教会史における所属教会の位置 (宗教改革以降)

所属教団:日本同盟キリスト教団
所属教会:豊橋ホサナキリスト教会
野町真理

目次

1、はじめに

2、フレデリック・フランソンと日本同盟基督教団

3、近世における宗教改革の4つの流れ

4、アルミニウス主義の影響

5、敬虔主義の遺産と自由教会の伝統

6、所属教会の教会史的位置

感想

参考文献

資料1 日本同盟基督教団・教団小史
資料2 日本同盟基督教団の信仰告白
資料3 日本同盟基督教団・横浜宣言

1、はじめに

 この報告書は歴史的視点に立って自らの所属する教会のルーツを宗教改革まで辿り、所属教会が教会史において現在どのような位置にあるのかを探ろうとするものである(エレミヤ6:16)。またそのことを通して、現在の問題点を見つめ、歴史に根ざした福音主義に立って21世紀の教会の新しい歴史をつくり出していこうとするものである。

 キリスト教は歴史的な宗教である。信仰者は絶えず過去を振り返って、旧約聖書に影として示された救い主の現れとしての新約聖書に信仰の基礎を置く。特に神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れ(ヘブル1:3)としてのイエス・キリストの生涯、その十字架の死と復活という歴史的事実にあらゆる信仰の基礎を置く(Iコリント15:14)。創造、堕落、再創造という歴史を貫く大きな流れの中で私たちは土の器として生かされている(IIコリント4:7)。十字架のことばを信じる恵みの信仰は、初代教会からの様々な迫害や異端との命がけの戦いにおける殉教者の血の証によって、そして16世紀の宗教改革を経て今日の私たちにも受け継がれている。今日の私たちにとって教会史、特に宗教改革を介して聖書を見ることは、主観主義に陥ることなく聖書に立ち帰ることの出来る唯一の道である。

 途上の教会が現在位置しているところを覚える時、私たちは決して第三者的な立場からただ批判するだけに終わってはならない。誰よりも痛みを覚えておられるのは主ご自身なのだから。キリストの体の器官として、その痛みに共鳴させられた者は切なるとりなしの祈りをする者へと変えられると私は思う(Iコリント12:26-27、IIコリント11:28-29)。

 なお、所属教会が教会史において現在どのような位置にあるのかを探ろうとする際、次の二点に焦点を当てて考察を行った。第一に「宗教改革に根ざした教会かどうか」そして第二に「使徒よりの唯一の公同の教会かどうか」である。

2、フレデリック・フランソンと日本同盟基督教団[3]

 私の所属する豊橋ホサナキリスト教会の属する日本同盟基督教団は、フレデリック・フランソンによって1890年に設立された北米スカンジナビアン・アライアンス・ミッション(SAM)による日本伝道によって設立した教団であり、F・フランソンの信仰を受け継いでいる。

 彼は1852年にスウェーデンで生まれるが、その後家族で自由の天地アメリカに移住し、約1年間の病床生活の間に回心を経験する。1872年、彼が20歳の時である。その後ネブラズカ州のバプテスト教会で洗礼を受ける。1875年、彼はリバイバリストのD・L・ムーディに魅せられてシカゴ・アベニュー教会に転籍し、1878年にはシカゴ・アベニュー教会から伝道師の推薦を受ける。1880年10月にはスカンジナビア人自由教会を組織する。そして北欧、南欧、北米を回り、リバイバリストの信望を高め、1890年にアメリカのシカゴにおいて上記のSAMを設立する。F・フランソンはアメリカの自由教会の特徴とリバイバル運動の流れを持った信仰を持って中国、日本、蒙古、インド、アフリカ、南米諸国に宣教師を派遣した。1891年11月3日、このSAMから15名の男女宣教師が日本の横浜に上陸し、他教派の踏み込めない福音未伝の地方を開拓することを使命とする伝道を開始した。彼らは、伊豆半島、房総半島の伝道地を足場として伊豆七島を伝道し、飛騨の山間、北海道のアイヌ人地域などに伝道した。

 「このように、私は、他人の土台の上に建てないように、キリストの御名がまだ語られていない所に福音を宣べ伝えることを切に求めたのです。(ローマ15:20)」これがF・フランソンが実践したみことばである。

3、近世における宗教改革の4つの流れ[2]

 宗教改革の三大原理として「聖書のみ」、「信仰のみ(信仰義認)」、「万人祭司(聖徒の交わりとしての教会)」が挙げられる。中でもルターの万人祭司の教理は、当時の歪められた聖職者観に対する彼の批判の基盤の役を果たした。

