聖書釈義とは

Sat, 12 Feb 2005 12:52:35 JST (4454d)

 聖書釈義とは、著者の伝えたいことを聖書から聞き出すことを目的とした手続き全般である。

 ここで聖書の二重著者性について少し述べておきたい。聖書の二重著者性とは、神のことばそのものである主イエス・キリストの二性一人格、まことの神でありまことの人であるというご性質に基づいている。神の言葉そのものが二重性をもっている故に、書き記された神の言葉である聖書も、神ご自身が著者であり、神の導きを受けた人間が著者であるという二重性を持っているのである。

 つまり聖書は、書き記された誤りなき神の言葉であるが、同時に歴史的な人間の言葉でもあると言える。故に、聖書釈義の目指すべきことは、神ご自身と神に導かれた人間が伝えたいと意図した神のことばを、文脈を大切にして聖書テキストから聞き出すことである。文脈には、テキストの前後関係という文脈(literary context)と、テキストの背後にある歴史的な文脈(historical context)とがある。

 聖書釈義とは、上記のことを目指して、「そこで何が言われているのか」、「なぜそこで言われているのか」と問いながら、祈りつつ聖書テキストに耳を傾け、文脈の中でテキストを黙想する霊的な作業であると言える。

 聖書の無誤性を死守してきた福音派は、当然の帰結として1980年代以降、聖書の福音的解釈のあり方を求め、上記のような釈義に関する課題に真剣に取り組んで来ていると思われる。

 そしてこの点で初めて、福音派とエホバの証人の違いが明らかになる。何故なら、エホバの証人も、福音派が死守してきた聖書の無誤性を、同様に主張しているからである。「聖書が誤りない神の言葉である」と言うだけの聖書信仰なら、エホバの証人でも持っている*1

 しかしエホバの証人は、文脈を無視することによって、テキストが語っている神の言葉に耳を傾けず、自分勝手な聖書解釈を行う故に、異端とならざるを得ないのである 。

 センテンスフロー作成によるテキストの構造分析、注目すべき単語のワードスタディ等を中心的に行うことによって、そのようなテキストの釈義を試みること。そしてそれらのことを踏まえて私訳を試みることは有益である。


*1 レイモンド・フランズ『良心の危機−「エホバの証人」組織中枢での葛藤』樋口久訳、せせらぎ出版、2001年、pp.28−31