青年福音喫茶
今週も金曜午後7時半から、青年福音喫茶をOPENします。学校の帰りに、仕事の帰りに、お気軽にお集いください。お待ちしています。

日時:毎週金曜午後7時半〜9時
場所:杉戸キリスト教会

Gospel Cafe in Sugito
Originally uploaded by nomachishinri.
杉戸キリスト教会パンフレット(PDF)
今週も金曜午後7時半から、青年福音喫茶をOPENします。学校の帰りに、仕事の帰りに、お気軽にお集いください。お待ちしています。

日時:毎週金曜午後7時半〜9時
場所:杉戸キリスト教会

Gospel Cafe in Sugito
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杉戸キリスト教会パンフレット(PDF)
聖書箇所:詩篇77篇
私は神に向かい声をあげて、叫ぶ。私が神に向かって声をあげると、神は聞かれる。苦難の日に、私は主を尋ね求め、夜には、たゆむことなく手を差し伸ばしたが、私のたましいは慰めを拒んだ。私は神を思い起こして嘆き、思いを潜めて、私の霊は衰え果てる。詩篇77:1−3
神が遠く感じられる時には、どうすればいいのか。聖書に耳を傾けてみましょう。
1、感じるままを神に向かって叫び、嘆く
感情をさらけ出しても、神は受け止めてくださいます。心を神の御前に注ぎ出す時、神は聞かれます。
2、神の変わらないご性質に焦点を合わせる
状況がどうであっても、どのように感じようとも、神の変わらないご性質を思い起こしてください。
3、神が約束に真実な方であることを信じる
神に見捨てられたと感じることがあっても、その感情に左右されずに神を信じ続ける時、あなたは最も深いレベルで神を礼拝しているのです。
4、神があなたにしてくださったことを思い出す
たとえ神が他に何もしてくださらなかったとしても、主イエスがあなたのために十字架上でなしてくださったことを思い出してください。
映画「ミッション」の中古DVDが安く売られていたので、遂に購入し、妻と一緒に見た。
この映画の脚本は史実をもとに書かれているが、まず宗教改革以降の国外宣教という視点から見ると、プロテスタントよりも早い時期に、国外に宣教師を派遣したローマ・カトリック教会の素晴らしさを覚えた。
南米のイグアスの滝に、十字架に磔にされた宣教師が落ちていく場面から映画は始まる。
殉教者が起こされた故に、新たな宣教師が派遣されることになった。そして音楽の賜物が与えられていた後続宣教師によって、頑なであった現地のインディアンたちの心が開かれ、多くの人々がキリスト教に帰依していくことになった。ジャングルの中、武器を持った現地の人たちに取り囲まれた宣教師が、「ガブリエルのオーボエ」という曲を奏でた時、賛美の調べが人々の琴線に触れ、宣教の門が開かれていくシーンは感動的だった。
やがて宣教(ミッション)は目に見える形で大成功を収める。現地に教会堂が建てられ、抜群の音楽的センスを持つ現地の人々は、美しい声で神を賛美する者とされた。人々は勤勉に働き、少なからずの収益を得るようにもなっていった。
しかし、国と国との間に利権争いが起こり、宣教師の派遣母体であるイエスズ会も政治的理由から現地の教会を切り捨ててしまう。最終的に現地の教会、村の人々は、現地にとどまった宣教師たちと共に、武力、軍事力をもって虐殺されるに至る。
1755年、イグアスの滝上流に住むグァラニー・インディオたちがカアイパテの戦いでスペイン軍に滅ぼされた史実が脚色されて描かれる。その際、何人かの宣教師たちは武器をもって戦ったが、銃弾に倒れていった。しかし一人の宣教師は非暴力を貫き、武器ではなく十字架を掲げ、神を賛美しながら行進し、銃弾に倒れていった。
あなたが宣教師の立場であるなら、どういう行動に出るだろうか?もし私がそのような立場に立たせられたなら、人間的な怒りや憎しみに主の祈りをもって打ち勝ち、非暴力を貫きたいと心から願う。
杉戸キリスト教会 主日礼拝式のご案内
日時:2008年7月6日(日)第1主日聖餐礼拝式
★第一礼拝・・・・・・・午前10時半〜12時
★第二礼拝・・・・・・・午後8時〜9時
聖書箇所:詩篇77篇
説教題:「神が遠く感じられる時」
★親子礼拝・・・・・・・毎月第一週は第1礼拝に合流
★JJ(中高生)礼拝・・・午後3時〜 5時
どなたでもお集いください。
以下の宣言をじっくりお読みください。
神学校で卒論を書き上げ、待ったなしの牧会伝道の現場(自殺未遂、リストカット、ホームレス、うつ、離婚、病気、介護、事故、疎外、いじめ、虐待、DV、酒乱、各種中毒・依存症、姦淫、詐欺、堕胎、悪霊つき、孤独、死、葬儀を味わっている人間たちが呻いている所。まさに戦場です)に派遣されつつ、かろうじてまとめ上げた、キリスト者日本人の歩く道です。
ご存じかとおもいますが、バルメンのあと、シュトゥットガルト罪責告白(1945)、ダルムシュタット宣言(1947)と続く、ドイツ罪責告白の系譜があります。