 「すべてのキリスト者は真に霊的な階級に属するものであり、機能の差以外には相違はない。パウロは I コリント12:12ー13で、われわれは一つのからだであり、それぞれの器官には独自の機能があって、それによって他の器官に仕えている、と述べている。これはわれわれが一つのバプテスマ、一つの福音、一つの信仰を持ち、皆が同じくキリスト者だからである。われわれを霊的なキリスト者にしているのは、バプテスマと福音と信仰だけなのであるから……だから信徒と聖職者、君主と監督、修道院に住む者とこの世に住む者との間に何も根本的な相違がないのは当然である。唯一の相違は身分とは関係がなく、彼らの行う機能と働きの相違だけである。」[ 1]

 宗教改革は聖書のみに教会の存立と改革の権威があると証しする。宗教改革には主観的な聖書解釈を克服させるものがある。16世紀のプロテスタント宗教改革は、その発展過程の中で次の4つの主要な流れ(あるいは信仰類型とも言える)を生み出した。

 1、ルター派  2、カルヴァン派  3、アナバプテスト派  4、英国のプロテスタント

 第4の流れは、1533年にカトリックから独立した英国のプロテスタントである。フランク・デルテイユとダニエル・ロベールは、この流れを次のように巧みに描写している。「『イギリスは、ヘンリー8世が恋をしたのでプロテスタントになった』(ヴォルテール)。とはいえ、この国はもっと深くプロテスタンティズムの刻印を押された国と言えるのではなかろうか。事実、その運動は、気紛れなヘンリー8世以上に生き延びたばかりでなく、ジュネーブのカルヴァン主義からローマ・カトリックへと揺れ動いたあと、中道、すなわち英国国教主義に進み、頑なにそれを守り通したのである」と。その中道、中間の立場は、基本的にはアウグスティヌスにも、ルターにも、カルヴァンにも通じる信仰を表明した「39箇条」(1563年)の中に見出すことができる[7]。

4、アルミニウス主義の影響[2]

 アルミニウス主義によって改革派が二分され、やがて英国教会にも伝わり、そこで伝搬の主役を務めたウィリアム・ロードによってアルミニウス主義が教会の最上の地位に登用された。そしてやがて英国教会から生じたバプテスト派の中でもカルヴァン主義に立つバプテスト(パティキュラー・バプテスト=特定救済主義に立つバプテスト)と、アルミニウス主義に立つバプテスト(ジェネラル・バプテスト=普遍救済主義に立つバプテスト)とに分かれていった。

5、敬虔主義の遺産と自由教会の伝統[2]

 今日の福音派諸教会の実態を知ろうとする場合、どうしても見落とすことの許されない二つの重要な事柄がある。一つは、17〜18世紀のヨーロッパに起こった霊的刷新運動ピューリタニズム、近代の信仰覚醒運動、19世紀以降の聖霊派運動を含む広い意味での敬虔主義運動である。もう一つは、1800年以後のアメリカにおいて発達した"自由教会"(free church)である。

 日本の伝道が主としてアメリカの宣教師によって開始されたことは周知の事実であるが、その際に持ち込まれたキリスト教は、"自由教会型キリスト教"と言われるものであった。この自由教会とは教会と国家がはっきり分離した社会において、独立と自治とを有する教会のことである。いわゆる国教会とは対照されるもので、目的を同じくする者の自発的共同体としての教会である。自由教会の持つ特徴を以下に示す。

1、歴史的伝統からの自由
2、「聖書以外に信条なし」  
3、自発に基づく原則  
4、「魂を救うこと以外には何の関わりも」(伝道のみ)  
5、リバイバリズム  
6、敬虔主義  
7、反知性的傾向  
8、教派間の競争意識

6、所属教会の教会史的位置

  私の所属する日本同盟基督教団・ 豊橋ホサナキリスト教会は、もともとはF・フランソンがスウェーデンで組織したスウェーデン・アライアンス・ミッションの宣教師たちが、毛沢東の文化大革命によって中国から追放され、日本の東海地方へ宣教した中で始められた教会である。そしてこの豊橋教会(前称)は1953年に日本同盟基督教団に加入している。したがって私の所属する教会は、アメリカ自由教会の特徴、リバイバル運動の流れを持った敬虔主義に立つ宣教師の流れを経て宗教改革に帰結するという大きな流れを考えることができる。所属教会が「宗教改革に根ざした教会かどうか」という問題であるが、自由教会の特徴によって歴史的なつながりが浅いが、宗教改革に根ざしている教会と言える。

