『神の痛みの神学』における主題は、「痛む神」という神観である。これは包むべからざるもの(破れ果てたる破れ)を徹底的に包み給う神である。言い換えると、私たち人間の罪を徹底的に赦す、痛みに基礎づけられた愛の神である。北森は「神の痛み」という言葉を、以下の二重の意味において用いている[1]。
(1)まずそれは神が愛すべからざる者(神の敵である罪人)を愛し給うときの御心であり、
(2)次にそれは、父なる神がその愛し給う独子を死なしめ給うときの御心である。
『神の痛みの神学』において、北森はエレミヤ31:20を神の痛みの聖書的根拠として父なる神の痛みを主に論じている。寺園喜基が指摘しているように、北森は子なるキリストの痛みをキリスト論的に展開しているわけではない[2]。
この章では、まず「神の痛み」なる概念の根拠とされるエレミヤ31:20とイザヤ63:15の釈義的研究を概観し、次に『神の痛みの神学』のいくつかの章を概観することによって『神の痛みの神学』の中心的主張点を明らかにしたい。
北森嘉蔵は『神の痛みの神学』において「痛む神」という神観を全面的に提示しているが、その基となる聖書個所が下記のエレミヤ31章20節とイザヤ63章15節である。新改訳、文語訳、King Jemes Versionを併記した。
(フォントの都合により、原文に記載したヘブルテキスト(WTT)、70人訳(LXX)はWebページからは除いた)
『神の痛みの神学』の第二版から附録として加えられている『エレミヤ記31:20とイザヤ書63:15』[3]には、これら2つのテキストを中心とした北森嘉蔵による「神の痛み」なる概念の基礎的釈義的研究がなされている。(これは北森嘉蔵の日本ルーテル神学専門学校卒業論文『キリストに於ける神の認識』において、すでに釈義されている内容である[4]。)
新改訳
エフライムは、わたしの大事な子なのだろうか。それとも、喜びの子なのだろうか。わたしは彼のことを語るたびに、いつも必ず彼のことを思い出す。それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない。
・・主の御告げ。・・
エレミヤ31:20
どうか、天から見おろし、聖なる輝かしい御住まいからご覧ください。あなたの熱心と、力あるみわざは、どこにあるのでしょう。私へのあなたのたぎる思いとあわれみを、あなたは押えておられるのですか。
イザヤ63:15
エホバいいたまう、エフライムは我が愛するところの子、悦ぶところの子ならずや、我彼にむかいて語るごとに彼を念わざるを得ず、是をもて我が腸かれの為に痛む、我必ず彼を恤むべし。King Jemes Version
エレミヤ31:20
ねがわくは天より俯しみそなわし、その栄光にあるきよき居所より見たまえ、なんじの熱心となんじの大能あるみわざとは今いずこにありや、なんじの切なる仁慈と憐憫とはおさえられて我にあらわれず。
イザヤ63:15
Is Ephraim my dear son? is he a pleasant child? for since I spake against him, I do earnestly remember him still: therefore my bowels are troubled for him; I will surely have mercy upon him, saith the LORD.ここで異常なものとして北森が注目している言葉は、「メイエッハ」という名詞と「ハーマー」という動詞の組み合わせである。「ハーマー」は第一に種々の音が「鳴り響く」(英to sound)の意に用いられ、第二にはこの言葉は人間の、そして神の心的状態、精神的状態の激しい動きを表現する言葉である。すなわち心の最も深い所から、痛みを伴って憐れむことの意である。「メイエッハ」は「腸」(英bowel)の意味であり、心(情)の存在する場所、ひいては「心」そのものの意に用いられる言葉である。この2つの単語の組み合わせが神に対して用いられているのが上記の2箇所である。
Jeremiah 31:20
Look down from heaven, and behold from the habitation of thy holiness and of thy glory: where is thy zeal and thy strength, the sounding of thy bowels and of thy mercies toward me? are they restrained?
