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近代思想の聖書的観点からの覚書(水草修治)

注:この本文の多くは2003年の雑誌『ハーザー』に匿名で掲載された。

11悟性の自律と聖書高層批評 を差し替えました。(野町 2008年2月11日)

目次

01聖書的世界観について

02デカルト

03パスカル(1)

04神なき人間の悲惨——パスカル(2)

05考える葦———パスカル(3)

06ジョン・ロック

07フランス革命——理性崇拝の悲惨

08経験論から無神論へ

09イワシの頭とカント

10進歩という迷信

11悟性の自律と聖書高層批評

12実存主義

13科学の変質

14自由と平等の幻想

01聖書的世界観について

 この連載の意図は、近現代の諸思想の聖書的世界観との比較による学びを通して、キリスト者として現代をどう見てどう生きるべきかを探ることである。第一回は、聖書的な世界観の基本構造を簡潔に学び、今後、諸思想を見て行くためのモノサシとしたい。

1.世界観と統一極

 あるパソコンを十分活用する最善の方法は、そのパソコンの設計者と友となり、彼が用意してくれたマニュアルをしっかり読みつつ使ってみることだろう。同様に、私たちが世界を正しく把握するために必要なことは、世界の創造主である神を知り、神が啓示された聖書に御旨をたずねつつ生きることである。神のみが、世界とその中に生かされている人間の意味や目的を、全体的かつ統一的に把握するための正しい統一極である。

 世界観というのは世界を全体的・統一的に把握した見方を意味するが、統一的な見方をするには統一極がなければならない。この世界は神によって無から創造され保持されている被造物であるから、この被造物世界を真の意味で全体的・統一的に把握するための統一極は、神をおいてほかにはありえない。

 ところが、創造主に背を向けた人間は、被造物のうちに神を見いだして、偶像崇拝をしてきた(ローマ1:20−23)。創造主以外のものを統一極として世界観や人生観を築くことは、いわば思想的な偶像崇拝であり、これがさまざまな主義・論(イズム)と呼ばれるものの正体である。人間主義とは人間を統一極として世界を把握しようとする思想的偶像崇拝であり、唯物主義とは物質を統一極として世界を把握しようとする思想的偶像崇拝であり、唯心主義とは精神を統一極として世界を把握しようとする思想的偶像崇拝である。国家主義とは国家を神とし、個人主義は個人を神と崇める偶像崇拝である。

2.三位一体の自存神

 世界観は<神と人と自然>の関係として表現することができる。まず、神について。「わたしは『わたしはある』という者である」とモーセに自己紹介なさった神は、自存的なお方である(出エジプト3:14)。自存性というのは、他の何者にもよらず自分で存在するということである。神以外の一切のものは、自存的ではない。たとえば、私という人間は、家族、食べ物、水、空気などの環境、そしてこれらを備えてくださった神に依存して存在している。しかし、神は他の何者にも依存しないで自ら「ある」。

 しかも、この唯一の神のうちには、父と子と聖霊という三つの人格の愛の交流がある。神のうちに多様性とまったき統一性があり、愛の交流がある。「父と子と聖霊の御名」(マタイ28:19)というとき、「御名」にあたる名詞オノマは単数形が用いられているが、これは三位一体の神秘を示している。また、御子イエスは世界の存在する前からの御父との愛の交流について、御父に向かって次のように祈っていらっしゃる。「今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょに持っていましたあの栄光でわたしを輝かせてください。」(ヨハネ17:5)「あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。」(ヨハネ17:24)  真の神は三位一体の自存的な神なのである。

3.多様にして統一的な被造世界

 「夏草やつわものどもが夢の跡」と芭蕉が平泉に立って詠んだ句には、はかない人の世と悠久の自然が対照されている。まことの神を見失った人は、しばしば自然のなかに永遠を見てきた。自然崇拝である。詩人だけでなく科学者たちもビッグバン理論が定説化する前は、恒常宇宙論という立場で、宇宙は永遠であると信じ、神に背を向ける理由とした。

 しかし、聖書はそうは言っていない。永遠者は神のみである。この無限の三位一体の人格神が、ご自分の計画にしたがって無から天地を創造されたので、天地は無限でもなければ永遠でもない。天地は神が許すかぎりにおいて存在するものなのである。実際、最後の審判のとき、新天新地の創造に先立って、古い天地は消え失せる。「大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。」(黙示録20:11)

 また、この天地は多様にして統一的な秩序ある世界として造られたことが、創世記第一章の天地創造のみごとな記述のうちに表現されている。たとえば、植物も動物も「おのおの種類にしたがって」造られたとあるように(創世記1:11、12、21、24)、被造世界は実に豊かな多様性に満ちた世界である。春の野山を散策してみれば、神はどうしてこんなに多種多様な植物をお造りになったのだろうと驚かされる。しかも、この多種多様な自然界がひとつの調和した全体としてあることは、さらに驚くべきことである。

 また、御霊と主と父なる三位一体の神(1コリント12:4)の作品が、豊かな多様性をもちつつ、しかも統一的であるということは、キリストのからだと呼ばれる教会の姿を思い浮かべても容易に理解できよう。足には足、手には手、耳には耳、目には目の役割があり、しかも、調和して互いに生かし合っているのである。「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」(1コリント12:27)神の作品のうちには、三位一体の多様性と統一性が影を落としている。

4.人間と自然−−堕落前・堕落後・恩恵下・最終的完成

 さて、その被造物世界のなかで、人間はユニークな立場を持つ。それは、神が人間を「神のかたち」として創造されたからである(創世記1:26、27)。「神のかたち」の意味する内容は、「真の知識」と「聖」と「義」であることがキリストにあって新生した人のうちに回復する神のかたちにかんする記述からわかる。新生した人は「真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出され」たとあり(エペソ4:24)、また「新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至る」とある(コロサイ3:10)。

 「真の知識」とは真の神を畏れる知性、「聖」とは真の神のみをあがめる宗教性、「義」とは真の神に従う道徳性である。人間は、有限であるゆえに他の被造物と同じく、神の御前にはちっぽけな存在である。しかし、人間は知性と宗教性と道徳性とを備えた神のかたちとして造られたゆえに、神に対しては人格的交流を持つことができ、他の被造物に対してはこれを統治・保護する任務がある。

 人間と自然について第二に知っておくべきことは、堕落と原罪の事実である。人間は本来よき者として神に造られたが、「あなたは神のようになれる」というサタンのことばに誘惑されて神に背いてしまった。以来、人間には神をないがしろにし隣人を手段としようとする、利己的な性質がある。また、自然界も人間の堕落のゆえに呪いの下に置かれ、人間に対して敵対する傾向を持つものとなってしまった(創世記3:18)。人類の堕落以後も、神は世界が滅びつくしてしまわないように、これを保っていてくださるものの、現在、人間も自然界もまた本来の状態ではない。人間が「かくあるべし」と理想を抱くのは、エデンの園の記憶が残されているからである。人は理想と現実のあいだに釣り下げられている。性善説も性悪説もそれなりに説得力を持つのはそのせいである。

 しかし、人間の反逆にもかかわらず、神は人間を愛し御子を人として派遣してくださった。キリストの恩恵の下に入れられた再生者は、知性も宗教性も道徳性も徐々に聖化され神のかたちを回復させられていく。これが地上にあるキリスト者の生活である。

 とはいえ、神による贖いの最終的な完成は、主の来臨と新天新地の創造を待つことになる。そのときには、復活した人は霊のみならずからだも新しくされ、人類の堕落以来、喪に服していた自然界も栄光に輝くことになる。

「今の時のいろいろな苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。」(ローマ8:18、19)

 このように<神と人と自然>の基本的関係を、創造−堕落−恩寵下−最終的完成という救いの歴史の諸段階のなかで把握するところに、聖書的世界観がある。以上を物差しとして、次回から、デカルト以来の近世・近代・現代の思想を見ていきたい。

02デカルト

 「われ思う。ゆえに、我あり。(コギト・エルゴ・スム)」という言葉は、近代哲学の祖と呼ばれるルネ・デカルト(1596−1650)のことばとしてあまりにも有名である。近現代思想を聖書的観点から見るにあたって、デカルトのコギトから始めたい。

1.「我思う。ゆえに、我あり。」

 デカルトの時代のヨーロッパは、中世から近世への移り変りの時期であって、千年間続いてきた中世キリスト教世界が土台から揺れ動いていた時代だった。一つには、ルターに始まった宗教改革はヨーロッパ世界を二つに分けてしまい、方々で戦争があった。また一つにはデカルトの時代は近代科学の芽生えの時代でもあった。すでに十六世紀にコペルニクスが地動説を唱え、それを支持したガリレイやケプラーはデカルトの同時代人であり、一世代あとにはパスカルがいる。このように、デカルトの世紀は、ヨーロッパは動揺の時代であり、天才の世紀であった。そのような時代のなかで、世界と人間についての確実な知識をデカルトは求めていた。

 デカルトは若い日に中世的な「文字の学問」を学んだが、それらは彼にとってはまったく飽きたらなかった。アリトステレスがこう言ったからといって、それが確実な知識であるとは彼には認められなかったのである。ではデカルトは何を確実なものと考えただろうか。『方法叙説』の冒頭に良識ということばがでてくるが、彼のいう良識とは理性のことである。デカルトにとって論理的理性を純粋に用いる幾何学こそ確実な知識を提供するものと思われた。幾何学は、証明が無用の明晰判明な公理から論理的に演繹することによって、諸定理を明らかにし、幾何学の真理体系を構築する。

 そこで、彼は幾何学的方法を用いて世界観の構築を企てた。出発点として、まず証明不要の明晰判明な公理を見いだそうとして、そのために彼は少しでも疑わしいものは、すべて疑ってみた。いわゆる方法的懐疑である。まず感覚を通して得る知識には錯覚というものがしばしばともなうので、これを真実でないと仮定した。次に、幾何学上の単純な事柄もときには推理を間違えることがあるので、これも真実でないと仮定した。最後に夢と目覚めている時を区別する基準もないゆえに、自分の精神のなかにあるすべての観念は「神」をも含めて、幻想かもしれぬと仮定した。

 すべてを真実でないと仮定した時にもなお、デカルトにとって疑い得ないことがただひとつ残った。「我思うゆえに我あり」である。世界の実在性ばかりか、神の実在性を疑ったとしても、疑っている自分の存在は疑い得ないというのである。そこでデカルトは全ての真実な知識に至るための公理を「我思うゆえに我あり」とした。デカルトにとって、「考える私」つまり精神は、他の何者つまり身体(物質)にも神にもよらない自律的な実体であった。

 第二に、デカルトはこの公理から神の存在を証明する。不完全な私という精神のなかに完全という観念が存在する。原因は結果よりも大きいのだから、不完全な私が完全という観念を造ることはできない。完全という観念を植えつけたのは、完全という観念よりも大いなるもの、つまり、実在者である神以外にはありえない。第三に、外界の証明。完全者である神は誠実な者なので、私に幻想を見せて物質世界としての外界があるかのように欺いているということはありえない。したがって外界もまた実在する。

 こうしてデカルトの世界観は、無限の実体である神は別格として、精神と物質の二元論とされる。かれは精神の本質は思考であり、物質の本質はひろがりであって、両者は干渉しあわないとした。人間のみが精神と身体から成り、他のものはみな物質であるとする。だから、デカルトにとって動物や植物そして人間の身体はカラクリ機械にすぎない。ただこの二元論は、精神と身体から成っている人間においては、身体と精神がどのようにかかわっているのかという、哲学的に解決困難ないわゆる心身問題を引き起こした。

2.聖書的観点からの批判

 創造主という世界の真の統一極を見失うと、人は被造世界のなかに代用の統一極を設定して世界観を築こうとする(先月号参照)。デカルトの場合の統一極は、世界の論理的側面であり、また、「考える私」であった。

(1)論理崇拝の欠陥

 デカルトが疑い得ないことがらとしたのは、命題としてはコギト・エルゴ・スムであるが、それ以前に彼が確かなこととして扱っているのは、論理法則とこれを用いる理性である。私たちの生活する世界は実際には多様な側面をもっていて、論理的側面もその一つである。しかし論理的側面だけで世界のすべてが説明し尽くせると考えるのは、論理的側面の偶像化である。

 実際、論理的側面だけで説明できるのは被造世界の一面にすぎない。愛や美といったことがらが論理で説明しがたいだけでなく、物理的なことがらでも論理的には説明できない現実がある。たとえば、実験科学を重んじたパスカルとの論争のなかで、デカルトは真空は存在しないとした。なぜなら、デカルトの精神と物質の二元論の論理からすると、世界は精神と物質から成っており、物質の本性がひろがりである以上、そこに何も存在しないという真空というのはありえないからだ。デカルトは、論理を絶対化すことによって、自然科学の基本である実験を軽んじて誤りを犯した。