 現在の森川昌芳牧師は1962年6月19日に赴任され、スウェーデンの宣教師から教会を引き継いで今に至っている。私たちの教会は"出ていく教会"という教会理念を持ち、"1000人教会"というヴィジョンを掲げている。重い病気の人や重傷のけが人、あるいは死人が自ら病院に行けないのと同じように、福音を必要としている人は自分で教会に来ることが出来ない。それゆえクリスチャンが出ていって人を教会に導いてくる者とならなければ教会に人が来るはずがない。森川牧師のこのような確信が"出ていく教会"という教会理念を掲げている理由である。私自身の信仰を持つに至った経験を考えても、私の生活の中に主に遣わされた福音の伝達者がいたゆえに教会に導かれ、信仰を持つことが出来た恵みを深く覚える。

 牧師先生自身、開拓レベルの状態の時はご夫婦でひたすら出ていかれ、訪問伝道に打ち込まれ、十分な学びの時間を持てなかったとのこと。しかし、教会が人数的にある程度大きくなってからは群を養う説教のための学びの必要を痛感され、現在に至っている。本当に聖書的な神学は伝道の実践に導かれる神学であるはずである。学ぶことも奉仕であるという認識から、神学することを身につけた神学者であり、かつ同時に伝道・牧会者である実践的な教職者の育成機関が求められている。神学校で正しい聖書解釈や教会史を学ぶことによって初めて気づかされることが多い。

 近年、伝道者・牧会者のメシア・コンプレックスや燃え尽き症候群という言葉を耳にする。もともと燃え尽き症候群という言葉は、対人関係を中心とする仕事に就いている人々の間で生まれた言葉である。なぜなら対人関係においては自分の思いどうりにならないことが多く、また目に見える形ではなかなか結果が見えてこないからである。伝道者や牧会者もこの例にもれず、実利主義的に受洗者の数や礼拝出席者の数でその働きを人間的に評価されやすい中にあって、その意義と安全を何に置くかが予防の鍵となる。神ご自身の中に働きの意義と安全を見いだすことは、牧会伝道をする動機と目的、つまり何のために、何が見たくてそれをするのかという思いを健全なものとし、私たちを同労者同士の妬み合いなどからも解放し、私たちの働きをただ神にのみ栄光を帰するものとする。 以下に豊橋ホサナキリスト教会の働きを示す。

豊橋ホサナキリスト教会の働き

定期集会

・住吉チャペル礼拝式(第一、第二 、午後の集い)
・小坂井チャペル礼拝式
・日系人礼拝式
・東田チャペル水曜礼拝式  
・祈祷会(毎週水曜日の夜)  
・早天祈祷会(月曜を除く毎日)

伝道活動

・教会員有志によるトラクト配布(毎週1度)  
・大学生キャンパス伝道  
・路傍伝道  
・教会スタッフの訪問伝道    
・エホバの証人への伝道  

教会教育


・付属幼稚園(愛児舎)  
・教会学校(幼稚科、小学生科、ヤングチャペル)

ファミリーと各会  

 

公同の教会成立になくてはならない三要素として以下の3つの項目が挙げられる。  

1、聖典:信仰と生活の唯一の規範としての聖書  

2、信条(信仰告白・教理):規範される規範、聖書を正しく読むための手引き  

3、教職

 礼拝とは、聖書に示された唯一まことの神と、神の民である教会とが、公に全体として会見することである。正しい礼拝を形づくるものとして説教と聖礼典(聖餐式と洗礼式)が挙げられる。説教は目に見えない言葉を介して、聖餐は見える言葉としてキリストが私たちの救いのために犠牲となって下さったことを明らかにする。礼拝プログラムは神から会衆へ、会衆から神へと、天地のダイナミックな交流がなされていくように組まれている。礼拝式はみことばの説教と聖礼典による神の啓示と人間の応答としての賛美と祈りによって構成されている。そこでささげられる賛美や祈りはあくまでも上からの恵みによる下からの応答、信仰告白であるべきである。どういう礼拝式を毎日曜日捧げているのかがキリストのからだの各器官、ぶどうの木につながる枝とされたクリスチャンのライフスタイルを最もよく表すとともに、神に最も問われることである。