ダルムシュタット宣言の中に、世界のキリスト教会が今もなお直面している、戦争やワーキングプアの問題も包まれています。
バルト、ボンヘッファーがたどり着いた宣言ですが、残念ながらドイツでも、一番受け入れられませんでした。
ダルムシュタット宣言・日本版のために(2001年)
第一項−罪責の認識はキリストによる和解に基づいてのみ存在する
第二項−ナショナリズムと日本民族優越主義に対して
第三項−教会と保守勢力との同盟
第四項−悪しき者たちに対する善き者たちの戦線
第五項−共産主義が提示している、忘れられた教会の使命
第六項−キリスト者・教会に与えられている自由
第七項−正義と福祉と内なる平和と諸民族の和解に仕える新しい日本国
参考文献
第一項−罪責の認識はキリストによる和解に基づいてのみ存在する †
われわれには、イエス・キリストの十字架と復活において、世界が神と和解されたという福音が語られている。この和解の福音をわれわれはまず聞き、それを本当に味わうことによってそれに生き、また伝えなければならない。もしわれわれが、自らのすべての罪責、つまり父祖たちとわれわれ自身の罪責から解き放たれておらず、われわれが日本人として、われわれの政治的意図・行動において過ちに踏み込んでしまったすべての誤った悪しき道から、良い羊飼いであるイエス・キリストによって呼び戻されていないとするならば、この和解の福音は聞かれておらず、受け入れられておらず、行われても伝えられてもいないことになるのである。
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第二項−ナショナリズムと日本民族優越主義に対して †
われわれは、あたかも世界は日本的本質(国体)に触れることによって救われるかのように、特別に日本には使命があるなどという夢を見始めた時、過ちに踏み込んでしまった。また、われわれは、われわれが聞くべき王の王、主の主としてのイエス・キリストに聞くことをしなかった。そのことによってわれわれは、政治的権力の無制限の使用に対して道を備え、われわれの民族を神の御座の上に置いた。われわれは自分たちの国家を内に対してはただ強い政府の上に、外に対してはただ軍事的な力の展開の上に基礎づけ始めたが、これは致命的に誤っていた。そのことによってわれわれは、われわれ日本人に与えられている贈物をもって、諸国民の共通の課題に仕えつつ協力するという召しを否定してしまったのである。
↑
第三項−教会と保守勢力との同盟 †
われわれは、人間の社会生活の中で必要となってきた新しい秩序に対して、「キリスト教的戦線」なるものを結成し始めた時、過ちに踏み込んでしまった。古い・在来のものを維持する保守勢力と教会の同盟は、われわれに対するきびしい報復となって帰ってきた。われわれは、人間の共同生活がそのような変革を求めているところで、生活の諸様式を変えることをわれわれに許しかつ命ずる、キリスト教的自由を売り渡してしまった。われわれは革命への権利は否定したのに、絶対的独裁制への発展は許容し、歓迎したのである。
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第四項−悪しき者たちに対する善き者たちの戦線 †
われわれは、政治的な生活の中で、政治的手段によって、悪しき者たちに対する善き者たちの、暗黒に対する光の、義しからざる者たちに対する義しき者たちの戦線なるものを結成しなければならないと考えた時、過ちに踏み込んでしまった。それと共にわれわれは、政治的、社会的、世界観的な統一戦線の結成によって、すべての人に対する神の恵みの自由な提供を変造し、世界をその自己義認にゆだねてしまったのである。
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第五項−共産主義が提示している、忘れられた教会の使命 †
われわれは、マルクス主義的教説の経済的な唯物主義が、この世における人間の生活と共同生活のために与えられている教会の委託や約束を果たすように、教会に注意を促さなければならなかったのだということを見過ごした時、過ちに踏み込んでしまった。われわれは、来たるべき神の国の福音にふさわしく、貧しい人々や権利を奪われた人々の事柄を、キリスト教会の事柄とすることをなおざりにしたのである。
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第六項−キリスト者・教会に与えられている自由 †
われわれが以上のことを認めて告白するとき、われわれは自分たちがイエス・キリストの教会として、神の栄光と人間の永遠的また時間的な救いのために、新しく、そしてより良く奉仕するべく自由にされていることを知るのである。キリスト教と日本文化といったスローガンではなく、イエス・キリストの死と復活の力によって神のもとへ立ち戻り、隣り人のところへ赴くことこそが、われわれの民族、また民族の真只中で、とくにわれわれキリスト者に必要なことである。
