新約聖書が語る主イエス

新約聖書が語る主イエスは、一言で言えば、エホバの証人が証言するような「最も偉大な人間」ではありません。新約聖書が語る主イエスは、明らかに全てが、私たち人間とは質的に違います。まるで天と地の違いのように。そのような質的な違いが認識されていなければ、新約聖書が語っている啓示のメッセージを本当に聞いていることにはならないでしょう。

新約聖書が語る主イエスは、私たち人間を断罪しつつ、しかも解放する全権を持っておられるお方です。また、私たちを御許に召すと共に、御自身に結びつける全権を持っておられるお方です。そして、人間があらゆる宇宙的制約を持っているのに対して、宇宙的全権を持っておられるお方。主イエスとならんでは、他に先行者も後続者もない救い主・キリスト。すなわち「神の行為」であり「終末的な救いの出来事」であるお方です。主イエスは、「人間になられた神」であられ、万物を創造し、万物を支えておられる「神の言葉」です。

いのちのことば2017-3

いのちのことば 2017-3

閉塞感を突き破る神の言葉3

閉塞感を突き破る神の言葉<3> 神のことば=出来事
日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会牧師 野町真理

『雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。』イザヤ書55章10−11節

「神のことば」を表すヘブル語「ダバール」は、「出来事」とも訳すことができます。神のことばは必ず出来事になるからです。上記のみことばは、そんな神のことばの力強さを教えています。

旧約聖書には、閉塞感に囚われ、神の約束を信じられなかったアブラハムとその妻サラの姿が記されています。創世記17章17節が語るアブラハムは、本音と建前を使い分け、ひれ伏しながら作り笑いをします。信仰の父アブラハムも、閉塞感に囚われて神の約束を信じられなかったのです。夫婦は似てきます。創世記18章12節が語るサラもまた、神の約束を信じられませんでした。ニヒルな笑いが響くサラの心の中は、まるで氷点下です。

厳密な意味で、私たちが信じたとおりにしかならないのなら、閉塞感に囚われた者に救いはありません。静かにあきらめ、ニヒルに笑う仮面の道化師として、行き止まりの路地裏で死ぬ以外に道はありません。アブラハム夫婦がイサクを授かることもなかったでしょう。アブラハムの子孫としてイエス・キリストが来られるクリスマスも、十字架で私たちのために死なれたキリストが復活するイースターもなかったでしょう。

しかし、「神のことば」は、聖書信仰によって「出来事」と訳すことができます。なぜなら聖書に書き記された神のことばは、私たちの閉塞感を突き破って、時が来れば必ず出来事になるからです。アーメン。主イエスの再臨と救いの完成がますます近づいています。閉塞感を突き破る神のことばをしっかりと握りしめ、天を見上げて地上を旅しましょう。

いのちのことば2017-1

いのちのことば2017-1

いのちのことば社というキリスト教出版社がある。そのいのちのことば社の書評誌、月刊「いのちのことば」の巻頭言を3回シリーズで書かせていただいた。世界を覆っている、閉塞感という名の暗雲を、跡形もなく吹き飛ばすはじめの一歩となりますように。

閉塞感を突き破る神の言葉1

閉塞感を突き破る神の言葉<1>
日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会牧師 野町真理

『ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。』ルカ福音書1章20節

 ルカ福音書1章には、閉塞感に囚われていた祭司ザカリヤと彼の妻エリサベツが登場します。忠実な二人でしたが、祈りが答えられない年月によって年輪を重ねた結果、御使いによって子どもを授かると聞いても信じられませんでした。もう年ですから。長い間祈りが答えられない中での高齢化は、じわじわと効いて私たちを閉塞感へと誘います。けれども不妊の女だったエリサベツは、全能の神によって身ごもり、高齢出産でも守られ、キリストの道備えをするバプテスマのヨハネの母とされました。

 ザカリヤは不信仰であった故に、神の言葉が出来事になるまで、期間限定でものが言えなくなりました。けれども神の言葉は、人の不信仰を超えて、その時が来れば実現したのです。『私のことばを信じなかったからです。(けれども)私のことばは、その時が来れば実現します。』と聖書は語ります。「信じなかったから、あなたはもうおしまい。あなたの信仰の通りにしかならないから。」と切り捨てると、もはやキリスト教ではなくキリステ教になってしまいます。聖書の語る福音は、信じられない者にとっても福音です。