 また、公同性というのは、どこでも、いつでも、だれにでも、キリストに辿ることができるということである。「使徒よりの唯一の公同の教会かどうか」という問題であるが、使徒信条を礼拝式において告白し、聖書信仰が掲げられ、出ていってキリストの福音を受け渡す働きをしている教会であること、またそのことによって、課題はあるが主イエス・キリストの父なる神に立ち帰れる教会であることから使徒よりの唯一の公同の教会であると言える。

 なお、これからの教会を考える際に指針となるであろう福音主義の6つの根本的確信とシカゴ・コールの項目を記しておく。

福音主義の6つの根本的確信[1]

1、神についての知識の源泉、キリスト者の生き方の指針、としての聖書の最高権威性  
2、人となられた神であり、主であり、また罪深い人類の救い主でもあるお方としてのイエス・キリストの尊厳性  
3、聖霊の主権性  
4、個人的回心の必要性  
5、個人としてのキリスト者、ならびに全体としての教会にとっての伝道活動の優先性  
6、霊的養育、交わり、成長のための、キリスト者共同体の重要性

シカゴ・コール[2]

1、歴史的ルーツと連続性への呼びかけ  
2、聖書に忠実であることへの呼びかけ  
3、信条的自己同定への呼びかけ  
4、全体論的な救いへの呼びかけ  
5、本来の礼典観を確立すること  
6、霊性への呼びかけ  
7、教会の権威への呼びかけ  
8、教会の一致への呼びかけ

感想

 教会史の学びは、歴史(過去)を振り返ることによって自分自身及び途上の教会の問題点を認識することの出来る目を養う授業であったと思います。また、認識した問題を解決するための糸口をつかむための授業であったと思います。そして今、礼拝を改革していくためにはまず自分が変えられなければならないものであるということを深く覚えさせられています。それゆえに、気づかないうちに第三者的な立場から相手を批判するだけになりやすいお互いであることを深く心に刻まなければならないと思わされています。あと数十年後には日本の教職者の大半(約4000人)が高齢のため現役を退かれると聞きます。日本のどこの神学校もその数を補うだけの献身者がまだ起こされていない状況にあって、しっかりと学んでいき、改革され続ける者になりたいと願わされています。

参考文献

[1]Alister McGrath, "Evangelicalizm and the future of Christianity"、"キリスト教の将来と福音主義"、島田福安訳、いのちのことば社
[2]宇田進、"福音主義キリスト教と福音派"、いのちのことば社
[3]O. C. Grauer, "Fredric Franson --Founder of the Scandinavian Alliance Mission of North America, An Evangelist and Mission In World-Wide Service"、"燃えて輝く光--フレデリック・フランソンの生涯"、木下弘人訳、日本同盟キリスト教団出版部
[4]日本福音同盟(JEA)編、"地に住み、誠実を---日本の福音派21世紀への選択"、いのちのことば社
[5]渡辺信夫、"今、教会を考える--教会の本質と罪責のはざまで"、新教出版社
[6]望月修、"伝統に生きる教会---名古屋岩の上教会文庫"
[7]"新教セミナーブック4 信条集---前後篇"、新教出版社

資料1 日本同盟基督教団・教団小史 教団小史
     〜「教会員の手引き」(日本同盟基督教団出版部)より抜粋〜

* 日本同盟基督教団は、1890年、フレデリック・フランソンなどによって、 米国シカゴに設立された「スカンジナビアン・アライアンス・ミッション」の 日本伝道によって設立した教団です。

* 1891年11月3日、15名の男女宣教師が横浜に上陸し、他教派の踏み込 めない福音未伝の地方を開拓することを使命とする伝道を開始しました。彼ら は、伊豆半島、房総半島の伝道地を足場として伊豆七島を伝道し、飛騨の山間 、北海道のアイヌ人地域などに伝道しました。

* 1922年、日本人教職、信徒を中心とする年会が開催され、宣教師団を含む 包括団体「日本同盟基督協会」が設立されました。

* 1941年、戦時下の行政措置により、宗教団体法が施行されることになり、 新教全教団が統合され、当教団も第8部としての構成員となりました。

* 1949年、「日本基督教団」を離脱し、日本同盟基督教団を再建しました。

* その後、日本同盟基督教団(邦人部)は「スカンジナビアン・アライアンス・ ミッション」から「ゼ、エバンゼリカル・アライアンス・ミッション(TEAM)」に名称変更した日本同盟基督教団(宣教師部)やスウエーデン・アライアンス・ミッション及びスイス・アライアンス・ミッション等の幅広い宣教団との積極的な宣教協力によって日本全国に182の教会をもつ包括団体となりました。

