2000年 クリスマスメッセージ
「最高のクリスマスプレゼント」

聖書個所:ヨハネの福音書1章1〜18節

1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
1:3 すべてのものは、この方によって造られた。 造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
1:4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
1:6 神から遣わされたヨハネという人が現われた。
1:7 この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、 すべての人が彼によって信じるためである。
1:8 彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。
1:9 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
1:10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、 世はこの方を知らなかった。
1:11 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、 神の子どもとされる特権をお与えになった。
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、 ただ、神によって生まれたのである。 1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。 父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。 この方は恵みとまことに満ちておられた。
1:15 ヨハネはこの方について証言し、叫んで言った。 「『私のあとから来る方は、私にまさる方である。私より先におられたからである。』 と私が言ったのは、この方のことです。」
1:16 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、 恵みの上にさらに恵みを受けたのである。
1:17 というのは、律法はモーセによって与えられ、 恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
1:18 いまだかつて神を見た者はいない。 父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。

導入:クリスマスプレゼント

 毎年クリスマスには、様々なクリスマスプレゼントが贈られます。実は聖書の中には、最高のクリスマスプレゼントについての喜びの知らせが、書き記されています。今日は、この最高のクリスマスプレゼントを、みなさんと一緒に味わいたいと思っています。

  聖書には、世界で最初のクリスマスに起こった歴史的出来事が、正確に記録されています。クリスマス。それは全世界で、イエス・キリストの誕生を記念する日です。 キリストとは救い主という意味の言葉です。イエス・キリストという呼び方は、実は「イエス様がキリストである」という告白です。イエスが名前でキリストが性というわけではありません。イエス・キリストという呼び名は、「イエス様がキリストである」という単純明快な信仰告白なのです。
  今年私たちは、西暦2000年を迎えています。それは、「イエス・キリストの誕生の時から約2000年経った」ということを意味しています。西暦というのは、イエス・キリストの誕生を元年とする紀元だからです。 世界の歴史が、イエス・キリストの誕生を境にして、二つに分けられています。そして最高のクリスマスプレゼントは、このイエス・キリストが届けて下さったと、聖書は語っています。

本論1:最高のクリスマスプレゼントはイエス・キリストが届けて下さった

A、イエス・キリストは、すべてのものの造り主なる神である

  1節から3節までを見て下さい。

1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
1:3 すべてのものは、この方によって造られた。 造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。

  ここでは、イエス・キリストが「ことば」なるお方、また、すべてのものの造り主なるお方として紹介されています。初めに、この宇宙が創造される前から、父なる神と共におられ、すべてのものを創造された神。全宇宙の創造者。私の、そしてあなたの造り主なるお方。それがイエス様であると聖書は語っています。

  ですから、あなたは偶然に存在しているわけではありませんし、サルから進化したわけでもありません。「イエス様があなたを、かけがえのない大切な存在として造られたんです!」そう聖書は語っています。聖書は、偶然を信じ創造者なる神を信じない進化論ではなく、創造論に立っています。

B、イエス・キリストは、いのちの源、やみの中に輝いている光である

  次に、4節と5節を見て下さい。

1:4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

 ここにはイエス・キリストが、いのちの源なるお方、やみの中に輝いている光として紹介されています。 イエス様は何も悪いことをされませんでしたが、十字架につけられて殺され、そして墓に葬られました。けれどもイエス様は、今も生きておられるお方です。イエス様は、3日目に死というやみに打ち勝ち、死人のうちからよみがえられたからです。

  「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」という力強い言葉は、よみがえられ、今も生きておられるイエス・キリストのことを意味しています。

  私たちは必ずいつか死を迎えなければなりません。しかし、死の向こうに、確かな希望の光として輝いておられるお方。いのちの源なるお方。今もやみの中に輝いておられる光。それがイエス様です。

C、イエス・キリストは、人(肉体)となってこの世に来られた神である

 そして、9節と14節を見て下さい。

1:9 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。

  ここには、「この全宇宙を創造された神御自身が、私たちと同じ肉体を持たれた」という驚くべきメッセージが記されています!永遠の昔から父なる神と共におられ、すべてのものを創造されたお方。私の、そしてあなたの造り主なるお方。いのちの源、光であられるイエス・キリストが、私たちと同じ肉体をもった人となって、この世界に来て下さったのです。

