神を

Sat, 12 Feb 2005 12:52:30 JST (4541d)

あなたは日本語の「神」という言葉を聞いたとき、どのようなお方を思い浮かべるでしょうか?

神棚や神社に祭られている神でしょうか?

お寺に安置されている像や経文でしょうか?

仏壇や墓に祭られている先祖の霊でしょうか?

巨木や大岩、そびえる山、大地といった偉大な自然を見た時に感じる神秘的な何かでしょうか?

太陽や月・星、あるいは宇宙そのものでしょうか?

狐や蛇といった生き物でしょうか?

何かに秀でた人物でしょうか?

かつて現人神(あらひとがみ)と言われた天皇でしょうか?

日本には八百万の神々がいると言われています。

ですから、何気ない会話の中で、同じ「神」という言葉を使っていても、 イメージするお方がまったく違うという場合がよくあります。 そして、その大きな違いに気付かないために生じる誤解が多いように感じます。

私たちが「神」ということばを聞いたとき、どういうイメージを持っているのか?

この質問の答え、つまりその人の持っている神様のイメージは、 どう神様に祈るか、どう神様を拝むかという言動に現れてきます。

そしてそれだけではありません。 あなたが心に思い浮かべる神様のイメージは、 あなたの人生や生き方を決めてしまうほど大きなものなのです。

人が見ていない隠れた所ですることは、神様も見ることが出来ないと考えるなら、 その人は表裏のある生き方をするでしょう。 人が見ていない所で、その人は本当の姿を見せているでしょう。

日本では古くから

「分け登る麓の道は多けれど、同じ高嶺の月を見るかな」

と言われているように、どんな神様(宗教)を信じていても結果は同じだと多くの人が考えています。

また、

「いわしの頭も信心から」

という言葉は、 どんなものでも熱心に拝めばご利益があるというような考えを表しています。

そんな中にあって、キリスト教会が告白し続けているのが、 この使徒信条です。

キリスト教会は使徒信条によって、 次のような天地万物の創造主である唯一の神を信じていることを告白しています。

我は天地の造り主全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

我は聖霊を信ず。

(野町)