沖縄宣言

Wed, 07 May 2008 22:21:50 JST (3242d)

沖縄は問いかける

沖縄の人たちは、よく知っている。 今なお教育改革という名のもとに、国家が知らず知らずのうちに実施している教育は、 皇民化教育、つまり天皇のために死ぬ国民を育てる教育であることを。 そこにはいつも日の丸と君が代があることを。

沖縄の人たちは、よく知っている。 天皇制こそ無責任な日本人の原点であることを。

沖縄の人たちは、よく知っている。 「愛国心」という言葉がペテンの言葉であることを。

沖縄の人たちは、よく知っている。 「国家・公あっての個人」ではなく、「個人あっての国家・公」であることを。

沖縄の人たちは、よく知っている。 「民族」はエゴであることを。

沖縄の人たちは、よく知っている。 平和憲法が空洞化していることを。

沖縄の人たちは、よく知っている。 天皇制とは死であり、戦争の地獄であることを。

沖縄の人たちは、よく知っている。 天皇元首化と靖国神社こそ、死のためのイデオロギーであることを。

沖縄の人たちは、よく知っている。 私たちの政治的無知、現実放棄が全体主義国家を生み出していることを。

沖縄の人たちは、よく知っている。 天皇制に歯が立たない神学ではだめだということを。

第4回日本伝道会議・沖縄宣言(2000年6月30日)

「21世紀の日本を担う教会の伝道−和解の福音共に生きる−」

<前文>

 福音信仰に立つ私たちは、福音宣教の推進と諸教会の相互理解、協力を願いながら、これまで三回、日本福音同盟(JEA)の主催による日本伝道会議を開いてきました。1974年、京都の第1回伝道会議において、私たちは聖書信仰を基盤とした相互理解と伝道協力の必要性を確認し、日本にその理念を実現する群として、自らの存在を明らかにしました。1982年、再び京都で開いた第2回伝道会議では、伝道は教会の主体的な業であるとの認識を深め、日本特有の伝道課題を取り上げ、その対応や方策を探りました。1991年、那須塩原における第3回伝道会議で、私たちは地方と世界を同時に視野に収め、日本・アジア・世界という広がりの中で伝道に取り組むという姿勢を自覚し、推進しようと決意しました。

 過去三回の会議を踏まえ、ここに私たちは、一層の連帯と協力の実を結ぶことを祈り期待しつつ、JEAの枠を越えて実行委員会を組織して、第4回日本伝道会議を開催しました。世紀をまたぐ特別な時を意識し、20世紀と私たちの歩みを顧み、21世紀を展望しようとする試みが、この会議の貢献となり、収穫となったことと信じます。

 今回の会議が沖縄で開催されたことに神の摂理を覚えます。私たちは沖縄に集うことにより、沖縄が日本全土との関わりにおいて特別な痛みの歴史を持っていることを思い、キリスト者として、痛みの歴史を認識し、痛みを共有する聖書的・福音的あり方を模索しました。

 会議のテーマは「21世紀の日本を担う教会の伝道――和解の福音共に生きる」です。「和解の福音」という表現は、聖書の教える救いの本質を適切に表していることを私たちは確認しました。特に宗教が多元的に存在する時代において、キリストにある神との和解こそ救いを得る唯一の道であるという信仰を私たちは堅持しなければなりません。また分断と争いに満ちた現代社会において、環境破壊の危機にさらされている21世紀において、「神と人」との和解は、「人と人」、「万物」という多様な関係においても理解されなければなりません。こうして私たちは和解のとりなし手として「祈り」、和解の福音を「宣べ伝え」、和解の福音を「生きる」使命を神から受けているという深い自覚に導かれました。

 来るべき21世紀において私たち日本の教会が和解の福音を宣べ伝え、その福音を共に生きるために、この会議とそこに至る積み重ねの中で私たちに与えられた認識、悔い改め、願い、祈り、決意を以下のように要約し、宣言として公にいたします。

