礼拝メッセージ「世界標準のキリスト者」

礼拝メッセージ「世界標準のキリスト者」

聖書箇所:ローマ人への手紙1章1ー17節

私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。ローマ1:16―17

世の中には、2種類のキリスト者がいます。世界で通用する世界標準のキリスト者と、世に流されている世的キリスト者です。

世的キリスト者は、主として個人的満足を得るために神を見上げます。そして、神の目的のために自分を用いていただくことよりも、自分の目的のために神を利用しようとします。

一方、世界標準のキリスト者は、自分の目的のために神を利用しようとするのではなく、神の目的のために自分を用いていただこうとします。彼らは世界大の神のビジョンを受け止め、大海を知っています。

今日ほど、全世界に出て行くという使命を果たしていくことが容易になった時代はありません。神は、歴史上最も偉大にして、最も大きく、最も多彩で、最も重要な働きに、あなたを召しておられます。それは、神の国の働き、福音宣教・教会形成の働きです。

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礼拝メッセージ「礼拝の心」

礼拝メッセージ「礼拝の心」

聖書箇所:ローマ人への手紙12章1ー21節

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。ローマ人への手紙12:1

                
使徒パウロは、神に愛されている私たち一人一人に向かって、上記のように懇願しています。

なぜなら、ただ神のあわれみのゆえに、ただキリストの身代わりの十字架のゆえに、神は私たちの汚れたからだを聖なるものとしてくださり、喜んで受け入れてくださるからです。

本来神のものであり、買い戻されて(贖われて)再び神のものとされた私たちのからだを、生きた供え物として日ごとに神におささげする。神のものである私たちのからだを、日ごとに十字架の釘のあとがある御手に委ねる。これこそ理にかなった、神に喜ばれる霊的な礼拝です。

礼拝の心は、降伏することにあります。それは自分の限界を認め、神を信頼し、人生の主導権をめぐって神と格闘することを止めることです。降伏を通して、解放と勝利と平安がもたらされます。神に降伏して自分自身を神に明け渡す時、私たちの個性は初めて息を吹き返します。

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礼拝メッセージ「すべての意味」

礼拝メッセージ「すべての意味」

聖書箇所:ローマ人への手紙8章18ー39節

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。ローマ8:28

被造物全体が今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしている。しかし、今のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないもの。聖書はそのように語っています。

そして聖書は、「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」と語ります。ここにすべての意味を見出すことができます。すべてのこと、特に患難は、私たちをキリストのように変えるために、神が用いられるものの一つなのです。

私たちがキリストのように変えられ、キリストのように生きる。キリストのように父なる神を礼拝し、キリストのように隣人を愛し、キリストのように成長し、キリストのように仕え、キリストのように福音を宣べ伝える。そこにこそ神の栄光が現れ、神にすべての栄光を帰すことができるのです。

そのために、父、御子、御霊なる三位一体の神は、十字架のもとに力を合わせて、弱い私たちを圧倒的な勝利者にしてくださいます。

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