* 日本同盟基督教団は、欧米の一教派の信条に追従する教会ではありません。「旧新約聖書は誤りなき神のことばであって、信仰と生活との唯一絶対の基準で ある」と信じる聖書信仰の立場に堅く立ち、基本信条に告白される根本的な信仰を告白いたします。教会の政治は、合議制により、教団総会を最高決議機関とし、教憲および教規を定めてこてにしたがって運営しています

* 今年1996年、宣教105周年を迎え、「日本とアジアと世界に仕える教団 」の宣教のビジョンを確認しつつ、21世紀に向かって宣教の実を挙げるべく 、教職信徒がひとつの献身に立ち上がろうとしています。

資料2 日本同盟基督教団の信仰告白

* 旧、新約聖書66巻は、すべて神の霊感によって記された誤りのない神のことばであって、救い主イエス・キリストを顕わし、救いの道を教え、信仰と生活の唯一絶対の規範である。

* 神は霊であって、唯一全能の主である。神は永遠に父と子と聖霊の三位一体であって、その本質において同一であり、力と栄光とを等しくする。父なる神は 、永遠のみ旨により万物を創造し、その造られたものの絶対主権者であられる 。

* はじめに人は、神のかたちに創造され、神と正しい関係にあった。しかしサタ ンに誘惑され、神の意志に反逆して罪を犯し、神のかたちを毀損した。それゆえ、すべての人は、罪と悲惨のもとに生まれ、その思いと言葉と行為とにおい て罪ある者である。自分の努力によっては、神に帰ることも、また、そのみ旨に適う善行を行うこともできず、永遠の滅びに至る。

* 主イエスキリストは、父なる神のひとり子であって、聖霊により宿り、処女マ リヤより生まれた。真の神にして真の人である。主は我らの罪を贖うために十字架にかかって死に、葬られ、三日目に甦り、永遠の生命の保証を与えられた 。主は大祭司として父なる神の右に座し、我らのために執り成したもう。

* 聖霊は、恵みによって、我らに父と子を示し、罪を認めさせ、赦しを与え、我 らを新たに生まれさせ、神の子となしたもう。人が義とされるのは、自分の行為によるのではない。主イエス・キリストが身代りに死んでくださったゆえに 、彼を信じるただその信仰によるのである。さらに、聖霊は、信じる我らの中に住み、我らを聖化し、我らにみ旨を行わしめ、助け主、慰め主として世の終わりまでともにあり、我らをキリストの共同の相続人となしたもう。

* 教会は、聖霊によって召し出されたキリストの体であって、キリストはそのかしらである。贖われたものはみなその肢体である。地上の教会は、再び来たりたもう主を待ち望みつつ、聖書の真理に立ち、礼拝を守り、聖礼典を執行し、戒規を重んじ、すべての造られた者に福音を宣べ伝える。

* 終わりの時に、主イエス・キリストは、みからだをもって再臨し、生ける者、 死せる者を審判したもう。主は、すべてのものを新たにし、み国を父なる神に渡したもう。

資料3 日本同盟基督教団105周年記念大会−横浜宣言−

 私たちは、日本同盟基督教団に連なる全ての聖徒たちと共に、宣教105周年のこの記念すべき時に、初期の宣教師たちの霊的遺産を受けとめ、神のみ許しの中で刻んできた教団の宣教の「きのう」、「きょう」、「あす」を見つめ直し、21世紀にむかい、 神のみ前に以下の宣言をします。

1.日本同盟基督教団の歩みは、フレデリック・フランソンとその仲間たちによって米国シカゴに設立された「北米 スカンジナビアン・アライアンス・ミッション」から日本に派遣された、スカンジナビア出身の男女15名の宣教師たちの横浜上陸(1891年・明治24年11月23日)をもって開始されました。

