SUGITO GOSPEL CAFE HD 2018-04-27

ダビデ王の所信表明 祈祷会ノート

ダビデ王の所信表明 旧約聖書・詩篇101篇より

現代日本においては、政治家、官僚、そして資本家という三者が一体になって、この国の政治システムを形成しています。長い時を経て生活習慣病になっている人の体質改善が容易でないように、長い経緯の中で金や利権が複雑に絡み合った政治システムの体質改善は容易ではありません。そんな中、体質改善を促す解毒剤のような詩篇101篇に、まずはじっくりと耳を傾けましょう。

指導者の中の真実
1 私は、恵みとさばきを歌いましょう。主よ。あなたに、ほめ歌を歌いましょう。
2 私は、全き道に心を留めます。
いつ、あなたは私のところに来てくださいますか。
私は、正しい心で、自分の家の中を歩みます。
3 私の目の前に卑しいことを置きません。私は曲がったわざを憎みます。
それは私にまといつきません。
4 曲がった心は私から離れて行きます。私は悪を知ろうともしません。

構成員の中の真実ー国の中の真実な人たち
5 陰で自分の隣人をそしる者を、私は滅ぼします。
高ぶる目と誇る心の者に、私は耐えられません。
6 私の目は、国の中の真実な人たちに注がれます。
彼らが私とともに住むために。全き道を歩む者は、私に仕えます。
7 欺く者は、私の家の中には住みえず、
偽りを語る者は、私の目の前に堅く立つことができません。
8 朝ごとに、私は国の中の悪者をことごとく滅ぼします。
それは主の都から、不法を行う者をことごとく断ち切るためです。

kitokai20120502

礼拝メッセージ「罪をおおわれた人たちの幸い」ローマ9

礼拝メッセージ「罪をおおわれた人たちの幸い」ローマ9(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙4章1ー16節

それでは、肉による私たちの父祖アブラハムの場合は、どうでしょうか。もしアブラハムが行いによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた」とあります。働く者の場合に、その報酬は恵みでなくて、当然支払うべきものとみなされます。何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。ダビデもまた、行いとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。主が罪を認めない人は幸いである。」 ローマ4章1-8節

今年も受難週を迎えました。春を迎えるために厳しい寒さを通らなければならないように、イースター(復活祭)を迎えるためには、厳しい受難週を通らなければなりません。

同様に、あなたが罪をおおわれた人たちの幸いに至るには、あなたが自分の罪深さと無力さをごまかさずに認め、自分で自分を救えないことを素直に認め、神に降伏することがどうしても必要です。

何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、アブラハムやダビデのように、その信仰が義とみなされるのです。罪がおおわれるとは、神があなたの罪を完全に忘れてくださり、すべてなかったことにしてくださるという恵みです。

祈りの小道の道しるべ

「祈りの小道の道しるべ」 旧約聖書・詩篇86篇(ダビデの祈り)より(祈祷会ノート)

祈りの小道において、道に迷わないためには、小さくても確かな道しるべが必要です。迷っても無事に目的地にたどり着くために、祈りの小道の道しるべを見つけましょう。