Isaiah 63:15
この同じ言葉はエレミヤ31:20においては「我が腸…痛む」と訳され、イザヤ63:15では「切なる仁慈」と訳されているのである。北森は「ハーマー」なる語が同時に「痛み」と「愛」とを意味することは、単なる語学上の秘儀ではなく、恩寵の秘儀を指し示していると考える。そして、「神の痛み」を「痛みに基礎づけられた愛」と定義している。
北森はエレミヤ31:20の釈義をする際、中心的には翻訳者としてルターを、注解者としてカルヴィンを引用している。
『ルターはこのエレミヤ記31:20を次のごとくに翻訳している。―darum bricht mir mein Herz gegen ihn, das ich mich sein erbarmen mus, 而してこのmein Herz bricht mirというドイツ語は次のようにパラフレーズされる。―ich empfinde den heftigsten Schmerz.(我はいと激しき痛みをいだく)。(改正英訳のmine bowels are troubled for him)および現行邦訳(文語訳)の「我が腸…痛む」は大たいこのルター訳と一致する。七十人訳のespeusaおよびウルガタのconturbataもいささか程度は異なるもほぼ同一方向を示していると思う。』[5]
『ルターの翻訳と並んで注意すべきはカルヴィンの注解である。エレミヤ記31:20について次のごとく語っている。 ―「神はこの個所において、彼の大なる仁慈がイスラエル人になんらの影響をも与えなかったために、彼らについて嘆いてい給う。神が彼らを子となし給うことは非常なる恩寵であったからである。しかし彼らは忘恩の行為によってその恩寵を無にしてしまった。かくて神はここで自問し給う、イスラエル人は一体いかなる者らであったかと。
…エフライムはなんの尊敬にも値せず、決して愛の対象ではなかった。…彼らは子とせられた恩寵をば能うかぎり無にしたため、何らの憐憫にも値しなかった。…この子は貴くなく尊敬に値せず、愛の対象ではなかった。…この子は邪曲なる性質であったため、神は彼に対して何らの愛をも持ち得なかった。イスラエル人は悪しき心の子らであり、不従順なる子らであり、ただ彼らの父を苦しめ、その感情を傷つけ、彼をば悲しみをもって満たすにすぎない子らであった。…彼らの邪曲と腐敗とがかくも大であるため、一つの疑惑が起るであろう、神はなお彼らを忍ぶことができ給うであろうかと。ここにおいて我らの注意は大なる憐憫の泉へ引き戻される、すなわち神はかつて彼らを選び給うたが故に、彼らを赦すことができるという事実に。
…(かくしてカルヴィンは「我が腸…痛む」の個所に達する)。神はその和解の恩寵をさらに高め給う。そしていい給う、ここをもて我が腸は彼のために鳴り響く、我かならず彼を憐むべしと。神はここにおいて彼御自身に人間的感情を帰してい給う。なんとなれば腸は異常なる痛み(dolor)の下にあっては揺り動かされ響きを発するからである。そして、大なる悲しみに圧せられるときには、我らは深く嘆息し呻吟するからである。かくして神が優しき父としての感情を表現し給うときに彼は言い給う、我は我が民を再び恩寵の中に受け入れんと欲するが故に、わが腸は鳴り響くと。かかることはたしかに本来神には属しない。しかし、神はわれらに対する彼の愛の大きさを他の方法では表現し得給わないが故に、我らの無知に彼御自身を適応せしめるために、粗雑に語り給うのである」(C.R., Calvini Opera, 38,675-677)』[6]
以下に、北森が退任記念講演『「神の痛み」の60年』において述べた内容を挙げる。これによってエレミヤ31:20の文語訳「我が腸かれの為に痛む」が、『神の痛みの神学』の出発点であることを確認することが出来る。
『「摂理の神」ではなくて「罪の赦し」の神ということになって、神が人となって人間の所まで来てくださって、寝転がっているわたしを抱きかかえてもう一度回復してくださることになったわけです。摂理信仰という神の愛の信仰から別の信仰に変わったわけです。しかしながらこういう神の態度をなんと名付けたらいいかというときに、エレミヤ記三一章二〇節に出会ったわけです。ですからわたしにとってはエレミヤ記三一章二〇節というのば本当に救いになったわけです。最近わたしの書斎を整理していましたら、古い雑誌がでてまいりまして、『兄弟』という雑誌の昭和三〇年の号ですがこの中に、井上良雄さんが短い文章を書いていらっしゃいます。井上さんはバルトの紹介者として非常に功績のあった方ですが、この井上さんが口語訳聖書は駄目だと書いています。教会は文語訳聖書にいかなければ駄目だと書いておられます。エレミヤ記三一章二〇節は文語訳では「わが腸痛む」となっていたわけです。その後口語訳が出現しましたら「わたしの心は彼をしたっている」という言葉に変わってしまいました。文語訳エレミヤ記三一・二〇では「わが腸痛む」となっていましたから、「愛」という言葉だけでは足りない、愛が「痛みの愛」である、ということを文語訳聖書は言ってくれたということに気付いて、そして『神の痛みの神学』がそこからスタートしたわけです。
