礼拝メッセージ「虹の彼方に Over the Rainbow」

Over the Rainbow 虹の彼方に

礼拝メッセージ「虹の彼方に Over the Rainbow」(クリックで聴けます)

聖書箇所:創世記9章1−17節

わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現れる。わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。」創世記9章13-16節

ノアの真摯な礼拝に応答して、神は虹の契約を立ててくださいました。けれども、終末時代に生かされている私たちには、以下のような神の忍耐と望みが、虹の彼方に啓示されています。

『当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。』2ペテロ3章6-9節

話す祈りと聞く祈り

話す祈りと聞く祈り

会話が「話すこと」と「聞くこと」によって成り立つように、祈りにも「話す祈り」と「聞く祈り」があります。聖書は、「話す祈り」よりも「聞く祈り」の方が大切であることを覚えています。

伝道者の書5:1-2には、

『神の宮へ行くときは、自分の足に気をつけよ。近寄って聞くことは、愚かな者がいけにえをささげるのにまさる。神の前では、軽々しく、心あせってことばを出すな。神は天におられ、あなたは地にいるからだ。…』

と語られています。

イザヤ書48:17-18には、

『あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。…』

と語られています。

主の祝福を受ける秘訣は、「日毎に御言葉に耳を傾けて聞く祈り」にあります。そして、その時にこそ、神に自らの自己中心な願いを聞いてもらうための熱心な祈りではなく、神が自分に対して願っておられるみこころに生きるための熱心な祈りを捧げることが可能となる。そんなことを覚えさせられています。

礼拝式における祝祷について

礼拝式における祝祷について

主の日(日曜日)ごとの礼拝式において、キリスト教会で行なわれていることは何でしょうか?

それは、一つ所(教会堂)に呼び集められた神の民(教会)が、御言葉(聖書)によって取り扱われ、自らのからだを、十字架の故に、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげること。そして、自らを委ねた復活の主の御手の中から、一人一人、それぞれの生活の場に、祝福の基として派遣される、散らされるということではないでしょうか。

祝祷は、もう一度散らされて、一人一人、それぞれの生活の場に、祝福の基として派遣される際になされます。

その時、牧師は何をしているのでしょうか?

その時、牧師は、三位一体の主の祝福が、散らされて派遣されていくお一人お一人の上に、豊かに限りなくありますようにと祈ります。牧師は祝祷において、派遣されるお一人一人の上に、祝福の祈りを捧げています。そしてそれは同時に、お一人お一人に対する派遣の宣言でもあります。

私たちは、祝福の基として世界に遣わされるために集められるのですから、礼拝式において、司会者、奏楽者、説教者、そしてすべて集められた礼拝の民が目指すべきことは、祝祷においてクライマックスを迎えると言っても過言ではないと私は考えています。

世界を変えるために派遣されるお一人お一人が聖霊に満たされ、上からの祝福に満ち満ちるようにと、祝祷の時牧師は祈っているのです。

礼拝メッセージ「神の決意」

神の決意

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聖書箇所:創世記8章15−22節

主は、そのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」創世記8章21-22節

大洪水が起こってから1年後、神の導きに従って箱舟から出たノアが、最初にしたことは何だったでしょうか。それは神を礼拝することでした。

ノアは、主なる神のために祭壇を築き、祭壇の上で全焼のいけにえをささげました。ノアの礼拝に応答して、神は上記のみことばのように決意されました。けれども、終末時代に生かされている私たちには、以下のような神の忍耐と望みが啓示されています。

『しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。』2ペテロ3章7-9節

礼拝メッセージ「オリーブの若葉 New Olive Leaf」

オリーブの若葉 New Olive Leaf

礼拝メッセージ「オリーブの若葉 New Olive Leaf」(クリックで聴けます)

聖書箇所:創世記8章1−14節

それからなお七日待って、再び鳩を箱舟から放った。鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ。むしり取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地から引いたのを知った。創世記8章10-11節

ノアのストーリーには、以下のような美しい文学的対称構造(集中構造)が見られます。

     H 箱舟に入るノア家族と生き物たち 7:13
    I 箱舟の戸を閉ざされた神     7:16
   J 大洪水             7:17
  K 増水によっておおわれた山々の頂 7:19
 L 150日間ふえ続けた水     7:24
M ノアたちを心に留めておられた神 8:1
 L’ 150日目に引き始めた水    8:3
  K’ 減水によって現れた山々の頂   8:5
   J’ かわいた地の面         8:13
    I’ 箱舟のおおいを除くノア     8:13
     H’ 箱舟を出るノア家族と生き物たち 8:18

集中構造の中心、まさに分水嶺は、以下に記す8章1節です。

『神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。それで、神が地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めた。』

峠を越えているのに、ノアたちはオリーブの若葉をなかなか見ることができませんでした。同様に、すぐに答えを見ることができなくても、すでに私たちの祈りは、神に聞き届けられています。問題は峠を越え、神によって解決に向かっているのです。

U2 魂の歌を求めて WALK ON: THE SPIRITUAL JOURNEY OF U2

「普通の社会で通用しないなら、そりゃあダメでしょ!」

ぜひお勧めの本です!

