福音の急所 オンライン礼拝2020-05-03

動画(YouTube)によるオンライン礼拝はこちらです。

音声(LOVE SUGITO RADIO)によるオンライン礼拝はこちらです。

式次第は以下の通りです。

2020年 5月 3日 第1主日オンライン礼拝式
前   奏
賛   美  讃美歌354 かいぬしわが主よ

使徒信条
 われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
 われはそのひとり子、われらの主、
 イエス・キリストを信ず。
 主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより
 生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
 十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、
 三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、
 全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより
 来たりて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。
 われは聖霊を信ず。聖なる公同の教会、
 聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、
 とこしえの命を信ず。アーメン

主の祈り(マタイ福音書6章、ルカ福音書11章参照)
 天にましますわれらの父よ。
 願わくは御名をあがめさせたまえ。
 御国をきたらせたまえ。
 みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
 われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 われらに罪を犯す者を、われらが赦すごとく、
 われらの罪をも赦したまえ。
 われらを試みにあわせず、
 悪より救いいだしたまえ。
 国と力と栄えとは、
 限りなくなんじのものなればなり。アーメン

祈   り  
賛   美  讃美歌122 みどりもふかき
聖   書  1コリント人への手紙15章1−19節
メッセージ 「福音の急所」
賛   美  讃美歌496 うるわしの白百合
献   金  感謝と献身の告白として
 (郵便振替 00110-3-177729 杉戸キリスト教会)
祈   り  
頌   栄  讃美歌543 主イエスのめぐみよ
祝   祷  
後   奏  主に栄光あれ
報   告  その他

メッセージアウトラインは以下の通りです。

福音の急所(メッセージアウトライン)
2020年 5月 3日 第1主日オンライン礼拝式 杉戸キリスト教会から
聖書:1コリント人への手紙 15章1−19節

みことば:1コリント人への手紙15章19節
もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。(新改訳)

もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。(新改訳2017)

導入:福音の急所は、死者の復活にある。
イースターからオンライン礼拝を続けていますが、何とか5月最初の日曜日を共に迎えることができました。神様と皆様に心から感謝します。感謝の祈りをささげましょう。

「天にいます、私たちの父なる神様!あなたが愛するひとり子を、イエス様を与えてくださったほどに、私たちを愛してくださったことを、心から感謝します。私たちの身代わりとして、イエス様が十字架で死んでくださり、3日目の朝によみがえられたことを感謝します。あなたがすべてのことを働かせて、万事を益に変えてくださることを感謝します。日毎の糧を今日も与えてくださり感謝します。主よお語りください。しもべは聞いております。愛する主、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。」

今日から5月31日のペンテコステ礼拝までの間、4回に分けて、コリント人への手紙第一の15章に耳を傾けたいと思います。神のかたちであられるイエス・キリストは、実際のからだを持たれ、第二のアダムとなってくださった。そのことを覚えるためです。

今日は「福音の急所」という題でメッセージを語ります。急所というのは、そこを打たれると立っていることができず、崩れ落ちてしまうほど弱い所です。からだの急所は、みぞおちであったり、あごであったりします。福音の急所は、死者の復活にあります。朽ちるからだを持って天から来られたイエス・キリストが、朽ちないからだをもって死から復活されたということが、福音の急所です。死者の復活を否定するなら、信じたことがすべて無駄になってしまう。福音が福音でなくなる。福音が喜びの知らせではなくなる。

起:兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。(1-2節)

1 兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。2 私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。

承:私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと(3-11節)

3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、4 また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、5 また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。7 その後、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れました。8 そして最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。9 私は使徒の中では最も小さい者であり、神の教会を迫害したのですから、使徒と呼ばれるに値しない者です。10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。11 とにかく、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。

転:ところで、キリストは死者の中からよみがえられたと宣べ伝えられているのに、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はないと言う人たちがいるのですか。(12-15節)

12 ところで、キリストは死者の中からよみがえられたと宣べ伝えられているのに、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はないと言う人たちがいるのですか。13 もし死者の復活がないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。14 そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。15 私たちは神についての偽証人ということにさえなります。なぜなら、かりに死者がよみがえらないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずなのに、私たちは神がキリストをよみがえらせたと言って、神に逆らう証言をしたことになるからです。

結:もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。(16-19節)

16 もし死者がよみがえらないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。17 そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。18 そうだとしたら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったことになります。19 もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。

結論:福音の急所は、死者の復活にある。もし私たちが死者の復活を否定し、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。

適用:死が間近に迫る今こそ、「死者の復活=死が終わりではないいのち」を覚えよう!
 牧師という職業。他のお仕事をされている方々と違って、亡くなられた方の葬儀の司式をし、遺族の方と一緒に火葬場に向かい、お骨を拾い、お墓に納骨するという機会がとても多い。葬儀の司式をさせていただく時、讃美歌を歌いながら、ご遺体を収めた棺を火葬場の炉の中にお入れする時、そしてその後、お骨を拾う時。その時牧師を慰め、遺族をなぐさめるものは何か? それが「死者の復活」です!

ところが、今コロナの時代に生かされている私たちには、とても厳しい現実があります。

「コロナの時代の僕ら」 パオロ・ジョルダーノさんの本より
まさかーーよりによってここで、それも僕たちがーー愛する者に看取ってももらえず、寂しく死ぬことになるかもしれないなんて。しかもその葬儀は音ひとつせず、立ち会う者ひとりいないかもしれないなんて(イタリアでは2020年4月5日現在、感染拡大防止のため冠婚葬祭を含む一切の集会が認められていないため)

今日本でも、入院している方がコロナでなかったとしても、入院している方へのお見舞いや面会ができない。(身近な方が入院しているが、コロナの影響で面会できない状態が続いている)

東洋経済オンラインの記事より引用
コロナの影響で「葬儀」はどのように変わるのか 悲しみとの折り合いをつける「グリーフケア」
3月29日、タレントの志村けんさんが、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった。新型コロナウイルス感染症で亡くなると、遺体はすぐに火葬され、遺族であっても次に対面できるのは骨壷に収められた状態……というニュースに、社会が騒然となった。厚生労働省は「非透過性納体袋に収納、密封されている限りは特別の感染防止策は不要で、遺体搬送を遺族らが行うことも差し支えない」としており、「故人の顔を見て葬儀をしたい」という遺族の意向に沿うため、神戸市などが市内の病院へ納体袋の配布を行っているが、問題はそれだけではない。新型コロナウイルスの影響で、それ以前から縮小化・簡素化が進んでいた葬儀が、ますます小さく簡易なものになろうとしている。緊急事態宣言が出された4月7日から1週間後の14日正午の時点で、厚生労働省によると、日本の新型コロナウイルスでの死亡者数は累計109人。死が身近に迫る今こそ、きちんとお別れをすることの大切さを知ってほしい。

死が間近に迫る今こそ、「死者の復活=死が終わりではないいのち」を覚えよう!

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