これが昭和一二年で、今から六〇年前でございます。そして戦争になりまして、戦争というのは非常にひどい経験でありまして、戦争にぶつかったら人間の体験なんかは吹っ飛んでしまうわけですが、信仰を戦争中も貫いてきたということは電線から落っこちているようなわたしを抱えて再び電線に連れ戻してくださる神の愛だということで、「痛み」ということがますますピンときたわけです。
それで、このことを非常に巧みに解説してくれた旧約聖書学者がいるのです。イギリスのピークという学者ですがエレミヤ記三一・二〇の「ハーマー」という言葉を実に巧みに解説してくれています。それは「paradox of conflicting emotions」という言葉です。つまり「我が腸痛む」と訳されているのを専門の旧約学者はconflicting emotions(戦いあう思い)のparadox(逆説)というふうに解説しているのです。これはわたしは一番いい解説だと思うのです。ですから神様のみ心が戦いあっていることを「痛み」と名付けるのだということになると、これは摂理信仰とは違う。摂理信仰は神の意志が戦いあわないでしよう。可愛い、可愛いと思うだけですから。
先ほどのエレミヤ記の三一・二〇は新共同訳では非常にいい訳になりました。「彼を退けるたびにわたしは更に彼を深く心に留める。彼のゆえに胸は高鳴りわたしは彼を憐れまずにはいられない」という訳が新共同訳では確保されました。退けたいと思う一つの思いと、しかし彼を愛していきたい思う思いとがconflictしている状態を「ハーマー」というヘブライ語で表現しているのです。』[7]
イザヤ63:15の「切なる仁慈」は、エレミヤ31:20の「我が腸痛む」とまったく同一の言葉より成立している。しかし、イザヤ63:15を見ると、このまったく同一の言葉が神の痛みとしてではなく、明確に神の愛を指し示す言葉として用いられている。北森はその根拠を、七十人訳がこのヘブル語を明確に神の「愛」を表わすeleousという言葉によって置き換えて以来、すべての翻訳と注解が同一の道を辿っていること、また「憐憫」という言葉がこの言葉と対置的に用いられていることから結論づけている[8]。
北森は預言者エレミヤの言葉(エレミヤ31:20)によって、福音の心を神の痛みと見、以下のような命題を提示する。
『痛みにおける神は、御自身の痛みを解決し給う神である。イエス・キリストは、御自身の傷をもって我々人間の傷を癒し給う主である(1ペテロ2:24)』[9]。この命題に含まれている2つの契機は『(1)我々の神はあくまで解決者であり癒し主であり給うこと。(2)しかしこの神は彼御自身痛みをもち傷を負い給う主であること』[10]である。
神の痛みの音ずれが福音である理由は、痛みにおける神が、徹底的に包み給う神であるという事実による。このことの故に、救いとは、我々のこの望みなきまでに破れたる現実を神があくまで包み給うという音ずれである。アウグスティヌスによれば、罪とはいかにしても赦さるべからざるもののことである。神にとって我々の罪の現実は、いかにしても赦すべからざるものであり、いかにしても包むべからざるものである。そして神は、いかにしても包むべからざるものを包み給うが故に、御自身破れ傷つき痛み給うのである。最大の奇跡は、神が我々のこの破れたる現実を包み給うということであり、福音とは「望みなき者にこそ望みがある」という音ずれとなる。すでに神の痛みが我々の痛みを解決するものであるかぎり、この神の痛みは直ちに痛みに基礎づけられし愛である。これを裏付ける根拠として「我がはらわた痛む」(エレミヤ31:20)と訳された同一のヘブル語が直ちに「切なる仁慈」(イザヤ63:15)と訳されていることが挙げられている。また十字架の主がただちに復活の主である。痛みに敵対する痛みが神の愛であり、神の痛みの神学は、神の痛みに基礎づけられし愛の神学である。
テオドシウス・ハルナック(Luthers Theologie, I, N. A., S. 338)によれば、「十字架においては神の怒と神の愛という二つのものから第三のものが生じた。」この「第三のもの」こそ神の痛みである。また、ルターによれば、ゴルゴダにおいては「神が神と闘った」のである。いかにしても罪人に死を命じ給うべき神とこの罪人を愛せんとし給う神とが闘ったのである。この神が別の神ではなくして同一の神であり給うという事実こそ、神の痛みである。ここでは神の中において心と心とが対立したのである。
植村正久(植村全集第4巻331頁)によれば、「神は言うべからざる苦痛を嘗め、痛ましき手続きを経、身を犠牲に供して、人の為めに赦罪の道を開きたり」。この「痛ましき手続き」の解明こそ贖罪論に外ならぬ。「そのうたれし傷によりてわれらは癒されたり」(イザヤ53:5)。
北森は、痛みなき神を説く神学に対しての「折伏」として、以下の二つの立場を批判する。(1)神が徹底的に包み給う神であることを否定する立場に対して、(2)包み給う神の愛から神の痛みを押し出す立場について。(1)において北森は前述のバルト批判を行っている(6頁参照)。
北森は「神の痛みと歴史的イエス」として、近代主義の陣営から出された二重福音の問題、すなわち、イエスかパウロか、イエスの福音とイエスについての福音という問題について論じている。この問題は以下の二つの質問と答えに要約される[11]。
(1) たといイエスが神の愛と同時に神の痛みについて語り給うたとしても、それがパウロのごとく顕わな形でなされていないのはなぜであるか?
