礼拝メッセージ「逃亡生活」

逃亡生活

礼拝メッセージ「逃亡生活」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ヨナ1章

アミタイの子ヨナに次のような主のことばがあった。「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」しかしヨナは、主の御顔を避けてタルシシュへのがれようとし、立って、ヨッパに下った。ヨナ1章1-3節

「謎めいた「ヨナ書」を風刺作品として読んでもその細部は説明し尽くせないであろうが、ヨナ物語の他のどんな読み方よりも多くの点を解明するであろう。物語作者がやっつけようとする相手の態度を擬人化したものが主人公なのである。つまり、作品の風刺攻撃のおもな手段がヨナ自身なのである。ヨナ物語はおしゃれな風刺と呼べる文学形式に属する。風刺作家は見事な腕前で自分の物語を話し、そのなかに自分の風刺を完全に具現化している。彼は自分の怒りを露骨に示し、腹にあることをすぐ口にするような男ではない。そうする代わりに彼は、物語中にすっかり身を隠す。それとすぐわかる人物として登場することはない。

 風刺の攻撃対象は、神をイスラエルの独占物とし、神の恩寵の普遍性を認めようとしない熱心な国粋主義である。ヨナのいちばんの問題点は神学的と言える。つまり、彼は神の普遍的愛という事実を認めようとしない。それゆえヨナ物語は、神を信じながらも、異邦人を神の怒りの対象と見るだけで、異邦人もまた神の救いに値する罪人であるとは考えないイスラエルへの、矯正手段なのである。」

リーランド・ライケン『聖書の文学』すぐ書房、
1990年、401頁より引用

逃亡生活

逃亡生活

日時:2011年 5月 1日(日)第1主日聖餐礼拝式
   ★第一礼拝・・・・・・・午前10時半~12時 
   ★第二礼拝・・・・・・・午後8時~9時
    聖書箇所:ヨナ章1章
    説教題:「逃亡生活」
    説教:野町真理(日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会牧師)

   ★スマイルキッズ(幼児・小学生向け)第一週は第一礼拝に合流
   ★Jesus Junior(中高生から青年向け)・午後3時~

どなたでもお集いください。初めての方も大歓迎です。

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原子力発電所問題に取り組むために

2011年4月28日更新

原子力発電所問題に取り組むためには、まず私たちの内にある問題(聖書では罪と呼ぶ)に向き合い、立ち向かわなければならない。私たちの内にある問題は、高慢、虚偽、怠惰という3つの形で表面化する。

1、高慢という罪
地位や権力やお金を手にして、なお高慢にならない人がいるだろうか。学歴や業績や経験によって、自分を他の人よりも優れていると思わない人がいるだろうか。そんな人はいない。その結果、自分を過信し、技術や科学を過信し、絶対安全だとか絶対大丈夫だという言葉を、癒着しながら大まじめに口にすることができるようになる。そのような高慢はどこから生じるのだろうか。そのような高慢は、自分が神になろうと試みるところから生じる。その高慢は、「神はいない。私は造られたわけでも生かされているわけでもない。」、「救い主など必要ない。私が救い主だ!私は自分で自分を救うことができる。」という最悪のレベル7に至る。しかし想定外の出来事が起こると、たちまち制御不能状態、コントロール不能状態に陥る。

さらに神に対する高慢は、他の人々に対する高慢でもある。すなわち「あんたなんかいなくても私は一人で生きていける」という高慢である。このような高慢が他者と共に生きることを拒絶し、不健全な個人主義をもたらしている。そのような高慢によって、背筋の凍るような孤独が広がっていく。実は孤独死問題もこのような高慢がもたらしている。

2、虚偽という罪
一度ウソをついてしまうと、そのウソを隠し続けるためにウソをつき続けなければならない。その結果、全部ウソだったということになる。一度もウソをついたことのない人がいるだろうか。そんな人はいない。何か問題が起こると、私たちは実に巧みな虚偽の言葉によって、自己正当化しながら誰かに責任転嫁をし、不都合な情報を隠蔽し、必死になって自己保身、責任逃れをすることしかできない。放射能は死の灰と呼ばれている。放射能が健康に良くて元気になれるというのは真っ赤なウソである。放射能が飲食や呼吸によって体内に取り込まれ、内部被曝状態になれば、確実に肉体と遺伝子情報を破壊していく。特に妊婦や乳幼児が影響を受けやすい。

3、怠惰という罪
楽をして怠けたいと思わない人がいるだろうか。自分さえ安全で豊かな人生を生きることができたら、他の人がどうなってもかまわないと思わない人がいるだろうか。そんな人はいない。その結果、自分はきつい仕事から逃げ、危険な仕事や職場からも逃れ、できるだけ楽で収入の多い仕事を慕い求めることになる。ひと度甘い汁を吸い始めたら、もうやめられないだろう。チェック機関がきちんとした安全確認を怠るなら、複雑な構造を持つ巨大な原子力プラントが大事故を起こすのは時間の問題となる。

★結論と適用
実に私たちの内にある同じ問題が、原子力発電所とその社会システム全体(政府、政治家、官僚、学者、原子力安全・保安院、電力会社、顧客、地域住民)を生み出し、危険な暴走を肯定し続け、原発震災をもたらすのである。そして福島原発や柏崎刈羽原発で作られた電気は、その地方で使われることなく首都圏へ長距離送電線で送られて来る。首都圏において豊かに電気を消費しながら生活している者が、原子力問題を避けて通ることはできない。

