主日礼拝メッセージ「義と平和と聖霊による喜び」ローマ37

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聖書箇所:ローマ人への手紙14章13ー23節

15 もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているのなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。16 ですから、あなたがたが良いとしている事がらによって、そしられないようにしなさい。17 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。18 このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。 19 そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。20 食べ物のことで神のみわざを破壊してはいけません。すべての物はきよいのです。しかし、それを食べて人につまずきを与えるような人の場合は、悪いのです。21 肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、そのほか兄弟のつまずきになることをしないのは良いことなのです。 22 あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。23 しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。ローマ14章15−23節

礼拝メッセージ「つまずきの石」ローマ24

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聖書箇所:ローマ人への手紙9章30ー33節

30 では、どういうことになりますか。義を追い求めなかった異邦人は義を得ました。すなわち、信仰による義です。31 しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。 32 なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行いによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。 33 それは、こう書かれているとおりです。「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。」ローマ人への手紙9章30−33節

義を追い求めなかった異邦人は義を得ました。信仰による義です。世の罪を取り除く神の小羊として来られた主イエスを、キリスト(救い主)と信頼し、我の上に小羊イエスを頭として迎えることによる義です。「義」という漢字は非常に聖書的です。
しかしイスラエルは、まじめに熱心に義の律法を追い求めながら、義を得ることができませんでした。信仰によって追い求めることをしないで、行いによるかのように義を追い求めたからです。
イスラエルは「つまずきの石」につまずいたのだとパウロは語ります。「つまずきの石」とは、主イエス・キリストです。つまずきの石につまずき、妨げの岩によって挫折させられる人は幸いです。主イエスに信頼する者は失望させられることがないからです。

礼拝メッセージ「義人は信仰によって生きる」ローマ3

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聖書箇所:ローマ人への手紙1章16ー17節

私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。ローマ人への手紙1章16-17節

帝国の首都ローマにおいて、福音を恥と思ってしまうキリスト者がいたとしても不思議ではありません。パウロはそんな人々に配慮して、「私は福音を恥とは思いません」と語ります。なぜパウロが福音を恥と思わないのか、その理由は2つです。
①福音は信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力だから。
もし福音が、人を救うことができない無力なものであれば、あなたは福音を恥じることしかできないでしょう。けれども福音はあなたを救うことのできる神の力です。
②福音には神の義が啓示されていて、神の義は信仰によって人を義人として生かすから。
「義」という漢字は「我」の上に「羊」と書きます。「羊」とは主イエスです。主イエスを信頼し、あなたの上に迎えるならば、あなたは救われ、神との正しい関係・絆を回復することができます。主イエスは、あなたの罪を十字架によって取り除き、3日目に墓から復活され、今も生きておられます。