉を国語辞典で引くと、『〔形動〕...
さらにこの言葉の後には、赦すという行為、借金を免除する...
なぜ王はこれほどの借金を免除したのか?[11]
ここで改めて考えたいことは、なぜ王はこれほどの借金を免...
私たちは、ただ神の憐れみによって赦されている自分の罪が...
ところが、そのしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼...
ここで100デナリとはどれぐらいの金額なのかを考えたい。...
このたとえの展開は、自分が多くを赦されていながら、なぜ...
次に、この様子を見ていた仲間たちの反応と主人の反応を見...
彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、...
ここで王は、返すことのできない借金をしたことを責めてい...
この憐れみ深い地上の王は主イエス・キリストによって啓示さ...
スプランクニゾマイという言葉は、他の聖書個所を見るとき...
スプランクニゾマイは神の憐れみの極みとしてのキリストの...
天の御国は、ただ、キリストのあわれみ(私たちに対する神...
マタイ20:34 二人の目の見えない人たちの嘆願に応えて...
イエスはかわいそうに思って、彼らの目にさわられた。すると...
マタイ20:27-21:2参照
このテキストは他の共観福音書にも記載されている記事であ...
E・シュヴァイッアーはこのイエスの憐れみが「わたしたち...
***マルコの福音書におけるスプランクニゾマイ [#w27abf9d]
Mk 1:41 ひとりのらい病人の信仰によ...
Mk 6:34(⇔Mt9:36,14:14) 羊飼いとしてのイエスの、失われて...
Mk 8:2(⇔Mt15:32) 空腹の群衆を見られたイエスの口...
Mk 9:22 イエスに対しての不信仰な祈...
マルコ1:41 ひとりのらい病人の信仰による嘆願に応えられ、癒...
イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた...
マルコ1:40-2:1参照
ここでもスプランクニゾマイは、イエスの心の動きを表現す...
<イエスの教えといやし> マルコ1:16-2:17
Aイエスの召命に従った4人の漁師たち
B教えたもうイエス
Cイエスの教えに驚く人々
Dイエスの命令で出て行く悪霊
Eイエスの権威(新しい教え)
F熱病で寝たままのシモンの姑
G病人たちをイエスの所に連れて来た人々
H戸口に集まった町中の人々とイエスのいやし
I寂しい所へ出て行くイエス
J「出て行って宣べ伝えよう」
K清められることを願うらい病人
Lイエスの深いあわれみと按手(核)
K‘らい病人を清めたもうイエス
J‘出て行って言い広める者
I‘寂しい所にとどまるイエス
H‘戸口にまであふれる人々とイエスの宣教
G‘中風の者をイエスの所に連れてきた人々
F‘中風で寝たままの男
E‘イエスの権威(罪の赦し)
D‘イエスの命令で出て行く中風の者
C‘イエスのいやしに驚く人々
B‘教えたもうイエス
A‘イエスの召命に従った徴税人レビ
マルコ6:34(参照マタイ14:14) 羊飼いとしてのイエスの...
イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。...
マルコ6:29-45参照
ここでもスプランクニゾマイはイエスの心の動きに対して用...
マルコ8:2(参照マタイ15:32) 空腹の群衆を見られたイエ...
「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしといっしょに...
マルコ7:31-8:10参照
異邦人の地で、大ぜいの人の群れが集まっていたが、食べる...
マルコ9:22 イエスに対しての不信仰な祈りの中で用いられ...
この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ...
マルコ9:14-9:32参照
<てんかん息子のいやし> マルコ9:9-32
A復活・受難告知と弟子の無理解
B解決策を求めての論争
C弟子の無能力(父親の言葉の中で)
D地に倒れる息子
E悪霊による発作のため転げまわる息子
Fたびかさなる悪霊の脅威
G「おできになるなら、…お助けください」(←こ...
H信仰に不可能なし(イエスの答え)(核)
G‘「信仰のないわたしをお助けください」
F‘「二度と入るな」(悪霊に対するイエスの叱責)
E‘悪霊による発作のため死んだようになる息子
D‘立ち上がった息子
C‘弟子の無能力(彼ら自身の問い)
B‘祈りこそ解決の秘訣(イエスの答え)
A‘受難・復活予告と弟子の無理解
マルコ9:22においては、汚れた霊を追い出してもらうた...
