NEW! 2003年 7月6日 住吉チャペル主日礼拝式メッセージ
(野町 真理)

キリストの弟子の自由J
「隣人のものを欲しがってはならない」

聖書個所:出エジプト記20章1−17節

  「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、である。
1、あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
2、あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
  上の天にあるものでも、 下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、
  どんな形をも造ってはならない。
  それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
  あなたの神、であるわたしは、ねたむ神、
  わたしを憎む者には、 父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
  わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。
3、あなたは、あなたの神、の御名を、みだりに唱えてはならない。
   は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
4、安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
  六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
  しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。
   「「あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、
      また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。「「
  それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、
    七日目に休まれたからである。
    それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。
5、あなたの父と母を敬え。
    あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。
6、殺してはならない。
7、姦淫してはならない。
8、盗んではならない。
9、あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
10、あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
    すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、
    すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」

主題:欲望から解放されて自由に生きる秘訣は、神を切に求め、神に満ち足りて生きること

導入:すべての争いの原因は、隣人のものを欲しがる心である。

 愛児舎の中でよく見かけることがあります。それは、乗り物でもぬいぐるみでも、「あれが欲しい、あれで遊びたいなー」と思うと、お友だちから力ずくで取り上げて、自分のものとしてしまうお友だちの様子です。大体そんなことがあると、愛児舎の中で、誰かが「ウエーン!」と泣いていますから、すぐわかります。

 小学生や中高生の間でも、そういうことがあります。友だちやクラスメートが持っている魅力的なものが目に入ってきます。「いいなー。あれ欲しいなー。」という気持ちが心の中で起こります。そして、それがほしいと思う心を抑えきれずに、盗んだり、力ずくで奪ったりしてしまうのです。

 大変悲しいことですが、大人の間でも、よくそういうことがあります。つい先日、新城でそのようなことがありました。お金持ちの家に住んでいる人がいました。そしてその人のことを知っている人が、その家のお金がほしいほしいと思ったのです。そしてついに、その人を誘拐して殺し、家に脅迫電話をかけ、他人のお金を自分のものにしようとしたのです。このように力づくで奪い取ろうとしたり、あるいは騙し取って、他人のものを自分のものにするといった事件は毎日のように起こっています。

 そしてそういうことは、国と国の間でも、起こってしまいます。ある国が魅力的な資源をたくさんもっているとします。たとえば石油をたくさん持っているイラクのような国です。そうすると、不況が続いて景気がよくない国の中で、いじめっ子のように強い力を持っている国の人々が、他の国のものを欲しがるのです。そして、なんだかんだといちゃもんをつけ、聖書まで持ち出して自分を正当化し、戦争をしかけていくのです。

 おそらくその背後では、戦争をすれば最新鋭の武器、兵器を使うことも出来て経済も潤うということを計算している人たち、つまり人殺しの道具を売って儲けようとする死の商人たちも、たくさんバックアップをしていることでしょう。そのような国の人たちは、破壊力とコストを併せ持つなら、放射能に汚染されてもかまわないと考えているので、劣化ウランを使ったミサイルを使って空爆し、平気で戦争終結宣言を出せるのです。

4:1 何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。
4:2 あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。
   うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。
   あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。
4:3 願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。
  ヤコブ4章1−3節

 すべての争いの原因は、隣人のものを欲しがる心、うらやむ心だと聖書は語っています。

 さて、今まで十戒を一つずつ味わってきましたが、今日は一番最後の言葉になりました。もう一度出エジプト記の20章17節を見て下さい。

本論1:隣人のものを欲しがる心は、十戒のすべての戒めに逆らう。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。出エジプト記20章17節

あなたの隣人の家とは、すなわち隣人の妻、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のもの。

欲しがるというのは、心の中の思い、考え。

この、隣人のものを欲しがる心は、十戒のすべての戒めに逆らうものです。

隣人のものを欲しがる⇒父と母を敬わない。殺す。姦淫(不倫)する。盗む。偽りの証言をする。

隣人のものを欲しがる⇒ほかの神々を持つ。偶像を造って拝み仕える。御名をみだりに唱える。安息日を覚えない。

 ここで、イエス様が教えて下さった、十戒のまとめについて、耳を傾けたいと思います。新約聖書マルコの福音書12章28節から34節までを、開いて見てください。

イエス様が教えて下さった一番大切な命令…十戒の要約

12:28 律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」
12:29 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。
12:30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
12:31 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」
12:32 そこで、この律法学者は、イエスに言った。「先生。そのとおりです。『主は唯一であって、そのほかに、主はない。』と言われたのは、まさにそのとおりです。
12:33 また『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する。』ことは、どんな全焼のいけにえや供え物よりも、ずっとすぐれています。」
12:34 イエスは、彼が賢い返事をしたのを見て、言われた。「あなたは神の国から遠くない。」
    マルコ12:28−34

十戒は二重の同心円を指し示している

図1 十戒の要約図(2重の同心円)外円が神を愛すること。…十戒の前半。内円が隣人を愛すること。…十戒の後半
図1 十戒の要約図(2重の同心円)

外円が神を愛すること。…十戒の前半

内円が隣人を愛すること。…十戒の後半

十戒が指し示している的を射た生き方とは、神を愛し、同時に隣人を愛する生き方。

隣人を愛するということは、まさに神を愛することの中心に位置すること。

すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。
あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
マタイ25:4

本論2:どうしたら隣人のものをほしがらずに生きることが出来るのか?

