正しい人の祈りは、働くと大きな力がある February 15, 2025

「正しい人の祈りは、働くと大きな力がある」February 15, 2025

「正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。」
 というみことばを否定的に受け止めると、
「私は正しくないので、私の祈りは働かず力がない。」
 となる。

悪魔はそのように信仰者に働きかけて、
祈りを止めさせようとする。

このみことばの前後を見て、文脈を追ってみよう。

ですから、あなたがたは癒やされるために、
互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。
正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。
(新約聖書ヤコブの手紙5章16節)

「ですから、あなたがたは癒されるために、
互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。」
と語られた後に、
「正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。」
と続く。

つまり、ここでの正しい人とは、
互いに罪を言い表し、互いのために祈る人と言える。
示される罪があるなら、互いにその罪を言い表し、
日々罪の悔い改めをする。そのような人が正しい人だ。

そして「正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。」
というみことばの実例として、
預言者エリヤのことが語られる。
エリヤは私たちと同じ弱さを抱えた人間でした。
エリヤは早く死にたいと願う鬱(うつ)になった人です。
しかし、神の力は人の弱さのうちに完全に現れます。

エリヤは私たちと同じ人間でしたが、
雨が降らないように熱心に祈ると、
三年六か月の間、雨は地に降りませんでした。
それから彼は再び祈りました。
すると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。
(新約聖書ヤコブの手紙5章17−18節)

聖書と祈り会2024-11-20 ゼカリヤ書を読む②わたしの瞳に触れる者

2024年11月20日の聖書と祈り会メッセージ。
ゼカリヤ書を読む②わたしの瞳に触れる者。
聖書はゼカリヤ書2章1−13節。

聞くドラマ聖書はこちら⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠http://graceandmercy.or.jp⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠
資料はこちら⁠https://flic.kr/p/2qvaN5e

聖書と祈り会資料2024-11-20

杉戸キリスト教会では、水曜午後2時からと夜8時から、聖書と祈り会の時を持っています。
どなたでもお集いください。

聖書と祈り会2020-05-20 破壊から再創造へ46うなじを固くする民・その3

2020年5月20日の聖書と祈り会メッセージ。破壊から再創造へ46「うなじを固くする民・その3」。旧約聖書エレミヤ書44章から。高ぶってうなじを固くし、頑固に主の御声に聞き従わない民の姿は、私たちの姿でもある。預言者の無力感の背後に、神の無力感を覚える。そして私たちに下るべき神の御怒りは、十字架の上の主イエス・キリストの上に落とされた。十字架は避雷針。資料はhttps://flic.kr/p/2j3MFU7

聖書と祈り会2020-04-08

2020年4月8日に、杉戸キリスト教会で持たれた聖書と祈り会のバイブルメッセージ。エレミヤ書40章から、破壊から再創造へ42「預言者エレミヤの決断」。資料はhttps://flic.kr/p/2iN6UBu

神から逃げた人

11月は4回シリーズでヨナ書からメッセージします。ぜひお集いください。

神から逃げた人

杉戸キリスト教会地図2016

危機の時代に響く預言者の言葉

危機の時代に響く預言者の言葉

聖書と祈り会資料20180808

聖書と祈り会資料20180815

どんなに安定した強い人にも、早く死にたいと願ううつの時がある。

聖書と祈り会資料20180905

聖書と祈り会資料20180912

聖書と祈り会資料20180919

聖書と祈り会資料20180926

聖書と祈り会資料20181017

杉戸キリスト教会地図2016

礼拝メッセージ「国家的悔い改め」

礼拝メッセージ「国家的悔い改め」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ヨナ3章

そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。このことがニネベの王の耳に入ると、彼は王座から立って、王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中にすわった。王と大臣たちの命令によって、次のような布告がニネベに出された。「人も、獣も、牛も、羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行いから立ち返れ。もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないですむかもしれない。」ヨナ書3章5−9節

恵み深い主から、再びチャンスを与えられた預言者ヨナは、ニネベに行って主のことばを伝えました。そのとき津波のような衝撃が起こり、上記のような、「国家的悔い改め」が起こりました。

イエス・キリストは、以下のようにニネベの人々の悔い改めに太鼓判を押しておられます。

「ニネベの人々が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。(マタイ福音書12章41節)」

聖書が語る「悔い改め」とは、向きを変えることです。それは、神に背を向けて生きることを止め、神の方に方向転換をし、神に向かって生きることを意味します。主なる神はあわれみ深い方ですから、向きを変える私たちを、大喜びで迎えてくださいます。