⇒イエスの死・復活・召天に続いて聖霊が降りたもうまでは、この真理を十全に示すことができなかったからである。(ヨハネ14:26、15:26,16:7,13)。故にイエスはこの真理の十全なる示顕を使徒たちに託し給うたのである。「自己の死についてのキリストの思想は、行為においてでなければ言い表し得ないものであった」
(後述するように、北森はここで、新約聖書でキリストの痛みをパウロのごとく顕わな形で表現している、スプランクニゾマイというギリシア語については触れていない。)
(2) イエスにおいてむしろ神の痛みよりも神の愛の方に優位が置かれているごとく語られているのはなぜであるか?イエスの人格は神の痛みそのもの(神の痛みのペルソナ、すなわち救い主)であるにもかかわらず、彼の教説は神の痛みよりもむしろ神の愛に優位が置かれているごとく考えられるのは、なぜか?
⇒神の痛みとは具体的には罪の赦しである。そして「赦すということは忘れることである。赦しはするが忘れはしないというのは赦していないことである(カール・ヒルティの言葉からの引用)」。この消息こそ、歴史的イエスにおける神の痛みに対する神の愛の優位を説明するものであると、北森は考えている。
歴史的イエスの問題と関連して、ヨハネ福音書における神の痛みについても以下のような記述がある。
北森はヘブル2:10を引用して、痛みは神にとってふさわしいこと、神の本質であるという命題を提示する。
「それ多くの子を栄光に導くに、その救の君を苦難によりて全うし給うは、万の物の帰する所、万の物を造り給う所の者に相応しき事なり(eprepen)」 ヘブル2:10(文語訳)
『…我々がこのテキストから読み出し得ることは、神の痛みが神にとって相応しきことであったということである。「相応しくある」とは本質必然的であるということである。痛みは神の本質にまではいり込んでいる!驚きとはこのことにほかならぬ。神の本質は神の永遠性に対応する。聖書においては神の痛みが永遠者としての神について語られている。「我は最先なり、最後なり、われ曾つて死にたりしが、視よ世々かぎりなく生く」(ヨハネ黙示録1:17−18)。究極的なる栄光の姿において現われ給う神もなお御自身をば、「最先にて最後なる者、死人となりて復生きし者」(同2:8)と呼びたもう。同13:8は「世の創めより屠られ給いし羔羊」と訳され得るであろう(なお「屠られ給いし羔羊」の占むる位置を見よ、同5:6,12,13)。―十字架は決して何らか外化された神の行為ではなく、神の内なる行為である。「十字架は神性の内部における行為の反映(あるいはむしろ歴史的な極)であった」(フォーサイス)…』[13]
『福音において究極的な言葉は神の痛みである。神が我々人間に御自身の痛みを告げ示さんとし給うたとき、神は我々人間の世界における痛みを通じて語ろうとし給うた。しかるに我々人間の世界において痛みの事態をもっとも激烈に表現するのは、親がその愛する子を苦しみのなかへ送りこれを死なしめるという場合である。故に「神が痛み給う」という究極的な言葉を語らんがために、「父と子」という関係が神によって取り上げられたのである。したがって「父が子を生む」という言葉は「父が子を死なしめる」という第一次的な言葉を語らんがための第二次的な言葉にほかならないのである。』[14]
ここで北森は、イサク奉献におけるアブラハムを神奉仕の父とし、「己が十字架をとりて我に従え」というキリストの言葉を「自己の痛みをもって神の痛みに奉仕せよ」と言い換える。この命令の意図は我々の痛みを真実に癒すことにあるとして、北森は以下のように論じる[15]。
人間の痛みはそれ自体としては単なる闇、無意義、非生産的であり、人間の痛みの真相は神の怒りである。しかし、神は彼御自身の痛みへの証として我々の痛みをば奉仕せしめんとし給うた。我々の痛みが神の痛みへの証として奉仕するに至るとき、我々の痛みは光に化せしめられ、意義を獲得し、生産的となる。神の怒りの現実に過ぎなかった我々の痛みは、この神の怒りを克服せる神の痛みによって、この怒りより救い出されるに至る。