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第七項−正義と福祉と内なる平和と諸民族の和解に仕える新しい日本国 †
われわれは、「イエス・キリストによって、この世の神なき束縛から脱して、彼の被造物に対する自由な感謝に満ちた奉仕へと赴く喜ばしい解放がわれわれに与えられる」と告白した。そして、今日新しくそれを告白する。それゆえにわれわれは、切に訴える。絶望をあなたの主たらしめるな。なぜなら、キリストが主なのであるから。すべての不信仰な無関心に別れを告げよ。昔はもっと良かったといったたぐいの夢想や、来たるべき戦争の思わくなどに惑わされず、この自由において、また大いなる冷静さをもって、われわれのすべて、われわれの各自がより良き日本の国の建設のために負っている責任を自覚せよ。新しい日本国は、正義と福祉と内なる平和と諸民族の和解に仕えるものなのです。
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参考文献 †
ベルトールト・クラッパート『和解と希望−告白教会の伝統と現在における神学』、新教出版社、1993年
J.モルトマン『二十世紀神学の展望』、新教出版社、1989年
在主
杉戸キリスト教会牧師 野町真理
聖書箇所:マルコ福音書12章28ー34節
イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』マルコ福音書12:29−30
主イエスは良きサマリア人のように、心、思い、知性、力を尽くして神に敵対するあなたを愛し、あなたのために献身し、十字架の苦しみを通って復活されました。先行する神の恵みに応答し、神に喜ばれる礼拝をささげるため、以下のことを覚えましょう。
1、心(ハート)を尽くして、主を愛せよ
心ここにあらずでなく心を込めて、真心から、本気で礼拝することを神は喜ばれます。
2、思い(ソウル)を尽くして、主を愛せよ
魂の叫びとして、情熱的に、感情を込めて礼拝することを神は喜ばれます。
3、知性(マインド)を尽くして、主を愛せよ
思考を停止させず頭でよく考えること。正しい神観と教理をもって礼拝することを神は喜ばれます。
4、力を尽くして、主を愛せよ
自分のからだを生きた供えものとしてささげる、実際的で能動的な礼拝を神は喜ばれます。
もう一歩も先に進めないと思う時がある。
もうだめだと思う時がある。
もうこれ以上は頑張れないという時がある。
信じることに非常な困難を覚える時がある。
でも、苦しい時、試練は必ず過ぎ去る。
だから恐れないでただ信じ続けよう。
神がすべてのことを働かせて良いことに変えてくださるから。
信仰によって山をも動かすことができるから。
私たちの信じている神は、死者をよみがえらせることもできる方だから。
砂漠が、荒野が、不毛の地が、この国に広がりつつある。絶望と孤独と怒りと憎しみの果てに殺人鬼となる者、自殺する者が後を絶たない。新自由主義、市場原理主義(実力主義、能力主義)、進化論、人間中心主義、実利主義、啓蒙思想が産み落とした弱肉強食の格差競争社会は、容赦なくミドルにいる者たちをふるいにかけ、下に落としていく。
派遣社員、ワーキングプア、ネット難民、後期高齢者、リストラされた人たちの呻きが聞こえる。やがて望みのある求人広告は、民営化された戦争のために派遣される兵士募集しかなくなる。そんな悪夢がリアルになりつつある。
しかし聖書は、あなたの造り主からの、あなたに対するラブレター、人生の北極星、羅針盤、コンパスだ。聖書を指針として生きるなら、あなたは必ず、憩いのオアシスを見いだすことできる。
もしあなたが、聖書に耳を傾け、その導きに従うならば、不信とあきらめ(静かな絶望)と無関心(愛の反対)に生きるのではなく、信仰と希望と愛に生きることができる。あなたの造り主(メーカー)は、あなたにとって何が最善なのかをご存知で、万事を益と変えてくださる。
聖書に耳を傾けることは聴く祈り。聴く祈りは、話す祈り、願う祈りよりも大切。どうしても必要なただ一つのこと。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」マタイ福音書11:28−30
聖書箇所:ヨハネ黙示録3章1ー22節
わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。ヨハネ黙示録3:19−20
神との友情を深めるための、6つの秘訣を記します。
1、天を見上げ絶えず祈る(1テサロニケ5:17)
2、昼も夜も主の教えを口ずさむ(思い巡らす) (詩篇1:1−3)
3、天の神に対して正直になる (ヘブル4:13、詩篇46:10)
4、天の神の命令を行う(ヨハネ15:9−17)
5、天の神が大切にしておられるものを大切にする (マタイ9:35−38)
6、何よりも天の神に祝福を願い求める
(創世記32:26、1歴代誌4:9−10、ヨハネ15:7、1ヨハネ手紙5:14−15)
杉戸キリスト教会 主日礼拝式のご案内
