第四章 『神の痛みの神学』における課題点

1、「日本的な」神学であることについて、バルトが真剣な疑問符を提示した理由

 バルトは、著書『福音主義神学入門』の日本語版序文(1962年:バルト76歳の時)において、北森嘉蔵の『神の痛みの神学』が「日本的」神学であるということに対して、真剣な疑問符を提示している。以下にその内容を記す。

 『正しい神学者というものは、どこにあっても自分の足で立ち、歩くものであるし、神学者の思考がある種の国民的特性を有するということは、当然そのことのうちに含まれていることであろう。そして、日本における神学者たちが、「非植民地化」の一般的な健康な行程に従いながら、このような意味でなお日本的であることに着手しているとすれば、それは秩序正しいことであり、わたくしも率直にこれを励まし、心から喜びを共にするのは、初めから当然のことと言える。しかしながら、たとえばドイツにおいて、特に「ドイツ的な」キリスト教と、それにふさわしい特に「ドイツ的な」神学を展開し、育てることに着手した時、それがうまくいかなかったことは、周知の通りである。それと同じように、特に「アメリカ的な」、あるいは「スイス的な」神学を試みたところで、喜ばしい結果は何も生じないことは明らかであろう。そしてそれは、特に「日本的な」神学においても同様であろう。神学の、正当にして、必然的な、聖書に根ざし、世界教会的に妥当する神学だということである。この点でわたくしは、まさに北森嘉蔵氏の『神の痛みの神学』に対して、真剣な疑問符を付することを許されたいと思う。この神学はマイケルソンの書物によれば、そこで述べられているさまざまな企てのうちで、最も才気煥発なものであるばかりでなく、最も「日本的」でもあるように、わたくしには思われる。北森氏がまだ老人ではおられないと聞いてわたくしはうれしい。日本的な固有性を持ちながら、「日本的」ではなくて、福音主義的であり、聖書に根ざし、世界教会的に妥当するようなひとつの神学を目指して、さらに解明を加えるだけの時間も能力も、北森氏は持っておられるのである。』[1]

 この章では、『神の痛みの神学』が「日本的なもの」である故の課題点を考察するために、まず日本的神学が最も顕著な形で表れていると思われる『日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰(1944年)』[2]に目を通したい。この書翰を見なければ、バルトがなぜ『神の痛みの神学』に対して真剣な疑問符を提示したのかが理解できないと考えるからである。

 そして次に、日本的なもの、日本的思惟とは何かを考えたい。そして最後に『神の痛みの神学』における課題点を考えていきたい。

 前述したように、戦時下の日本の教会は、国家神道のナショナリズムに対して信仰の歯止めを外し、抵抗出来なかった。戦時下において、日本基督教団教団統理者であった富田満は伊勢神宮に参拝し、アジア諸国に対して、『日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰』を公的に発信し、アジア諸国のキリスト者に神社参拝を強要したのである。この書翰によって当時の教会が国家に対する妥協というよりも、国家との無恥な自己同一化があったことを目の当たりにすることができる[3]。

 この書翰において、見逃すことが出来ない点は、この書翰が日本基督教団の公式の文章であるということである。戦時下の強力な日本的思惟の流れに流され続けた日本の教会の到達点が、ここにはっきりと示されていると思われる。なお、日本同盟基督教団・横浜上野町教会役員会は、この日本のキリスト教会のアイデンティティが問われている公式の書翰を真剣に受け止め、主イエス・キリストに対する真摯な悔い改めから再出発し、公の文章『横浜上野町教会よりアジアの中の日本にある基督教徒に送る手紙(1995年)』を日本のキリスト教会・諸関係者に発信している[4]。

日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰

(1944年)

「福音と世界」一九六七年五月号より転載

『 序文

 キリスト教は福音である。すなわち「大いなる歓喜の音信」である。ゆえに四福音書あり、福音を伝えるために遣わされた徒の旅行記あり、使徒パウロの著作はいずれも教会あるいは同信同志の人々に送った書翰である。福音に始まった聖書はアジアの七教会に贈ったヨハネの書翰で終わっている。キリスト教は実に福音である。