 厳密な意味で、私たちが信じたとおりにしかならないのなら、全能の神の素晴らしいご計画は、計画倒れになるでしょう。世界宣教によって宇宙を再創造するという神の壮大なご計画は凍結し、私たちは閉塞感の中で滅んでいくしかありません。しかし神の言葉は、私たちの不信仰を突き破って、時が来れば必ず出来事になります。そのことを聖書は力強く証言しています。閉塞感を突き破る神の言葉を体験する。それが世界を覆っている暗雲を跡形もなく吹き飛ばすはじめの一歩です。

閉塞感を突き破る神の言葉<1>

閉塞感を突き破る神の言葉<1>
日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会牧師 野町真理

『ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。』ルカ福音書1章20節

 ルカ福音書1章には、閉塞感に囚われていた祭司ザカリヤと彼の妻エリサベツが登場します。忠実な二人でしたが、祈りが答えられない年月によって年輪を重ねた結果、御使いによって子どもを授かると聞いても信じられませんでした。もう年ですから。長い間祈りが答えられない中での高齢化は、じわじわと効いて私たちを閉塞感へと誘います。けれども不妊の女だったエリサベツは、全能の神によって身ごもり、高齢出産でも守られ、キリストの道備えをするバプテスマのヨハネの母とされました。

 ザカリヤは不信仰であった故に、神の言葉が出来事になるまで、期間限定でものが言えなくなりました。けれども神の言葉は、人の不信仰を超えて、その時が来れば実現したのです。『私のことばを信じなかったからです。(けれども)私のことばは、その時が来れば実現します。』と聖書は語ります。「信じなかったから、あなたはもうおしまい。あなたの信仰の通りにしかならないから。」と切り捨てると、もはやキリスト教ではなくキリステ教になってしまいます。聖書の語る福音は、信じられない者にとっても福音です。

 厳密な意味で、私たちが信じたとおりにしかならないのなら、全能の神の素晴らしいご計画は、計画倒れになるでしょう。世界宣教によって宇宙を再創造するという神の壮大なご計画は凍結し、私たちは閉塞感の中で滅んでいくしかありません。しかし神の言葉は、私たちの不信仰を突き破って、時が来れば必ず出来事になります。そのことを聖書は力強く証言しています。閉塞感を突き破る神の言葉を体験する。それが世界を覆っている暗雲を跡形もなく吹き飛ばすはじめの一歩です。

杉戸キリスト教会礼拝メッセージ2016

マタイ福音書講解の続き

20160103新年聖餐礼拝メッセージ「預言者ヨナのしるし」(クリックで聴けます)

20160110礼拝メッセージ「キリストの母と兄弟たち」(クリックで聴けます)

20160117礼拝メッセージ「実を結ぶ人の秘訣」(クリックで聴けます)

20160124礼拝メッセージ「収穫の時期になったら」(クリックで聴けます)

20160131礼拝メッセージ「最小から最大へ」(クリックで聴けます)

20160207聖餐礼拝メッセージ「耳のある者は聞きなさい」(クリックで聴けます)

20160214礼拝メッセージ「ハイリスク・ハイリターン」(クリックで聴けます)

20160221礼拝メッセージ「郷里伝道」(クリックで聴けます)

20160228礼拝メッセージ「娘の願い」(クリックで聴けます)

20160306聖餐礼拝メッセージ「五つのパンと二匹の魚」(クリックで聴けます)

20160313礼拝メッセージ「主よ助けてください」(クリックで聴けます)

20160320礼拝メッセージ「着物のふさ」(クリックで聴けます)

20160327復活祭召天者記念礼拝メッセージ「再会の時」(クリックで聴けます)

20160403聖餐礼拝メッセージ「人を汚すもの」(クリックで聴けます)

20160410礼拝メッセージ「食卓から落ちるパンくず」(クリックで聴けます)

20160417礼拝メッセージ「七つのパンと魚」(クリックで聴けます)

20160424礼拝メッセージ「パンとパン種」(クリックで聴けます)

20160501聖餐礼拝メッセージ「キリストの教会」(クリックで聴けます)

20160508歓迎礼拝メッセージ「御子、主イエスと同じ姿に完成させてくださる神の愛」(クリックで聴けます)

みんなで伝道する教会になるセミナー(クリックで聴けます)

20160515ペンテコステ礼拝メッセージ「聖霊の注ぎ」(クリックで聴けます)

20160522礼拝メッセージ「全世界を手に入れても」(クリックで聴けます)

20160529礼拝メッセージ「わたしの愛する子」(クリックで聴けます)

20160605聖餐礼拝メッセージ「山を動かす信仰」(クリックで聴けます)

20160605宣教夕拝メッセージ「和解の務め」(クリックで聴けます)