 またデカルトの哲学は論理だけで、生活の全体についての考察が欠落している。言い換えると、時間的なこと具体的個人や歴史についての把握がまったくない。デカルトの哲学にとっては、悲しみや喜びや怒りや苦しみといったことは、動物でも経験する感性的で不確実なものであり、精神としての人間にとって本質的なことではないから、無視してさしつかえないと考えられたのであろう。しかし、世界観というものが本来世界を全体的に把握することを目指しているとすれば、世界の時間的具体的側面・感性的側面を切り捨てたデカルトの哲学には欠陥があると言わざるをえない。彼の世界観は統一的だが、それは多様な側面からなっている世界の全体と統一的に捕らえたのではなく、単に論理的側面を統一極とした思想的偶像礼拝なのである。そして、そこから生じた機械論的な自然観や身体観は、近現代の自然科学の発達と同時に環境破壊のもとともなっている。

(2)デカルトの「神」

 デカルトは先に記したように神の存在を証明した。しかし、デカルトの「神」に関して敬虔なキリスト教徒であったパスカルは、次のように批判している。「私はデカルトを許すことができない。デカルトは、その全哲学のなかで、できれば神なしにすませたいと思った。だが、世界に運動を与えるために、神に最初のひと弾きをさせないわけにはいかなかった。それがすめば、もはや彼は神を必要としない。」(B77)

 パスカルの批判は、デカルト哲学の宗教的本質を鋭く突いている。そればかりか、デカルトに続く近現代の思想の宗教的本質をえぐり出しているとさえ言えるだろう。確かにデカルトは形式上、自分の哲学のなかに「神」を設定した。しかし、それはいわば彼の哲学を成立させるための、一つの手段にすぎないのである。デカルトの神はパスカルのいわゆる「死んだ神」であり、「哲学者の神」であった。デカルトのコギトが証明してやって初めて、神の存在は承認されるというのである。実際には、コギトこそデカルトの神なのである。

 本音としては、「神」なしで世界の一切を理性によって統一的に説明し尽くて、コギトを神のように祭りあげたいというのであろう。ここまで煮つめてくると、デカルト哲学の陰に「あなたは神のようになれる」という蛇の誘惑のことばを見てとれるように感じるのは、筆者のみではないだろう。

 聖書的観点からいえば、精神は他の何者にも依存しない実体ではなく、神が創造し保持するかぎりにおいて存在する被造物にすぎない。「我思うゆえに我あり」でなく、「わたしは『わたしはある』というものである」(出エジプト三:十四)とおっしゃる神こそ、真実の公理なのである。この神が、無からこの精神であれ物質であれ万物を創造し、また今もそれらの存在を許しているのである。  「主を恐れることは知識の初めである。」(箴言一:七)

03パスカル(その一)

 デカルトの一世代後にブレーズ・パスカル(1623−62)がいる。パスカルは、今の分類でいえば数学者・物理学者・文章家でありキリスト教思想家であった。しかも、彼はデカルト的合理主義のもたらす人間疎外を鋭く予見している。そこで、パスカルについては何度かに分けて、ていねいに扱いたい。今回はその生涯を概観する。

1.パスカルの業績と信仰

 まず、パスカルの短い生涯と業績を一息に紹介する文章として有名なシャトー・ブリアンのことばを引用しておこう。

 「十二才にして棒と輪とで数学をつくりだし、十六才にして古代以来現れた最も優れた円錐曲線論を書き、十九才にして悟性の中にでき上がっている一つの学問を機械に還元し、二十三才にして大気の重さに関するもろもろの現象を明らかにして古代自然学の大きな誤謬の一つを打破し、ほかの人ならばやっと一人前になり始める年頃に、人間の科学の全体をきわめつくしてそのむなしきを悟り、思いを宗教に向けた。この時以来三十九才をもって死ぬまで、つねに病弱でありながら、後にボシュエやラシーヌの語った国語を定め、最も強い推理と最も完全な諧謔との模範を示し、最後に、病気の短い絶え間に、気晴らしのために幾何学の最高の問題の一つを解き、また人間と神とに関する思想を紙に書きつけた。このおそるべき天才の名はブレーズ・パスカルであった。」

 「十二才にして棒と輪とで数学をつくりだし」というのは、彼が幼い日に自力でユークリッド幾何学の体系を導き出そうとしたことを指している。父エチエンヌは息子の教育プランとして、まず古典語を学ばせるため、当面は幾何学を禁じていた。しかし、ブレーズは幾何学に関心を持ち、父からそれが図形の性質に関する学問であると聞きつけた。このヒントだけから十二歳の少年は、父に隠れて自分なりに幾何学の研究をし、直線の代わりに棒、円の代わりに輪という用語を使って、ユークリッド幾何学第三十二命題まで到達してしまったのである。父はわが子の天才にようやく気づき、幾何学の勉強を許す。たちまち彼の幾何学の才は開花し、十六才で「円錐曲線試論」で貴族のサロンにデビューした。当時サロンは社交の場であり、高級な趣味としての科学研究の場であった。

 十九才の「機械」とは彼が発明した史上初の計算機のことである。

 二十三才になると、真空が実在することを実験的方法をもって証明し、アリストテレス以来の「自然は真空を嫌悪する」という誤謬を打破した。彼の気圧に関する研究成果の偉大さを記念して、私たちはヘクトパスカルという単位を用いている。

2.パスカルの信仰

 パスカルは生まれながらのカトリックであったが、一六四六年に「最初の回心」を経験する。この年の一月父の大腿骨脱臼治療のために、兄弟の外科医デシャン兄弟を三か月自宅に泊めたが、彼らはポール・ロワイヤル運動の流れをくむ熱心な信者であった。その影響でブレーズがまず新しい信仰に目覚め、ついで彼の伝道で妹ジャクリーヌも改心し、父、姉夫婦をもこの新しい信仰に導かれた。ポール・ロワイヤル運動とはジャンセニスムと呼ばれるアウグスティヌス主義の復興運動であり、内容はプロテスタント信仰に近いものであった。

 五一年父エチエンヌが死ぬと、五二年最愛の妹ジャクリーヌはポール・ロワイヤル修道院に入ってしまう。父の死後、パスカルは計算機の特許を取ったり、スウェーデンのクリスチナ女王に献呈したり、数学者、物理学者発明家としてエギヨン侯爵夫人のサロンで「アルキメデスの再来」と賞賛されたり、フェルマとともに確率論を始めたりする。パスカルはサロンの寵児であった。この時代は研究者によって「世俗時代」と呼ばれる。

 しかし、ひとたび味わった熱烈なキリスト信仰はやがて、彼の内によみがえる。一六五四年九月ころからの煩悶の様子が、ジャクリーヌが姉ジルベルトに宛てた手紙の中に見える。そして、「決定的回心」が訪れる。その体験を記した「メモリアル(覚え書き)」はパスカル死後、召し使いが彼の胴衣の裏に厚くなっているところがあるのを見つけて、不思議に思ってほどいた所、故人自筆の羊皮紙と紙片各一枚が折りたたまれて入っていたものである。羊皮紙は紙片の清書であった。彼が自分の決定的回心の体験を常に思い起こすために縫いこんであったものである。

メモリアル(覚え書き) キリスト紀元一六五四年 十一月二三日月曜日、・・・夜十時半頃から十二時頃まで。

「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」哲学者や、学者の神ではない。確かだ確かだ、心のふれあい、喜び、平和、

イエス・キリストの神。 「わたしの神、またあなたがたの神。」 「あなたの神は、わたしの神です。」  この世も、何もかも忘れてしまう、神のほかには。 神は福音書に教えられた道によってしか、見いだすことができない。人間のたましいの偉大さ。 「正しい父よ、この世はあなたを知っていません。  しかし、わたしはあなたを知りました。」 よろこび、よろこび、よろこびの涙。

わたしは神から離れていた−−、 「生ける水の源であるわたしを捨てた」 「我が神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」 「どうか、永遠に神から離れることのありませんように−−、 「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストとを知ることであります。」 イエス・キリスト イエス・キリスト わたしは、かれから離れていた。彼を避け、彼を捨て、彼を十字架につけたのだ。ああ、もうどんなことがあっても、彼から離れることがありませんように。彼は福音書に教えられた道によらなければ、とどまることを望まない。何もかも捨て去り、心はおだやか。・・・・イエス・キリスト、そしてわたしの指導者に心から服従する。地上の試練の一日に対して、永遠の喜びが待っている。 「わたしはあなたの御言葉を忘れません。」アーメン

 以後、パスカルはポール・ロワイヤル修道院で信徒として修業し、その信仰の弁明者となる。当時、ポール・ロワイヤル修道院はジェズイット会からプロテスタント的異端の汚名を着せられ、解散の危機に瀕していた。パスカルは『プロヴァンシャル』と呼ばれる一連の公開書簡をもって、ジェズイットの批判に答えたが、その文体が評判となり、その後のボシュエ、ラシーヌらの用いた近代フランス語文章の模範となったのである。

 また、パスカルは弁証のため神学を研究するうち、この方面にも天才を発揮し、返す刀で当時の自由思想家たちへの「キリスト教弁証論」を企て「人間と神とに関する思想」を紙に書きつけた。惜しくも「弁証論」としてまとめる前に、パスカルは三十九歳にして世を去ってしまった。こうして遺された断想集が有名な『パンセ』である。『パンセ』は、「幾何学の精神」による頭に入るだけの弁証でなく、「繊細の精神」によるハートにまで届くことを意図したキリスト教の弁証なのである。

04神なき人間の悲惨

 近現代の思想的歩みは、パスカルのいう「神なき人間の悲惨」そのものである。

1.被造世界の多様な側面を−−パスカル

 おなかの調子が悪いので医者にかかったら、「私は呼吸器の専門でして、消化器のほうはどうも・・・。」と言われた経験があるだろう。医学は外科、内科、整形外科程度の分類ではなくなり、各器官の専門化が進んでいる。医学のみならず、現代はあらゆる分野で専門分化が進み、全体を見渡すことができなくなり、それぞれの専門家が自分のタコ壺のなかで、自分が一番偉いと思い込んでいる。

 パスカルの思想の特色の一つは、世界には多様な存在の秩序がありそれぞれにふさわしい認識の方法があるということをわきまえていたことである。たとえば、神学や歴史のように文書資料に依拠する学問の場合、権威と真理が不可分の関係にある。つまり、その著者と書物の権威によって真理が保証される。このことをパスカルはプロヴァンシャル論争(前号参照)で身につけた。

 また、自然学においては、実験が唯一の原理である。当時は、権威あるアリストテレスの書物が「自然は真空を嫌悪するゆえに、真空は実在しない。」と言うことを根拠として、真空はないと主張する人々がいた。彼らの誤りは、自然学に権威を持ち出した点にあった。しかし、パスカルは実験をもって真空の実在を証明した(「真空論序言」)。

 また、パスカルは自然科学でも純粋論理の対象である幾何学の分野と、感覚対象となる自然を分野とするばあいにも、認識原理の違いがあることを明らかにした。デカルトは幾何学を模範とする哲学からすると、物質はひろがりを本性とするゆえに、ひろがりがありながら物質が存在しない「真空」は論理的にありえないから、真空は実在しないと主張した。つまり幾何学の論理を自然学に持ち込んだのだ。しかし、パスカルは、実験によって、真空が実在することを証明した。幾何学においては論理だけが認識原理だが、自然学の認識原理は実験である。デカルトは、一世代下の天才青年パスカルから真空論についての論文をよこされて、それを受け入れられずに不機嫌になったという。

 また、パスカルは人間の生の全体については、「幾何学の精神」の分析によってでなく、「繊細の精神」によって把握されるという。定義と原理を立てて推論する「幾何学の精神」では、美や道徳的価値を含む人間の生のありさまは捕らえられない。デカルトは幾何学の精神でもって世界全体を捕える普遍学ができると思ったが、実際には世界の論理的側面の絶対化による妄想を見ただけだった。他方、「繊細の精神」は具体的な生を把握する。パスカルは幾何学の天才であったばかりでなく、フランスのモラリストの一人として、人の世の移り行きをそのままに把握する「繊細の精神」をもって、人の生のありのままを写し取ることができた。モラリストというのは、人間の生活の風俗、心理、はかなさ、醜さ、美しさをありのままに描きとり、そこに人間の生き方について省察を深めたフランスの思想家たちのことである。彼らは抽象的な形而上学に価値を置かない。パスカルの先達としてモンテーニュの『エセー』がある。現代ではアランがモラリストである。