 今ここに日本基督教団が東亜共栄圏内の諸教会および同信同志の兄弟たちに書翰を贈るゆえんは、キリスト教が「大いなる歓喜の音信」であるという信仰に基づくためにしてこれを現代の使徒的書翰と称するも言い過ぎでなかろう。

 日本基督教団は東亜共栄圏内のキリスト教会に対して常に関心を有しその発達のため熱祷してやまない。これがため教団は共働者を遣わし、また必要なるものを送ろうと計画しているが、今日の事情においてはその志望のごとく実行できないのをはなはだ遺憾としている。やむを得ず、先ず教団を代表する公同的使徒的書翰を送って挨拶し、われらの平素の志を略述することにした。その詳しき内容については受信者が本書翰を詳らかに通読せられんことを望む。

 日本基督教団の現代的使徒書翰は、本書が第一信であって、続いてしばしば書翰を送る計画である。望むらくは諸君がこれらの書翰を隔意なく迎えて、これを文字通りに解釈して、我らの志を理解し、信望愛を同じうせられんことである。少数ではあるが日本基督教団より特派した伝道者あり、書翰中にもし諸君に理解し難き所あらばこれを詳らかに懇ろに説明するであろう。彼らもまた、使徒パウロの記せしごとく「キリストの徒」であるから諸君は隔意なく彼らと親交せられんことを併せ望まざるをえない。

 予は教団の統理者として種々記したいこと多いが、今は書翰を紹介する文だけに留め、後便に譲ることとした。書翰を読んだ人々にしてその腹蔵なき応答を寄せられるならば、われらの喜悦これより大なるはない。

 最後に予は二千年来伝え来たった使徒的挨拶をもってこの序文を終わろう。「願わくは、主イエス・キリストの恩恵、神の愛、聖霊の交感、汝らすべての者とともにあらんことを」。

昭和十九年 千九百四十四年復活節の日

日本基督教団教団統理者 富田 満


第一章

 われら、日本に在りてキリスト・イエスとその福音とを告白し、その恩寵の佑助によりて一国一教会となれる日本基督教団およびそれに属するもろもろの肢は、東亜共栄圏内に在る主にありて忠信なるキリスト者たちに心よりの挨拶を送る。願わくはわれらの主イエス・キリストの恩寵と平安、常に諸君の上にあらんことを。

 主に在りて忠信なる兄弟たちよ。われらは未だ面識の機会なく、互いに伝統と生活の習慣とを異にしているが、かかるもろもろの相違にかかわらずわれらを一つに結ぶ鞏固なる…紐帯が二つあると思う。その一つは、われらの共同の敵に対する共同の戦いという運命的課題である。彼ら敵国人は白人種の優越性という聖書に悖る思想の上に立って、諸君の国と土地との収益を壟断し、口に人道と平和とを唱えつつわれらを人種差別待遇の下に繋ぎ留め、東亜の諸民族に向かって王者のごとく君臨せんと欲し、皮膚の色の差別をもって人間そのものの相違ででもあるかのように妄断し、かくしてわれら東洋人を自己の安逸と享楽とのために頤使し奴隷化せんと欲し、遂に東亜をして自国の領土的延長たらしめようとする非望をあえてした。確かに彼らはわれらよりも一日早く主イエスの福音を知ったのであり、われらも初め信仰に召されたのは彼らの福音宣教に負うものであることを率直に認むるにやぶさかではないが、その彼らが、今日あくなき貪りと支配慾との誘惑に打ち負かされ、聖なる福音から脱落してさまざまの誇りと驕慢とに陥り、いかに貪婪と偽善と不信仰とを作り出したかを眼のあたり見て、全く戦慄を覚えざるをえない。かくのごとき形態を採るにいたった敵米英のキリスト教は、自己を絶対者のごとく偶像化し、かつて使徒がまともにその攻撃に終始したユダヤ的キリスト者と同一の型にはまったのである。「汝ユダヤ人と称えられ、盲人の手引、暗黒における者の光明、愚なる者の守役、幼児の教師なりと自ら信ずる者よ。何ゆえ人を教えて己れを教えぬか。窃む勿れと宣べて自ら窃むか。姦淫する勿れと言いて姦淫するか。偶像を悪みて宮の物を奪うか」(ローマ書二・十七ー二二)。これはことごとく先進キリスト教国をもって自認する彼らの所業に当てはまってはいないであろうか。彼らがもしこのような自己の罪に目覚め、悔改めをなし、一日遅れて信じたわれらと同一線上に立って初めて信ずる者のごとく日ごとに主を告白する純真な信仰を有っていたならば、かかる反聖書的な東亜政策を採るに到らなかったであろう。彼らがもし主への真の従順と奉仕とを日ごとに決断し実行していたなら、自国の内外の政治軍事経済文化のあらゆる領域にわたってあのような敗退と混乱とを演じないですんだであろう。