20160612礼拝メッセージ「最初に釣れた魚」(クリックで聴けます)

20160619父の日歓迎礼拝メッセージ「父の御顔」(クリックで聴けます)

20160626礼拝メッセージ「ふたりでも三人でも」(クリックで聴けます)

20160703聖餐合同礼拝メッセージ「主が赦されたように」(クリックで聴けます)

20160710礼拝メッセージ「結婚、離婚、独身」(クリックで聴けます)

20160717礼拝メッセージ「子どもたちのための国」(クリックで聴けます)

20160724礼拝メッセージ「先があと、あとが先に」(クリックで聴けます)

20160731朝霞聖書教会礼拝メッセージ「苦しみがもたらすもの」(クリックで聴けます)

20160807聖餐礼拝メッセージ「気前がいい神」(クリックで聴けます)

20160814礼拝メッセージ「神の国で偉い人」(クリックで聴けます)

20160821礼拝メッセージ「神を立ち止まらせる祈り」(クリックで聴けます)

20160828礼拝メッセージ「馬ではなくロバの子」(クリックで聴けます)

20160904聖餐礼拝メッセージ「宮の中の出来事」(クリックで聴けます)

20160911礼拝メッセージ「信じて祈り求めるもの」(クリックで聴けます)

20160918朝霞聖書教会礼拝メッセージ「天を見上げて地上を旅する」(クリックで聴けます)

20160925礼拝メッセージ「先に神の国に入る者」(クリックで聴けます)

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福音、その最もたいせつなこと

福音、その最もたいせつなこと
万年筆聖句書道

杉戸キリスト教会礼拝メッセージ2016

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アルケミスト 夢を旅した少年

アルケミスト 夢を旅した少年

「おまえが何かを望む時には、宇宙全体が協力して、それを実現するために助けてくれるのだよ」p29

上記の言葉は、聖書の原則に沿って以下のようにするといい。「おまえが主なる神のみこころにかなった何かを望む時には、三位一体の神が協力して宇宙全体を動かし、それを実現するために助けてくれるのだよ!」
根拠となる聖書のみことばは、以下に記す1ヨハネの手紙5章14−15節。

何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。

創世記1章に啓示された天地創造の経緯

創世記1章に啓示された天地創造の経緯(加筆修正中)

初めに、神が天と地を創造した。創世記1章1節

創世記1章において固定されている視点は、あくまでも地球表面からのパースペクティブである。根拠は1章2節に「地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。」と記されている通り。カメラのアングルはあくまでも地球表面なのだ。その時はまだ陸地がなかったので、アングルは水上に固定・フィックスされている。あくまでも地球表面上からの眺めであって大気圏外からの眺めではない。つまり宇宙から地球を見る視点ではない。この点に注意しながら天地創造の経緯に耳を傾けてみよう。すると驚くほど、科学的にも納得できる記述が立ち現れてくる。
※ただし天地創造の経緯を見た人間は誰もいない。人間の観察記録ではない。これはあくまでも創造主からの啓示によって明らかにされた内容である。

1日目

神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。神は光を見て良しとされた。神は光とやみとを区別された。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。

万物を創造された神は、一日目にまず、やみに覆われていた地球表面、その水面にまで光が届くようになさった。創造主なる神は、そのようにして夜しかなかった地球表面に夜明けと昼をもたらされた。

2日目

神は仰せられた。「大空が水の真っただ中にあれ。水と水との間に区別があれ。」神は大空を造り、大空の下の水と、大空の上の水とを区別された。そのようになった。神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。

昼間に地球表面に光が届くようになると、やがて暖められた水は気体となって蒸発し、大空の上の水(水蒸気・雲)となり、大空の下の水と区別された。

3日目

神は仰せられた。「天の下の水が一所に集まれ。かわいた所が現れよ。」そのようになった。神はかわいた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神はそれを見て良しとされた。神は仰せられた。「地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、種類にしたがって、地の上に芽ばえさせよ。」そのようになった。地は植物、すなわち種を生じる草を、種類にしたがって、またその中に種がある実を結ぶ木を、種類にしたがって生じさせた。神はそれを見て良しとされた。夕があり、朝があった。第三日。

地球表面に届くようになった光。その光によって暖められた水はどんどん蒸発して地球表面を覆っていた水は次第に空に引き上げられた。水かさが減ると地が顔を出しやすくなる。それと同時に火山活動とプレートの移動で地が形成されていった。

