May 24, 2002

聖書の真理を愛する会・読書会資料

良心の危機
‐「エホバの証人」組織中枢での葛藤‐

Crisis of Conscience by Raymond Franz

レイモンド・フランズ 著 樋口久 訳
せせらぎ出版(http://www.seseragi-s.com/)2001年 定価 3,800円+税


この本について

 この本は、全世界のエホバの証人の生き方(ライフスタイル)の唯一絶対の規範となっているエホバの証人という組織の教え、つまり組織による絶対的な聖書解釈とその具体的な適用が、どのようにして発表されるのかという事実を、赤裸々に証言している。

 そしてそれを通して、主要なエホバの証人の聖書解釈とそれに基づく教理、そして世界各国における教えの具体的な適用の様子を知ることが出来る。一つ一つの教理の誕生から適用に至る過程を知っていく中で、私たちは秘密のヴェールに包まれていたエホバの証人という組織の体質や在り方、その実態を深く知ることができる。


他に類を見ない記録(背表紙のことばより)

 宗教組織の権威は、他の人のために奉仕するものであるはずなのに、人の上に立って支配することに熱心になってしまう。一方、支配される側は、自分の良心に照らして納得できない時、抵抗を試みる。これを極めて率直に、具体的に語っているのが本書である。「エホバの証人」として知られている宗教団体内部での記録であるが、問題の本質は、世界のいかなる宗教団体においても当てはまるだろう。

 1870年代、ペンシルバニア州ピッツバーグに生まれた「聖書研究グループ」はごく小規模なものだったが、今日の「エホバの証人」は、およそ200カ国に約550万人を数える。その中心をなす「ものみの塔協会」が新しい本を出版する際には、通常100万部がまず出版され、さらに何百万部という増刷が続く。その活動が盛んな国であれば、家にやってくるエホバの証人に遭遇したことのない人は、まずいない。

 ところが、この宗教組織そのものについては、詳しいことがほとんど知られていない。そればかりか、エホバの証人たち自身、自分たちの組織でいかにして教義や方針が決定されるのか知らない場合がほとんどである。すべてを統括する中枢機関、「統治体」での会議の模様は秘密のヴェールに覆われている。その会議の結果が、世界数百万のエホバの証人の生活に影響をもたらす。

 著者は二代続いた信者の家に生まれたエホバの証人三世である。世界各国を巡りながら、この宗教組織のあらゆるレベルで60年間活動を続けた。最後の9年間は中枢機構「統治体」のメンバーとして活動した。権力中枢の内部で経験したこの9年の月日が、「良心の危機」をもたらしたのである。これは、他に類を見ない記録である。この宗教団体内部でいかに物事が決定され、それがいかに全エホバの証人の生活に影響するかが、生々しく、ありのままに語られる。著者の態度は冷静であり、観察の目は鋭いと同時に暖かさに満ちている。読者は、胸が痛むと同時に、自分自身の良心が語りかけられていると実感するだろう。

 本書がはじめに書かれたのは1983年であるが、この第3版では新しい資料なども追加されており、今も同じパターンが繰り返されていることが明らかになる。初版発行以来、問題の本質はまったく変わっていないのである。


 人びとがあるもののために危険にさらされているとき、そして彼らがそのものに疑いをいだいていないとき、あるいは人びとが自分の友と考えている者に誤導されているとき、彼らに警告するのは不親切ですか。人びとはその警告を信じたくないと思うかもしれません。それどころかその警告に憤慨するかもしれません。しかし、そうであれば人はその警告を与える責任から道徳的に開放されるでしょうか。−『ものみの塔』1974年1月15日号<1974年4月15日号>

 人の命ははかないもので、死んでしまえば知っていることも消えてしまう。しかし生きているうちに伝えることもできる。
 本書は、私が心から大切に思っている人たちに対する義務感から書いた。良心にかけて言えるが、非難するためではなく、助けになればと思って書いた。もし読むのにつらい箇所があれば、それはまた書くにもつらいところだった。
 これを読む人にぜひわかって欲しいことがある。それは、真実を知ろうとすることが信仰を失うことにはならず、むしろ真実を知り、それを貫くためにあらゆる努力を傾けることは、真の信仰の基礎となるということである。これを読んだ人が具体的にどう行動するかは、もちろんその人の判断にかかっている。本書によって、少なくとも本当のことを書いたという限りでの道徳的責任は果たされると思う。
(著者前書きより)


もくじ

第1章 良心の代償

第2章 私が本書を書く理由

第3章 統治体

第4章 内部動乱、そして改革

第5章 しきたりと律法主義

第6章 二重基準と御都合主義

第7章 予言と独断

第8章 正当化と脅迫

第9章 一九七五年「神が行動されるのに適切な時」

第10章 一九一四年と「この世代」

第11章 決心

第12章 最終攻撃

第13章 展望

付録


第1章 良心の代償

■事柄が小さい場合(代償も小さい)

 ⇒良心に従って行動するのは簡単

■事柄が大きい場合(代償も大きい…例:家族・親族・友人との関係の断絶)

 ⇒良心に従って行動する(=良心の問題に取組んで判断を下し、その帰結を引き受ける)のは難しい

 ⇒宗教的権力の圧力を前に、自分の良心に忠実であろうとする苦闘

 ⇒倫理の岐路、葛藤の岐路、生きていく上での本当の危機に立たされる=良心の危機

 ●そこで危機にさらされるのは

  1、恣意的(勝手気ままな)制限によって妨げられずに、真理を探求する自由
  2、人間組織による宗教的権威の介入なしに、神及びその子(イエス・キリスト)と個人的な関係を持つ権利

 ●宗教上の「導き」が思考(良心)統制・宗教的圧制となった場合どうなるだろうか?

 ●一致と秩序の持つ望ましい特質が、制度化され規則化された従順を強いる、
   いわば戒律主義的統制になってしまったらどうなるだろうか?

 ●権威を正しく尊重するはずが奴属・盲従にすり替えられ、
   個人の良心に従って決定を下すという神の前における責任を放棄することになったら
   どうなるだろうか?

■例:3つの宗教組織の反体制的人物に対する許容度の比較

 1、ローマ・カトリック教会とハンス・キュング(許容度:最大)

 2、セブンスデーアドベンチスト(SDA)教会とデスモンド・フォード(許容度:中)

 3、エホバの証人の組織とエドワード・ダンラップ(許容度:最小)


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野町 真理