 われらは聖書に基づく洞察と認識とによって彼らの現状を憐れむと共に、この不正不義を許すべからざるものとして憎まずにはいられない。

 日本はこの敵性国家群の不正義に対してあらゆる平和的手段に出でたるにもかかわらず、彼らの傲慢は遂にこれを容れず、日本は自存自衛の必要上敢然と干戈を取って立った。しかも緒戦以来皇軍によって挙げられた諸戦果とその跡に打ち樹てられた諸事実とは、わが日本の聖戦の意義をいよいよ明確に表示しつつあるではないか。彼らの不正不義から東亜諸民族が解放されることは神の聖なる意志である。「神は高ぶる者を拒ぎ、謙る者に恩恵を与え給う」(ヤコブ書四・八)。それでは米英の高ぶりは何によって排撃されるであろうか。皇軍の将兵によってであり、地上の正義のために立ち上がった東亜諸民族の手によってである。そして諸君の民族がこの大聖戦にわれら日本と共に同甘共苦、所期の目的を達成するまで戦い抜こうと深く決意し、欣然参加協力せられたことによって、大東亜の天地には、われら日本人と共に諸君の、すなわち大東亜諸民族の一大解放の戦い、サタンの狂暴に対する一大殲滅戦の進軍を告ぐる角笛は高らかに吹き鳴らされたのである。聖にして義なる神よ、願わくは起き給え、しかしてわれらの出てゆく途に常に共に在して、行く手を照らし助け導き給え。兄弟たちよ、諸君とわれらとを結ぶ第一の絆は、われらが相共にこの聖戦に出て征く戦友同志であるという深い意識である。

 次にわれらを種々の相違にもかかわらず一つに結ぶ第二の、しかも決定的な絆は、われらが共に主キリストを信じ霊的に彼の所属であるということである。彼はわれらの生と死における唯一の慰めであり、教会の主であり給う。われらはこの天地の主なる神の御言葉また御子が肉体を取り、われらのごときものの一人として、われらの兄弟として今ここに立ち給うことによって、何らの代償なくして、ただ御恩寵により主イエスの兄弟としての破格の待遇に浴し、一切の罪を赦され、罪と死との彼岸にある永遠の生命の約束に与る神の子たちの新しい身分に移されたのである。信仰者の生にとってこの主を認識し、この主に奉仕すること以上に貴重なる財産は何一つない。兄弟たちよ、われらは、この信仰の認識と奉仕とを、この感謝と讃美とを、われらより奪い去りうるものは何一つとしてないという確信において一致している。この主より賜わりたる貴き福音の富を、われらの同胞と隣人に持ち運ぶ愛の委託をわれらより奪いうるものは何一つとしてないのである。「しかして御国のこの喜びの使信はもろもろの民族への証言として全世界にわたって宣べ伝えられん」(マタイ伝二四・十四)。われらがかかる約束を賜わったということは、福音宣教の唯一の命令に縛りつけられたということにほかならない。われらは罪人たるわれらの業や言葉に頼って、どれだけこの約束を実証し、どれだけこの命令を果たしうるであろうかを知らない。しかしわれわれの罪ある被造的な、相対的な決意と努力と業とを通じて、真にこの命令を成し遂げ給う者は、われらではなく命令者イエス・キリスト御自身であり、ただ彼のみであるという確信において一致していると信ずる。またこの主イエスは、神を愛するとともに、「己れの如く汝の隣りを愛すべし」と命じ給うた。われらが主の福音を聞いたということは、必然的にこの主の誡命に聞き従ったということでなければならぬ。大東亜共栄圏の理想は、この主の隣人愛の誡めを信仰において聞き、服従の行為によって実践躬行することをわれらに迫る。われらはこの主の誡命の下に立ち、あらゆる障害を排して一直線に前進すべきである。この必然の道においてわれらは全き一致を示しうるではないか。「汝ら召されたる召しにかないて歩み、平和の繋ぎ(靭帯)のうちに勉めて御霊の賜う一致を守れ」(エペソ書四・一、三)。兄弟たちよ、われらは牛が力を合わせて犂を牽くように、この強靭なる紐を牽いてゆかなくてはならぬ。これが諸君とわれらとを結ぶ第二の決定的な索縄である。


