韓国を訪れて

野町 真理

この文章は1991年の8月に韓国を訪れ、そのすぐ後で書いたものなのでかなり古いものです(2000年9月27補足)
けれども日韓の和解のために、皆さんに読んでいただければと思って紹介します。
高知高専時代の私の英語の恩師、 西澤嘉一郎先生の著書、
『英語について(英語=積極性)』に寄稿させていただいた文章です。

 英語を学ぶことは、私にとって、積極的に異文化にふれてそれを理解しようとする一つの手段です。そして英語を実際に使ってコミュニケーションを図り、異る文化を自分の肌で感じるとき、私は自分自身の生き方を、また、自分の生まれ育った国、日本を見つめ直さずにはいられません。

 去年の夏、私は韓国のソウルを訪れ、片言のハングルと、ゼスチャーと英語を使ってコミュニケーションを試み、様々な事を学んでくることが出来ました。 飛行機で2時間足らずで行ける韓国への旅は、私にとって初めての海外旅行でしたが、忘れることの出来ない、素晴らしい体験となりました。九日間という短い期間でしたが、ソウル市内にある教会やロッテワールド、オリンピック・スタジアムなどを見て回り、また、ソウル近郊にある民族村、独立記念ホール、3・1運動の記念塔が建てられているチェアムリ教会、そして南北の分断の地・板門店の近くにある自由の橋などを訪れたのですが、その一つ一つの場所が瞼に焼き付いています。

 ソウルの少し南に独立記念ホールという建物があります。そこで私は、日本の歴史の教科書には書かれていないことを知ることが出来ました。日本は第二次世界大戦中、三十五年間韓国に対して植民地政策を行ないました。言葉を奪い、日本語を強用させ、名前を奪って日本名を名のらせ、信仰も奪おうとし、抵抗する者は片っ端から目を背けたくなるような拷問にかけて殺していったのだという事実をパネル展示やろう人形による展示を通して知りました。これらの展示は日本を責めるためではなく、自国とその文化を失うということがどんな事なのかをよく知ってもらい、二度とそれを繰り返さない為にされているということでしたが、この展示を見た時とチェアムリ教会を訪れた時ほど、自分も日本人の中の一人だという自覚を持った時はありませんでした。ある日本人の宣教師の方が言われた「加害者は忘れることが出来ても被害者は忘れることが出来ない。」という言葉が私の胸に突き刺さりました。

 チェアムリ教会には3・1運動(独立運動)の殉国記念塔が建てられていました。これは、この地域で独立運動が強まったとき、日本軍がその運動の主要メンバーをこの教会に集め、彼らを閉じこめて教会もろとも焼いてしまったという悲しい事が行なわれた所でした。現在再建されている教会の中に書かれていた「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」という聖書の中の言葉を見たとき、(これは神の御子、イエス・キリストが一点の罪も犯さなかったのに私たちの罪の身代りとして十字架につけられたときに言われた言葉)ことばにならない深い感動を覚えました。

 韓国を理解するのに欠かせないことの一つに離散家族のことがあります。南北の分断に始まり、1950年から3年間にわたって続いた韓国動乱のために生き別れになった約14万人の方が今なお肉親の生死も分からずに毎日不安の中に生きているんだということを聞きました。韓国と北朝鮮は現在も休戦中であり、私の訪れた自由の橋は、休戦後1万3千人の共産軍捕虜がこの橋を渡って、自由の身となったのにちなんで名付けられたそうです。軍用車が行き交い、日本では味わうことの出来ない緊張感も体験しました(私はまだ行った事がないのですが、日本でも沖縄ではそのような緊張感が絶えずあるようです)

 いま日本は戦後の復興期、高度成長期を経て経済大国と呼ばれ、本当に物質的には恵まれています。しかし、私には何か大切なものを失っているように思えてなりません。もともと模倣をするのが上手な日本人は、文化や技術から始まって食物にいたるまで様々なものを世界中から取り込み、それを日本人風にアレンジし、今の豊かさに至っています。しかしその豊かさは本当の幸せをもたらしているでしょうか。また同じ地球上で1/3の子供は食べる物もなく飢えていることを心に留めている日本人がどれくらいいるでしょうか。

 私は今、大学で電気・電子工学を学んでいます。御存知のように、日本の技術は世界でも目を見張るものがあります。そして日本のエンジニアはしのぎを削って技術開発をし、消費者はもっといいものを、もっと便利なものを求め続けています。私はこのことを考えるとき、少し前のJRのコマーシャルでアイドル歌手の小泉今日子が「もっと!もっと!」と叫ぶ姿が目に浮かんできます。

 高専時代、西澤先生の英語に、いや生き方に触れ、積極的に旅と読書をしている、また、神の愛を知り、生きる喜びを感じつつ歩んでいる者として私の異文化体験などを書いてみました。読まれた方一人一人が、もう一度自分の生き方などを見つめ直すきっかけになれば幸いです。

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