日時:2008年6月22日(日)第4主日礼拝式
★第一礼拝・・・・・・・午前10時半〜12時
★第二礼拝・・・・・・・午後8時〜9時
聖書箇所:ヨハネの黙示録3章1−22節
説教題:「友情を深める」
★親子礼拝・・・・・・・午前9時〜(毎月第一週は第1礼拝に合流)
★JJ(中高生)礼拝・・・午後3時〜 5時
どなたでもお集いください。
秋葉原で起こった連続殺人事件とその報道に群がる、人の痛みをまったく感じることのできない人々を覚えつつ・・・。
ここに立派な陶器があるとしましょう。もしあなたが、その陶器を造った陶器師、つまりその陶器の造り主であれば、自分の造った作品が気に入らなければ、それを壊す権利を持っています。けれどももしこの陶器が、あなたではなくて他の人が造った陶器ならば、気に入らないからといって、他の人の造った作品を勝手に壊す権利を、あなたは持っていないのです。
私たち人間はすべて、造り主なる神の作品であって、決して偶然に存在しているわけでもないし、いのちは人間が造り出したものではない。そして神は、決して失敗をなさらない造り主。一人一人をその人にしか出来ない目的をもって造られたお方。その目的が達成された時に、いのちを取られるお方。そう聖書は語っています。
もしあなたが、他の人の造り主であるなら、その人を殺す権利があるでしょう。しかし私たちは造り主ではなく、すべての人は造り主なる神の作品なので、あなたには神の作品である人間を勝手に殺す権利、勝手にいのちを奪う権利は与えられていないのです。
人を殺すということは、神の作品を壊すということです。人を殺すということは、神の作品である相手の存在価値、あるいは自分自身の存在価値を認めないということです。そして人を殺すということは、傲慢にも自分が相手の造り主の立場に立つことなのです。
あなたは、「なぜ人を殺してはならないのか」という問いに、自分で納得のいく答えを持っていらっしゃるでしょうか。
弱肉強食を肯定し、偶然や自然沙汰という考えによって創造主なる神を完全に否定する進化論こそ、自殺、殺人、いじめ、虐待、新自由主義、市場原理、格差社会、ワーキングプアーを生み出している思想です。
ドストエフスキーが文学を通して訴えているように、「神がいないなら、何をしても許される」ということです。
啓蒙思想、ヒューマニズムは完全に行き詰まっています。
聖書箇所:ローマ人への手紙12章1ー21節
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。ローマ人への手紙12:1
使徒パウロは、神に愛されている私たち一人一人に向かって、上記のように懇願しています。
なぜなら、ただ神のあわれみのゆえに、ただキリストの身代わりの十字架のゆえに、神は私たちの汚れたからだを聖なるものとしてくださり、喜んで受け入れてくださるからです。
本来神のものであり、買い戻されて(贖われて)再び神のものとされた私たちのからだを、生きた供え物として日ごとに神におささげする。神のものである私たちのからだを、日ごとに十字架の釘のあとがある御手に委ねる。これこそ理にかなった、神に喜ばれる霊的な礼拝です。
礼拝の心は、降伏することにあります。それは自分の限界を認め、神を信頼し、人生の主導権をめぐって神と格闘することを止めることです。降伏を通して、解放と勝利と平安がもたらされます。神に降伏して自分自身を神に明け渡す時、私たちの個性は初めて息を吹き返します。
杉戸キリスト教会 主日礼拝式のご案内
日時:2008年6月8日(日)第2主日礼拝式
★第一礼拝・・・・・・・午前10時半〜12時
★第二礼拝・・・・・・・午後8時〜9時
聖書箇所:ローマ人への手紙12章1−21節
説教題:「礼拝の心」
★親子礼拝・・・・・・・午前9時〜(毎月第一週は第1礼拝に合流)
★JJ(中高生)礼拝・・・午後3時〜 5時
どなたでもお集いください。

08Mother’sDay
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杉戸キリスト教会 母の日歓迎礼拝式のご案内
日時:2008年5月11日(日)第2主日礼拝式
★第一礼拝・・・・・・・午前10時半〜12時
★第二礼拝・・・・・・・午後8時〜9時
聖書箇所:マタイ福音書25章31−46節
説教題:「一時的な務め」
★親子礼拝・・・・・・・午前9時〜(毎月第一週は第1礼拝に合流)
★JJ(中高生)礼拝・・・午後3時〜 5時
どなたでもお集いください。

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みなみ側散策道(教会前)には、ツツジと花水木が咲き乱れています。

fuji from sugito
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恵泉キリスト教会関宿チャペルで持たれたメビック研修会に妻を送った帰りに、杉戸町から見えた富士山。天を見上げて主に感謝。