ガリラヤ湖と私たち

Sat, 12 Feb 2005 12:51:48 JST (4686d)

 ガリラヤ湖という湖をご存知でしょうか?聖書の中心舞台であるイスラエルには、いつも新鮮な水が満ち溢れているガリラヤ湖という湖があります。ガリラヤ湖は、山の方から流れてくる水の流れをいつも受けているので、溢れた水をヨルダン川に注ぎ出しています。 私たち人間が神のことばを聞くということは、ちょうどガリラヤ湖が、流れてくる川の流れをいつも受け続けているような状態だと思います。神のことばは、人の心を本当に潤し、安らぎを与え、喜びと生きる希望で満たすのです。

 けれども、神のことばを聞かないということは、ガリラヤ湖に例えると、流れてくる川の流れを受けないという状態になることです。しばらくは、たくわえた水を外に注ぎ出すことができるかもしれません。しかし、受けることを止めて流し続ければ、やがて枯れてしまいます。残った水はよどみ、濁り、そして腐っていくでしょう。

 受けることを止めて流し続ける。これがマルタの心の状態だったように思います。最初は喜んでイエス様をもてなしていましたが、イエス様のみことばに耳を傾けなかった故に、すぐにその心は枯れてしまいました。熱心そうに忙しく動き回っている姿とは裏腹に、その心には義務感だけがあり、なぜ私だけがこんなことをしなければならないのか?なぜ妹はのほほんと座って手伝わないのか?という不平と不満といらだちで一杯になって、疲れを覚えていたことでしょう。(青年伝道集会を続けられなくなった時の苦い私の証)

 そんな心の状態でもてなされ、さらに面と向かって、「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」なんて言われたイエス様は、心休めることなど、できなかったことでしょう。

 けれどももし、マルタが、おもてなしのために動いている時でも、時に手を止めて、主がお語りになっていることに耳を傾けたとしたら、たとえ忙しい中にあっても、不平不満で一杯になることはなかったことでしょう。そして、主イエスを喜ぶ思い、主を愛する思いからイエス様に喜んで頂けるおもてなしを、きっとすることができたでしょう。

 人生の中でどうしても必要なこと。それは主なる神の私たちに対する呼びかけ、語りかけに耳を傾けることです。今日ここに、疲れを覚えておられる方や、不平や不満、いらだち、また渇きを覚えておられる方がおられるでしょうか。あなたのすべてをご存知であられる主イエス様は、あなたにも、こう語っておられます。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。 わたしがあなたがたを休ませてあげます。」マタイ 11:28

「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、 その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」ヨハネ7:37-38

「…あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。…」

  • 祈り

あわれみ深い主なる神様。私たちはあなたに聞くことを止めてしまえば、すぐに与えるものがなくなる貧しい者でしかありません。

しかし主よ。あなたは私たちの弱さをご存知で、御声に耳を傾けることが、どうしても必要であることを覚えさせて下さったことを感謝します。

どうかあのガリラヤ湖のように、いつもあなたからのいのちのことばを受け続けることによって、それぞれの遣わされる場所において、周りを潤す祝福の基として生かしてください。

その時に良き隣人となることができることを信じて感謝します。 感謝して、愛するイエス様のお名前によって祈ります。 アーメン。

メッセージ「人生の中でどうしても必要なこと」より http://shinrinomachi.at.infoseek.co.jp/message7.html