『神の痛みの神学』における課題点

Wed, 27 May 2009 09:38:19 JST (2888d)

第四章 『神の痛みの神学』における課題点

1、「日本的な」神学であることについて、バルトが真剣な疑問符を提示した理由

 バルトは、著書『福音主義神学入門』の日本語版序文(1962年:バルト76歳の時)において、北森嘉蔵の『神の痛みの神学』が「日本的」神学であるということに対して、真剣な疑問符を提示している。以下にその内容を記す。

 『正しい神学者というものは、どこにあっても自分の足で立ち、歩くものであるし、神学者の思考がある種の国民的特性を有するということは、当然そのことのうちに含まれていることであろう。そして、日本における神学者たちが、「非植民地化」の一般的な健康な行程に従いながら、このような意味でなお日本的であることに着手しているとすれば、それは秩序正しいことであり、わたくしも率直にこれを励まし、心から喜びを共にするのは、初めから当然のことと言える。しかしながら、たとえばドイツにおいて、特に「ドイツ的な」キリスト教と、それにふさわしい特に「ドイツ的な」神学を展開し、育てることに着手した時、それがうまくいかなかったことは、周知の通りである。それと同じように、特に「アメリカ的な」、あるいは「スイス的な」神学を試みたところで、喜ばしい結果は何も生じないことは明らかであろう。そしてそれは、特に「日本的な」神学においても同様であろう。神学の、正当にして、必然的な、聖書に根ざし、世界教会的に妥当する神学だということである。この点でわたくしは、まさに北森嘉蔵氏の『神の痛みの神学』に対して、真剣な疑問符を付することを許されたいと思う。この神学はマイケルソンの書物によれば、そこで述べられているさまざまな企てのうちで、最も才気煥発なものであるばかりでなく、最も「日本的」でもあるように、わたくしには思われる。北森氏がまだ老人ではおられないと聞いてわたくしはうれしい。日本的な固有性を持ちながら、「日本的」ではなくて、福音主義的であり、聖書に根ざし、世界教会的に妥当するようなひとつの神学を目指して、さらに解明を加えるだけの時間も能力も、北森氏は持っておられるのである。』[1]

 この章では、『神の痛みの神学』が「日本的なもの」である故の課題点を考察するために、まず日本的神学が最も顕著な形で表れていると思われる『日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰(1944年)』[2]に目を通したい。この書翰を見なければ、バルトがなぜ『神の痛みの神学』に対して真剣な疑問符を提示したのかが理解できないと考えるからである。

 そして次に、日本的なもの、日本的思惟とは何かを考えたい。そして最後に『神の痛みの神学』における課題点を考えていきたい。

 前述したように、戦時下の日本の教会は、国家神道のナショナリズムに対して信仰の歯止めを外し、抵抗出来なかった。戦時下において、日本基督教団教団統理者であった富田満は伊勢神宮に参拝し、アジア諸国に対して、『日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰』を公的に発信し、アジア諸国のキリスト者に神社参拝を強要したのである。この書翰によって当時の教会が国家に対する妥協というよりも、国家との無恥な自己同一化があったことを目の当たりにすることができる[3]。

 この書翰において、見逃すことが出来ない点は、この書翰が日本基督教団の公式の文章であるということである。戦時下の強力な日本的思惟の流れに流され続けた日本の教会の到達点が、ここにはっきりと示されていると思われる。なお、日本同盟基督教団・横浜上野町教会役員会は、この日本のキリスト教会のアイデンティティが問われている公式の書翰を真剣に受け止め、主イエス・キリストに対する真摯な悔い改めから再出発し、公の文章『横浜上野町教会よりアジアの中の日本にある基督教徒に送る手紙(1995年)』を日本のキリスト教会・諸関係者に発信している[4]。

http://shinrinomachi.at.infoseek.co.jp/ch4.html