初期のカール・バルトの神観―「絶対他者」

Thu, 07 May 2009 11:09:01 JST (2969d)

カール・バルト(Karl Birth 1886-1968)は、人間中心主義に基づいた自由主義神学に行き詰まり、聖書を通して語られている福音の神の言葉を改めて聞き、熱烈に古きものに出会い、福音主義神学への道を切り開いていった20世紀を代表する神学者である。バルトは著書「ローマ書講解」(1919年初版、第二版1922年)において、当時の、神を神としないヒューマニズム的自由主義神学に対して、「絶対他者」としての神を強烈に提示した。

 これは結果として、神と人間との「質的差異」を強調したとも言える。真の神は人間が勝手に造り、祭り上げた神(これが偶像である)ではないこと、人間が造った神ではなく人間をも造られた神、まさに天地万物を創造した創造主、今もその御手で全宇宙を動かしておられる超越者、すべてのものの主であること、一言で言えば、バルトは「神が神であること」を提示した。言い換えれば、「神の神性」を全面的に強調したと言える。

 バルトにとって「神の神性」とは、人間と対比して、まさしく無限の「質的差異」を持った「絶対他者」である。それは、あらゆる人間的な可能なこと(今日の文化的・社会的・愛国的問題)をするかわりに、「まったく最初からやりなおす」ことであり、「神が神であることを承認すること」からの再出発であった。

 ドイツがヒットラーによってナショナリズム、アウシュビッツに代表されるホロコースト、世界大戦へと行進していったただ中に、バルトは生きた。ヒットラーは政権掌握(1933年)した後、急速にその正体をむき出しにしていった。その際、過半数のプロテスタントはいわゆる「ドイツ的キリスト者」を名乗ってナチスに追随した。この事態を黙視できなくなった人々が、これに抵抗する「告白教会」を形成した。そしてこの「告白教会」によって信仰告白の形をとったバルメン宣言(1934年)がなされた。このバルメン宣言の起草者の一人がバルトである。これによって自らの戦責をも告白しつつ、ナショナリズムに対して「否(ナイン)!」を叫び、神学的抵抗がなされていったのである。

 以下に、1940年、ドイツが勝ち誇っていて、誰もその年には5年後のドイツ降伏を予想できなかったような状況下でのバルトの言葉を記す。

『神はただひとり在したまい、神にならぶべきいかなる存在も存しない!この命題以上に危険な、革命的なものはほかにない。世界の中にあるすべて存立しているもの、いやすべて変動するものもそうだが、それらはみな、イデオロギーとか神話とか、隠蔽されたあるいはあらわな宗教とかによって、そしてその限りにおいてあらゆる可見的不可見的神性また神的なものによって、生きているわけである。神はただひとり在したもうという命題の真理とぶつかって、アドルフ・ヒットラーの第三帝国は滅びてしまうだろう(KD鵺/1, S.500)。』

 これは、戦時下の日本の教会が、国家神道のナショナリズムに対して信仰の歯止めを外し、抵抗出来なかったのと対照的である。バルトは、このような日本的(国家主義的)基督教という体質があったゆえに、著書『福音主義神学入門』の日本語版序文(1962年に執筆)において、北森嘉蔵の『神の痛みの神学』が「日本的」神学であるということに対して真剣な疑問符を提示している。

 戦時下において、日本基督教団(トップ)は伊勢神宮に参拝し、アジア諸国に対して、『日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰』を公的に発信したのである。このことについては第四章『神の痛みの神学』における課題点で論じる。

 『神の痛みの神学』の中で、北森嘉蔵はバルトの神観について以下のような批評をしている。

『この神学の見た神は、人間との「対立」における神であり、この神学の終始一貫せるモティーフは、「神と人間との原理的対立」を主張することであった。…対立・排他性・質的相異・否定・第一戒。…そのため彼にとって神は「裂け目や痛みのない一つの全体」ein Ganzes ohne Risse und Schmerzen(KD 鵺/1 S.690)である。包むことをしない神が痛みなき神であることは当然である。』

 北森の神観は「痛む神」であり、北森が受けとめたカール・バルトの神観は「痛みなき神としての絶対他者」であった。

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