NEW! 2003年 6月8日 主日(ペンテコステ・花の日)礼拝式メッセージ
(野町 真理)

キリストの弟子の自由I
「偽りの証言をしてはならない」

聖書個所:出エジプト記20章1−16節

20:1 それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。
20:2 「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、である。
20:3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
20:4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
   上の天にあるものでも、 下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、
   どんな形をも造ってはならない。
20:5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
   あなたの神、であるわたしは、ねたむ神、
   わたしを憎む者には、 父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
20:6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。
20:7 あなたは、あなたの神、の御名を、みだりに唱えてはならない。
   は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
20:8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
20:9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
20:10 しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。
   「「あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、
      また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。「「
20:11 それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、
    七日目に休まれたからである。
    それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。
20:12 あなたの父と母を敬え。
    あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。
20:13 殺してはならない。
20:14 姦淫してはならない。
20:15 盗んではならない。
20:16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

主題:偽証しないということは、愛をもって真実な言葉を語ることによって、人を生かす自由に生きること

導入:言葉−あらゆる関係の要

 キリストの弟子の自由というシリーズタイトルで、十戒の一つ一つの言葉に耳を傾けています。今日は、「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。」という御言葉を、ご一緒に味わいたいと思っています。

 「証言」とありますように、今日の御言葉が語っていることは、言葉です。十戒の前半には、「主の御名を、みだりに唱えてはならない」という戒めが語られていました。あの、「御名を、みだりに唱えてはならない」という御言葉においては、主に神様と私たちの関係における言葉の使い方が問われていました。そして十戒の後半の中で語られている、「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。」という御言葉は、人と人との関係、私たちの人間関係における言葉の使い方に関する御言葉です。

 あいさつや日常会話から始まって真剣な話し合いに至るまで、実に私たちは、様々な言葉を口にすることによって、毎日生活しています。そして、どんな言葉をどういうふうに使うかによって、人間関係は良くも悪くもなります。言葉はあらゆる人間関係の要です。

 「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。」という御言葉によって、自分の語っている言葉、そして自分自身の言葉の使い方について、改めて深く探られます。

本論1、偽りの証言について

偽りの証言とは何か?

 偽りの言葉を使うこと。うそをつくこと。ごまかすこと。悪口やうわさ話をすることによって相手を引き下げること、罪に定めること。確かめもしないで軽率に人を裁くこと。

偽証をするとどうなるのか?−うそでうそを塗り固める悲惨、信用の喪失、人間関係の断絶

 うそを隠し続けるためには、さらにうそをつかなければならない。やがてうそはばれる。だまし続けることはできない。ごまかし続けることは出来ない。そしてその時、取り返しのつかないほど信用をなくしてしまう。人間関係の断絶。崩壊。

 相手の信用を引き下げることが出来る。相手の人間関係を悪くすることが出来る。罪のない相手を罪に定めることが出来る。

 神はすべてご存知。

 そして、キリストの弟子である私たちは、愛をもってうそ偽りのない言葉を語ることによって、真実なる神、うそ偽りのないアーメンの神を証しすることができます。もし私たちがうそ偽りの言葉を語るなら、うそ偽りのない神の御名を汚すことになります。ですから何よりも気をつけなければいけないことは、言葉だと言えます。

本論2、なぜ人はうそをつくのか?−偽証する理由

参考図書:M・スコット・ペック著、森英明訳、「平気でうそをつく人たち−虚偽と邪悪の心理学」、草思社

 M・スコット・ペック著、森英明訳、「平気でうそをつく人たち−虚偽と邪悪の心理学」(草思社)の表紙 顔のお面を取るとそこには青空が…

 著者であるスコット・ペックは、イエス・キリストを主と呼ぶキリスト者であり、心理療法カウンセラー。

 この本の前書きについて:はじめに−取り扱いに注意

 この本は危険な本である。

…くれぐれも慎重な配慮をもってこの本を扱っていただくよう、お願いしておきたい。 ここでいう配慮とは、ひとつには愛を意味する。この本に書かれていることから苦痛を受けた人は、自分自身にたいして優しく、慈悲深くあってほしい。また、この本を読んで、自分の友人、知人が邪悪だとわかったとしても、どうか優しく、慈悲深くその人と接していただきたい。いずれにしても慎重な配慮をもって−最大限の配慮をもってこの本を扱ってほしい。

 邪悪な人たちを憎むのはやさしいことである。しかし、「罪を憎み、罪人を愛せ」という聖アウグスティヌスのいましめを思い出していただきたい。ある人が邪悪だと気がついたときには、「神の慈悲がなければまさに自分がそうなっていたかもしれない」ということを思い起こしていただきたい。

 ある種の人間を邪悪だと決めつけることによって私は、必然的に、きわめて危険な価値判断を行っていることになる。主イエス・キリストはこう語っている。「裁くなかれ。なんじ自身が裁かれざらんがために」。この言葉はしばしば前後関係を無視して引用される言葉であるが、キリストはけっして、自分の隣人を裁いてはならないと言ったわけではない。というのは、続いて彼はこう語っているからである。「なんじら偽善者は、まず初めに自分の目からはりを取り払え。さすれば、物明らかに見え、なんじの兄弟の目からちりをとり除くも可なり」。ここでイエスが言わんとしたことは、他人を判断するときはつねに十分な配慮をもって判断しなければならないし、また、そうした配慮は自己批判から出発するものだということである。…

A、自己正当化のために(責任転嫁…他者をスケイプゴートにする。自分の身代わりとして他人を罪に定める)