2.宣教師たちの来日した時代は、福音宣教にとって、必ずしも好機とは言えませんで した。「大日本帝国憲法」発布(1889年・明治22年)、「教育勅語」発令(1890年・明治23年)など、明治国家の基軸がすえられ、西洋思想排斥や民族回帰思想 の強まる時代でした。それでも、宣教の熱意に燃えた宣教師たちは、それまで他教派の 踏み込まない「伊豆半島」、「房総半島」、「伊豆七島」、「飛騨」、「アイヌ人地域 」など、日本各地の福音未伝地に向かいました。当時の未伝地伝道は、多大の困難と迫 害の伴う生死をかけた宣教であり、強い信仰と忍耐を要し、宣教の基盤をすえるまでに は長い年月を必要としました。しかし、宣教師たちは幾多の試練を乗り越え、困難によ く耐え、伝道と奉仕の業に努め、各地に教会の基礎を築きました。 「日本同盟基督教団」は、こうした霊的遺産と宣教の基盤を受け継いで、今日に至っ ています。

3.その後、宣教師たちとの間に「日瑞(にっすい) 同盟基督協会」の誕生を見、「日本同盟基督協会」(1922年・大正11年)が形成されました。戦時下には、「宗教団体法」の実施に伴い、「日本基督教団」(1941年・昭和16年)設立時に、第八部に合同しました。戦後、その一部の教会は日本基督教団離脱を決意し、新たに「日本同盟基督教団」(1949年・昭和24年)を結成しました。

4.かえりみて、戦時下、特に「昭和15年戦争(1931-1945年)」の間、私たちの教団 は、天皇を現人神(あらひとがみ)とする国家神道を偶像問題として拒否できず、かえって国民儀礼として受け入れ、「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはなら ない」・「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではなら ない。それらに仕えてはならない」との十戒の第一戒と第二戒を守り抜くことができま せんでした。さらに近隣諸国の諸教会と積極的に平和をつくり出す者として生きること ができず、国家が推進した植民地支配や侵略戦争に加担し、アジア地域の侵略に協力しました。こうして神と隣人の前に、とりわけアジアの人々に、偶像礼拝の強要と侵略の 罪を犯し、しかも戦後、この事実に気付かず、悔い改めに至ることもなく、無自覚なま まその大半を過ごしました。 近代日本の100年余の歴史に重なる私たちの教団の歴史をかえりみ、私たち教職・ 信徒は、「信仰と生活の唯一絶対の規範」である神のみことばに、十分聞き従い続けることができなかったことを主のみ前に告白し、悔い改め、神と隣人とに心から赦しをこ い求めます。私たちは、今、あらためて、堅く聖書信仰の原理に立ち、聖霊の助けによ り、福音にふさわしい内実を伴ったキリストの教会へと変革されることを心から願いま す。

5.私たちは、21世紀を目前にした歴史的節目にあたり、戦前・戦後の宣教師たちの 「世界的視野に立った宣教」、「犠牲をおしまない救霊の情熱」、「教派形成にとらわれない宣教協力」という優れた霊的遺産を受け継いできた光栄を覚えます。その背後に あったフランソン宣教師のモットー「キリストとの恒常的、自覚的、親密な交わり」 (Constant,Conscious,Communion with JESUS CHRIST)に示される敬虔な信仰姿勢を深く心に刻みます。さらに、初期宣教師たちが、この困難な異教の地盤に鍬をおろし、あえて福音未伝地を目指した宣教精神を受け継ぐことを決意します。

6.宣教105年をかえりみて、私たちの教団の使命とそのあり方は、福音宣教に果敢 に生きることにあります。さらに、すべての教会が一致・協力して、キリスト再臨の待 望に生き、聖霊の力を頂き、潔い生活を目指し、世の終わりまで、全世界に出て行ってすべての造られた者に福音を宣べ伝えることです。 国内宣教においては、国家が再び危険な道を歩み始めている今日、主から託された見 張りの使命を自覚しつつ「1億2千万宣教」に励み、国外宣教においては、全世界の諸 国・諸民族間の分裂と混迷と困窮の時代にあって、「マケドニアの叫び」を聞きつつ、 世界宣教の使命を果たします。そのために、教団内の組織と機関を再点検し、活性化させ、個人、家庭、教会、教団の宣教体制をさらに整えてゆきます。

 私たちの、21世紀の宣教にむかう祈りは、日本と、アジアと、世界に目をむけ、全世界の神の民と福音を共有できることを喜び、犠牲をいとわず、福音宣教に燃えて輝く群れとなることにあります。 ここに、私たち日本同盟基督教団の教職・信徒は、父なる神と、み子イエスと、聖霊のみ前にあって、新たなる前進を図ることを決意し、表明します。

『この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、
それから、終わりの日が来ます。』(マタイ 24:14)

1996.11.19 MISSION 21 Yokohama


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