 このようにパスカルは、現実には多様な秩序があり、それぞれに応じた認識の原理があることをあきらかにした。まとめると次のようになる。

  (分野)     (認識の原理)

  神学・歴史など・・書物・著者の権威

  幾何学・・・・・・演繹的論理

  自然学・・・・・・帰納的実験

  人間の生・・・・・繊細の精神

 さらにパスカルは、肉体の秩序、精神の秩序、愛の秩序という三つの秩序について述べているが、紙数の都合上ここで詳細は触れられない。神はパスカルに、数学者、自然科学者、文章家、モラリスト、神学者としての天分をお与えになり、パスカルはそれぞれに認識原理の違いがあることを見いだした。ただ惜しまれるのは、自然科学界は彼の功績を十分に取り入れたが、近現代にいたる哲学思想の流れは、パスカルからほとんど学んでいない点である。

2.パスカル的視点からの近世思想の批判

 このように世界には多様な秩序があり、それぞれに応じた認識の原理があるとしたのは、パスカルの独特な主張である。近世哲学の流れを常識的な線に沿ってここに簡単に紹介し、パスカル的視点から批判してみたい。

(1)大陸合理論

 デカルト以後、彼の影響を直接に受けたスピノザ、ライプニッツ、ヴォルフなどは幾何学的な論理的側面を絶対化する大陸合理論の道を進んでいく。例えばスピノザ『エチカ』の第一部「神について」は、八つの定義と七つの公理から論理的に三十五諸定理を導き出すというユークリッド幾何学のスタイルで世界を説明しつくすことを企てた哲学である。同じように、第二部「精神の本性および起源」、第三部「感情の起源および本性」、第四部「人間の隷属あるいは感情の力」、第五部「知性の能力あるいは人間の自由」も構成されている。

 デカルト以来大陸合理論は、感覚的経験は欺かれるが理性は真理を認識すると考え、純粋論理だけで一切の現実が把握できると思い込んだ。パルカルの表現でいえば、大陸合理論者たちは「幾何学の精神」をもって世界の一切がわかると思い込んでいる。

(2)英国経験論

 理性を重んじる大陸の合理論に対して、英国では中世以来、実験を重んじる経験論の哲学が主流であった。十三世紀ロジャー・ベーコンがスコラ的な演繹的論証が不毛であり、実験によってこそ確実な知識が得られると主張している。十六・七世紀にはフランシス・ベーコンが『ノヴム・オルガヌム』において、スコラ学の論理とそれがもたらした幻想(イドラ)を批判し、実験に基づいて帰納的に自然法則を発見し、その法則にしたがって自然を征服することができるとした。そうしてこそ「知は力」となると言った。

 また、ホッブズは機械論的自然観を絶対化した。デカルトのばあいは精神と物体の二元論のもとに人間の身体は機械であり、精神はそれとは異質の実体であると言った。しかし、ホッブズは人間精神も機械として説明しつくせると考え、さらに国家も複雑な構造をもった機械にすぎないと考えたのである。

 英国の経験論の大成者ジョン・ロックは、人間が生まれながらには「神」とか根本的な論理法則の観念さえも持ってはいないと主張した。つまりデカルトのいう生得観念などないとした。そして、人間の心は生まれながらには何も書かれていない白紙(タブラ・ラーサ)であって、すべての観念は経験によってそこに記されて行くものだと言った。ロックの詳細やバークリ、ニュームについては別の機会に譲るが、ここで言いたいことは英国経験論は真理認識の源泉をただ感覚的経験のみに限定したということである。

 英国経験論をパスカル的観点から評価すれば、どうなるだろう。たしかに実験によってパスカルは真空があるということを証明したように、自然学における認識原理は実験である。しかし、だからといって実験だけが現実の一切を認識する道だと考えるのは、多様な秩序をもつ世界を知らないからである。たとえば実験で幾何学における認識は決して説明できないし、実験で美的価値や道徳的価値なども認識できない。

 大陸合理論者も英国経験論者も、多様な存在の秩序を持つ世界のただ一側面にだけに有効な認識の方法を、あたかもすべてに有効であるかのように思い込んだのである。それは、ある種の思想的偶像礼拝である。被造世界の唯一の統一極である神に代えて、被造物の一側面をもって世界を統一極として崇めるからである。彼らは世界全体の理解をもたらしたようにみえて、実は、一面的な妄想をもたらしただけである。大勢としていえば、近現代は経験論のもたらした感覚的経験・実験を絶対とする唯物的な考え方が支配的になり、 人間も自然も機械とみなされ、人生と世界は無意味化されていく。「神なき人間の悲惨」が近現代思想史のなかに実現していくのである。

05考える葦 パスカル(その三)

 パスカルの「考える葦」の断章は、デカルト以後の近現代思想の歩んだ神なき人間の傲慢と悲惨の道とは異なる知性の道がありえたことを暗示している。

 「人間は自然のうちで最も弱いひとくきの葦にすぎない。しかし、それは考える葦である。これをおしつぶすのに、宇宙全体はなにも武装する必要はない。風のひと吹き、水のひとしずくも、これを殺すに十分である。しかし、宇宙がこれを押し潰すときにも、人間は、人間を殺すものよりもいっそう高貴であろう。なぜなら、人間は、自分が死ぬことを知っており、宇宙が人間の上に優越することを知っているからである。宇宙はそれについてはなにも知らない。  それゆえ、我々のあらゆる尊厳は思考のうちに存する。われわれが立ち上がらなければならないのはそこからであって、我々の満たすことのできない空間や時間からではない。それゆえ、我々はよく考えるようにつとめよう。そこに生きることの根源がある。」(L200,B347)

1.無限の空間の永遠の沈黙−−コスモスの崩壊−−−

「私」を押しつぶすのはなぜ宇宙なのだろうか?ほかにも『パンセ』には次のようなことばもある。

「誰が私をこの世界に置いたのかを私は知らない。世界が何であるか、私自身が何であるかを私は知らない。私はすべての事物について恐るべき無知の中にいる。・・・私は私を取り巻いている宇宙の恐ろしい空間を見る。私は私がこの広大な広がりの一隅に結びつけられているのを見出す。しかも、私はなにゆえ私がかしこではなく、ここに置かれているのか、何故、生きるために私に与えられているこのわずかな時間が、私に先立つすべての永遠と私のあとに続くすべての永遠のなかの他の地点に指定されずに、この地点に指定されたのかを知らない。私はあらゆる方向に無限を見るばかりである。この無限は私を、一つのアトムとして、一瞬ののちには去って再び帰らない一つの影として、包んでいる。」(B194)

 パスカルの宇宙観の背景には中世から近世への宇宙観の変革があった。すなわち、価値の階段的秩序としてのプトレマイオス的なコスモスとしての中世的宇宙観から、「無限の空間」としての近世的宇宙観への変革である。これを思想史家アレクサンドル・コワレは「コスモスの崩壊」と呼んだ。中世まで宇宙は「有限で閉ざされた、階層秩序を持つ全体としての世界」と見られていた。「その全体の中では、暗く重く不完全な地(球)からより高い完全性を持つもろもろの星と天球に至るまで、価値の階梯が存在の階梯と構造を決定している」ものであった。いわば中世の宇宙は存在の意味についてペラペラとしゃべっていたわけである。宇宙のなかでどこに位置するかということが、その存在の意味であった。

 ところが、近代天文学は宇宙は無限の空間であると教えるようになった。つまり、宇宙は「基礎的な成分と法則の同一性によって結ばれ、そのなかではこれらすべての成分が存在の同一レベルに位置付けられる無際限の宇宙、さらには無限の宇宙が登場し」たのである。等質の無限の宇宙のなかに特定点はなく、したがって自己の存在の意味を聞き取ることはできない。無限の空間にすぎぬ宇宙は沈黙している。

 等質の無限のなかで個物は無意味である。近代の唯物主義がもたらす人間疎外をこの断章は暗示している。唯物的思考は、人間は結局のところアトムの集まりにすぎず、石ころも人間もみな同質であるという。モノという等質の無限のなかに個物が埋没してしまっているのである。

 合理主義による人間疎外の典型は、偏差値教育であろう。人の価値を偏差値という数値によって測れるかのように見る風潮。つまり人間をより良い点数を取るためのロボットとみなしているのである。より高い得点をするのはよいロボットであり、低い得点しかできないのはボロのロボットということになる。

 そのような人間疎外からのがれようとして、ヘビーメタルやドラッグやオカルトや無軌道なセックスに走る青年たち。彼らは合理主義の考える世界には自分の生きる場を見いだすことができないので、「夢」の世界に何か意味あることを捜しているのである。考えることそのものをやめるためである。合理主義的に「考える」ならば、人生は無意味になりシラケるから、ただ「感じる」ことのみに走るのである。

 20世紀のキリスト教思想家フランシス・シェーファーが『理性からの逃走』という書物であきらかにしたのはこのことである。理性の立場では人間は死んだということになる。そこで現代人は非理性の立場で真の自由は狂気にあるというのだ。

2.「考える葦」の意味

 「思考が人間の偉大をなす」とパスカルは言う。人間は宇宙に押しつぶされるとしても、思考をもって宇宙を包むゆえに、宇宙より高貴だという。このことばから、ある人々はパスカルも「われ思うゆえに我あり」を全哲学の土台としたデカルトと同じように、近代的な理性崇拝者であるかのように誤解する。けれども、パスカルの文章をよく読むならば、彼がいう思考は、デカルト的な傲慢な自律的理性のことではない。

 パスカルはその思考をもってなにを知るのか。それは、自分が死ぬべきちっぽけな存在にすぎないことである。人間の悲惨を知ることが、聖書的なキリスト者であったパスカルの思想の特質である。パスカルの思想はこの点で近代ヨーロッパの思想史に異彩を放っている。

 近代思想の根本的特徴は、その人間に関する楽観主義にほかならない。近代合理主義思想のドグマは、人間理性の自律ということである。合理主義rationalismであるが、ratioはラテン語で理性を意味し、ismとは「主義」「論」「中毒」を意味する。したがって、rationalismとは理性中毒にほかならぬ。大陸合理論にせよ、英国経験論にせよ、それらを統合したと言われるカントにせよ、更にヘーゲルにせよ、その根底には理性中毒がある。しかし、パスカルは人間の悲惨を述べ、人間理性の限界をわきまえていた。

 「考える葦」とは己が、神の御前にかよわい葦にすぎないことを自覚する人間である。その悲惨な自己を認識できるゆえにこそ、人間は偉大なのである。自己の悲惨を認めてこそ、人はキリストにあって神を知ることができるからである。「理性の最後の一歩は、理性を超える事物が無限にあるということを認めることである。それを認めるところまで至りえないならば、理性は弱いものでしかない。」(L188)「人間の偉大は、人間が自己の悲惨なことを知っている点において、偉大である。樹木は自己の悲惨なことを知らない。それゆえ、自己の悲惨を知るのは悲惨なことであるが、しかし人間が悲惨であるということを知っているのは、偉大なことである。」(L114)

 近代人の特質は、人間本性は善であるとし、人間理性を高調し、ゆえに、救いは人間自身から出てくると主張した点にある。ルネサンス人はギリシャ・ローマ時代に人間世界の理想的な状態があったと信じて、その復興を図った。フランス革命は理性の女神を祭りあげて非合理なもの一切を葬り去ろうとした。十九世紀人は、世界の現状には悪があっても、それは人間理性が進化途上であるからであり、人間理性の進化によってすべての悪は解決すると信じた。過去に理想を見るか、未来に理想を描くかというちがいはあっても、おおまかにいって彼らは人間本性の善と理性の高調という点では共通していた。

 しかし、パスカルは人類史上、最高の知性の一人でありながら、近代のむなしい夢に酔いしれることはなかった。彼は人の本性が罪に汚れ、かつ理性には限界があることをしかとわきまえていたのであった。それはパスカルが、福音書を通じて主キリストと出会ったからである。

06 ジョン・ロック

 近代市民革命というと、念頭に浮かぶのは英国の清教徒革命・名誉革命、米国の独立戦争、そしてフランス革命であろう。しかし、英米における革命とフランス革命とは根本的に違いがある。今回は英米の革命の思想的指導者であるジョン・ロックを取り上げる。