満ち足りること

どうすれば満ち足りることが出来るのか?

神によってだけ満ち足りることが出来る。心を開いて神を呼び求めるなら…

パスカルのことばー「人間の心の中には神の形をした真空(God-shaped vacuum)がある。」

 パスカルという名前を聞いたことがあるでしょうか?天気予報などを見ていますと、「なんとかヘクトパスカル」などというふうにパスカルの名前を聞くことがないでしょうか?このブレーズ・パスカルという人物は、十七世紀のフランスにいました。天才的な科学者であり哲学者、また数学者でした。さまざまなことを追求し、目覚ましい業績を上げた人物です。そのパスカルが、「人間の心の中には神以外には満たすことのできない真空(空洞)がある。」という有名な言葉を語っています。

 パスカルは、23歳の時、「最初の回心」を経験し、キリスト教に入信(帰依)したと言われています。けれどもそのころのパスカルは、数学や物理の研究に熱中していて、本当の意味では信仰を持っていなかったようです。生まれつき体の弱かったパスカルは、医者の勧めで社交界に出入りし、健康を回復しようともしました。しかし、彼はやがて、学問や知識、あるいは名声などが究極的な満足を与えてくれないことを覚え、改めて聖書を読み、31歳の時、1954年11月23日の夜に、「決定的な回心」、徹底的な悔い改めを経験したそうです。そしてパスカルは、その時の思いを羊皮紙に綴り、その言葉を上着の裏に縫い付け、生涯その思いを忘れないようにして生きたそうです。

パンセに収録されたメモリアル(A.D.1654) より

「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」
哲学者や、学者の神ではない。
確かだ、確かだ、心のふれあい、よろこび、平安、
イエス・キリストの神。
「わたしの神、またあなたがたの神」。
「あなたの神は、わたしの神です」。
この世も、何もかも忘れてしまう、神のほかには。
神は、福音書に教えられた道によってしか、見出すことができない。
人間のたましいの偉大さ。
「正しい父よ、この世はあなたを知っていません。しかし、わたしはあなたを知りました」。
よろこび、よろこび、よろこびの涙。
わたしは神から離れていた−、
「生ける水の源であるわたしを捨てた」 。
「わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」。
どうか、永遠に神から離れることのありませんように−、
「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」。
イエス・キリスト。
イエス・キリスト。
わたしは、かれから離れていた。かれを避け、かれを捨て、かれを十字架につけたのだ。
ああ、もうどんなことがあっても、かれから離れることがありませんように。
かれは、福音書に教えられた道によらなければ、とどまることを望まない。
何もかも捨て去り、心はおだやか。…

イエス・キリスト、そしてわたしの指導者に心から服従する。
地上の試練の一日に対して、永遠のよろこびが待っている。
「わたしはあなたのみ言葉を忘れません」。
アーメン。

2つの悪・満足できない原因

 パスカルの告白の中に、預言者エレミヤによって語られた主のことばが引用されています。

「わたしの民は二つの悪を行った。 湧き水の泉であるわたしを捨てて、
多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ。」
エレミヤ2:13

1、湧き水の泉である神を捨てたこと

 神を呼び求めること、すなわち祈ることを止めた。いのちの水の泉、オアシスである神を捨て、神なしで、自分の力だけで生き始めた。そのために心の中に神のかたちをした真空、あるいはからからに乾いた砂漠ができてしまった。

2、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったこと。

 私たちは、もう少し収入があれば、もう少しお金があれば、もっとすてきな異性がいれば、もっと幸せになれるのにというようなことを考えるかもしれません。けれども、旧約聖書の伝道者の書という所を読みますと、普通私たちがうらやんだり欲しがったりするものをすべて、いやというほど手に入れた人物がこんな言葉を語っています。

伝道者の書が切々と語っているメッセージ−神を捨てた人生は何を手に入れたとしても空の空。むなしく風を追うようなものである。

1:1 エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば。
1:2 空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。

1:12 伝道者である私は、エルサレムでイスラエルの王であった。
1:13 私は、天の下で行なわれるいっさいの事について、知恵を用いて、一心に尋ね、探り出そうとした。
   これは、人の子らが労苦するようにと神が与えたつらい仕事だ。
1:14 私は、日の下で行なわれたすべてのわざを見たが、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。
1:15 曲がっているものを、まっすぐにはできない。なくなっているものを、数えることはできない。

1:16 私は自分の心にこう語って言った。「今や、私は、私より先にエルサレムにいただれよりも知恵を増し加えた。私の心は多くの知恵と知識を得た。」
1:17 私は、一心に知恵と知識を、狂気と愚かさを知ろうとした。それもまた風を追うようなものであることを知った。
1:18 実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す。

