聖霊について

Sat, 12 Feb 2005 12:52:35 JST (4635d)

イエスは主ですという信仰告白は、聖霊の働きです。

1コリント12:3に、

神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。

とある通りです。

イエス様に心の中に入っていただく祈りをするなら、御霊なる主、聖霊なる神はその人の内に入り、内に住んで下さいます。そのとき私たちは、神の神殿、聖霊の宮となります。(1コリント3:16−17、6:15−20を参照)

ですから、言葉でイエス様を主であると告白し、自分の中に聖霊様が入って下さる様に祈るだけで、聖霊を受けるには十分です。

使徒の働き8:14〜17ですが、異邦の地と見られて軽蔑されていたサマリアの地に対する主の特別な配慮で、(つまりユダヤ人もサマリア人も主は同じように愛しておられて、主イエスによって一つとされたのだということをはっきりと理解させるための主の配慮として)、エルサレムから遣わされた使徒たちが来て祈るまで、聖霊が与えられるのを留めておられたのだと私は考えています。

そして聖書は続けて、「聖霊に満たされ続けなさい」と命じています(参照エペソ5:18、マタイ25:1−13)。

聖霊を受けることと御霊に満たされた生活をすることとはまた別問題です。御霊に満たされるとは、心の王座にいつも主イエスをお迎えし、神の愛の支配の中で生活することを意味します。自分の力に頼ることをやめて、主イエスだけに寄りすがって、神の力によって生きる歩みです。

神の力による、御霊に満たされた生活をする時、私たちキリスト者は水路の傍に植わった木のように、時が来ると御霊の実を結ぶ者となっていくことを聖書は約束しています。(ガラテヤ5:22−23、詩篇1篇、ヨハネ7:37−39参照)

(野町)