1.ロックの背景

(1)ロックと名誉革命

 一六四二年、清教徒革命で指導者クロムウェルは、王権神授説を信じ議会を無視する国王チャールズ一世を処刑して共和制をしいた。さらに護国卿となったクロムウェルは、清教主義を国教として権力で国民の日常生活まで厳格に規制して、かえって国民の反感をまねくことになる。そのため、クロムウェル死後一六六○年には王制が復古し、国王ジェームズ二世は反動的専制政治を行なった。

 そこで、議会はジェームズ二世の娘メアリとその夫オレンジ公ウィリアムをオランダから招き、二人は国王として共同統治する。他方、ジェームズ二世はフランスに亡命し、この革命は無血革命となった。名誉革命後、議会の国王に対する優越が確立し、立法、課税、軍事などで国王は議会の承認なしに行動することはできなくなる。この名誉革命を擁護し、その後の立憲君主制に立つ新政府を理論的に指導し、確立させた人物が、ジョン・ロックである。

(2)ロックの思想的来歴

 ロックは敬虔で道徳的なピューリタンの家庭に育った。ピューリタン運動というのは、英国におけるカルヴァン主義運動のことである。カルヴァン主義の信仰は、聖なる絶対者の前における人間の誤りやすさと弱さを強く自覚させると同時に、この世において神の栄光があらわされることを願って社会改革を遂行する情念を培う。

 ロックの教会と社会に関する思想には、両極の論敵があった。一方は王権神授説に立ち教会をも支配する専制君主制であり、他方は国民の精神生活のすみずみにまで純潔を求める熱烈な清教徒主義であった。ロック自身はピューリタンの家庭に育ったから、国王を絶対君主とする立場には組みしなかったが、もう一方で、信仰的立場の異なる者にまで清教徒的生活を強要するクロムウェルの統治を見て、熱烈な清教徒主義にもへきえきしていた。ロックにとって信仰は、あくまで他者の立ち入れない内心の問題であった。

 ロック思想のもう一つの特徴は経験主義である。ロックは、もともと医学者で臨床医であった。彼は近代医学を通じ、また自然科学者ボイルとの親交を通じて、経験と観察と実験を重んじるという、経験主義の方法を学び取った。理性を崇拝し理性による演繹で世界観を構築するデカルト流の行き方ではなく、実験・経験を重んじる常識的な思想のありかたは、ベーコン以来英国の伝統でもあった。

2.ロックの思想

(1)「タブラ・ラーサ」−−人間の自律

 一般にロックの認識論哲学といえば「タブラ・ラーサ(白紙)」と言われる。人間の心は生まれながらには「正義」「神」その他いかなる生得観念もしるされていない白紙であり、生まれて後の感覚と反省という経験によって、すべての観念を得ていくというのが経験主義の主張である。ロックは、こうした考え方を実験・経験を重んじる医学者としての態度から得たのであろう。生得観念がいっさいないとすれば、人はいかなる思想でも持ち得るということになる。「タブラ・ラーサ」はロックの人間の自律の主張でもあった。ロックは生涯、無神論者とはならなかったが、創造主としての神を認めながらも、その創造主が歴史のなかに介入し啓示や奇蹟を行ないうるという超自然主義者ではなかった。創造主が作られた世界で、人は弱く誤りやすくとも、神に頼らず自立して生きていくというのが、ロックの考えであった。

 晩年、ロックは『聖書に述べられたキリスト教の合理性』という書物で、神の存在は認めても奇蹟などを否定する理神論的な主張をし、保守派からの非難を招く。ここには神の啓示からの理性の自律を求める近代の思想傾向が現れている。

(2)政治・社会思想

 認識論にかんしての「タブラ・ラーサ」の主張と矛盾するのだが、ロックは政治思想を述べるときには、自然法としての理知を強調する。そして、その自然法とは神が人間に与えたものであり、これがロックの政治・社会思想を支える柱となっている。政治的社会以前の人間の自然状態において、すでに神が与え給うた自然法が存在し、そこで人間は家族関係を基本とする社会生活を営んでいる。人は、自然法のもとでは、平等で独立しており、自由・生命・所有の自然権を持って暮らしていたという。

 しかし、人間は誤りやすく自然法を逸脱して戦争状態に陥りがちである。そこで人々は平和を取り戻すために合意して国家を造り、立法権を最高とする権力を統治者に信託した。したがって、人々の信託を裏切る暴君的独裁者は非合法であるゆえに、これに対する抵抗権・革命権は正当なものであると、ロックは主張する。

 しかし、同時に、ロックは先の暴君を打倒して、地上に完全無欠な権力者を立てれば、国家は国民を外的にも内的にも幸福にできるなどという夢想はいだかない。むしろ、彼は「法をつくる権力を持っている同一人物が、同時にその法を執行する権力まで手に握るということは、とかく権力を握りたがる人間の弱さにとってきわめて大きな誘惑であろう。」(『統治論』一四三)と、権力の分立の必要性を説く。彼の念頭には、清教徒革命においてクロムウェルが独裁者となったときの、英国社会の息苦しさが思い起こされているのであろう。

 また、「魂への配慮は、いかなる他人にもゆだねられないことで、為政者にも同じくゆだねられはしないからです。神はそれを為政者にゆだねませんでした。神は、だれかを自分の宗教に強制して引き入れるというような権威を、いかなる人にも与えはしなかったのです。」(『寛容についての書簡』)ともいう。王権神授説に立ったカトリック国教主義にせよ、クロムウェル独裁における清教徒主義の強制にせよ、ロックにとっては忌むべきものであった。

 というわけで、誤りやすい人間が作る権力である以上、それは制限されたものであるべきだとする最小限国家論がロックの国家に関する主張である。そして、これはマグナ・カルタ以来、王に対してさまざまな制限をもうけた誓約を取りつけることによって、自由を獲得してきた英国流の改革の伝統にのっとったものであった。こうして英国の立憲君主制は確立した。フランスの革命は理想的理論が先にあって、これを歴史のなかに実現しようとした急進的なものであったが、英国の革命は、実践が先にあり、これに理論的跡づけをする種類のものであった。

3.聖書から見たロック思想の評価

 ロックには哲学理論における経験主義と、社会理論における自然法の主張の矛盾・二重性は明らかだが、そこが彼の特徴である。

 彼の思想の美点は、ピューリタニズムの影響と自然科学者の経験から、デカルトのように理性崇拝に陥らず、人間は弱く有限で誤りやすい者であると認めている点である。それゆえ、ロックを指導思想とする名誉革命後の英国社会と米国社会は、理性崇拝的なフランス革命のように血なまぐさい全体主義に転落しないですんだ。

 他方、ロックの経験論に立つ思想の残念な点は、立法者である神は認めているが、人間は神にすがらず自分の足でたち、自分の足で歩く者と考えているように、自然主義的あるいはデイズム的な方向があることである。この神からの自立の欲望は、あの蛇の誘惑のことばにロックも耳を傾けてしまったことを意味している。

「あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」創世記三:五

07 フランス革命−理性崇拝の悲惨−

朝鮮民主主義人民共和国という国名を読んで、なんであの国が民主主義の人民の国と言えるのだろうかと疑問をいだく人は少なくないだろう。その民主主義は、ルソー的全体主義が行なわれたフランス革命の再現である。

1.フランス革命

 現代日本の教科書では、フランス革命は近代市民社会の幕開けとして美化されている。だから、ドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」の絵画展だといって、上野に長蛇の列ができるわけである。けれども、フランス革命の実態は血なまぐさい内ゲバにに満ちたものであり、後にスターリンやポルポトによる自国民大量粛清を予表するものであった。フランス革命中、一七八九年から一七九四年の間に、ギロチンで粛清された者は十万人、革命の行き方に反対した自国民弾圧戦争で四十万人の血が流されたのである。

 フランス革命は伝統を非合理という名のもとに根こそぎ否定し、王や僧侶、貴族の特権や教会制度を旧体制として破壊した。中世の荘園・教会・ギルドなどの組織が破壊されると、従来これらの組織に属していた民はばらばらになり、国民として政府に直結される。国民は、独裁的権力を持つ中央政府の下で、平等に国民教育を受け、平等に国税を払い、平等に国民軍兵士として徴用される近代の全体主義国家ができあがったのである。従来、教育は教会や貴族が私的に行なっているものであったし、軍人は各王や領主たちの傭兵であった。

 革命家らが崇めるのは「理性」であった。彼らは革命が勃発した一七八九年以後、聖職追放と教会破壊を進めてきたが、九三年十一月には全国的に礼拝の禁止と教会閉鎖を実施し、十一月十日にはノートルダム大聖堂で「理性」の神を祭る宗教儀式を行ない、九四年六月八日には、ルソーを崇拝する独裁者ロベスピエールは新フランスの大司祭として「最高存在と自然」をまつる祭典を挙行した。

 フランス革命の熱情が頂点に達したロベスピエール支配の「恐怖政治」の時期は、テサロニケ後書に預言される「不法の人」の国家体制を彷彿とさせる。そして、これは百年後のロシア革命以降、中国、北朝鮮、カンボジアなどの大量粛清の共産主義革命の祖型である。もっと身近なミニマムな実例を挙げればオウム真理教の麻原支配体制である。「彼はすべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く挙げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。」(2テサロニケ2:4)

 いったいフランス革命の指導思想とはどういうものだったのか。

2.デカルトの合理主義精神

 革命家らが伝統的諸価値を大胆にも否定できたのは、デカルト的な合理主義による。デカルト的理性とは、善悪・美醜・歴史など微妙な次元までを判断する広い知性の働きではなく、「三角形の内角の和は百八十度」というような幾何学的・論理的に明らかなことだけを真理だとするような、ごく狭い意味の知性の働きである(本誌七月号参照)。デカルトは論理的明証性を与えない経験には価値がないと考えたから、歴史や伝統を無価値だとした。

 実際、デカルトは「犯罪や闘争のもたらす不都合に迫られて、やむをえずおいおいに法律を作ってきた民族は、寄り集まった最初から思慮の深い立法者の憲法を守り通した民族ほど立派に開けて行けぬだろう。」と『方法叙説』で言っている。このことばは、時代は隔たるが、あたかもマグナ・カルタ以来、歴史的経験を重ね試行錯誤しつつ徐々に国民の権利を獲得してきた英国の立憲君主制に対して、伝統的諸価値をことごとく不合理だと破壊し、かつ、理性の計画にしたがって新国家を建築しようとしたフランス革命が優越していると主張しているように読める。

3.ルソーの全体主義

 フランス革命でバイブルのような位置を占めていたのは、ジャン・ジャック・ルソー(一七一二−七八年)の書物、特に『社会契約論』であった。ルソーは革命の前年に死んだ革命の予言者であった。彼は、ジュネーブで生まれたが早く父母を失い、孤児としてあちこち転々として育てられた。成人して後の女癖の悪さ、自分の五人の子どもを次々と遺棄した事実と悔恨と非現実的な子ども礼賛、そして体制に対する激しい憎悪は、不幸な幼少期の経験が影響していると思われる。彼はデカルト、ライプニッツ、ロック、パスカルなどを研究してのち、パリに行き、『学問芸術論』、『人間不平等起源論』『社会契約論』『エミール』などを書く。ルソーの筆致は情熱的かつ魅力的なのだが、その思想内容は恐ろしい。彼の思想をまとめてみる。

 第一。人間は自然状態においては平等で善で幸福であった。

 第二。ところが、所有制度と政治体制が生じたことによって、不平等が生じ、現在の人間は悪くなり不幸になっている。だから人間が幸福になるためには、現在の政治制度を破壊すべきである(以上、『人間不平等起源論』)

 第三。旧体制破壊後、民の一般意志を体現する神的立法者(『社会契約論』1:7)が定めた法と国家体制のもとで、国民すべてが平等となる。国民は立法者を通して自分の主権を行使しているから完全な民主主義である。

 第四。国民は能力・財産・自由・生命にいたるまで自発的に祖国にささげるべきである。しかも、国民は自分の意志と祖国の意志とが一致するから、自由である(『社会契約論』1:6)。

 第五。理想的国民を作り出すためには、理神論的な「市民宗教」を創設する(『社会契約論』4:8)。

4.聖書からの批判

 英米の市民革命とフランス革命とは根本的に性格が異なっている。英米の革命にはキリスト教的伝統による抑制が効いており、フランス革命は完全に理性崇拝・人間中心の世俗的革命だった。

 第一。理性の演繹よりも歴史の経験と常識を重んじ、徐々に改革をするのが英国流の市民革命だった。他方、フランス革命はデカルト的理性が非合理だと判断する伝統を全否定して、教会も王も貴族制度も抹殺することを恐れなかった。そうしてできあがった国家は、国民が国家に直結され洗脳され隷属させられる全体主義体制であった。理性崇拝という偶像崇拝のもたらした悲惨である。