第一章 和解の福音を共に確かめる

1. 神との和解

 人間は、万物の創造主である唯一の神によって造られ、「良し」とされたにもかかわらず、罪のために神との関係を破り、神に敵対するものとなってしまいました。罪人となった人間は、義なる神の前にあって、自ら罪を償い、神との関係を回復することができない状態にあります。しかし、神は、その大いなる愛のゆえに、主イエス・キリストをこの世に遣わされ、十字架上での贖いと、死からの復活によって、罪人を罪のなわめから解き放ち、神との正しい関係を回復する道を開かれました。これはキリストを信じる信仰によってのみ与えられる「神との和解」で、霊感された神のことばである聖書に啓示されている主題であり、福音の核心です。

 この「和解の福音」は、罪ある人間が救いを得るための唯一の道です。それは父・子・御霊なる三位一体の神の一方的な愛と恵みによるもので、他に類のないものです。私たちキリスト者は、神との正しい関係に入れられた者として、神の栄光のために世に遣わされ、世に向かって神との和解の福音を宣べ伝え、世にあってこの福音に生きる者となります。

2. 人との和解

 「人と人との和解」は、当事者が互いに譲りあって争いをやめることを言いますが、単に争いをやめるにとどまり、相互の関係は断たれてしまうのが現実です。神の愛によって罪を赦されたキリスト者は、御霊の助けにより、キリストの愛にならい、自らも赦す者とされました。そして、一方的な愛によって隣人との悪い関係を改善するよう、また、さらに積極的に隣人との良い関係をつくり出す者とされています。

 この世における、罪のもたらす人と人の関係はまことに憂うべきものですが、キリスト者が、神の愛をもって「平和をつくり出す者」として生きるとき、家庭において、教会において、地域において、社会において、国家において、全世界において、すさんだ人と人との関係が改められ、「神のかたち」につくられた人間相互の交わりが実現します。

3. 万物の和解

 人間は、万物の創造主である神によって地を治める神の代理者として創造され、神から地の管理を委ねられています。しかし、神から離れた人間は、罪のために、神の意思に反し、神のために治めなければならない地をほしいままに用い、環境破壊、資源枯渇、地球温暖化などの問題を引き起こしました。20世紀末の今や「地のうめき」は、全地球的な規模で拡がり、万物は「神の子らの現れ」による救いを待ち望んでいます。

 神との関係を回復されたキリスト者は、本来の神の代理者として、今こそ、地の解放のために、政治、経済、教育、科学、その他あらゆる分野において、真の貢献をしていく必要があります。

 私たちはこの世において神の賜物を十分に発揮し、与えられた使命の遂行に励み、最終的に栄光のキリストの来臨により、全地にキリストの支配があまねく行きわたる神の国が到来することを待望します。

第二章 和解の福音共に生きる――この時に

 私たちは「この時に」生きています。したがって、「和解の福音」を信じ、宣べ伝え、共に生きるためには、「この時」を正しく認識することが必要です。

1. 歴史を心に刻む者として

 私たちは、20世紀が終わろうとする「この時に」生きています。20世紀は二度の世界大戦、植民地紛争、人種間の対立、イデオロギーによる東西の冷戦など、対立と戦争の世紀でした。特にこの10年間は、キリスト教を含む宗教に関わる民族間紛争が激化し、多くの難民が生まれました。私たちは創造主である神に背き、神との交わりを失った結果、自己中心になり、自らの利益のために互いに争うようになりました。このような現実を目の前にするとき、「和解の福音」の意義を実感します。

 この会議が沖縄で開かれたことによって、私たちは沖縄の歴史に触れ、和解の福音を深く理解するようになりました。沖縄は薩摩藩の侵略に始まり、明治政府の「琉球処分」によって天皇制の帝国日本に併合されました。太平洋戦争においては日本全土の防波堤とされ、戦後の講和条約締結後も信託統治領として米軍の軍政下に置かれてきました。1972年、日本国に施政権が返還されたものの、今なお米軍基地の75%が沖縄に集中しています。そのため沖縄の人々の生活は大きく制約され、さまざまな苦難を負わされています。しかし、私たちの多くの者はこの現実を知ろうとはせず、無関心であったことを告白し悔い改めます。

 このことは歴史認識の欠如に起因するだけではありません。戦争や紛争を生み出した罪が、今の私たちの無知や無関心の背後にも潜んでいます。かつて帝国日本をアジア侵略に駆り立てた罪が、今、形を変えて私たちの多くの者の中に、侵略と戦争の責任を認めない姿勢として現れています。罪はいつも他者の苦悩に共感する力を奪い取り、相互の関係を破壊します。