第二章

 愛する兄弟たちよ。 われらは諸君に期待し、諸君を信頼している。諸君は、「おおよそ真なること、おおよそ尊ぶべきこと、おおよそ正しきこと、おおよそいさぎよきこと、おおよそ愛すべきこと、おおよそ聞こえあること、いかなる徳、いかなる誉にても汝らこれを念い」(ピリピ書四・八)これを認むるにやぶさかでないであろうことを。この大東亜戦争遂行にあたって、わが日本と日本国民とがいかなる高遠の理想と抱負とを抱いているかは、次第に諸君の了解されつつあるところであろう。われらもまた政治経済文化の各部面で諸君と提携するために腐心し挺身しつつあるわが朝野の、軍官民の先達たちの報告によって、諸君の中にわれらの学ぶべき「おおよそ愛すべきこと、おおよそ聞こえあるべきこと」のあるを聞き知り、尊敬と共感と親愛の情を覚え、諸君に強く牽かるる思いがする。諸君が地域の如何を問わず、文化の傾向を論ぜず、よきものに共感し、尊きものを尊しとする公明正大の心を有ち、敵性国民の無責任にして放縦なる個人主義とは全く類を異にすることを確信する。しかも諸君は人間の個性的な面においてまことに深きものを包蔵し、各自の職域にあってあくまでも自己の深い信念に生き、それと密接に繋がっている高い公の犠牲的精神を備えていらるる様子を聞くに及んで、早く諸君の風?に接したいと願う念いや切である。神もし許し給わばいつかわれらは諸君のもとに往き、諸君もわれらのもとに来たって、互いに個人的に親しく相交わり、顔と顔とを合わせて相識り、固く手を握り合うことも許されるであろう。しかし、われらも諸君自身を相識ること浅いごとく、諸君もまたわが日本の真の姿を識ることにおいて未だ不十分であるかも知れない。乞う、われらが今少しく「大胆に誇りて言う」(コリント後書一一・十七)ことを許せ。

 そもそもわが日本帝国は、万世一系の天皇これを統治し給い、国民は皇室を宗家と仰ぎ、天皇は国民を顧み給うこと親の子におけるが如き慈愛を以てし給い、国民は忠孝一本の高遠なる道徳に生き、この国柄を遠き祖先より末々の子孫に伝えつつある一大家族国家である。われら国民は、畏くも民を思い民安かれと祈り給う天皇の御徳に応え奉り、この大君のために己れ自身は申すまでもなく親も子も、夫も妻も、家も郷も、ことごとくを捧げて忠誠の限りを致さんと日夜念願しているのである。この事実は諸君が既に大東亜戦争下皇軍将士の世界を驚倒せしむる勇猛勇敢なる働きをみて、その背後に潜む神秘な力として感づいていらるる所であろうが、一度でもわが国の歴史をひもといた者は、その各頁がこの精神に充ち満ちていることに驚異せられるに違いない。