 第二。フランス革命は、伝統的な組織や制度を破壊して、人造宗教と教育による国民教化を図った。これは黙示録十三章の「第二の獣」による全体主義国家の体制固めの姿である。全体主義体制の独裁権力は永久政権の野望を持つ時、人造宗教による国民洗脳をする習性がある。ヤロブアムの金の小牛もローマの皇帝崇拝もナチスのヒトラー崇拝、ソ連のスターリン崇拝、中国の毛沢東崇拝、かつての日本の天皇崇拝もみな同様である。しかし、この企てはかならず内部から崩壊する。聖書は、権力者が宗教を利用して国民を洗脳することを否定している。

 第三に、ルソーは、人間の本性は善であるという反聖書的前提をもっていた。だから彼は人民全体の一般意志を誤りなく体現できる神的な立法者がありえると考え、権力を分割してはならないと考え、神的立法者による独裁をベストと考えた。人を誤りやすい者と見て権力分立を唱えたロックと正反対である(前号参照)。現実の人間はみな罪深く愚かである。いかなる個人も団体も、自らが神のような座にすわり独裁権を握れば、私利私欲のためにその権力を振り回し、しかも自分は正義を行なっていると信じこむ。こうして平等社会を実現するはずの革命が、この上ない不平等な社会を作り出して終わる。

08 経験論から無神論へ

 ロックの経験論のうちに胚胎した神からの自律の欲求は、デカルト的精神を吸い込んでフランス革命期の悪魔的無神論へと成長して行く。 

1.経験論から懐疑論へ

 ジョン・ロックは、人間の心は生まれながらには「タブラ・ラーサ(白紙)」であり、すべての知識は経験における感覚と内省によって得られたものであると主張した。「神」という観念であれ、「正義」という観念であれ、すべての知識は経験から得ていくというのである。ロックの、ひそかな神からの自律の主張であった。

 英国にあって、このような立場に徹底したのは、デイビッド・ヒュームである。ロックの経験論を学んだヒュームが疑いをいだいたのは、「あの原因があってこの結果が生じた」という因果の法則であった。因果律は、伝統的な神の存在証明の土台であった。神の存在証明の一つは、「すべてのことには原因がある。その原因にもまた原因があり、その原因にもまた原因がある・・・。この因果の鎖をさかのぼっていくと、それ以上にはさかのぼることのできない第一原因につき当たる。その第一原因こそ神である。」という因果律に立つものである。

 しかし、ヒュームは、もしロックが言うように、すべての知識が経験から得られたものだとすれば、因果律というものも単に経験による習慣的な思い込みではないのかと考えた。何が何の原因であり、結果であるかということは主観的な想像にすぎないというのである。そうだとすれば、神の存在証明も崩れてしまう。

 「神」や「正義」という観念もただ習慣的に身につけたものにすぎないならば、普遍性や必然性というものはないことになる。たとえば、「盗みは正義だ」と幼いころから教え続けられれば、盗みは正義であるというふうに習慣づけられてしまうというふうに。こうして、すべてを経験に帰するロックの哲学は、ヒュームにいたって真理を知ることはできないという懐疑論・相対主義に陥ってしまう。

2.さらに唯物論・無神論へ

 ロックの認識論やヒュームの懐疑論の立場は、常識やバランスを愛する英国の国民性には合わなかったらしい。ロックの主張に対しては、十八世紀後半にはスコットランドでリードたち「常識哲学」と呼ばれる人々による反論がされている。彼らは真理についての原理は生まれながら人の主観に備わっていると主張した。このスコットランドの常識哲学は、保守的改革派神学の伝統の一つの背景となっている。

(1)コンディヤック

 ロックの「タブラ・ラーサ」の主張は、むしろデカルトの国フランスにおいて徹底され、論理的帰結に至ることになる。デカルト的精神は、伝統や常識を一切構わず、幾何学的な論理をどこまでも押し進めて帰結にいたろうとする。

 フランスにあって、ロックに類似する主張をしたのはコンディヤックの感覚論である。コンディヤックは、<認識はすべて経験から生まれる>という基本命題から出発した。そして、心のさまざまな機能は外官の感覚から生じていると考えたのである。ロックは、経験を感覚と内省というふたつに区別したが、コンディヤックは内省も感覚の一種であるとして、感覚のみに一元化して考えようとした。人間と獣の違いとはなんだろうか。伝統的には人間は感覚だけでなく、理性がある点が動物と異なっているとされていた。しかし、コンディヤックは理性の働きも外官の感覚から生じているとして、動物と人間との差異は質的にはないものと考え、「人間は完全な動物であり、動物は不完全な人間である」と言った。けれども、コンディヤックは、魂は物質であるとか神は存在しないとまでは言わなかった。

(2)エルヴェシウス

 感覚論からすると、人間の道徳はどういうものになるか。人間の心の働きがすべて外的感覚器官からの感覚から生じているとすれば、人間の欲求もまた感覚的な快楽から生じるということになる。「おいしいから食べたい。」「気持ちいいからしたい。」それがすべて、というわけである。このことをはっきりと述べたのがエルヴェシウスである。人は自分にとっての快楽を行なうことが善であるというのである。自愛つまり利害があらゆる活動の原動力であるというのである。

 したがって、コンディヤックにとっては、人間に「善は善であるからせよ」という道徳はナンセンスである。「それを行なえば得をするよ。だからしなさい。それをすると、損をするよ。だからやめよ。」というのが有効な道徳であるという。コンディヤックにとって、善というのは、その時その状況における公共の利益であって、伝統的に教会がいっているような絶対的な善などは存在しない。エルヴェシウスの思想は、教会と絶対王政に対する批判であり、フランス革命の思想的な先駆けとなった。

(3)ラ・メトリとマルキ・ド・サドの結論

 デカルトは「動物は機械である」と主張した。デカルトは精神と物質の二元論を唱え、精神を持つのは人間だけであるから、動物は機械だと考えた。フランス革命期のヴォルテールなど多くの思想家は、伝統的教会を破壊しつつも、創造主としての神の存在だけは認める理神論に立っていた。しかし、革命期に医者であったラ・メトリは、デカルトの動物機械論をさらに人間にまで押し広げ、『人間機械論』を書いた。精神活動といわれることは肉体の機能の一部にすぎない。したがって、物質的・感覚的享楽こそが人間の最高の目標であるとした。神の存在は根拠もなく無益であるとして、無神論が一般に行なわれれば世界は幸福になると主張した。

 背徳者マルキ・ド・サド侯爵はこの徹底的無神論を文学に表現し、かつ、実践した。彼は自然の本質を悪と見、神は人間の敵であると主張した悪魔である。いうまでもないが、彼は異常性愛サディズムということばにその名を残した男である。

3.聖書からの批判

 ロックの神からの自律を欲する欲望は、その経験論において「タブラ・ラーサ」と表現された。生来、神が人のうちに刻まれた戒めの事実(ローマ二:十五)を否認したのである。この自律の欲望は、フランスに飛び火してデカルトの合理主義という毒を注入されると、たちまち急成長して唯物論・無神論という怪物となった。  本来「神のかたち」として創造された人間は、あの善悪の知識の木について蛇が誘惑したように、真の神を押しのけ自ら「神のようになろう」として、神に背を向けるとき、自らを見失う。自分で「神のかたち」というアイデンティティを投げ捨てたからである。結果、神のようになろうとした人間は野獣や機械のようになってしまう。人は自分が何者と思うかによって、その生き方も決まる。人が自らを野獣と区別できなくなったとき、その生き方は野獣のように感覚的欲望に従って生きることが生きる目的となってしまい、自らを機械と区別できなくなったとき、機械のように自由と責任がなくなってしまう。

 こういうわけで、神を見失い、唯物論と無神論が蔓延している現代社会は、人間が欲望の獣と化し、機械のように自由と責任を失った時代である。機械がその機能だけで価値判断されるように、現代人は人を機能だけで判断する。働けなくなった人間は粗大ゴミと呼ばれる始末。また、神に背を向け、「神のかたち」という人としての尊厳あるアイデンティティを見失った現代人が、禽獣にも劣るほどの性的不道徳にふけっているのも当然である。フランス革命は、人間の自律の欲望の行く末、合理主義の結末をはっきりと歴史上に予表したのだった。その姿は、パスカルが言った「神なき人間の悲惨」そのものである。神を見失うと、人は自己を見失い、禽獣や機械の類となりさがってしまわざるをえない。神のようになろうとした己の傲慢を悔い改めて、神に立ち返るほか人間回復の道はない。

09 イワシの頭とカント

 「イワシの頭の信心」という信仰観は、カント以来、西洋にも広がってきた信仰観であり、自由主義神学の根底にあるものだ。

「科学は頭で、宗教は心で」?

                                                   

 哲学史の通説を一応述べてみよう。デカルト以後、スピノザ、ライプニッツに至る流れを大陸合理論と呼び、他方、英国におけるホッブズ、ロック、バークレー、ヒュームの流れを英国経験論という。この二つの流れを統合したのがカントであり、カントのあとドイツ観念論が始まり、ヘーゲルに至って近世哲学は完成した。そして現代哲学はヘーゲルに対する批判と継承として展開してきた。今回は合流地点のカント。

 大陸合理論は、感覚的経験は不確実であるから真理を知るのは理性の演繹によると主張する。その理想は幾何学。幾何学が、万人の理性にとって明白な公理から演繹して、さまざまな定理を導きだすように、哲学も、万人の理性に備わる生得観念を公理として演繹によって真理体系を築くべきだというわけだ。たとえば、スピノザの『エチカ』には「幾何学的順序によって証明された」と副題がついている。「エチカ」とは「倫理」である。なんとスピノザは人間の生きる道を幾何学的な秩序によって証明したのである。

 他方、英国経験論は、理性の演繹は独断的だと批判し、真の認識は感覚的経験(実験)によるべしという。経験論を徹底すると、真理は人それぞれの経験によるのだから、絶対の真理などないことになる。こうして経験論は相対論・懐疑論の泥沼に陥る。懐疑論では因果律といった法則もみな、それぞれの経験による主観的な思い込みということになる。

 合理論は独断論に陥り、経験論は行き着くところ懐疑論。カントは、合理論と経験論両方の主張を綜合した。カントは学的認識は経験の世界に限定されるとし、この経験は人の主観の感性形式と悟性形式で構成されるという。この点、経験論的である。だが、このように経験を構成する感性形式と悟性形式の仕組みは生得的に万人に共通しているゆえに、誰にも共通な認識が成り立つという。この点は、合理論的である。

 では、カントにおいて神はどうなるのか。神は五官でふれることができない、つまり感覚によって経験することができないから学的認識の対象ではない。よって神の存在を学問的に証明をすることは無意味だとした。では、カントは神や宗教をいっさい否定してしまったかというと、そうではない。カントは、神は学的認識の世界ではなく、心の世界に属するものとしたのである。彼は合理的な神の存在証明をみな否定するが、人が道徳的に正しく生きていくために必要なものとして神の存在を肯定する。いわばカントの神は人間の道徳のための張り子のトラにすぎない。このように、学は実験と頭に属し、宗教や道徳は心に属するというのがカントの二元論である。

2.カントの二元論の近現代への影響

 <科学は頭、宗教は心>という二元論こそは、近現代人のなかに蔓延しているパラダイム(考え方の枠組み)ではなかろうか。たとえば、新約聖書学者R・ブルトマンの影響を受けた遠藤周作の『イエスの生涯』を読めば、「事実」と「真実」とが区別されていることに気づくであろう。遠藤にとって、イエスのベツレヘム降誕は「事実」ではないが、「真実」である。イエスの生涯におけるもろもろの奇蹟の記事も「事実」ではないが、「真実」である。つまり、彼のいう「事実」とはカントが言った科学的対象となる時間と空間のなかで起こったことであり、「真実」とは感覚的には経験できず「心」が認識する神や魂や自由にかんすることなのである。「イワシの頭も信心」ということばがあるが、学的事実はイワシの頭なのであるが、信じる者にとってはこれもありがたい魔よけとなるのは宗教的真実だというのと同じだ。

 ただ遠藤周作が不信者であると断言しがたいところは、イエスの復活は事実であると言っていることである。このあたりが、彼の不思議さというか、謎めいていて読者を引きつけるところなのであろうか。