 そして世界で最高のクリスマスプレゼントは、この人となられた神、イエス・キリストが届けて下さったと、聖書は語っています。イエス・キリストが届けて下さった最高のクリスマスプレゼント。それはどのようなプレゼントなのでしょうか?次にそのことを見ていきたいと思います。

本論2:最高のクリスマスプレゼントとは、神の子どもとされる特権である

  ヨハネ福音書の導入の部分は、1章1節から18節まで続いています。実はこの中に、この福音書を書いたヨハネが、いちばん伝えたいメッセージが記されています。 それは、1章12節に書かれてあります。1章12節を見て下さい。

1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、 神の子どもとされる特権をお与えになった。

 ここに「神の子どもとされる特権」という言葉があります。実はこの「神の子どもとされる特権」こそ、世界で最高のクリスマスプレゼントなのです!

A、天の父なる神をお父さんと呼ぶことができ、父の所有しているものすべてを共有する特権

 昔、日本人の牧師が、ナイアガラの滝を見ていたそうです。あの世界一大きいというナイアガラの滝です。一人のアメリカ人が、彼の所に来てこう言いました。「どうだ日本人、おまえの国にはこんな大きな滝はないだろう」と。するとその日本人牧師はこう答えました。「これは私のお父さんのものです」。これを聞いたアメリカ人はびっくりしてこう尋ねました。「あなたはインディアンの息子なのですか?」。その時、日本人牧師はこう答えました。「私はイエス・キリストを信じている牧師ですから、この滝は私のお父さん、父なる神様のものなのです」と…。 これを聞いたアメリカ人はびっくり仰天した後、次の日曜日にその日本人牧師を教会に招いて、集会をすることにしました。そこには「ナイアガラの持ち主の息子来る!」という大きな垂れ幕が掲げられたそうです。

 「神の子どもとされる特権」。それはまず、この牧師のように、「ナイアガラの滝も、エベレストも、太平洋も、全世界も、地球も、宇宙も、私のお父さんのものです」と言うことができる特権です。それはつまり、天の神様に向かって「お父さん!おとうちゃん!」と親しく呼びかけることのできる特権でもあります。
 そして、「私のお父さんのものです」と言うことができる特権は、同時に、お父さんの持っているものすべてを、一緒に持つことのできる特権なのです! 父なる神が持っておられるもの。その中には、イエス様の生涯、特に十字架と復活によって現わされた「永遠のいのち」も含まれています!

B、父なる神の愛を無条件に受け、キリストに似た者に変えられる特権

 そして、「神の子どもとされる特権」の中には、父なる神の愛を、無条件に受けることができる特権も含まれています。 私たちの造り主なる神は、私たちの弱さや醜さもすべてご存知です。しかし、すべてを知っておられて、「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と語っておられます。あなたの造り主なる神は、いのちを賭けても惜しくない存在として、あなたを愛しておられます。 私たちがまだ罪人(神の敵)であった時、イエス様は十字架の上で、その愛を現わして下さいました。「神の子どもとされる特権」とは、そのような無条件の、大きな父なる神の愛の中で、永遠に生きていくことができる特権でもあるのです。

 そして私たちが、父なる神の愛を受けて、神の子どもとして歩んでいく時、将来私たちは、必ずキリストに似た者に変えられる。そう聖書は約束しています。神の子どもとされたならば、将来必ず、神のように、キリストのように変えられていくのです。

 私たちの父なる神は、私たちが神を神とせず、神に背を向けてやみの中を歩んでいた時に、私たちを愛して下さいました。 「神に頼るほど自分は弱くない。私は神に造られたわけでもないし、自分の力でいきているのだ!」。そう言いながら、私たちが神に背を向け続けて、自己中心に歩んでいた時に、父なる神はいのちをかけて、私たちを愛して下さったのです。 その考えられないほどの大きな父なる神の愛は、私たちを神の愛を受けるにふさわしい者に、将来必ず変えて下さるのです。