しかし私たちの内にある罪と言う名の問題、すなわち高慢、虚偽、怠惰に、自分の力で打ち勝つことのできる人がいるだろうか。そんな人はひとりもいない。

私たちの内にある問題、高慢、虚偽、怠惰に打ち勝つためには、それらに謙遜、真実、忠実によって打ち勝ってくださった勝利者である主イエス・キリストを信じて受け入れ、聴く祈りによって聖書に親しみ、熱心に求める祈りによって聖霊に満たされ続け、キリストと共に生き続ける以外にない。

イースター歓迎礼拝メッセージ「勝利者なる神」

勝利者なる神

イースター歓迎礼拝メッセージ「勝利者なる神」(クリックで聴けます)

聖書箇所:イザヤ53章10−12節

彼(イエス・キリスト)は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。イザヤ53章11節

イエス・キリストは、勝利者です。主イエスが勝利者であるということを、順番に考えてみましょう。

1、死に打ち勝たれた勝利者

 私たちのため十字架で死なれたイエス・キリストは、墓に葬られよみにくだられましたが、3日目(日曜日)によみがえられ、今も生きておられます。イエス・キリストは、死に勝利されたのです。主イエスを信じる時、私たちも死に勝利することができます。その時、死は終わりではなく、新しいいのちの始まりとなります。

2、悪魔に打ち勝たれた勝利者

 イエス・キリストは、私たちのすべての罪を背負って十字架で死なれ、復活されたことを通して、悪魔に勝利されました。主イエスを信じる時、私たちも悪魔に勝利することができます。

3、罪(虚偽、高慢、怠惰)に打ち勝たれた勝利者

 イエス・キリストは、罪(虚偽、高慢、怠惰)に打ち勝って十字架で死なれました。それは私たちのすべての罪を十字架に釘付けにし、葬り去るためでした。主イエスを信じる時、私たちも新しく生まれて、罪に勝利することができます。

お勧めの本「原子炉時限爆弾ー大地震におびえる日本列島」

原子力発電に賛成の方も反対の方も、ぜひお読みになってください。日本における原子力発電の是非を問うためには、必読の書です。

以下本文より。

科学的・論理的に考えれば、周期的に到来する東海大地震は間違いなく起こることであり、これを否定する人間は、電力会社にも一人もいない。その時に、浜岡原発が破壊され、取り返しのつかない末期的な大事故が起こる可能性は、ほぼ百パーセントと言ってよい。これは、時限爆弾の爆発を待っている、ということになる。私たちに分らないのは、その時限爆弾が、いつ爆発するようセットされているか、その時刻だけなのである。

イースター(復活祭)歓迎礼拝式のご案内

2011イースター歓迎礼拝案内

日時:2011年 4月24日(日)第4主日 イースター歓迎礼拝式
   ★第一礼拝・・・・・・・午前10時半~12時 
   ★第二礼拝・・・・・・・午後8時~9時
    聖書箇所:イザヤ章53章10節-12節
    説教題:「勝利者なる神」
    説教:野町真理(日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会牧師)

   ★スマイルキッズ(幼児・小学生向け)午前9時~(第一週は第一礼拝に合流)
   ★Jesus Junior(中高生から青年向け)・午後3時~

どなたでもお集いください。初めての方も大歓迎です。

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Because He Lives 主イエスが生きておられるから

Because He Lives ~ William and Gloria Gaither ~

日本語訳歌詞(1番)
 神は人を 愛されて     そのひとり子を この世におくり
 私たちの 罪のために    十字架につけて くださった
 主は今  生きておられる  我が内に    おられる
 すべては 主の御手にあり  明日も生きよう 主がおられる

英語の歌詞と試訳

God sent His son, they called Him Jesus. He came to love, heal, and forgive.
He lived and died to buy my pardon, An empty grave is there to prove my Savior lives.

神はひとり子を遣わされ、その方はイエスと呼ばれた。愛するため、いやすため、そして赦すために、彼は来られた。彼は生きて死なれた。私の恩赦を買うために。そして空っぽになった墓は、私の救い主が、今も生きておられることを証明している。

Because He lives, I can face tomorrow. Because He lives, All fear is gone.
Because I know He holds the future, And life is worth the living just because He lives.

主イエスが生きておられるから、私は明日に立ち向かえる。主が生きておられるから、すべての恐れは逃げ去る。 主は生きておられ未来を御手の中に握っておられるから、人生は生きるに値する。

How sweet to hold a newborn baby, And feel the pride and joy he gives.
But greater still the calm assurance, This child can face uncertain days because He lives.

新しく生まれた赤ちゃんをだっこすることは、なんと嬉しいことだろうか。彼が与えてくれるプライドと喜びを、私は味わっている。しかしそれよりも素晴らしい静かな心と穏やかな確信。主イエスが生きておられるから、この子も不確かな日々に向かって生きていける。

Because He lives, I can face tomorrow. Because He lives, All fear is gone.
Because I know He holds the future, And life is worth the living just because He lives.

主イエスが生きておられるから、私は明日に立ち向かえる。主が生きておられるから、すべての恐れは逃げ去る。 主は生きておられ未来を御手の中に握っておられるから、人生は生きるに値する。

And then one day I’ll cross the river, I’ll fight life’s final war with pain.
And then as death gives way to victory, I’ll see the lights of glory and I’ll know He lives.

ある日私は、川を向こう岸に向かって横切ることになり、痛みを伴う人生最後の戦いを戦う。そして死が勝利への道を与えるその時、主の栄光を見て、主イエスが生きておられることを知るだろう。

Because He lives, I can face tomorrow. Because He lives, All fear is gone!
Because I know He holds the future, And life is worth the living just because He lives!

主イエスが生きておられるから、私は明日に立ち向かえる。主が生きておられるから、すべての恐れは逃げ去る。主は生きておられ未来を御手の中に握っておられるから、人生は生きるに値する。

2011年のイースター歓迎礼拝のために 杉戸キリスト教会牧師 野町真理