平穏より血の匂い

Sat, 12 Feb 2005 12:52:43 JST (4541d)

野町です。

実は私はラーメン大好きです。豊橋には宝塔というラーメン屋さんがありますが、そこの台湾ラーメンは一押しです!

少し前、アーメンというキリスト教に対して、平穏より血の匂いを感じると仰る声を聞きました。

確かにそのようなこともあります。 そして、キリストの御名によって、そのようなことが行なわれるならば、 まさに神への冒涜とつまずき以外のなにものでもないでしょう。

けれども、良く考えると、血の匂いを感じるのは、キリスト教だけではありませんよね。

かつて日本も、血なまぐさい戦国時代を生きましたし、近年では天皇の名のもとに、血なまぐさい侵略戦争を行ないました。

今でも毎日のように、血なまぐさい人殺しのニュースは絶えませんよね。

実は、そのようなことはキリスト教に限らず、全世界のすべての民族が、歴史の初めから行ない続けていることなのです。あのアダムの息子カインが、ねたみから弟を殺してしまった時から…。

そしてそのような流血は、私たち人間が神を神とすることを止めて、自己中心に、自らが神のように生きようとする罪から始まっています。

自己中心に生きているからこそ、自分にとって厄介な人間、自分にとって生きる価値のないように見える他の人間を殺すのです。

もしキリスト信者であっても、神を神とせず、自己中心に生きるならば、ねたみや憎しみの虜となって殺人者になる可能性は十分あります。

あのアーメンなる(うそいつわりのない真実な)イエス・キリストが、血なまぐさい処刑の道具、十字架にはりつけにされた理由は、実はそのように神を神とせず、自分さえよければ他人はどうなってもいいと考えながら生きている私たちのすべての罪のためでした。

アーメンなるキリスト、人となられた神ご自身は、自らが血なまぐさい十字架刑に処せられること、そして3日目に復活されることを通して、罪人である私たちの流血の歴史に終止符を打たれたのです。

それゆえ、たとえ殺人者であっても十字架のキリストを信じれば罪の完全な赦しを受けることができます。そしてイエス・キリストの十字架以外には罪の赦しはどこにもないのです。

(野町)