松代大本営跡を訪れて

(2000年9月4日)

参考文献
新手さぐり 松代大本営
−計画から差別の根源まで−
原山茂夫著
社会福祉法人 長野若槻園 コロニー印刷(TEL 026−296−1411)


先週私は、長野市の南、松代町に現存する松代大本営跡に足を運ぶことができました。

長野市松代町、千曲川のすぐ南、長野インターチェンジから車で15分ほどの所に、
巨大な地下壕が掘られています。

これは大東亜戦争末期に掘られました。
1944年夏に総延長13キロにも及ぶ地下壕の掘削が計画され、
その年の11月11日に工事が始められました。

実際には使われることはなかったのですが、
敗戦によって工事が中断されるまでの9ヶ月で、
述べ11キロの巨大な地下壕が3つの山に掘られました。
突貫工事のために6000人ほどの韓国の方々も強制労働させられ、
多くの方が犠牲になったようです。

本土決戦に備え、沖縄戦で時間稼ぎをしている間に、
大本営が東京から長野の山奥に逃れるための一大首都移転計画でした。
大本営とは天皇を中心とする戦争の最高指令部のことで、
天皇、皇后、宮内庁、政府機関、日本放送協会、中央電話局などが逃れる予定でした。

国体護持(天皇を中心とした政治体制の存続)のため 、日本の指揮中枢を空襲から護るため、
そして本土決戦の司令塔とするために極秘に計画され、工事が進められたようです。

<大本営資料館>時代の館(TEL 026−278−9998)を見学した後、
一般公開されている象山地下壕の一部の中に入ることが出来ました。
夏でもひんやりとした地下壕内には、 岩に突き刺さったままの削岩器のロッドなどがあり、
戦争を知らない世代に生まれ育った私も、
歴史的事実としての、
天皇を中心とした神の国の実現を目指した大東亜戦争を、まざまざと実感させられました。

大本営地下壕は地震観測所となっていて一般公開はされていませんが、
入り口付近と、天皇、皇后、宮内庁が避難するために造られた建物の傍には行けました。

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