***ルカの福音書におけるスプランクニゾマイ [#u45c11dd]
Lk 7:13 ひとり息子の死を嘆き悲しんでいるナインのやもめ...
―死を打ち破るスプランクニゾマイ
Lk 10:33 良きサマリヤ人のたとえ:強盗に襲われた敵の隣人...
―(民族間の・神と人との間の)敵意の壁を打ち破るスプランク...
Lk 15:20 ルカ15章のたとえ:父が遠くに帰ってきた放蕩息...
―失われた(死んでいた)息子を見出した父親の歓喜を表わすス...
ルカ7:13 ひとり息子の死を嘆き悲しんでいるナインのやも...
―死を打ち破るスプランクニゾマイ
主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい。...
ルカ7:11-7:23参照
イエスと弟子たちは、ナインという町の門に近づかれた。す...
『<かわいそうに思う>は腸を揺り動かされること。死の問題は...
ルカ10:33(ルカ10:25-37) 良きサマリヤ人のた...
―(民族間の・神と人との間の)敵意の壁を打ち破るスプランク...
ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼...
ルカ10:25-37参照
たとえが語られた背景
このたとえが語られた背景は、ある律法学者がイエスをため...
おそらく彼には、隣人を限定し自分の好きな人々ということ...
<集中構造―良きサマリア人のたとえ> ルカ10:25-37
A「何をしたら…?」(律法学者の問い)
B隣人愛
C「隣人とはだれですか」
D奪う者
E傷つける者
F行き過ぎる者
G到来し、深くあわれむサマリア人(核)(←スプ...
F‘近寄る者
E‘介抱する者
D‘差し出す者
C‘「だれが隣人になったと思うか」
B‘慈悲深い行い
A‘「同じようにしなさい」(イエスの答え)
たとえの内容
10:30 イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムから...
エルサレムからエリコまでは距離約27キロメートル、高低...
ここでエルサレムからエリコへ下る道で強盗に襲われた人は...
『<サマリヤ人>は混血の「外国人」(17:18)だからユ...
このたとえでは驚くべきことに、このユダヤ人とは民族的に...
ここでサマリヤ人は旅の途中であったが、そこに来合わせた...
スプランクニゾマイについて(誰の何に対して用いられている...
10:33 ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わ...
10:34 近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたい...
10:33においてスプランクニゾマイは、サマリア人が旅...
ここでスプランクニゾマイは、サマリア人が強盗に襲われた...
イエス・キリストによって明らかにされた憐れみ深い神
ここで、イエス・キリストによって明らかにされた憐れみ深...
そのイエス・キリストが私たちの罪の負債をすべて支払うた...
ルカ15:20(ルカ15:1-32) ルカ15章のたとえ:...
―失われた息子を見出した父親の歓喜を表わすスプランクニゾマイ
こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところ...
ルカ15:1-32参照
ルカ15章のたとえが語られた背景
15:1―3節の文脈に、イエスがこのたとえを話されたきっ...
15:1 さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとし...
15:2 すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言...
15:3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえ(単数形=一つ...
取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして近寄っ...
たとえの内容
一見するとルカ15章には、羊のたとえ、銀貨のたとえ、息...
3つのたとえ(羊のたとえ、銀貨のたとえ、息子のたとえ)は...
1、3つの失われたもの(羊、銀貨、息子)
2、3つの回復されたもの(いのち、価値、関係)
3、3つの歓喜:失われたものが見つかることによってわき...
(天に、神の御使いたちに、父に)!
神の前に失われたものが見つかること(回復されること)...
4、悔い改めて、イエスと共に喜ぶことへの3度の招き: 「...
しかし、3つのたとえはまったく同じことを語っているわけ...
おそらく救いという概念において、最も豊かな表現は、信仰...
森彬が指摘しているように、このたとえには以下の二つの集...
<集中構造1―放蕩息子の父のたとえ> ルカ15:11-32
A「あなたのものを私に」(弟が父に)
B弟の家出
C放尽
D飢えに苦しむ弟
E豚飼への零落と人々の冷遇
F父へのざんげ(決意として)
G父の所へ出かける子
H息子を見つけて、深くあわれむ父(核)(←ス...