やがてかわいた地に、神は緑の植物を種類にしたがって植えられた。植物の光合成によって、この後大気も整えられていく。農業を試みようとするなら種が必要であるが、神は種を生じる植物をその種類に従ってデザインされ、植えられた。
穀物(米・稲、小麦、トウモロコシ、大麦、ライ麦、はと麦、ソバ、アワ、ヒエなど)
豆類(大豆、枝豆、そら豆、レンズ豆、エンドウ豆、インゲン豆、小豆、黒豆、グリーンピース、落花生・ピーナッツ、イナゴ豆など)
芋類(ジャガイモ、サツマイモ、里芋、山芋、蒟蒻など)
野菜(人参、玉葱、シソ、葱、長葱、ニラ、大根、ゴボウ、レンコン、茄子、キャベツ、レタス、セロリ、トマト、キュウリ、オクラ、よもぎ、菜の花、ピーマン、パプリカ、シシトウ、唐辛子、芥子、南瓜、もやし、白菜、春菊、ほうれん草、小松菜、水菜、みつば、青梗菜、菊、ワラビ、ゼンマイ、竹の子、フキ、イタドリ、タラ、ウド、ワサビ、つくし、らっきょう、ニンニク、生姜、ミョウガ、瓜、冬瓜、ゴーヤ、ブロッコリー、カリフラワー、アスパラガス、モロヘイヤ、ケールなど)
果樹(葡萄、無花果、林檎、梨、桃、栗、柿、蜜柑、小夏、文旦、柚、酢橘、バナナ、オレンジ、グレープフルーツ、梅、杏、銀杏、クルミ、カシューナッツ、ココナッツ、アーモンド、胡麻、マンゴー、パイナップル、パパイヤ、ドリアン、プルーン、プラム、アボガド、ストロベリー・苺、ブルーベリー、ブラックベリー、ラズベリー、サクランボ、スイカ、メロン、ザクロなど)
しいたけ、ぶなしめじ、マッシュルーム、えのきたけ、きくらげ、舞茸、なめこ、松茸など
緑茶、紅茶、珈琲、カカオ、ルイボス、サトウキビ、肉桂・シナモンなど
植物の種や草や果樹は、すべて人間と生き物たちの食べものや飲みもの、そして薬として備えられた。すべては私たち人間と生き物たちが健康で豊かに生きていける生活環境、喜びの園エデン(エデンは喜びの意味)を整えるためであった。

4日目

神は仰せられた。「光る物が天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のためにあれ。また天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」そのようになった。神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、また昼と夜とをつかさどり、光とやみとを区別するようにされた。神はそれを見て良しとされた。夕があり、朝があった。第四日。

ここでも地球表面からのアングルで書き記されているという視点が大切である。光合成する植物によって、地球の大気は次第に透明度を増していった。その結果、地球の表面から太陽と月、そして夜空にまたたく星たちがはっきりと見えるようになった。夕には、西のそらを美しく夕焼けで染めながら太陽が沈み、夜には満天の星空が夜空を駆け巡る。北極星、北斗七星、カシオペア座、オリオン座、スバル、そして南十字星。天の川。そして朝になるとやみを切り裂いて太陽が規則正しく東から昇り、昼には勇者のようにその走路を走る。規則正しく動く天体は東西南北のしるしとなり、春夏秋冬という季節をもたらし、夕があり朝があるという1日のリズム、そして1年というサイクルをもたらすために人間に仕える存在とされた。太陽と地球の距離も絶妙に配置された。光速で約8分かかる距離。原子力エネルギーの起こす暖(the warmth of atomic energy)、原子力的な日光(the warmth of atomic sunshine)。少しでも離れているなら地上は氷河となり、少しでも近づくなら地上は灼熱となる。すべては偶然ではなく、すべてに意味と目的、存在価値がある。天体あるいはこの宇宙そのものは神ではなく、神がデザインした作品である。日本だけでなく、世界各国で月、星、太陽は神とされ、拝む対象とされている。だからあえてここでは、太陽とか月という言葉は使われていない。

5日目

神は仰せられた。「水には生き物が群がれ。鳥が地の上、天の大空を飛べ。」神は、海の巨獣と、種類にしたがって、水に群がりうごめくすべての生き物と、種類にしたがって、翼のあるすべての鳥を創造された。神はそれを見て良しとされた。神はそれらを祝福して仰せられた。「生めよ。ふえよ。海の水に満ちよ。また鳥は地にふえよ。」夕があり、朝があった。第五日。