 私たち人間が、自分の欠点や過ちを指摘され、自分の責任を問われた時に見せる、ほとんど反射的な反応(体験談:HBC委員会での私のアホな反応)。

 「あの人があんなことを言ったので」、あの人のせい、親のせい、家庭のせい、学校のせい、教会のせい、社会のせいにして

 自分を加害者として見ることを拒み、自分こそ被害者だと思っている人。

 自分が悪いとは絶対に認めたくない人。

 知らず知らずのうちに、自分には欠点がない、自分は正しくて間違いを犯さないと考えている人(私の体験)。

 罪を犯したのにそれを隠そうとしてうそをつく。もっともらしい理由や原因を考えて巧みなうそをつく。

B、自分を人によく見せるために(仮面・マスク:本の表紙絵参照 by JEAN-FRANCOIS PODEVIN)

 いくつもの顔を持ち、場所と状況によってそれそれの顔を使い分ける人。

 家の中の顔、学校の顔、職場の顔、教会の顔…。

 人が自分をどう見るか、人が自分をどう評価するかが最大の関心事。人の目に映る自分の姿をいつも確かめる。他人に受け入れられるいい人になるために背伸びをする。

 教会ではクリスチャンらしく振舞い、クリスチャンらしい言葉を口にし、自分の力でいいクリスチャンを演じている人。

 本当の自分の姿、ありのままの自分の姿が知られたら、みんな自分から離れていくのではないかという恐れと不安。

C、自分の意志や考えを実現させるために

 「みんなそう言ってますよ」。「あの人にそう言われました」。

 会話の中のある言葉だけを取り出して自分勝手に解釈し、偽りの証言をする。

 非常に意志が強い人。頑固な人。

本論3:どうすれば偽証から解放されるのか?−神の愛と真実を体験し、神の瞳に映る自分の姿を見て生きる

1、ありのままの自分の姿で神の前に出て、神の愛と真実を体験する−放蕩息子のたとえより

15:11 またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。
15:12 弟が父に、『おとうさん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。
15:13 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。
    そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。
15:14 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。
15:15 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。
15:16 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。
15:17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。
    それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
15:18 立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。
15:19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』
15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。
    ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
15:21 息子は言った。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。
    もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』
15:22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。
    それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
15:23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
15:24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。
    ルカ15:11−24

2、いつでもどこでも、人の目に映る自分ではなく、神の瞳に映る自分を見て生きる

神の瞳に映る空の鳥(おまけの雀)、野の花、そして私たち

6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。
   けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、
   ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
   マタイ6:26−30

10:29 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。
    しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
10:30 また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。
10:31 だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。
   マタイ10:29−30

12:6 五羽の雀は二アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前には忘れられてはいません。
12:7 それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。
   恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。
   ルカ12:6−7

結論:偽証しないということは、愛をもって真実な言葉を語ることによって、人を生かす自由に生きること

むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。
エペソ人への手紙4章15節

A、真実を語るだけでは人間関係を壊すことになる。人を生かすことは出来ない。

 どんなに正しい言葉、真実な言葉であったとしても、本当に相手の立場や状況に立って相手を理解し、配慮しつつ、愛をもって語らなければ、厳しくて冷たい裁きの言葉となってしまう。真実を語るだけでは、本当に正しいことを語るだけでは、人間関係を建て上げていくことは出来ない。人を生かすことはできない。

B、愛をもって真実を語る時、真に豊かな関係を築いていくことが出来る。人を生かすことが出来る。

 聖書は、「愛をもって真理を語りなさい。」と教えている。他人の悪口や批判、あるいは他人が罪を犯しているということを聞いた時には、まずその人と関わりのある数人の人と話して、事実関係を確かめなければならない。よく調べもしないで、軽率に裁いたりしてはならない。

 そして、もし本当にその人が悔い改める必要があるということになれば、その人のために祈り、愛をもって真実を語るべき。その際に、まず自分自身のことを省み、自分の目の中からはりを取り除くことが必要。もし神のあわれみと守りがなければ、私もそのような罪を犯していたかもしれないということを厳粛に覚えながら、愛をもって接するべき。アウグスティヌスが語った、「罪を憎み、罪人を愛せ」という言葉に生きるべき。

8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。
   私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、
   私たちのためにとりなしてくださいます。
8:27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。
   なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。
8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、
   神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
   ローマ8:26−28

 ペンテコステに一人一人に与えられた聖霊なる神、内住のキリストは、私たちのためにうめき、とりなして下さっている。そして、私たち一人一人を、悔い改めへと導いて下さる。

 もし私たちが、聖霊なる神の促しに従って自らの罪を認め、ありのままの姿で神の前に出て、罪を告白するなら、すべての罪が赦され、新しくやり直すチャンスが与えられる。そして、イエス・キリストに従って歩み続けるならば、すべてのマイナスをプラスに変えて下さる、大いなる神の恵みを体験することが出来る。万事が益に!

祈り

天のお父様。
私たちは、自分の罪を隠して自分を正当化するために、あるいは自分をよく見せるために、
また、自分の考えを押し通すために、様々なうそ偽りの言葉を使っている者です。
お赦し下さい。
けれどもあなたは、そんな私たちのことを愛して下さり、
御子イエス様を私たちの身代わりに十字架につけて殺し、そしてよみがえらせることによって、
真実な愛を示して下さったことを感謝します。
神様。あなたは、うそ、偽りのない真実なお方です。
どうかそのあなたの前に、ありのままの姿で出ることが出来るように助けて下さい。
そして、あなたの愛によって、うそいつわりの言葉を語らなければならないような人生から、
私たちを救い出して下さい。
そして、真実なあなたを証しすることの出来る者として下さい。
私たちの主イエス・キリストの御名によって、祈ります。
アーメン。


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野町 真理