G‘走り寄る父
F‘父へのざんげ
E‘子としての復権と父の厚遇
D‘「食べて楽しもう」(父が弟息子に)
C‘蕩尽(兄が言及)
B‘弟の帰還(兄が言及)
A‘「私のものはお前のものだ」(父が兄息子に)
<集中構造2―放蕩息子の兄> ルカ15:24-32
A生き返り、見つかった弟
B開かれる祝宴
C帰還した弟(これまで父と別居)
Dほふらせた肥えた子牛
E孝行息子(兄)
F兄の不服の申し立て(核)
E‘放蕩息子(弟)
D‘ほふらせた肥えた子牛
C‘兄(いつも父と同居)
B‘開かれる祝宴
A‘生き返り、見つかった弟
スプランクニゾマイについて(誰の何に対して用いられている...
15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。 ...
ここでスプランクニゾマイは、父が遠くに帰ってきた放蕩息...
ここに自由な赦しの愛により、再び子どもとして受け入れら...
以下にJ・シュニーヴァントによる、このテキストにおける...
『さて、かくして、息子は帰っていった。異国でかれを帰省にか...
ここでJ・シュニーヴァントが指摘しているように、スプラ...
***まとめ [#kfeccdd2]
ここで、共時的に見た新約聖書におけるスプランクニゾマイ...
Mat 9:36 (⇔マルコ6:34) 羊飼いとしてのイエスの、失われて...
Mat 14:14(⇔マルコ6:34) イエスの後を追ってくる病んでいる人...
Mat 15:32(⇔マルコ8:2) 空腹の群衆を見られたイエスの口から...
Mat 18:27 1万タラント(6千億円)の借金を赦す王のたとえ ...
Mat 20:34 二人の目の見えない人たちの嘆願に応えて癒される...
マタイの福音書において、この語は5回用いられている。1...
Mar 1:41 ひとりのらい病人の信仰による嘆願に応えられ、癒し...
Mar 6:34 羊飼いとしてのイエスの、失われていた羊に対する深...
Mar 8:2 (⇔マタイ15:32) 空腹の群衆を見られたイエスの口から...
Mar 9:22 イエスに対しての不信仰な祈りの中で用いられたスプ...
マルコの福音書において、この語は4回用いられている。マル...
Luk 7:13 ひとり息子の死を嘆き悲しんでいるナインのやもめを...
Luk 10:33 良きサマリヤ人のたとえ:強盗に襲われた敵の隣人...
Luk 15:20 ルカ15章のたとえ:父が遠くに帰ってきた放蕩息...
ルカの福音書において、この語は3回用いられているが、い...
以上のように、この語はイエス・キリストにだけ用いられる...
まとめると、スプランクニゾマイは、まさしく神の神性の内...
スプランクニゾマイということばで表現される心の動きは受...
**2、通時的に見たスプランクニゾマイ [#s690e0bb]
―世俗ギリシア語、後期ユダヤ文献、新約聖書におけるスプラン...
ここではスプランクニゾマイ、スプランクナというギリシャ...
スプランクニゾマイを通時的に見た場合、あわれむ、かわい...
***A、ギリシア語の用例 [#g0913694]
The New International Dictionary of New Testament ...
ギリシア語には、あわれみを表す3つの異なった単語Eleos, ...
Mercy, Compassion
splavgcna(スプランクナ):内臓、はらわた、腸、よって感情...
splagcnivzomai(スプランクニゾマイ):あわれむ、あわれみ...
スプランクノンについて(ホメロス(B.C.8世紀)からたどって...
腸は自然なパッション(怒り、落ち着かない願望、愛)のあ...
この動詞の最古の形はスプランクネウオーで、内臓を食べる...
Theological Dictionary of the New Testament(TDNT) V...
By EDITORS:GERHARD KITTEL,GERHARD FRIEDRICH より以...
1、 名詞
初期のギリシアの文献において、この名詞はほとんどいつも...
転じた用法として、スプランクナは衝動的なパッション(例...
ギリシア語の用法、少なくともキリスト教以前の時代におい...
2、 動詞
動詞スプランクネウオーはいけにえの内臓のためのスプラン...
3、 合成(複合)語
ユダヤ教や初期のキリスト教文章の中に使われたこの語の合...
しかし、ポストクラシックの用法においては意味の変化が起...
***B、後期ユダヤの文献における用例 [#n63b4ac7]
1、 70人訳(LXX)
The New International Dictionary of New Testament ...
LXX(70人訳)には、この単語が名詞形で15回、動詞形で2...
Theological Dictionary of the New Testament(TDNT) V...
By EDITORS:GERHARD KITTEL,GERHARD FRIEDRICH より以...