 私たちは、沖縄をはじめ、日本各地にある諸問題やアジアの問題と向き合っていかなければなりません。また、より日常的な家庭、教会、地域社会という場にある、無関心や対立の現実にも目を向ける必要があります。私たちは、身近な問題においても、利己的な繁栄を求め、他者との関わりを無視してこなかったか反省が求められます。

2. 歴史を形成する者として

 私たちはただ過去に学ぶだけではなく、未来に向かって歴史を形成する者としての使命が与えられています。

 私たちが果たすべき第一の使命は和解の福音を宣べ伝えることです。戦争や紛争、敵意と憎悪、種々の悪と犯罪はみな、神に敵対した人間の罪が生み出したものです。したがって、私たちは神に背き、神と敵対する人間に対して、「神の和解を受け入れなさい」と勧めます。福音の宣教だけが、新しい世紀に平和をもたらすことができるものであると私たちは確信します。

 神によって赦された者だけが、赦された者として互いに赦し合うことが可能になります。平和をつくる私たちは、歴史において神のみこころの実現を目指します。もちろん、平和は、私たちの努力だけによって達成できるものではありません。聖書は、神のみこころの最終的な成就である終末に向かって、この世界の悪は増大していくと教えています。とはいえ、悪を放置してよいはずはなく、終末において完成する救いを先取りし、経験した者として、私たちは、神の義と愛を実現するために労していきます。その労苦こそ、神による救いのすばらしさを証しするものであり、主にあって空しく終わることはないと確信します。

 この世界に対して和解の福音を宣べ伝え、この世界にあって和解の福音を生きるためには、私たちが「キリストのからだ」として一つとなる必要があります。過去における無関心、利己主義、ねたみ、敵対心を悔い改め、互いに赦し合い、赦すことによって互いを交わりの中に受け入れます。私たちは、このキリストにある赦しと交わりこそが、歴史を形成する営みの土台となると確信します。

 このように私たちは教会の一体性を再確認し、この世界に神のみこころを実現するために、ひとりひとり遣わされた所で祈り、労します。

第三章 和解の福音共に生きる――この所で

 私たちが和解の福音共に生きるのは、家庭、教会、地域社会といった具体的な生活の場です。同時に、それは日本全体、世界全体を視野に入れたものです。

1. 家庭において

 神のかたちに造られた私たちは、孤独に生きるものではなく、家庭において家族と共に生きるものとされています。しかし人間の罪は、愛し合い、共に生きるべき家族関係を破壊しています。夫婦間の不和、不倫、離婚、幼児虐待、家庭内暴力、未成年者の非行などに見られるように、家庭が安息の場ではなく苦しみに満ちたところとなっています。家庭が和解の福音によって再生される必要を痛感します。

 家庭における和解は、自らが夫や妻として、親や子として、兄や弟、姉や妹として、豊かな人間関係の中で生きることができるよう神により頼み、仕え合うことから始まります。自らの問題と真剣に取り組んでいくとき、同じ悩みを持つ人々との交わりが生まれます。教会は交わりと分かち合いやカウンセリングの場を提供することによって、また聖書的な家庭像を提示することによって、家庭の再生を助けることができるように主にある成長が必要です。クリスチャン・ホームに神の平和が実現し、教会が家庭の問題で苦しむ人々の重荷を受け止められるように成長したとき、伝道も前進すると確信します。

 これまで家族伝道は必ずしも成功しませんでした。私たちは、「罪を赦された不完全な人間である」ことを認め、それぞれの家族をあるがままに受容し愛し続け、和解の使者として用いられることを願います。家族における一人の救いは、家族共同体の救いを可能にすることを確信し、忍耐をもって祈り続けます。

2. 教会において

 キリストの救いにあずかった私たちは、愛をもって仕え合う共同体を形成します。この教会は、三位一体の神を証しし、キリストの福音を明らかにするもので、憎悪や差別、対立や紛争によって損なわれた社会に対して、和解の共同体として仕えていきます。