 それはともかく、<頭と心>あるいは<科学と宗教>の二元論とは、近現代の人々のごく一般的な考えではないだろうか。多くの読者も「信仰は理性ではなく心だよ」というセリフをどこかで聞いたこと言ったことがあるのではないだろうか。

 しかし、これは危険な二元論なのである。近代思想史を見てくると「頭・科学・自然」が自律を許されると、やがて「心・宗教・自由」をむしばんできたことがわかる。たとえば近代主義の聖書学者は、神は歴史に介入できず、したがって啓示も奇蹟もありえないという自然主義の前提をもって聖書本文を批判し、それが科学的態度であると思い込んでいる。実際には、それは科学的態度ではなく、自然主義的態度にすぎないのだが。啓示も奇蹟もありえないという前提で聖書を読めば、イエスの行なったいろんな奇蹟も預言もみな道徳的教訓をこめた譬えばなしということになる。こうして、「科学」は「宗教」を食いつぶしてしまう。

 有神論的進化論者も同様である。進化論は事実を扱う科学であり、キリスト教は真実を扱うものであると両者を二元的に峻別する。彼らにとって、聖書の創造の記事は単なるフィクションであり真実を語る譬えばなしということになってしまう。

3.聖書的観点からの批判

 善悪の知識の木から取って食べたとき、人は神のようになり、同時に、死んだ。人が神のようになったというのは、あたかも創造主ご自身が自律的なお方であられるように、被造物にすぎぬ人が思い上がって神のことばの支配を拒否して、「自分で自分の善悪は決めます」と自律したという意味である。そのとき人が死んだというのは、命の源である神から分離したことによって、生きる力も、生きる目的も、生きる意味も失ったということである。神の支配を拒否して、自律を求めるならば、死が入ってくる。これが近代思想史において起こったことである。

 カントの二元論は科学の居場所と神の居場所とを区別した。このことによって、一見、宗教は一定の居場所が確保できたかに思える。ところが、他方で科学の自律を認めたために、近代思想において、科学は自然主義的前提をもってやがて聖書を批判し、神も信仰も魂も自由も宗教もみなフィクションにすぎないものとしてしまったのである。こうして近現代人は、事実は科学のみが知り、信仰というものは作り話・気安め・迷信・一種の心理学にすぎないものと考えるようになったのである。聖書的観点からいえば、まことの神は科学も宗教も支配なさる神であるから、頭も心も神の御前に捧げるべきなのだ。

10 進歩という迷信

 「人類の進歩」という理念は、近代人を長らく支配した迷信であった。今回はその源泉と欺瞞性に迫りたい。

一、進歩史観

 近代において支配的な思想の一つは人類は進歩するという考え方であった。現代にいたってもなお進歩思想は流行している。宇宙が、地球が、ゲームが、車が「進化した」などと言われる。しかし、歴史が進歩するという進歩史観は近世・近代のものであって、けっして普遍的なものではない。

 古代世界では、時は循環するという考え方が普通であった。おそらくそれは自然の変化を観察することから生じた観念であろう。古代人は自然が春夏秋冬が繰り返すように、歴史は循環していると考えたのである。また、ヨーロッパ中世には、古代は黄金があり、次が銀、その次が銅・・・というふうに、人類は退歩してきたという歴史の見方、いわば退歩史観がふつうの考えであった。だからこそ、古代のものに立ち返り、古代を復興しようというルネサンスに意義がある。

 進歩史観は、技術と科学の進歩を信じたフランシス・ベーコンなど近世になって現れたが、それが本格的な時代思想となったのは十八世紀啓蒙主義の時代以降であり、完成するのは十九世紀である。フランス革命期の教育思想家コンドルセ(一七四三−九四)は『人間精神の進歩』で、人間は能力と道徳の完成に向かって進歩していくと主張し、科学の進歩と教育の進歩が、平等化を完成し、道徳と幸福の進歩をもたらし、ついに人間の真の完成にいたると考えた。

 実証哲学の祖コント(一七九八−一八五七)もまた進歩思想家であった。コントは人類は、1.知性の指導によって原始的な神学的段階(神を信じる段階)、2.過渡的な形而上学的段階(観念的な哲学思想の段階)、3.そして究極的な実証的段階(唯物主義の段階)へと進歩すると主張した。そして、この実証的段階に到達した人々による知的共同体が生まれ、独裁政権を取って世界を支配すると、そこに理想社会が到来するとしたのである。

 しかし、進歩史観が多くの人の心を納得させたのは、こうした哲学者の論文ではなく、産業革命が起こって以来、急速に人間の生活がみるみる変化してきたという事実であろう。科学文明によって人類は地上に理想国家を来たらせることができるという妄念に人々は捕らわれた。

 近代哲学の完成者と呼ばれるヘーゲル(一七七○−一八三一)もまた進歩思想の権化であった。彼は思想は「定立(正)−反定立(反)−綜合(合)」という弁証法の法則にしたがって発展していくと主張した。コントとヘーゲルの進歩思想は、英国古典経済学、フランス唯物論、ルソーの全体主義思想とともに、マルクス(一八一八−八三)の共産主義思想の源泉となる。

二、進化論

 自然科学の方面から進歩思想を支持したのが、ダーウィニズムであった。ダーウィン(一八○九−八二)がガラパゴス諸島を訪れ、島々の小鳥やゾウガメやイグアナがそれぞれの島の環境に適応して異なる形態になっていることから、進化論の確信を得、『種の起源』を完成したことは有名である。だが実際にダーウィンが見たのは、単にそれぞれの種の中での変化にすぎなかったのである。ほんとうは、進化とは種の枠を越えた変化であって、種の中の変化ではないのに、ゾウガメのくびが長くなったとか、フィンチのくちばしが長くなったとかいう変化から、長い時間のうちには種の枠も越えられるのではないかと、ダーウィンは空想したのである。

 ダーウィンの進化説から百年数十年、化石の発掘と実験と観察を繰り返した結果、種の枠内の変化はあっても、種の枠を越えて新種が生まれることはけっしてないということが明らかになっている。にもかかわらず、なお進化が世界中で事実として通用しているのは奇観というほかない。これは現代人にとって、進化論は単なる科学上の仮説ではなく、一種の宗教として受け入れられていることを意味している。

 進化論は、近代の思想界には熱烈に歓迎された。理由は二つあると思われる。一つは啓蒙主義者の多くは理神論者だったが、彼らは神の世界への介入は否定しながらも、創造主なしでは多様で秩序ある世界の始まりを説明できなかったので、やむなく創造主のみは認めていた。が、進化論によれば世界観の始まりから創造主を抹殺できると彼らには思われたことである。

 もう一つは、進化論は近代のドグマである進歩思想にフィットし、支持したことである。人間はどうみても不完全な存在であるが、完成に向かって進化していくと考えることによって、今の不完全さから目をそらさせることができる。進化という思想は現状を正当化するためのたくみな口実となる。進化・進歩教は将来の完成に希望をもたせることで人類の目的を示す一種の宗教となったのである。

 進化論を哲学思想として拡張したのはH・スペンサー(一八二○−一九○三)であった。彼は「総合哲学」で宇宙は進化すると主張し、天体の発生から人間生活のすべてを進化によって総合的に説明しようとした。スペンサーは明治日本の思想界に最大の影響を与えた一人である。現代のテレビや図鑑も博物館も教科書も、ごく日常的に「星の誕生」「星の進化」「宇宙の進化」から始まり、「生命の自然発生」「アメーバの進化」、「人類の誕生」に至る総合哲学の教えをあたかも科学的事実であるかのように、教えている。  共産主義者たちは、進化論を唯物史観の科学的根拠として歓迎した。世界の共産主義国家が崩壊した現在でも、進化論だけは科学的装いをしているゆえに、なお命脈を保っている。現代人にとって「科学」は共産主義以上の偶像であるからである。また、今日ではニューエイジ思想のなかに、進化論は生き残っている。ニューエイジの汎神論においては、東洋的な輪廻転生と進化論を安易に結びつけて霊的な進化ということを主張している。

三、聖書からの批判

 聖書において歴史とはなにか。それは、神の永遠の聖定の時間的な展開と定義づけることができるだろう。それは創造による始まりがあり、審判と完成による終わりがある歴史観である。直線的な歴史観というものを提出しているという点においては、一見、進歩史観は聖書の啓示に似通っている。それもそのはず、思想史上、始まりと終わりある直線的歴史を初めて人間に教えたのは聖書なのである。それ以前、インド・アーリア語族にはには先に述べたように循環という考えしかなかったし、中国の史書にも歴史の発展や終末の思想はない。西洋思想史において最初に歴史思想を展開したのはアウグスティヌスであった。彼は聖書を読んで初めて時間・歴史について思索するようになったのである。

 しかし、歴史が、自律した人類の進歩発展の過程であり、やがて人類は自力でユートピアを建設することになるという進歩史観は、非聖書的である。

 では聖書の歴史観とはどういうものであろうか。まず、聖書は、人間は本来は善きものとして造られたが、その本来的状態から堕落したと言っている。そういう意味では、聖書の歴史観は退歩史観である。また、人間は神に背を向けて堕落した状態から、知識の発達や科学や教育によって、完成に至ることはできない。善悪の知識の木の実を盗んで以来、己の知識を誇り神からの独立を試みてきたことは罪なのである。

 人間が堕落した状態から回復できるとすれば、それは知性や科学や教育の力によるのではなく、神の恵みによる。そのために、イエス・キリストは初臨されて十字架と復活によって人類と神を和らがせてくださった。そして再臨によって、この歴史に審判をくだし、新しい天と新しい地を完成してくださるのである。聖書的な歴史観は自然的な循環でもなければ、人類の無限の自律的進歩でもない。神による創造−人の堕落−神による贖罪−神による審判と完成というのが聖書的な歴史の見方である。

11 悟性の自律と聖書高層批評

 悟性の自律という近代思想のドグマは、聖書批評学をも侵食して、信仰の土台をくつがえしてしまう。

1.ペンテコステ的信仰の土台が危ない

 今年一月から二月にかけて、クリスチャン新聞で「ペンテコステと福音派−二十一世紀への対話−』と題してペンテコステ派の万代栄嗣氏と福音派の内田和彦氏の対談が連載されている。その中で、万代氏らが発行している研究誌『SIGNS』について内田氏は、リベラルな聖書批評学の文献が、批判的な吟味をせずに引用されていることの問題性を指摘している。この指摘は信仰の土台にかかわるきわめて重要なことなので、ここで取りあげたい。

 ペンテコステ派は従来信仰を体験としてのみ捕らえて来たが、今後、その信仰を神学的に裏付けていこうというのが『SIGNS』の方向で、それは意味あることだろうが、その作業において、学問的であればとにかく最先端のものがよいと考えて、学界で幅をきかせている自由主義の聖書学の成果を無批判に取り入れているということである。

 自由主義の聖書批評学の問題の本質は、「悟性の自律」という反キリスト的な近代啓蒙主義のドグマなのである。一九九九年二月号「近代神学における哲学の影響」と今年二月号の「イワシの頭とカント」とあわせ読んで頂きたい。

2.悟性の自律というドグマ

 カントに『啓蒙とはなにか』という小さな本がある。そこに「啓蒙とは、人間が己自身の責任である未成年の状態から抜け出すことである。未成年の状態とは、他人の指図なしには、ひとりで自分の悟性を働かすことの不可能なることをいう。」とある。言い換えれば、他人の指図なしに悟性を働かすことが可能になることが成年の状態であり、人間としての理想だというのがカントの主張である。

 啓蒙とは英語ではエンライトンメント、ドイツ語でアウフクレールンク、フランス語で イリュミナシオンの訳語である。つまり、啓蒙とは暗闇に光をあてることにほかならない。ここでいう暗闇とは中世における迷信や因習や社会的偏見を意味し、光とは悟性の光にほかならない。こういうわけで、悟性によって封建的な闇から人間を解放しようとする運動、それが啓蒙主義運動ということになる。

 中世的迷信や因習からの解放ということについては、啓蒙主義を積極的に評価できることがらも多かろう。けれども、我々として注意しなければならないことは、啓蒙主義者が否定する迷信や因習のなかには、キリスト教も聖書も含まれているという事実である。だから、カントの筋を通せば人間が「未成年の状態から抜け出す」ためには、生ける神と神のみことばの指図なしに、ひとりで自分の悟性を働かすことが必要だということになる。つまり、「悟性の自律」こそ啓蒙主義の根本的ドグマだということである。そして、近代主義に立つあらゆる学問の根底には、悟性の自律というドグマが横たわっているのである。自由主義神学も、その例外ではない。