この語の名詞(複数形のみ)と動詞は、70人訳において決して...
動詞は箴言17:5(中態)と2マカベア6:8(能動態)...
しかし、ときどきスプランクナが“感情の座”を意味する用法...
少なくとも、さらに明確な用法のヒントが箴言の2つの個所に...
2、12族長の遺訓(Test.ⅩⅡ)
The New International Dictionary of New Testament ...
Test.ⅩⅡ(12族長の遺訓:後期ユダヤ文献)は顕著に...
Theological Dictionary of the New Testament(TDNT) V...
By EDITORS:GERHARD KITTEL,GERHARD FRIEDRICH より以...
総括的に12部族の遺訓における用例を見ると、スプランク...
スプランクナによるラハミムの翻訳は70人訳においては実際...
***C、新約聖書における用例 [#m68375e8]
The New International Dictionary of New Testament ...
NT1 ルカ1:78における用法は別として、共観福音書にお...
NT2 動詞スプランクニゾマイは次に示す2つのケースにおいて...
(a)イエス・キリストの態度、感じ方において
(b)3つのたとえ話の転換点における重要人物の行動...
(a)この単語の意味は、人々の必要の叫びを目にして“イエス...
(b)以下の2つのたとえ話、すなわち、マタイ18:23-...
良きサマリヤ人のたとえ(ルカ10:30-37)において...
Theological Dictionary of the New Testament(TDNT) V...
By EDITORS:GERHARD KITTEL,GERHARD FRIEDRICH より以...
1、 共観福音書におけるsplagcnivzomai Test. XII(→551,14f...
a.この動詞はイエスの3つのたとえにおいて中心的位置を占め...
***スプランクニゾマイのヘブル語ラハムとの関連性について [...
ここで、改めてエレミヤ31:20において「我が腸かれの...
(WTT Jeremiah 31:20 参照)
ここでレヘイムはラハムの不定詞の独立形(強意法)であり...
ここではラハムが強調形で重ねて用いられることによって非...
けれども新約聖書において、スプランクニゾマイによって、...
なお、エレミヤ31:20の前の文脈を見ると、このように...
わたしは、エフライムが嘆いているのを確かに聞いた。『あな...
これは自らの高ぶり、偶像礼拝、背信によって神の怒りの懲...
ラハミム(ラハム)とヘセッドについて
ラハムの名詞形ラハミムというヘブル語はヘセッドと組み合...
『ラハミムが用いられるときには、ヘセッドの場合のように義...
この用語が用いられるとき、「愛」の意味内容は、それが特...
これに対応する動詞ラハムも、全く同じ仕方で用いられてい...
[1] カール・バルト『神の人間性―カール・バルト著作集3』、...
[2] J・シュニ―ヴァント『NTD 別巻 マタイの福音書』、...
[3] ウイリアム・バークレー『聖書注解シリーズ マタイ福音...
[4] 増田誉雄『新聖書注解 新約1』、いのちのことば社、197...
[5] 加藤常昭『加藤常昭説教全集7 マタイによる福音書2』...
[6] 増田誉雄『新聖書注解 新約1』、135頁
[7] J・シュニ―ヴァント『NTD 別巻 マタイの福音書』、...
[8] 加藤常昭『加藤常昭説教全集8 マタイによる福音書3』...
[9] 集中構造については、ヨルダン社から刊行されている森彬...
[10] 国語大辞典(新装版)小学館 1988
[11] 鈴木英昭『神の国への招き-たとえ話のこころ』、いのち...
[12] 河野勇一『神学概論-東海聖書神学塾・基礎科(組織神学...
[13] J・ジースラー、森田武夫訳『パウロの福音理解-オックスフォード聖...
[14] D・ジェームズ・ケネディ、『拡大する伝道プログラム』...
[15] J・シュニ―ヴァント『NTD 別巻 マタイの福音書』...
[16] E・シュヴァイッアー『NTD マタイの福音書』、548頁
[17] 森彬『聖書の集中構造下―新約篇』、ヨルダン社、1994年...
[18] 森彬『聖書の集中構造下―新約篇』、32-35頁
[19] 榊原康夫『新聖書注解 新約1(ルカの福音書)』、347頁
[20] 森彬『聖書の集中構造下―新約篇』、60-63頁
[21] 榊原康夫『新聖書注解 新約1(ルカの福音書)』、365頁
[22] カール・バルト、井上良雄訳『教会教義学 和解論Ⅰ/2...