 兄弟たちよ。諸君は使徒が「おおよそ真なること、おおよそ尊ぶべきこと」と語っているところのものは、単に教会の中なる諸徳について言っているのではなく、教会の外の一般社会の中にあるかのごときものを、思念せよ、尊敬せよ、と言っているのであることを十分御承知と思う。この美徳を慕う感情においても諸君はわれらと一つであられるであろう。分裂崩壊の前夜にある個人主義西欧文明が未だ一度も識らなかった「おおよそ尊ぶべきもの」が、東洋には残っている。われらはこの東洋的なものが、今後の全世界を導き救うであろうという希望と信念において諸君と一致している。全世界をまことに指導し救済しうるものは、世界に冠絶せる万邦無比なるわが日本の国体であるという事実を、信仰によって判断しつつわれらに信頼せられんことを。

 諸君の既にしばしば聞き知っていられるように、われら日本人の先祖は非常に謙遜に、しかも積極的に、心を打ち開いて外来の文化を摂取したのである。中国よりは、君らの優れたる父祖である孔、孟の教えを。インドよりは、君たちの聖者釈迦を開祖とする仏教とこれと共にインド文明を、しかもわれらの先祖たちは決して当時の先進諸外国の文化に心酔したのではなく、非常に博大な心と謙虚な思いをもってこれを摂取し習得したのみならず、高い強い国体への信念とこれに基づく自主性に立って、これをわが国ぶりに副うように醇化し日本化して来たのである。かの聖徳太子の準備せられ中大兄皇子の完成し給うた大化の改新は、支那古代の儒教と制度文化が日本化して具現された最初の結実である。次にわが鎌倉時代の日本仏教特に道元の開いた日本禅は、インドの仏教が中国を経てわが国の土壌に吸収消化され、これに全く日本的な新生面を開いたもので、この時代以後わが国民精神の基調となり日本武士道の培養の素となったものである。また支那の曇鸞、善導の浄土門信仰は、日本の法然、親鸞によって世界の宗教学者達が驚歎するほどの絶対恩寵宗教の立場に醇化発展を遂げたのである。わが飛鳥天平の文化、平安時代の文芸より、鎌倉時代の武芸、禅学、彫刻にいたるまで、さらに室町、安土、桃山時代の豪華なる建築、茶道、絵画、江戸時代の儒学、国学、蘭学より、さては明治維新以後のヨーロッパ文明の摂取醇化にいたるまで、すべて日本人の深い謙虚さと己れを失わない高い信念との所産でないものはない。われらの父祖はこれらの外国のよきものを虚心坦懐に学ぼうとしたと共に、深い批評精神に基づいてこれに創意を加え、日本化し、独特の日本文化を産出し、今日の隆盛をいたしたのである。 かくのごとき歴史の盛観を現出することを得たゆえんは、日本精神の創造的活動の根柢に儼乎(げんこ)たる尊厳無比の国体が存したるに由る。殊に外来文化の摂取に当たって指導者たちが常に新文化の先覚者であったことは、日本精神がいかに強靭にしてしかも柔軟性に富んでいるかを物語る。まことに霊峰富士に象徴せらるる明るき清き直き心である。 右のごとき大精神は、ただ日本の国土内に留まるにはあまりに崇高にして広大無辺である。今より一〇余年前に独立し爾来ますます発展を遂げつつある満州帝国といい、われらと協力して敵米英に宣戦した中華民国といい、盟邦泰国、過ぐる日独立を祝祭した新生ビルマ国家、最近独立して新政府を組織したわれらの兄弟フィリッピン、その他いかなる地域いかなる辺境といえども、あたかも太陽が万物を光被化育するように、この大精神に照らし掩われていないものはなく、相共に深い決意をもって互いに助け、互いに尊敬し、互いに愛し、正義と共栄との美しい国土を東亜の天地に建設することによって神の国をさながらに地上に出現せしめることは、われらキリスト者にしてこの東亜に生を享けし者の衷心の祈念であり、最高の義務であると信ずる。