神の痛みが我々の痛みを癒すとき、それはすでに痛みの領域を突破せる愛、すなわち「神の痛みに基礎づけられし愛」である。己が十字架を負いて主に従い主のために己が生命を失う者が、これによりかえって己が生命を得るに至るのは、この神の愛によるのである。人間の世界に起こる一切の痛みは、それが神の痛みに奉仕するものとならないかぎり、無意味にして実りなきものである。我々は人間の痛みを空費しないように努めねばならぬ。
我々においては痛みの経験そのものでさえも罪として成立するということである。愛する者の苦しみと死とによって我々人間が痛むという事実がすでに罪の現実なのである。なぜであるか。―我々は自己の愛する者の死や苦しみしか痛むことはできない。この痛みはあくまで主我的であり、種的であり、エロース的である。もし我々がこの我々自身の痛みをも色あせしむるまでに神の痛みに関心を注ぐに至るならば、その時始めて我々の痛みは罪から救われるに至るのである。我々が自己の痛みを神の痛みに奉仕せしむることこそ、自己の父母や息子娘にまさって主を愛することなのである。
また北森は、我々の痛みが神の痛みへの証として奉仕する時に、神と我々との間に痛みを媒介として類比が成立するとし、痛みの類比(analogia doloris)という概念を導入する[16]。痛みの類比においては、神の痛みが一切の人間の行為に巣食う恣意、錯覚、不従順を完全に征服する故に、人間の痛みは、もはやいかにしても不従順に陥ることなしとの保証を与えられ、神の痛みに奉仕することが出来ると北森は結論づける。
北森のことばを借りると、『「神の痛みの神学」は痛みの類比を媒介として神の痛みについてあえて語ろうとする。これが神の痛みへの奉仕である。しかし我々の痛みは、自己の奉仕する神の痛みによって、その不服従を征服されつつ、神の痛みに奉仕するのである。』[17]
ここで、痛みの類比において、人間の想像を絶する神の痛みを人間のレベルまで引き下げる危険に対する保証が本当にあるのかという疑問が起こる。ここで北森は痛みの類比をキリスト論的に行うことについては触れていない。この点からも、『神の痛みの神学』にキリストにおける神の痛みの理解が欠けている原因が考えられる。また北森が神の痛みの超越性を論じながらも、神の痛みを人間のレベルまで引き下げる危険を犯していると感じられる所である。神であり人であるイエス・キリストを通してでなければ、保証される痛みの類比などはあり得ないのではないかと私は考える。
北森は痛みの類比の例としてイエスの母マリア、父なる神について述べる。マリアの場合、なお主我的な親子の関係によって、この痛みの経験そのものが恣意や錯覚(くもり、にごり、エゴ)や不従順を持っているのではないかと考えられる。また父なる神の場合も、神に帰してはならないものをも神に帰すという過誤の可能性が十分残っていると考えられる。人間的な父親像の中には、怠惰な父、暴力的な父、無責任な父といった神に帰してはならないものが多く含まれているからである。
[1] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、235頁
[2] 寺園喜基『バルト神学の射程』、ヨルダン社、1987年、18頁
[3] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、258−289頁
[4] 北森嘉蔵の『日本ルーテル神学専門学校卒業論文―キリストに於ける神の認識』は、北森嘉蔵牧師記念誌『「神の痛み」の60年』(70−185頁)に収録されている。
[5] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、263頁
[6] 同書、263−264頁
[7] 北森嘉蔵『「神の痛み」の60年―北森嘉蔵牧師記念誌』、64−65頁
[8] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、268−269頁
[9] 同書、25頁
[10] 同書、25頁
[11] 同書、61-63頁
[12] 同書、67頁
[13] 同書、70頁
[14] 同書、74−75頁
[15] 同書、82−87頁
[16] 同書、87−91頁
[17] 同書、90頁
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