[23] 河野勇一『神学概論-東海聖書神学塾・基礎科(組織神学...
[24] 森彬著、聖書の集中構造下―新約篇、ヨルダン社、1994年
[25] フィリップ・ヤンシー、山下章子訳『だれも知らなかった...
[26] J・シュニーヴァント『放蕩息子』、新教出版社、55-56頁
[27] フィリップ・ヤンシー『だれも知らなかった恵み』、87頁...
[28] ヘンリー・J.M.ノーエン共著『コンパッション―揺り...
[29] J・シュニ―ヴァント『放蕩息子』、新教出版社、1961年...
[30] レオン・モリス『愛―聖書における愛の研究』、教文館、...
*総括 [#pd9f1467]
北森嘉蔵は『神の痛みの神学』において、預言者エレミヤの...
カール・バルトは、キリスト中心的に神学を続ける歩みの中...
共観福音書に記されているイエス・キリストに目を向け、エ...
共時的に見たスプランクニゾマイは、イエス・キリストに対...
スプランクニゾマイということばで表現される心の動きは受...
スプランクニゾマイを通時的に見た場合、あわれむ、かわい...
新約聖書において、イエス・キリストに対してだけ用いられ...
『神の痛みの神学』のキリスト中心的理解によって、より具...
*結論 [#ve09ebd9]
**1、砕かれた人間の姿によって心の底から揺り動かされる神 ...
預言者エレミヤの聞いた「我が腸かれの為に痛む」という神...
スプランクニゾマイということばで表現される心の動きも受...
**2、イエス・キリストによって明らかにされた「絶対他者」...
スプランクニゾマイは、イエス・キリストにだけ用いられる...
そしてこの心の底からの動きが、イエスを具体的な愛の行動...
スプランクニゾマイは、まさしく神の神性の極みとしての神...
『神の痛みの神学』のキリスト中心的理解によって、より具...
**3、キリスト者の生活における苦難の積極的意味 [#u901a930]
神の苦難へのチャレンジ
新約聖書においてスプランクニゾマイが用いられている用例...
赦す苦難、他者の為に生きる苦難、共に喜ぶ苦難、他者のた...
これらの苦難の積極的な意味は、これらの御言葉に従うこと...
***1、 赦し(あわれみ)による和解への招き [#w0b02898]
一万タラントの借金(罪の負債)を十字架によって赦された...
Mat 18:27 1万タラント(6千億円)の借金を赦す王のたとえ
―赦し難い罪の負債を徹底的に赦すスプランクニ...
Mat 18:27 しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、...
Mat 18:33 私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲...
***2、 良き隣人となることへの招き [#v495b8b3]
良き隣人キリストに助けられた者として、他者のために生き...
(自ら造ったの壁を超えて、憐れみ深く共に生きること)
Luk 10:33 良きサマリヤ人のたとえ:強盗に襲われた敵の隣人...
―(民族間の・神と人との間の)敵意の壁を打ち破るスプランク...
Mat 15:32(⇔マルコ8:2) 空腹の群衆を見られたイエスの口から...
Mar 8:2 (⇔マタイ15:32) 空腹の群衆を見られたイエスの口から...
Mar 6:34 羊飼いとしてのイエスの、失われていた羊に対する深...
Luk 7:13 ひとり息子の死を嘆き悲しんでいるナインのやもめを...
Luk 10:33-37
ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼...
Luk 6:36 あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたも...
***3、悔い改めと喜びへの招き [#hb48478c]
信仰によって神の愛を体験した者として、共に喜ぶ苦難への...
Luk 15:20 ルカ15章のたとえ:父が遠くに帰ってきた放蕩息...
Luk 15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行っ...
Luk 15:31 父は彼に言った。『おまえはいつも私といっしょに...
Luk 15:32 だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来た...
***4、祈りによる宣教の情熱への招き [#q9867aa6]
他者の為に祈る苦難へのチャレンジ
Mat 9:36 (⇔マルコ6:34) 羊飼いとしてのイエスの、失われて...
Mat 9:36 また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果て...
Mat 9:37-38 そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが...
***5、信仰への招き [#w74ec4c4]
信仰の苦難へのチャレンジ
Mat 14:14(⇔マルコ6:34) イエスの後を追ってくる病んでいる人...
Mat 20:34 二人の目の見えない人たちの嘆願に応えて癒される...