第三章

 わが国の有力なキリスト者の一人である内村鑑三は、当時欧米文明の滔々たる輸入と憧憬との支配していた時代風潮の中にあって、「世界は畢竟キリスト教によりて救わるるのである。しかも武士道の上に接木せられたるキリスト教に由りて救われるのである」と喝破した。彼は夙に欧米の特に米国の宣教師が成功と称して勢力と利益と快楽とを追求する信仰を非信仰として排斥し、宣教師の一日も早く日本より退散して、日本人の手による日本国自生のキリスト教の必要を叫んだ先覚者である。

 彼の予言はまた諸君にもあてはまるところであり、心ある士が既に考えられているように、大東亜には大東亜の伝統と歴史と民族性とに即した「大東亜のキリスト教」が樹立さるべきである。われらは今信仰における喜びと感謝と誇りとをもって、日本には日本の社会と伝統と民族性とに基づいた独特の日本のキリスト教会が建設されるに至った。しかもそれが、いよいよ確立しつつあるという事実を報じたいのである。今その日本キリスト教確立の歴史的沿革と独自固有の性格とを簡略に述べたいと思う。

 日本にキリスト教が渡来したのは、遠く天文十八年(一五四九)にフランシス・ザヴィエルが最初の宣教師として来朝したことに遡る。しかしこれはローマ・カトリック教会のキリスト教であって、プロテスタント教会の伝道は明治維新以後近代日本国家が世界に向かって開国したのちのことである。当時武士の子弟にして青雲の志を抱く前途有為の青年たちが、宣教師の開きし聖書学校に最初は英語を学ぼうとして集い来たったが、実に測りがたき神の恩恵によって彼らの中の或る人々に御言葉の種が植えつけられることとなった。沢山保羅、新島襄、本多庸一、植村正久、海老名弾正、小崎弘道等みな純然たる日本武士が、この教えを聴くに及んでその中に日本武士道に通ずる深い奥義の秘められてあることを悟り、ただに一人のキリスト教信徒たりしのみならず、進んでイエスの命令「汝は往きて宣べ伝えよ」に全身全霊をもって従い、パウロのごとく「されど母の胎を出でしよりわれを選び別ち、その恩恵をもて召し給える者」の声を聴き「御子をわが内に顕してその福音を異邦人に宣べ伝えしむるをよしとし給える時」という信仰と自覚との下に、御言葉をこの国土と同胞との間に持ち運ぼうと深く決意した。彼らは走った。しかし彼らと共に御言葉が、主御自身が走り給うた。彼らも倒れもした。しかし主は彼らと共に倒れ給わぬ。福音の宣教は未だ数少なき幼い教会によって大胆に行われた。この様子を看て宣教師たちは驚いた。そして心ある者は秘かに考えたと言う。「日本人は変っている。日本人の伝道は日本人の手にゆだねるべきである」と。かくして日本における『使徒行伝』は彼ら初代伝道者先覚者たちによって綴られていった。ある時は同胞の無理解と侮蔑と嘲笑を買ったがこのような状況下に次第に信ずる者の数増し加えられ、日本のキリスト教会は生い立っていった。主イエスは彼らの真実な活動によってこの国にますます偉大となり、彼らの弱きときに彼らの中に神の力をもって強く在した。ことにキリスト教は日本武士道に接樹され、儒教と仏教とによって最善の地ならしをされた日本精神の土壌に根を下ろし花を開き結実していったのである。