2:1 私は心の中で言った。「さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい。」しかし、これもまた、なんとむなしいことか。
2:2 笑いか。ばからしいことだ。快楽か。それがいったい何になろう。
2:3 私は心の中で、私の心は知恵によって導かれているが、からだはぶどう酒で元気づけようと考えた。人の子が短い一生の間、天の下でする事について、何が良いかを見るまでは、愚かさを身につけていようと考えた。

2:4 私は事業を拡張し、邸宅を建て、ぶどう畑を設け、
2:5 庭と園を造り、そこにあらゆる種類の果樹を植えた。
2:6 木の茂った森を潤すために池も造った。
2:7 私は男女の奴隷を得た。私には家で生まれた奴隷があった。
  私には、私より先にエルサレムにいただれよりも多くの牛や羊もあった。
2:8 私はまた、銀や金、それに王たちや諸州の宝も集めた。
  私は男女の歌うたいをつくり、人の子らの快楽である多くのそばめを手に入れた。
2:9 私は、私より先にエルサレムにいただれよりも偉大な者となった。しかも、私の知恵は私から離れなかった。
2:10 私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。
   実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による私の受ける分であった。
2:11 しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、
   なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。
2:12 私は振り返って、知恵と、狂気と、愚かさとを見た。
   いったい、王の跡を継ぐ者も、すでになされた事をするのにすぎないではないか。

 やりがいのある仕事や事業。生きがい。すてきな異性。心を癒してくれるペット。車。マイホーム。趣味。おいしい食事。健康。お金。地位や名声。知恵や学問。快楽。笑い。酒。タバコ。ギャンブル。ドラッグ。それらはすべて、こわれた水ためなのです。

 私たちは神を捨てて、「多くの水ためを」掘るように、実に様々なものを追い求めています。しかし、それらはすべて、「こわれた水ため」です。ためた水がどんどん流れ出てしまい、心を満たすことができないのです。いったい何が原因でしょうか。それは私たちが「湧き水の泉である神様を捨てて」しまったことにあります。湧き水の泉からはこんこんと水がわき上がり、尽きることがありません。そのような神様を私たちは捨ててしまいました。それが、私たちが何を手に入れても満足できない本当の理由なのです。

 そしてパスカルが告白したように、私が、そしてみなさん、あなたがイエス・キリストを十字架につけて殺したのです。イエス様が十字架で叫ばれた言葉も、パスカルの告白の中にありました。「わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という叫びです。神は決して私たちを見捨てることはありません。私たちの方から、神を捨ててしまったのです。けれども、イエス様が私たちに代わって神に捨てられ、よみがえられることによって、もう一度私たちが神の愛といのちの中に憩うことの出来る道が備えられたのです。

結論:欲望から解放されて自由に生きる秘訣は、神を切に求め、神に満ち足りて生きること

 あれが欲しい、これも欲しいという欲望から解放され、満ち足りて自由に生きる秘訣は、いのちの水の泉であられる主イエスご自身、神ご自身を欲しがることです。私たちのためにいのちがけで愛して下さった主イエスを切に求めること。言葉は悪いですがあえて言いますと、主イエスをむさぼることです。むさぼるように主イエスを食べること、飲むこと。それが、欲望から解放されて自由に生きる秘訣なのだと聖書は語っています。

聖書通読とデボーションの勧め

 聖書は神様からのラブレター。好きな人からラブレターをもらった時のように、毎日聖書をむさぼり読んで見てください。主イエスを切に求めて下さい。そうすれば、本当に自由に生きることが出来ますから。

 私の今年の目標−少なくとも1年の間に一回は聖書を通読する。⇒現在2回目のサムエル記を読んでいます。神の愛と真実に浸ることが出来る恵みを味わっています。

48:17 あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。
48:18 あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。
48:19 あなたの子孫は砂のように、あなたの身から出る者は、真砂のようになるであろうに。
その名はわたしの前から断たれることも、滅ぼされることもないであろうに。」
   イザヤ48:17−19

1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
1:2 まことに、その人は主のおしえ(十戒)
を喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
   詩篇1:1−3

祈り

天の父なる神様。
私たちはいのちの水の泉、湧き水の泉であるあなたを捨てて、自分勝手な道を歩んでいました。
その結果、水をためることのできない水ためを掘り続けるような、むなしい、砂を噛むような人生を歩んでいました。
しかし主よ、感謝します。
わたしがあなたを捨てたにも関わらず、あなたは私のために、十字架でいのちを投げ出し、神に捨てられて下さいました。そしてよみがえられたあなたは、もう一度私たちがいのちの水の源であるあなたと和解する道を備え、そこに招き入れて下さったことを心から感謝します。
主よ、他の何ものにも勝って、あなたを切に求めます。
この世のすべてのものが、色あせてちりあくたに見えるほどに、あなたの素晴らしさを知ることが出来るように助けて下さい。
私たちの主イエス・キリストの御名によって、祈ります。
アーメン。


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