 しかしながら、この点についても反省すべきことがあります。教会内の対立や分裂は、福音の真理への熱心さのゆえばかりではなく、肉の弱さの現れでもありました。私たちは、分離することで自らの信念を保とうとし、本質的でないことがらへの執着や、異なる考え方に対する過剰な警戒心によって、交わりを損なってきました。私たちはこのことを悔い改め、聖書を土台とする教会の一致を求めていきます。すでに各地域においては、放送伝道、協力伝道、市民クリスマス、牧師会、朝祷会、災害における相互の助け合いなど、一致の動きがあり、今後さらに一致の実現に向けて励みます。

 今日における聖霊の働きに対する理解の違いが、交わりに亀裂を生じさせ、互いを傷つけてきたことは悲しむべき現実です。私たちはそれぞれの相違を認めつつ、主にある交わりを回復するために努力していきます。

 教会の不一致は、教団、教派、教会間だけではなく、しばしば地域教会の中にもありました。教会員同士、教職者同士、教職者と教会員、男性会員と女性会員、年長者と若年者が互いに仕え合うことにより、和解の福音の豊かさを証ししていきます。

 教会の一体性は、教会と超教派諸団体との間、また超教派諸団体相互の間にも求められます。閉鎖性や他を顧みない態度を捨て、互いに納得できるルールを設定し、積極的な協力関係を築くことを目指します。私たちは、各年齢層に対する伝道、メディア伝道、社会正義実現のための働き、キリスト教世界観に基づく学校教育、教職者の養成、信徒の育成、キリスト教文化の創造などに向けて励みます。

 また、多くの犠牲を払って日本で働く宣教師と日本の教会・キリスト者との間にも、主にある一致を深めていきます。日本の伝道は宣教師の働きによって開かれてきました。この歴史的恩恵に感謝するとともに、日本が依然として「宣教地」であることを覚え、私たちは海外からの宣教師と共に労することを喜びとします。

 過去の伝道会議においても確認されたように、私たちは公同の教会を意識し、アジアと世界の教会との交わりを深めてきました。しかし、グローバル化の進むこの時代にあって、私たちはそれぞれの独自性を保ちつつも、これまで以上に世界の諸教会や宣教団体と共に考え、祈り、協力することが求められていることを自覚します。

3. 地域社会において

 私たちは、地域社会において和解の福音共に生きることによって、伝道の働きが進むものと信じます。第2回の伝道会議で、日本における福音の文脈化という課題が提示されましたが、この面における今日までの私たちの理解と努力が不十分であったことを認めます。地域こそ、第一の伝道の場であり、地域社会との関わりが希薄であることは、伝道にとって負の要因であることを心に留め、地域社会と教会との関わりをより積極的、具体的にとらえ直します。

 少子化と高齢化が進む21世紀の日本において、高齢者の必要に応えるための働きが教会に求められています。また知的、身体的、精神的ハンディキャップを負った人々が希望をもって生活できる社会の実現のために働くことも必要です。さらに差別に苦しむ人々、ホームレス、在日外国人など社会的ハンディキャップを負った人々の霊的、物質的必要が満たされるためにも、必要な働きがあるはずです。教会の規模によらず、地域社会が抱えている問題、例えば、未成年者の非行問題、公営ギャンブル施設の設置、風俗環境の悪化、若い親たちの子育ての悩み、家族をカルトに奪われた苦しみなどに敏感になり、その分野で地域に仕えることも私たちの課題です。

4. 日本において

 私たちは主にあって日本を愛するゆえに、この社会に存在する諸問題に関心を抱き、ここに神の義と愛が実現されることを求めていきます。

 私たちの主イエス・キリストは「平和の君」であり、聖書の提示する和解の福音は、平和の福音を意味し、私たちが平和を求めることを勧めています。それに対し、日本人の「和」は、均一性を求めるために、差別社会を生み出してきました。したがって、私たちが差別された人々の苦しみを思い、共に生きることは、日本人の「和」に内在する差別の病巣をあばき、改革していくことになります。私たちは沖縄の人々の苦しみを知ることによって、他者の犠牲の上に成り立つ安定ではなく、戦争の根絶による平和の実現を求める祈りに導かれています。さまざまなハンディキャップを負った人々を支えることが、富や繁栄のみを追い求めてきた日本社会のあり方を根本から問うことになり、競争や差別を助長するような教育制度のあり方を問うことにもなります。