 天の父なる神を「お父さん」と呼ぶことができる特権。父なる神の持っておられるものすべてと、永遠のいのちを持つことができる特権。父なる神の愛を無条件に受け、キリストに似た者に変えられる特権。それが「神の子どもとされる特権」という言葉で表現された、最高のクリスマスプレゼントなのです。

結論:最高のクリスマスプレゼント(神の子どもとされる特権)を受け取るためには、イエス・キリストを信じ、心の中に受け入れなければならない

 プレゼントというものは、必ず送る側がすべて代金を支払います。受け取る側は、ただ「ありがとうございます」と言って受け取るだけです。 もし受け取る側が、少しでも代金を支払ったとすれば、それはもはやプレゼントとは言えません。 世界で最高のクリスマスプレゼントも同じです。それは世界で最高のプレゼントである以上、その代金は最高に高価なものでした。実はその高価な代金は、イエス・キリストがあの十字架の上でいのちを捨ててくださることによって、すべて支払われたと聖書は語っています。 イエス様は十字架に架けられ、息を引き取られる直前に「完了した」という言葉を口にされました。この言葉は、文字通り救いが完了したという意味でもありますが、「借金・負債はすべて返済した!」という意味の言葉でもあります。

 返済することのできない私たちの罪の負債は、イエスキリストが十字架で苦しんで下さったことによって、すべて支払われたのです。  世界で最高のプレゼント、「神の子どもとされる特権」は、イエス・キリスト、神のいのちと引き換えに、無代価のプレゼントとなったのです。 ですから私たちは、ただ「ありがとうございます」と言って、受け取るだけでいいのです。

 私たちがプレゼントを贈る場合、必ずプレゼントを贈るだけの値打ちのある人に贈ります。そのプレゼントに見合うだけの価値がない人に贈るようなことはしません。そんなことをすれば無駄だと思うからです。

 けれども、天の父なる神様は、こんな私のために、そしてあなたのために、最高に無駄に思えることをして下さったのです。 ヨハネの福音書3章16節に、「神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世(あなた)を愛された。それは御子(イエス・キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 と記されているとおりです。

  私たちが「神の子どもとされる特権」という最高のクリスマスプレゼントを受け取るためには、どうしたらいいのでしょうか?最後にそのことを見ていきたいと思います。

  1章10節から12節を見て下さい。

1:10 この方(イエス・キリスト)はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、 世はこの方(イエス・キリスト)を知らなかった。
1:11 この方(イエス・キリスト)はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
1:12 しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、 神の子どもとされる特権をお与えになった。

 私たちがイエス・キリストから「神の子どもとされる特権」という最高のクリスマスプレゼントを受け取るために必要なこと。それはただ、あなたの心の中に、イエス様をキリスト、すなわち救い主として受け入れるということです。イエス様は今、あなたの心の扉をノックしながら、こうおっしゃっています。 「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。 だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、 わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、 彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録3章20節)

 もしあなたが、心の扉を開き、「イエス様私の心の中に入って下さい!」と祈るなら、たとえあなたの心の中がどんなに汚れていたとしても、イエス様はあなたの心の中に入って下さいます。
  あなたは、この最高のプレゼントを、もう受け取っておられるでしょうか?もし受け取っておられないならば、今日、あなたもこの最高のプレゼントをお受け取りになられませんか? もし心を開いてイエス様を心にお迎えし、「神の子どもとされる特権」を喜んで受け取りたいと願われる方がおられましたら、私が短く区切って祈りますから、ご一緒にお祈りして下さい。

祈り

イエス・キリストの父なる神様。
私は今まで、あなたに背を向けて、自分勝手に歩んでいました。
けれども、私がまだ罪人であった時、イエス様が私の罪のために、 死んで下さったことを感謝します。
今私の心の中に入って下さい。
あなたが、私の人生を導いて下さい。
神の子どもとして下さったことを感謝します。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。
アーメン。


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野町 真理