 先代先覚者によって薫陶された第二、第三の後継者たちも大君に捧ぐる清明心と隣人を敬愛する情誼と千万人といえども我往かんという勇気とをもって地上的一切の栄達を擲ち、キリスト教に把えられつつ後のものを忘れ前方の目標を追い求めていった。そして個人主義・自然主義・社会主義・無政府主義・共産主義などの諸思想が猛り狂い、怒濤のごとく押し寄せて来る大正時代より昭和の初期にかけて、よくこれに戦いを挑み、キリストの真理を護り、肇国の大義に生き抜いたのである。これら日本キリスト教の指導者たちを偲ぶにつけても、わが国体の本義と日本精神の美しくて厳しいものが遺憾なく発揚せられた事実を想起し感慨無量である。

 しかして遂に名実とも日本のキリスト教会を樹立するの日は来た、わが皇紀二千六百年の祝典の盛儀を前にしてわれら日本のキリスト教諸教会諸教派は東都の一角に集い、神と国との前にこれらの諸教派の在来の伝統、慣習、機構、教理一切の差別を払拭し、全く外国宣教師たちの精神的・物質的援助と羈絆から脱却、独立し、諸教派を打って一丸とする一国一教会となりて、世界教会史上先例と類例を見ざる驚異すべき事実が出来したのである。これはただ神の恵みの佑助にのみよるわれらの久しき祈りの聴許であると共に、わが国体の尊厳無比なる基礎に立ち、天業翼賛の皇道倫理を身に体したる日本人キリスト者にして初めてよくなしえたところである。

 かかる経過を経て成立したものが、ここに諸君に呼びかけ語っている「日本基督教団」である。その後教団統理者は、畏くも宮中に参内、賜謁の恩典に浴するという破格の光栄に与り、教団の一同は大御心の有難さに感泣し、一意宗教報国の熱意に燃え、大御心の万分の一にも応え奉ろうと深く決意したのである。

 本年四月には在来の諸学校が教団立神学校として統一され、教団の制度組織も形式内容も日日に整備せられ、全一体たる教会の実をますます具現しつつある。これを国史に徴するも一大盛事と謂うべく、これを古より闘争に終始した西欧の教会史に徴するも、まことに主の日の予兆の大なる標識というべきであろう。「遂に一つの群れ一人の牧者となるべし」(ヨハネ伝一〇・十六)。


第四章

 われらの敬愛する兄弟たちよ。

 われらは諸君にわれらの信仰を告白しわれらの衷情を披瀝したこの長い書翰を結ぶ前に今少しく熟慮して頂きたいことがある。使徒パウロがピリピの教会に勧めているように、われらはキリストの慰めによって呼びかけられている者として同じ愛と同じ思念とを懐き一つとならなければならない。われらは敵性国民らのキリスト教にのみならず、われらの自らの中にも、自己に立ち、己れを高しとし、他を己れに優れりとなしえぬ罪が「唯一つの事」(ピリピ二・二)を念おうと欲せざる人間固有の分裂的遠心作用が働いていることを人間存在の秘奥の底に認めざるをえない。キリストはかかるわれらに代わってわれらの成しえずまた成そうと欲しない所を成し遂げ給うた。すなわち彼は神の子であり神と同等の者であり給うたが、この彼の本来固有の所有をさえわれら人間のごとく固執する事とし給わず、かえって己れを空虚にし、己れの神的本質とは全く異質の人間的本性を身に纏い、人と成り給い、それのみならずさらに進んでわれらのために十字架上に苦しみ、死し、この彼の道を地の底なきところにまで進み給うた。しかして父なる神の意志にわれらに代わって完全に従い給うた。ここに神の人間に向かって成し給うた宥和と啓示との行動は、隠されつつしかも現実に起こった。このゆえに神は彼を死の床より起こし給うた。死人の中より甦えらしめ給うた。そうして彼の死人の復活をわれらの救い、助け、力として栄光の中に証示し給うたのである。まことに、イエスは教会と共に全世界に父を示した予言者であり、教会と共に全世界に代わって父のもとに執成をなし給うた祭司であり、全教会の主にていまし給う。