Mar 1:41 ひとりのらい病人の信仰による嘆願に応えられ、癒し...
Mar 9:22 イエスに対しての不信仰な祈りの中で用いられたスプ...
Mat 14:13-14 イエスはこのことを聞かれると、舟でそこを去り...
Mat 20:29-34 彼らがエリコを出て行くと、大ぜいの群衆がイエ...
Mar 1:40-42 さて、ひとりのらい病人が、イエスのみもとにお...
Mar 9:22-24 この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や...
*謝辞 [#b6ebef5e]
この卒業論文を書くにあたり、いつも笑顔をもって私を支え...
私が現在所属している日本同盟基督教団・豊橋ホサナキリス...
そして、本論文の執筆に関して、特に御指導を頂いた河野勇...
また、羽鳥泰樹師、野田英敏師、野田喜裕師、湯沢英房師、...
たくさんの方々の励ましと祈りによって、これからの伝道・...
栄光在主
A.D.2000年2月25日
豊橋ホサナキリスト教会・東田チャペルにて
野町 真理
*参考文献 [#yc99c804]
ここでは、本文中に脚注という形で引用した文献に加えて、...
北森嘉蔵に関する文献
日本基督教団千歳船橋教会『「神の痛み」の60年-北森嘉蔵...
北森嘉蔵『ガラテヤ人への手紙講解説教』、教文館、1999年
ジョアンナ&アリスター・マグラス『自分を愛することのジレンマ(THE ...
北森嘉蔵『日本人と聖書』、教文館、1995年
A.リチャードソン/J.ボウデン編、佐柳文男訳『キリスト教神学...
井上良雄『戦後教会史と共に1950-1989』、新教出版社、1995年
佐藤敏夫『キリスト教神学概論』、新教出版社、1994年
宮本威『神の痛みの神学を読む』、キリスト新聞社、1993年
中島修平『ホスピスの窓から-産みの痛みの神学』、キリスト...
中島修平、中島美知子『福音主義神学16「実践的神義論をめ...
北森嘉蔵『憂いなき神―聖書と文学』、講談社学術文庫、1991年
J.モルトマン『二十世紀神学の展望』、新教出版社、1989年
北森嘉蔵『神の痛みの神学』、講談社学術文庫、1986年
『新教コイノニア3 日本のキリスト教とバルト』、新教出版...
E.S.ゲルステンベルガー/W.シュラーゲ、吉田泰/鵜殿博喜訳...
H.G.ペールマン、蓮見和男訳『現代教義学総説』、新教出版社...
北森嘉蔵『自乗された神』、日本之薔薇出版社、1981年
北森嘉蔵以外による神の受苦性に関しての文献
J.モルトマン、沖野政弘訳『今日キリストは私たちにとって...
A.リチャードソン/J.ボウデン編、『キリスト教神学事典』、教...
中島修平『ホスピスの窓から-産みの痛みの神学』、キリスト...
J.モルトマン、土屋清訳『組織神学論叢1 三位一体と神の...
寺園喜基『バルト神学の射程』、ヨルダン社、1987年
E.S.ゲルステンベルガー/W.シュラーゲ、吉田泰/鵜殿博喜訳...
H.G.ペールマン、蓮見和男訳『現代教義学総説』、新教出版社...
エバハルト・ユンゲル、大木英夫・佐藤司郎訳『神の存在-バ...
ヘルムート・ティーリケ、大崎節郎訳『主の祈り-世界を包む...
カール・バルトに関する文献
カール・バルト、小川圭治・岩波哲男訳『世界の大思想33 ...
カール・バルト、井上良雄訳『教会教義学 和解論Ⅰ/1 和解...
カール・バルト、井上良雄訳『教会教義学 和解論Ⅰ/2 僕と...
カール・バルト、井上良雄訳『教会教義学 和解論Ⅰ/3 僕と...
カール・バルト、井上良雄訳『教会教義学 和解論Ⅰ/4 僕と...
カール・バルト、井上良雄訳『地上を旅する神の民-バルト「...
カール・バルト、鈴木正久訳『キリスト教倫理Ⅱ-交わりにおけ...
カール・バルト、井上良雄訳『啓示・教会・神学/福音と律法...
カール・バルト、寺園喜基訳『神の人間性―カール・バルト著作...
カール・バルト、加藤常昭訳『福音主義神学入門―カール・バル...