日本で最初のプロテスタント教会(横浜海岸教会)

日本で最初のプロテスタント教会(横浜海岸教会)

横浜(海岸教会)→和戸教会→杉戸教会→粕壁教会(現春日部)・・・。戦前の埼玉県宮代町及び杉戸町地域への福音宣教の歴史は、この横浜海岸教会から始まっています。

IN GOD’S HANDS(イン・ゴッズ・ハンズ)

ジョーズ(JAWS)という言葉には、以下の3つの意味がある。

1、1975年公開のアメリカ映画。
2、英語で「顎」(あご)という意味。
3、アメリカ合衆国ハワイ州のマウイ島の東側の沖に発生する、世界でも最大級のうねり。

JAWS(ジョーズ)と呼ばれる伝説のビッグウエーブに、命をかけて挑戦していくトップ・プロサーファーたちのドラマ、IN GOD’S HANDS(イン・ゴッズ・ハンズ)。スタントなし、本物のサーファーたちが主役を演じる素晴らしい映画です。死という問題も真っ向から取り上げています。

実は私、愛知県豊橋市にいた時、ある方の勧めでサーフィンをほんの少しだけ体験したことがあります。遠州灘にはサーフィンができるいい波が打ち寄せているのです。立つことが出来ず、ボディボードのようにしか乗れませんでしたが、ザビエル野町というあだ名と共に、波乗り牧師と呼ばれたこともあります。

今は、主イエス様の大宣教教育命令に従って、主なる神が起こされる世界最大級のうねり、JAWSに乗って、JapanとAsiaとWorldに仕えるServant、波乗り牧師を目指します。

世界最大級の波、JAWSに乗ってワールドミッションサーフィンをするためには、情熱と共に、熟練技術が必要不可欠である。

自ら波を作ろうなどと不可能なことに力を注ぐと、徒労に終わる。

労苦奮闘しても、熟練技術を身につける努力を怠っているなら、大波が来ても、乗ることが出来ず、波に呑まれてしまう。

伝道者の書に「もし斧が鈍くなったとき、その刃をとがないと、もっと力がいる」と記されている通り。

JAWSに乗る、すなわち、日本(Japan)と、アジア(Asia)と、世界(World)に仕えるしもべ(Servant)となるためには、聖書通読、聖霊に満たされ続ける祈り、礼拝する日常、聖書研究といった、日々の地道な訓練によって、体力、気力、バランス感覚、霊的判断力などを磨き上げなければならない。

P.S.杉戸にはRADIXというサーフショップがあります。

三浦綾子さんの小説、「塩狩峠」の中で紹介される遺書と遺言

三浦綾子さんの小説、「塩狩峠」の中で紹介される遺書と遺言

主人公の父、永野貞行の遺書と遺言

「人間はいつ死ぬものか自分の死期を予知することはできない。ここにあらためて言い残すほどのことはわたしにはない。わたしの意志はすべて菊が承知している。日常の生活において、菊に言ったこと、信夫、待子に言ったこと、そして父が為したこと、すべてこれ遺言と思ってもらいたい。わたしは、そのようなつもりで、日々を生きて来たつもりである。とは言え、わたしの死に会って心乱れている時には、この書も何かの力になることと思う。

一、信夫は永野家の長男として母に孝養を尽し、妹を導き、よき家庭の柱となって欲しい。

一、ただし、立身出世を父は決して望んではいない。人間としての生き方は、母に学ぶがよい。

一、信夫は、特に人間として生まれたということを、大事に心に受け止めて、真の人間になるために、格別の努力を為されたい。

一、わたしは菊の夫とし、信夫、待子の父として幸福な一生であった。それはすべて神が与えたもうたからである。

一、父の死によって経済的に困窮することがあるとしても、驚きあわてないこと。必要なものは必ず神が与えたもう。

一、わたしの葬儀は、キリスト教式で行われたい。

以上、このごろ時々疲れを甚だしく覚えるので、万一の為に記して置く。

貞行

一月十四日

菊殿

信夫殿

待子殿」

自分の日常がすなわち遺言であるような、そんなたしかな生き方。

常に死を覚悟して生きて来た姿。

聖書の中に記されたJesusのリビング・ウイル

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」…ヨハネ13:34-35

礼拝メッセージ「大洪水 The Floodwaters」

大洪水 The Floodwaters

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聖書箇所:創世記7章1−24節

それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。それから、大洪水が、四十日間、地の上にあった。水かさが増していき、箱舟を押し上げたので、それは、地から浮かび上がった。水はみなぎり、地の上に大いに増し、箱舟は水面を漂った。水は、いよいよ地の上に増し加わり、天の下にあるどの高い山々も、すべておおわれた。水は、その上さらに十五キュビト増し加わったので、山々はおおわれてしまった。創世記7章16-20節

救いの箱舟のドアは、約100年の間、ずっと開かれ続けていました。しかし救いのドアは永遠に開かれているわけではありません。長い忍耐の後、主はノアのうしろの戸を、しっかりと閉ざされました。

『その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところに行って、みことばを語られたのです。昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。1ペテロ3:19-21』

聖書の神は愛であられるので、「早くからたびたび」悔い改めて救いの舟の中に入るようにと罪人を招き続けられます。けれども、悔い改めて救いのドアから入ることを拒み続けるなら、やがて恵みの時は終わります。大洪水は容赦ない厳粛なものでした。