3.悟性は「信仰」を前提としている

 ではカントは信仰を否定したかというと、そうではない。信仰は、悟性の世界とは別の世界において確保されることにしたのである。悟性によればイエスの処女降誕は「事実」ではありえないが、信仰においては処女降誕は「真実」であるというような考え方である。このように自由主義神学は信仰体験と悟性の二元論的構造でできている。自由主義神学の父シュライエルマッハーは宗教の本質を「絶対依存の感情」と言った。つまり、信仰は感情体験に属し、悟性とは切り離されるべきものだという。そして、聖書の本文批判という学問的作業は信仰とは別個に自律している悟性の力で進めると考えられている。

 けれども、実際には悟性は自律などしていないのである。悟性はある「信仰」を前提として機能するものにすぎない。たとえばモーセが葦の海を分けたという聖書の本文を読むとき、<自然を創造した神が存在し、通常は自然法則をもってこれを支配しておられるが、必要に応じて自然法則をも一時停止なさって、特別の摂理をなさると信じる信仰>つまり超自然主義の信仰を前提としている悟性は、聖書が言うところを文字通り受け取るだろう。他方、<創造主は存在するが、この神はこの自然には介入することがないので、自然は自動巻き時計のように自律的法則でもって動いていると信じる信仰>つまり理神論の信仰を前提としている悟性は、モーセが葦の海を分けたという聖書本文は象徴的表現であって、事実そのままのことが書かれているわけではないとするだろう。前者の信仰が福音派・保守派の神学の前提となっているものであり、後者が自由主義神学の前提となっている信仰なのである。

 また自由主義の聖書批評の背景には、<事物は無秩序から秩序に向かう>という「進化信仰」もある。もし「進化信仰」を前提として悟性を働かせて旧約聖書を見ると、各書の成立の順序はどのようなものとして見えてくるだろうか。ヴェルハウゼンは宗教進化論の説をヘブル人の宗教に応用しました。ヘブル人の遊牧生活の時期はアニミズムの段階であり、モーセの時代には単一神教えつまり、多くの神々を認め、その中の最高神ヤーウェがあるという思想に進化し、カナンの諸宗教の中で唯一神教に進化し、そして、王国時代に預言者たちが儀式的な神礼拝をはげしく攻撃し、超越的な神概念が誕生したというのです。

 また、ヘーゲルの「すべての思想は定立・反定立・綜合という発展の仕方をする」という「弁証法信仰」を前提とする悟性をもって新約聖書の各書の成立順序を考えるとどうなるか。定立として律法的ペテロ宗教がまず立ち、これに反対して恩恵的パウロ宗教が反定立として生じ、両者を綜合して古代キリスト教が成立したと考える。そして、こういう思想史発展の弁証法的法則から見て、律法主義と恩恵主義を「綜合」した内容の牧会書簡などは二世紀に書かれたものであって、パウロが書いたものではないということになる。これらは自由主義の聖書批評学の学界の通説である。結局、彼らにとっては、「これはモーセが書いた」とか、「パウロが書いた」とか言っている聖書本文よりも、進化教やヘーゲル教のドグマの方が信頼に足るとしているわけである。

 このように理神論信者とか進化論信者とかヘーゲル弁証法信者たち、まことの生ける神を信じない人々の聖書本文批判の成果が「学界の通説」であるからといって、もし吟味もせずに受け入れてしまうならば、ペンテコステ派は自らの信仰の土台を自ら突き崩してしまうことになるだろう。「聖書は誤りのない神のことばである」という信仰を否定する自由主義神学の聖書批評者は、実質的には悟性こそ誤りのない真理の基準であり、悟性は理神論・進化教・ヘーゲル教に基づいて、聖書のことばの真偽を判断することができるとしている。悟性の親しむ諸信仰のほうが聖書よりも上に位置しているのである。それは、ちょうど、神のことばを巧みにねじまげて女の欲望を刺激し、神のことばを偽りだと言い、神は妬み深いやつなのだと断言し、善悪の知識の木の実から取って食べたらあなたは神のように自律的な存在となることができると言った蛇の誘惑にも似ている。注意、注意。

12 実存主義

1.既製品の時代に

 現代の状況について、リルケ(1875−1927)は言っている。「自分自身の死を持ちたいという願望は、ますます稀有になりつつある。いましばらくすれば、そういう死は、自分自身にふさわしい生と同様、ほとんど見当たらなくなってしまうだろう。そもそもなんでもが目の前に並んでいる世の中だ。生まれてくる。なんなりとひとつの生き方を見つける。できあいの生だ。」(『マルテの手記』)

 二つの革命が近代を造った。一つに産業革命が大量生産を可能にして大衆社会を来たらせた。かつて服は一人一人あつらえるものだったが、皆が既製服を着るようになる。靴もかばんも家具も食物も住まいもみな既製品で、それに違和感さえ感じなくなっている。違和感どころか、今や人はブランド服に身を固め、ブランド会社に所属ていれば安心、所属しなければ不安になる。

 もう一つの革命とはフランス革命。ここに国民教育が始まる。国民教育の目的は、富国強兵にある。「富国」には、産業に必要な大量の均質な労働力を確保するために、国民に一定の教育をする必要があった。また「強兵」のためには、従来の王侯の傭兵に代えて国民をみな兵士とし、その兵士たちに一定の教育を授ける必要があった。

 かくて、既製品の服を着、既製品のアクセサリーを付け、既製品の食品を食べ、既製品の教育を受けて、既製品の会社に入り、既製品の子育てをして、既製品の葬式をし、既製品の墓にはいるというぐあいに、既製品としての生と死を営むのが現代人である。この既製品の全体のなかに「私」は埋没してしまう。既製品の生を営む「私」が「私」でなければならない理由はどこにもない。「私」のスペアなど掃いて捨てるほどいるのである。

 思想的には進化論的科学的合理主義が、産業社会を後押ししてきた。科学的合理主義は思想としては深みも重要性もないが、時代への影響力は他の全ての哲学を圧倒している。科学的合理主義は、素朴に唯物的な自然主義に立ち、自然科学による認識を絶対視する。科学的合理主義においては、物質という全体のなかに、いっさいの個はのみ込まれてしまう。人の死も獣の死もバクテリアの死も本質的に同一視され、さらには、生命現象もすべて物質の化学的・物理的現象に還元される(本誌2000年1月号参照)。

 結局、産業革命と市民革命によって大衆社会が出現し、それを後押しする唯物的・進化論的な科学的合理主義とが近現代の最大の流れであり、この全体のなかに「私」が没して無意味になって行くのが近現代思想の悲劇的過程である。実存主義者たちとは、このように全体のなかに私が埋没することを拒んだ人々である。

2.主体性が真理である−−実存主義

 実存主義者たちはしばしば実存主義者と呼ばれることを拒む。「実存主義」という既製のレッテルを嫌うからであるが、そこがいかにも実存主義的だ。とはいえ、一般的に実存主義者と言われるのは、哲学者としてはハイデガー、サルトル、マルセル、ヤスパースなど。作家としてはリルケ、カミュなど。神学者としてはK.バルトら。彼らが共通して依拠するのは、デンマークのキリスト教哲学者キルケゴール(1813−55)であるから、キルケゴールの紹介をもって実存主義についての理解の助けとしたい。

 キルケゴールは、ヘーゲル流の進歩と体系の夢に人々が酔いしれている十九世紀にあって、すでにヨーロッパ精神の絶望を感じとって膨大な著述をした。が、百年ほど早く生まれ過ぎた彼は、生前、誰にも理解されなかった。ヨーロッパ思想界がキルケゴールを理解し始めたのは二十世紀を迎え第一次大戦の危機迫る時代であり、日本でキルケゴールがブームとなったのは第二次大戦後の危機の時代である。

 キルケゴールが生涯を通じてひたすらに追求したのは、人間の実存とその主体性をあきらかにすることである。彼は言う「私にとって真理であるような真理を見いだすこと、私がそのために生き、かつ死ぬことをねがうような理念を見いだすことである。いわゆる客観的真理を私が発見したとしても、それが私になんの役に立つというのか。」(『ギレライエの日記』)。当時支配的であったヘーゲル主義哲学者たちは先行する諸哲学を研究し尽くし、おのが体系にすべて取り込んで説明し尽くすことを営みとしていた。しかし、キルケゴールはその客観的な「真理」は「私」という主体の生と死には何の役にも立たないとした。彼にとって、主体性が真理なのであった。

 キルケゴールが用いた意味での実存(existentia)ということばは、現実的存在として の人間を意味している。理想主義的な哲学では、「本質が実存に優先する」とされてきた。まず人間はこういう者であるという本質があり、その本質の現れが私やあなたという個々の人間であるというふうに。言い換えれば既製品としての人生があって、私はその既製品の人生のレールに乗っかって過ごすというふうに。実存とは、誰かが用意してくれた、抽象的・普遍的な人間かくあるべしということに安易に満足せず、私が主体的に己が使命を自覚してその使命を選び取って生きていく人間のあり方を意味している。

 戦前、ほとんどの日本人は「天皇の臣民としての日本人」というお上からあてがわれたレッテルに満足して生きていた。その時代には、田辺や西田のいわば理想主義的な哲学が流行していた。しかし、敗戦とともにその天皇の臣民という既製のレッテルは破棄されてしまった。そこで、改めて人は自分は何者なのか、何のために生きるのかと自問せざるを得なくなった。敗戦後の日本にキルケゴールのブームが起こったゆえんである。

3.聖書的観点からの批評

 キルケゴールの文体は難解でありながらなんとも魅力的で、読む者は己の生き方が揺さぶられるような経験をする。私たちがキルケゴールに学ぶべきことは、私たちは人生の傍観者でいることは許されず、主体的に生きなければならないということであろう。

 けれども、キルケゴールについて残念な点は、その実存的思考が、主体性を追求するあまり、真理の客観性というものを余りにも軽んじることである。キルケゴールの「主体性が真理である」という命題は、言い換えれば、<イワシの頭も信心である。客観的にはイワシの頭であっても、一向、構わない。私にとってそれが神であれば、それは真理である。>という非合理な飛躍である。実際、先にも述べたように、実存主義者にはキルケゴールやマルセルのように神を信じる者もいれば、サルトルやカミュのように神を否定し去る者もいる。実存主義という立場からいえば、有神論であれ、無神論であれ、主体的に生きていればよいのである。有神論が真理であろうと、無神論が真理であろうとかまわないのである。実存主義にとっては、主体性が真理なのであるから。主体的真理と客観的真理の分離という危うさが、実存主義の問題性である。

 この客観的真理と主体的真理の分離の構図は、現代思想に共通する。多くの現代人にとっての「客観的真理」は、進化論的科学的合理主義が提供する「真理」つまり、人間は単なる高等なサルかロボットにすぎないということである。ならば、人間の尊厳や生きる意味はどこにありえよう。客観的真理があまりにもむなしいので、現代人は非合理な飛躍としての覚醒剤や過剰な刺激やカルト的瞑想に走る。彼らは生きる意味を探そうとしているのか、生きる意味など考える必要がないようにと努めているかいずれかであろう。キルケゴールの影響を強く受けたK.バルトの啓示観も客観的真理と主体的真理の分離構造をなしている。バルトによれば、聖書は客観的には神を体験した者たちの誤りも含まれる証言であって、神のことばであるわけではない。しかし、聖書を前に神に主体的に応答せんとするとき、聖書は主体にとって<神のことばになる>という。

 聖書主義の立場からいえば、聖書は客観的にも神のことばである。聖書は私が信じようが信じまいが神のことばなのである。聖書は、信じる者には祝福がもたらし、信じない者には呪いがもたらす神の力あることばである。神が我々に求めていらっしゃるのは、非合理な飛躍ではない。神が我々に求めたまうのは、聖霊によって啓示された客観的真理である神のことばを、聖霊の照らしによって主体的に信じて従うことなのである。

13 科学の変質

 「神がいるなんて科学的ではない。」こんなことばをしばしば聞く。しかし、ほんとうにそうなのか。科学は現代における最大の偶像であろう。今回は、本来有神論を土台として始まった科学が、神を否定する方向へと進んできたことについて。

1.有神論こそ科学の土台−−二冊の書物

 「私は二三年前、妃殿下がよくご存じのように、天界の中に、この時代以前には見られていなかった多くの特殊な事物を発見いたしました。(中略)天界の物体について、ある自然の結論を語る場合、聖アウグスティヌスは次のように書いておられます。『我々はまじめな信仰において節制ということに常に留意しつつ、疑わしい点については何事も不用意に信じてはなりません。それは、後になって旧約あるいは新約のどちらの聖書とも矛盾していないということが明らかにされるかもしれないことがらに対して、われわれの誤謬に都合のよいように偏見を抱くというようなことをしないようにするためなのです。』