カール・バルト、天野有訳『キリスト教的生Ⅰ』、新教出版社、...
カール・バルト、天野有訳『キリスト教的生Ⅱ』、新教出版社、...
カール・バルト、佐藤敏夫訳『バルト自伝』、新教出版社、199...
エバーハルト・ブッシュ、小川圭治訳『カール・バルトの生涯...
富岡幸一郎『使徒的人間―カール・バルト』、講談社、1999年
大木英夫『人類の知的遺産72 バルト』、講談社、1984年
大島末男『人と思想75 カール=バルト』、清水書院、1986年
『新教コイノニア3 日本のキリスト教とバルト』、新教出版...
寺園喜基『バルト神学の射程』、ヨルダン社、1987年
吉永正義『受肉と聖霊の注ぎ-バルト神学とその特質Ⅱ』、新教...
エバハルト・ユンゲル、大木英夫・佐藤司郎訳『神の存在-バ...
日本的思惟・罪責告白に関する文献
大内三郎、土肥昭夫、堀光男、柏井創編纂、『日本基督教団史...
土居健郎『「甘え」の構造』、弘文堂、1971年
太田和功一『アジアのキリスト者とともに』、いのちのことば...
井戸垣彰『このくにで主に従う―日本人とキリストの福音』、い...
井戸垣彰『日本の教会はどこへ―戦前・戦中・戦後の教会の姿』...
井上良雄『戦後教会史と共に1950-1989』、新教出版社、1995年
日本同盟基督教団・横浜上野町教会役員会一同、『横浜上野町...
渡辺信夫『教会が教会であるために 教会論再考』、新教出版...
渡辺信夫『今、教会を考える』、新教出版社、1997年
リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー、永井清彦訳『荒野の40年―ヴァイツゼッカー...
J.モルトマン『二十世紀神学の展望』、新教出版社、1989年
スプランクニゾマイ、ラハムに関する文献
Editor:Colin Brown, ”The New International Dictionary...
Editors:GERHARD KITTEL, GERHARD FRIEDRICH, “Theological D...
Horst Balz, Gerhard Schneider, ”EXEGETICAL DICTIONARY OF ...
森彬『聖書の集中構造上―旧約篇』、ヨルダン社、1991年
森彬『聖書の集中構造下―新約篇』、ヨルダン社、1994年
ヘンリー・J.M.ノーエン共著『コンパッション―揺り動かす...
レオン・モリス『愛―聖書における愛の研究』、教文館、1989年
加藤常昭『加藤常昭説教全集7 マタイによる福音書2』、ヨ...
加藤常昭『加藤常昭説教全集8 マタイによる福音書3』、ヨ...
J・シュニ―ヴァント『NTD 別巻 マタイの福音書』
E・シュヴァイッアー『NTD マタイの福音書』
ウイリアム・バークレー『聖書注解シリーズ マタイ福音書上...
増田誉雄『新聖書注解 新約1(マタイの福音書)』、いのち...
山口昇『新聖書注解 新約1(マルコの福音書)』、いのちの...
榊原康夫『新聖書注解 新約1(ルカの福音書)』、いのちの...
鈴木英昭『新聖書講解シリーズ3 ルカの福音書』、いのちのこと...
J・シュニ―ヴァント『放蕩息子』、新教出版社、1961年
鈴木英昭『神の国への招き-たとえ話のこころ』、いのちのこ...
A.M.ハンター、吉田信夫訳『イエスの譬えの意味』、新教出版...
河野勇一『神学概論-東海聖書神学塾・基礎科(組織神学部門...
J・ジースラー、森田武夫訳『パウロの福音理解-オックスフォード聖書概...
D・ジェームズ・ケネディ、『拡大する伝道プログラム』、日本...
国語大辞典(新装版)小学館、1988年
その他
R.ボーレン、加藤常昭訳『憧れと福音』、教文館、1998年
D.ボンヘッファー、森平太訳『ボンヘッファ-選集3 キリス...
D.ボンヘッファー、森野善右衛門訳『共に生きる生活』、新教...
ヘンリー・J.M.ノーエン、太田和功一訳『いま、ここに生...
フィリップ・ヤンシー、村瀬俊夫訳『痛むキリスト者とともに...
フィリップ・ヤンシー、山下章子訳『神に失望した時』、いの...
フィリップ・ヤンシー、山下章子訳『だれも知らなかった恵み...
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