 また私たちは、「天皇制」に根ざした日本という国の在り方を根本から問い直すことが、21世紀の日本の教会に与えられた課題であると自覚し、日本の政治や経済が抱える諸問題のために祈り、それぞれ信仰者の良心に従って行動します。さらに私たちは、国旗国歌法案の強行採決や教育現場における日の丸・君が代の強制、「昭和の日」法案の提出や内閣総理大臣の「天皇を中心とした神の国」発言に見られるような新しい国家主義の台頭を警戒し、平和実現のために積極的な努力を積み重ねていきます。

 私たちは日本に生かされているキリスト者として、政治、経済、教育、芸術、福祉、医療、科学、技術、情報通信などとたえまなく関わっていくことが求められています。キリスト教世界観があらゆる領域で具現され、社会全体に影響を与えていくことが、伝道とともに求められていることを信じます。

5. 世界において

 私たちは、世界宣教の使命を負っています。「豊かな社会」と「貧しい社会」に二分された世界の中に、14億人以上の人々が絶望的な貧困にあえいでいます。また福音に接することのない地域に住む人々は、20数億人とも言われています。私たちは貧困と未伝地帯が比較的アジアに集中している現実を認識し、そのために祈り、働きかけます。

 また私たちは世界各地に宣教師を派遣していく責任を痛感します。欧米の宣教師では働くことの困難な地域でも、日本人なら可能なこともあります。宣教師の受け入れを拒む国々に対しても、入国可能な教師や技術者、医療関係者などを派遣し、生活の場における実質的な宣教を図ります。

 私たちは、和解の福音共に生きるために、飢餓や災害などで苦しむ人々に対する緊急援助と自立を支援する働きを推進します。また、紛争に苦しむ人々や抑圧された少数民族の人権を擁護し、富める国と貧しい国の格差をなくすことが私たちに求められています。私たちは、国際政治や経済において神の義と愛が行なわれるよう祈る責任とともに、そのような分野で働く人材を育て、送り出す責任も負っていることを確認します。

 地域社会、日本、国際社会は、和解の福音共に生きることにおいて、相互に深く関わっています。例えば、国際的な飢餓の問題に教会が取り組むに当たって、地域の人々にも呼びかけていくなら、地域の取り組みとなり、その積み重ねが日本社会を変えて行く力ともなります。教会が地域社会において神の義と愛の実現する真の共同体となるなら、それが地域を変え、日本を変え、国際社会をも変革する力になると信じます。

 私たちの住む世界に目を向けるとき、事態は決して楽観できるものではありません。ですから私たちは主イエス・キリストの再臨の希望を確かにし、全能なる神の主権を仰ぎ、世界に働きかける聖霊の助けを信じ、和解の福音の務めを力を合わせて遂行していきます。

 私たちは、和解の福音を宣べ伝え、共に生き、そして和解のためのとりなし手として、世界の『破れの狭間』に立って祈る使命を神から与えられていることを確信し、共に祈りましょう。

〈祈り〉

 天地の造り主なる神よ。20世紀を平和の君キリストに従わず、戦争の世紀としてしまった私たちの罪をお赦しください。

 私たちは王座にいますキリストに逆らって、人間中心、民族・国家中心の思想に惑わされ、神の国と神の義とを第一に求めなかった罪を悔い改めます。

 平和の神よ。21世紀を前に、私たちを聖霊で満たし、和解の福音の使者とならせてください。遣わされた所で福音を宣べ伝え、平和を造り出す者とさせてください。

 愛の神よ。私たちを戦争の根源である憎しみ、差別、偏見、敵対心などの罪から解き放ち、隣人愛で満たしてください。

 またあなたから賜った家庭を、御名を崇め、主に仕える平和な家庭として形成させ、世界が神の家庭となるように導いてください。

 義なる神よ。私たちを預言者的祭司となし、この国が神に祝福されるために祈る者としてください。また、天皇を神のようにする過ちを再び犯して、主なるあなたの怒りに触れることのないように導いてください。

 21世紀を真に平和の世紀とするために、平和の君、歴史の主なるキリストを日々仰ぎ、今、ここでも、和解の福音を実現する者と、私たちをならせてください。

「ここに、私がおります。私を遣わしてください」(イザヤ6:8)。

「アーメン。主イエスよ、来てください」(黙示録22:20)。

2000年6月30日 第4回日本伝道会議