和解への道

Sat, 12 Feb 2005 12:52:47 JST (4665d)

創世記

神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。…創世記3章21節

自らの犯した罪を認めないばかりか、平気で神様に責任転嫁するアダムとその妻エバ。

主なる神様は、神を神とすることをやめて、神に反逆する彼らをエデンの園から追放されます。

けれども彼らを楽園から追放する前に、主なる神様はアダムとエバのために皮の衣を作り、それを着せてくださったと聖書には記されています。

ただ神のあわれみによる和解への道を、ここにはっきりと見ることが出来ます。

聖書全体が描いている、罪をおおってくださる主なる神様の姿を、ここに見ることが出来るのです。罪をおおい、罪を赦して下さるあわれみ深い神様の姿がここに描かれています。

皮の衣を作るためには、動物を殺さなければなりませんでした。いのちが絶たれ、血が流されたのです。

たとえ人間が罪を犯しても、決して人間を見捨てることがない神様のあわれみがここにあらわされています。

しかし同時に、聖書が語る罪の深刻さを、ここで考えさせられます。

日本人の罪意識は、お祓いをすれば払えたり、水に流せたりする程度の軽いものです。

しかし聖書は、動物の血が流されなければならないほど、重い問題として罪をとらえているのです。

確かに払ったり、水で洗えば外側はきれいにすることが出来ます。しかし、心の内側はそんなことではきれいに出来ません。

旧約聖書をずっと読んでいくと、人間が罪を犯すたびに、動物の血が流され続ける歴史を知ることが出来ます。

そして新約聖書を読んでいくと、罪のために血が流される歴史に終止符が打たれた出来事に出会います。

それは、罪をまったく犯されなかったイエス様が、まるで動物のようにほふられて血を流し、十字架の上でいのちを絶たれたという出来事です。

聖書は、私たちの罪がおおわれ、赦されるために、罪のないイエス様が十字架にかかって死ななければならなかったと語ります。

聖書は語っています。

罪のないイエス・キリストが十字架にかかって死なれたのは、他の誰のためでもない、あなたのためであったと…。

そしてイエス様は3日目によみがえられ、今も生きておられます。

イエス様は、和解への道を文字通り命がけで、切り開いて下さったのです。

もしあなたがイエス様を信じるならば、あなたの罪をすべておおってくださる白い衣を、イエス様は私たちに着せてくださいます。