すべての水中生物と翼のあるすべての鳥類。創造主はそれらを種類にしたがってデザインされ、創造された。

プランクトン、めだかからジンベイザメまで、小鮒からカジキマグロまで、ダイオウイカからリュウグウノツカイや提灯アンコウまで。秋刀魚、鰯、鯵、鯖、鮭、鰹、鱈、鰤、飛魚、鰻、平目、鰈、鱸、平鱸、河豚、真鯛、黒鯛、石鯛、石垣鯛、鯉、鮎、山女魚、鯰、岩魚、草魚、青魚、雷魚、シシャモ、ニシン、アメゴ、ハヤ、オイカワ、ワカサギ、シロギス、ナイルパーチ、ウルメイワシ、ママカリ・サッパ、クロマグロ、メバチ、ビンナガ、キハダ、レイクトラウト、ブラウントラウト、キングサーモン、ウマズラハギ、メジナ、キビレ、サヨリ、ハゼ、ムツゴロウ、マンボウ、ヒラマサ、ミノカサゴ、カサゴ、ハリゼンボン、ボラ、ハクレン、コクレン、イトウ、バラマンティ、赤目、クエ、カマス、オニカマス、ゴンズイ、アイゴ、マゴチ、シイラ、メバル、ロウニンアジ・ジャイアントトレヴァリー(GT)。
伊勢エビ、ロブスター、手長エビ、カニ、ザリガニ、イカ、タコ、ウニ、ナマコ、アメフラシ、クラゲ、エイ、ヒトデ、タツノオトシゴ。
あさり、蛤、かき、ほたて貝、シジミ、珊瑚、イソギンチャク、クマノミ、チョウチョウウオ、コバルトスズメ、グッピー、エンゼルフィッシュ、コリドラス、ピラニア、ピラルク、海亀、スッポン、イルカ、鯨、シャチ、ホオジロザメ、シュモクザメ、チョウザメ、アリゲーターガー、ノーザンパイク、ブラックバス、テラピア、ウミヘビ、ウツボ、アザラシ、アシカ、トドなど。


ペンギン、雀、雲雀、鳩、山鳩、アオバト、アオゲラ、アカショウビン、アカエリカイツブリ、インコ、ウグイス、ウズラ、カワセミ、カラス、カモメ、カワウ、カケス、鶏、燕、鷲、鷹、ハヤブサ、ハゲタカ、サギ、白鳥、鶴、鴨、キジ、孔雀、ホトトギス、メジロ、シジュウカラ、オナガ、コマドリ、ヒヨドリ、フクロウ、コノハズク、ブッポウソウ、コウノトリ、フラミンゴ、九官鳥、トキ、モズ、ヤマセミ、ヤンバルクイナ、ヨタカ、雷鳥、ルリビタキ、ダチョウなどなど。
実に創造主は多様性を愛される。そして創造主は小さないのちを大切にしてくださる。一羽の雀でさえも、父なる神の許しなしには地に落ちない(新約聖書マタイ福音書10章29節参照)。鳥によって植物の種はより遠くまで運ばれ、植物は全地にふえ広がっていった。

6日目

神は仰せられた。「地が、種類にしたがって、生き物を生ぜよ。家畜や、はうもの、野の獣を、種類にしたがって。」そのようになった。神は、種類にしたがって野の獣を、種類にしたがって家畜を、種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神はそれを見て良しとされた。
神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」そのようになった。神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。


犬、猫、羊、山羊、馬、シマウマ、牛、豚、ロバ、ラバ、ラクダ、狼、コヨーテ、ライオン、虎、チーター、ヒョウ、ハイエナ、ツキノワグマ、ヒグマ、ホッキョクグマ、鹿、トナカイ、ヘラジカ・ムース、カモシカ、猪、狸、狐、アライグマ、ハクビシン、アナグマ、パンダ、レッサーパンダ、キリン、象、サイ、バッファロー、アメリカバイソン、猿、ゴリラ、オランウータン、マントヒヒ、ナマケモノ、コアラ、カンガルー、アリクイ、ネズミ、ウサギ、リス、プレーリードッグ、もぐら、ハリネズミ、山嵐、ムササビ、ビーバー、ラッコ、カワウソ、ヌートリア、カピバラ、蛇、トカゲ、イグアナ、カメレオンなどなど。
実に多様性を愛される神は、種類にしたがって様々な地上の生き物を造られた。そして万物創造の最後に、創造主は何を造られたのか?それが私たち人間である。
あなたは偶然の産物ではない。神があなたを最高傑作、マスターピース、創造の冠として創造された。だからあなたには存在価値がある。あなたにしかできない使命がある。そしてあなたの人生には意味がある。
続く(加筆修正中)・・・