 そういうわけですから、自然の諸問題を論じる場合は、聖書の章句の権威から出発すべきではなく、感覚による経験と必然的な証明をもとにすべきである、と私には思われます。なぜなら聖書も自然も、ともに神の言葉から出ており、前者は聖霊の述べ給うたものであり、後者は神の命令によって注意深く実施されたものだからであります。

 したがって、聖書におきましては、一般的な理解に資するために、章句の裸の意味に関する限り、絶対的な真理とは異なる多くのことがらが述べられております。これに反して、自然は無情で不易なものであります。そして自然は、自らに課せられた法則の言葉を超越するようなことはありません。」

 これはガリレオ・ガリレイがクリスチナ大公妃にあてた手紙であり、ここにはガリレイにおける信仰と科学との関係がよく現われている。ガリレイは敬虔なキリスト者であり、教父アウグスティヌスの書物まで引用して、自らの自然科学と聖書にかんする所見を述べている。まず、ガリレイは「自然も聖書も神から出たものである」と言っていることに注意したい。彼にとって、自然を観察し実験しそこにある法則を読み取ることは、聖書の意味を読み取ることに比せられることであった。聖書は、著者が読者に伝える意図をもって著されたからこそ、読者はそれを読み取ることができる。同様に、自然にも創造者がいて人間が理解できる数式に表現できる法則で営まれているからこそ、自然科学者は実験・観察という方法をもって、これを読み取ることができる。聖書も次のように言っている。 「なぜなら、神について知り得ることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」(ローマ一:二十、二十一)

 ガリレイのみならず、コペルニクス、ケプラー、パスカルなど十七世紀ヨーロッパの自然科学者たちの多くは、有神論的な科学者であった。いまだに古い教科書ではガリレオ裁判をネタにして「科学と宗教の対立」という啓蒙主義的構図を教えるようだが、バターフィールド、ホワイトヘッドらの研究によって、今日では、近代自然科学の体系がヨーロッパに誕生しえたのは、キリスト教世界観がヨーロッパに浸透していたからであるということは、思想史上の実証済みの常識である。「理知的(rational)な神が、理知(ratio)をも って自然を創造され、かつ人間に理知(ratio)を与えられた。だから、人間は理知(ratio)をもって自然を理解することができる。」これが自然科学の有神論的な土台であった。

2.理神論的科学

 十八世紀の啓蒙主義の時代になると、シャフツベリー、ロック、ヴォルテール、ニュートンらの理神論が流行する。有神論においては、神は世界を創造されたのちも、この世界を治め、これに介入して啓示や奇蹟を起こすことがおできになる。しかし、理神論は、神が世界を創造した後は引退し、世界は機械のようにそれ自体の法則でもって動いているという。だから、神は存在するが、人は神のことなど気にせずに好き勝手にふるまうことができる。理神論者とは、ちょうど、ぶどう園の主人が遠くにいることをよいことに、好き勝手にふるまったぶどう園の管理人たちのようなものである。彼らは主人の遣わしたしもべも一人息子も殺して、ぶどう園をわがものとしてしまおうとする(マルコ12:1−12)。

 理神論者の神は、実のところは自然界に秩序があることを説明するための理論上の張り子のトラにすぎない。また、人間の社会や道徳を成立させるための要請としての道徳的な仮説にすぎない(デカルト、ロック、カント)。

 理神論においては、自然は神の手を離れたのちは、それ自体で自律しているということになるから、学者は啓示や奇蹟というものはありえないことを前提として、自然と歴史を扱うべきだということになる。理神論は、実質的に、自然は閉ざされた系であって外からのなんらの介入もありえないというから自然主義に非常に近い。近代の聖書学者たちは、自覚的であれ無自覚的にであれ、この理神論的前提を取り入れているから、奇蹟や啓示はありえないこととして聖書文書を扱ってしまう。

3.無神論的科学

 ヨーロッパでは、かつてキリスト教的な神を否定する者には無神論の烙印が押された。たとえば、スピノザも無神論者と非難されたが、実際には「万物即神」とする汎神論者であった。汎神論者フィヒテも無神論者として告発された。完全に神を否定したのは、十八世紀啓蒙主義時代の無神論者である。たとえば『人間機械論』を書いたラ・メトリ(一七○九−五一)がいる。デカルトは人間を精神と物質から成るものとしたが、ラ・メトリは医者として生理学の立場から、精神の働きは脳という物質によるものとしてすべて説明しつくせるという唯物論的主張をした。

 とはいえ、ラ・メトリの主張は、表面上は自然科学の立場からのものであって、反キリスト教的な色彩は必ずしも濃くない。ラ・メトリや感覚論者コンディヤックの主張などを、戦闘的な無神論としたのはオルバック(一七二三−八九)である。彼は精神は脳神経の機能とし、意志の自由も霊魂不滅も否定した。道徳の目的は幸福とし、その幸福とは感覚的な快楽を得ることにあり、これを制約するキリスト教は幸福の敵であると主張した。

 十九世紀は、合理主義に対する反動としてのドイツのロマン主義の時代であった。ロマン主義の雰囲気は文学ではゲーテ、音楽ではベートーベン、哲学ではフィヒテ、シェリング、ヘーゲルが代表者であるが、彼らの神観は<自我イコール自然イコール神>という汎神論であった。しかし、ヘーゲル後、ヘーゲル左派のフォイエルバハ(一八○四−七二)が先鋭的な無神論を主張した。彼は『キリスト教の本質』のなかで、宗教とは、人間の自己疎外であり、現実の世界では実現できない人間的本質を理想化し、それを外に投影して作り出した幻想・空想が神であると言った。

 マルクスは、フォイエルバハの宗教批判をさらに現実批判へむけた。宗教は、社会的矛盾のために苦しむ民衆を来世の救済という空想によって欺いて、革命を阻んでいる。「宗教は民衆のアヘンである」。だから、ソ連、東欧諸国、共産中国、北朝鮮など、戦闘的無神論に立つ共産主義国家が、キリスト教を徹底的に弾圧したのは当然である。

結び

 無神論者にとっては、宗教とは幻想であり、科学的とは無神論的・自然主義的・唯物論的ということと同義語である。しかし、実際には、自然科学は有神論に立ってこそ堅固な認識の土台を持つことができる。ガリレオ、パスカル、ケプラーら自然科学者が同時に有神論者であり、ニュートンが少なくとも理神論者であって無神論者でないことを覚えておきたい。彼らにとって創造主の実在こそ自然科学の土台であった。自然界はインクがぶちまけられた紙くずではなく、一字一字ていねいに記された神から人類への手紙なのである。だからこそ人はこれを実験と観察によって読解できる。これが自然科学である。

14 自由と平等の幻想

1.自由という理念

 近代社会の理想は自由である。ヨーロッパの近代思想と政治の動きは、自由の実現を目指してのものであった。近代における自由は民主主義の実現ということと関係する。それは、自由とは主権者の所有するものであるからである。専制君主制の国家においては自由は国王のみが所有するものであった。そこで近代の課題は、人民が主権を獲得し、そこに人民の自由を実現することにある。

2.自由をめざすなら

 自由主義思想家が、自由を実現するための方法として提出してきた国家理念は二種類ある。一つはジョン・ロックの主張する自由主義であって、国家の個人への束縛を最小限度にとどめることによって、国民の自由を守ろうとする最小限国家論である。英国では憲法によって君主の権限を極力制限し、国民に対する束縛を最小限度にとどめるという立憲君主制を取った。「君臨すれども統治せず」という立場である。

 しかし、この最小限国家論の立場にも弱点がある。それは、国家が国民を制限する権限を放棄するならば、弱肉強食社会が生じるということである。富者はますます富み、貧者はますます貧しくなる。国家が社会を無制限に放置すれば、不平等社会が生じることは必然である。事実、産業革命時代に自由主義市場の資本主義体制の社会において、甚だしい社会的不平等が生じた。読者も教科書で、腰にトロッコをつながれた子どもが狭い坑道をはいずっている絵を見たことがあるだろう。

3.平等を目指すなら

 国民を放任すればそこには弱肉強食による不平等社会が生じてしまう。そこで、人民の自由を実現するためにもっとラディカルな方法として提案されたのは、ルソーに始まりマルクスへと展開する国家本位的自由主義である。それは、国家を人民が直接支配する機構に改造することにより、国家権力を通して人民の自由を保証せんとするのである。いわゆるプロレタリアート独裁体制がそれである。彼らにとって「自由とは人民による自治」にほかならない。この場合、当然国家の権限は極めて大きなものとなる。

 一見すると、国家本位的自由主義説は理想的に思われる。しかし、落とし穴がある。それは「人民による自治」とはいいながら、実際に人民全員が政治に直接参加することができない以上、人民の一部を代表者として統治に当たらせるほかはない。しかも、国家本位という体制からすれば、体制に対する自由な批判は許されない。国家の権限を弱めれば、資本主義的な不平等を招くことになる。すると、どうしてもその政治体制は特権化せざるをえない。

 平等を目指すためには、どうしても自由を制限するための強力な国家権力が必要となる。自由を目指せば、国家権力は弱いほうがよい。

 そして、この特権化した政治体制の権力者たちが「人民」とは何であるかを規定することになる。そもそも「人民」なるものは実際にはどこにも存在せず、現実には、「あの人」「この人」がいるだけである。ところがどの人にも「人民」というレッテルを押し付けて、人民であるならば、これを信じ、このように考え、このように行動しなければならない、そのようにしない者は「非人民」であるというならば、それは結局もっとも厳しい全体主義的思想統制にならざるをえない。

 このことは歴史が証明してしまった。東西ドイツの統一に向かう中で、東ドイツの状況が次のように報告されている。

 「東独では久しい間、『人民』という言葉は内容を失った偽りの概念になってしまっていた。たとえば、『人民議会』といいますが、これはいくつかの翼賛政党に名目上議席を与えて体裁は整えているものの、事実上はSEDの一党独裁で、人民の意志はまったく反映していませんでした。一事が万事で、到る所に『人民』という言葉が使われましたが、その実態は党の権力者たちの恣意的な決定に過ぎなかったのです。ですから、『今われわれが長い間の沈黙を破って声を挙げている、これこそが人民の声なのだ、党の権力者たちが言う人民は本当の人民ではない、われわれこそが人民である』というわけです。」この人民のエネルギーが、独裁体制を倒したのです。・・・」(村上伸、佐々木悟史『激動のドイツと教会』18ページ)

 極左は極右と同様に全体主義に陥る。この国家本位的自由主義は人民の自治政府を実現するまでは、その戦いは国家権力からの人民の解放を指向して「自由」を叫ぶ。が、ひとたび人民の自治政府が樹立されると、共産主義国での人民の自由とは国家イデオロギーへの盲従のほかの何者でもない。盲従せざるものは「非人民」である。

4.聖書はなんと教えるか

 聖書はなんと教えるか。現世においては、聖書は国家や政治にそれほど大きな期待をするなと教えているように思われる。なぜならば、人間は堕落しているからである。堕落した人間にさまざな権限を集中して持たせると、ろくなことにはならない。国家の職務は警察権・司法権の行使による悪の抑制と、徴税による富の再分配である(ロマ13)。つまり、為政者には外的・物的職務を託されているにすぎない。その意味で、上述ふたつの体制のうちいずれが聖書的国家観に近いかといえば、ロック流の最小限国家論の方である。

 しかし、旧約におけるヨベルの年のことを見れば、まったくの制限なしの自由主義ではなく一定の制限を付けた自由主義というところである。聖書はたいへん冷静で自由の夢にも平等の夢にも酔っ払わない。

 国家は国民に向かって人として生きる道などを説教してはならない。国家が、文部省という唇で「人生いかに生きるべきか」とか「正義とはなにか」などとペラペラしゃべり始めたらあぶない。その時文部省は小羊のような二本の角をもっていながら、しゃべることばは竜のことばであったという黙示録の第二の獣になっているのである(黙示録13:11)。そうさせないためには、本物の小羊の唇である教会こそが真理のことばをしっかりと語らねばならない。

 日本は明治を迎えた時、どのようにして幕藩体制のもとでばらばらであった日本列島の住民を統合するかが課題となった。そこで国家神道をもって日本国民を束ねようとした。神祇官・教部省そして文部省がその役割を果たした。欧米では、教会が果たした宗教的教育を日本では、公立学校が果たすことになった。


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Last-modified: 2019-05-15 (水) 12:29:57