 兄弟たちよ。われわれはこのキリストを証しする証人であり、彼の体であるということを銘記しようではないか。彼よりこの宥和を宣べ伝える職務を賜わっていない者は彼の恩寵を受けているとはいえない。彼なしには失われており彼においてのみ救いの約束をもっている全世界の、被造物の嘆きを聞かないでは、われらは教会の主の御声を聞いているのではない。われら大東亜のキリスト者が同胞諸民族の間でこの主の光を反射してから輝いていなければ、光を有っているのではない。ナザレのイエスの使信の犠牲の死と権能の証示とこそ、われらの慰めである。ただにわれらキリスト者のみならず、われらの属する大東亜諸民族の慰めである。彼の中にわれらの途の終りがあると共にすべての人の一切の途の終りがある。彼の中にわれらの途の始めがあると共にわれらの同胞すべての生くる途の真の発端がある。このことこそわれらの希望である。ただにわれらキリスト者のみならず、東亜諸民族の希望である。繰り返して言う、かのイスラエル民族によって捨てられ、天地の主なる神によって栄光の中に証示され給える者、彼がわれら教会とその肢のみならず全世界の慰めである。われらが様々の運命と謎と苦難と死との中に存在しつつしかもそこで生命への信頼を有ちうる基礎は、イエス・キリストの栄光の日において、天地の更新において顕示せられるものにほかならぬ。これがわれらの希望である。

 兄弟たちよ。われらはこの慰めとこの希望とを一つにするがゆえに、同じ愛、同じ思念の中に一つとならなければならぬ。隣人愛の高き誡命の中にあの福音を聞き信じつつ大東亜共栄圏の建設という地上における次の目標に全人を挙げ全力を尽さなければならぬ。われらはこの信仰とこの愛とを一つにする者共であるから、同じ念い、共同の戦友意識、鞏固なる精神的靭帯に一つに結び合わされて、不義を挫き、正義と愛の共栄圏を樹立するためにこの戦争を最後まで戦いぬかなければならぬ。われらはこのことを諸君に語る前に自分自らに語っている。われらの盟友にして戦友よ!「汝らキリスト・イエスのよき兵卒としてわれらと共に苦難を忍べ」(テモテ後書二・三)。

 われらは祈る。キリストの恩恵、父なる神の愛、聖霊の交際、われらがその現実の一日も早からんことを望みてやまざる大東亜共栄圏のすべての兄弟姉妹の上にあらんことを。アァメン。』

日本的思惟とは

 土居健郎はその著書『「甘え」の構造』において、日本的なもの、つまり日本的思惟を一言で表現するキーワードは「甘え」という言葉であることを論じている[5]。

 土居によると、日本的思惟の特徴は非論理的な甘えの心理である。そこでは自己と他者との境界を消し去り、情緒的に自他一致の状態をかもしだすということが生じる。甘えの世界ではすべての他者性が消失し、同一化、あるいは摂取が行われる。甘えは相手との一体感、連続性を求めるのである。それゆえに日本人の求める神は非常に母性的な包む神である。天皇信仰と祖先崇拝はいずれも甘えの葛藤の彼岸にある者を神と呼んでいる。そして、天照大神も女神なのである。ここに日本人の神観の本質がある。天皇制は、「異教」の本質としての「民族や学問や《人格性》や徳などの神格化(Apotheose)」を最も典型的に表明するものであるとのバルトの理解は非常に鋭い[6]。

 日本政府による、教育勅語、日の丸、君が代を用いた、天皇を神格化し、天皇に絶対献身するための教育が、この日本的思惟を著しく強めるために用いられたことも見逃すことのできない事実である。それは教育と情報操作という両輪によって行われた国家レベルのマインドコントロールであったといっても過言ではないと思われる。これによって、「日本のため(国のため)にしたかどうか」という絶対的な価値判断基準が個人の中に根付いていったと考えられる[7]。

 『日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰』によって提示されている問題は、第一戒、最も大切な戒めの問題である。この「神を神としない」、「基督を主としない」という罪の根によって、日本の基督教会が天皇教会へと変質し、傲慢・虚偽・怠惰を身にまとっている姿がここに明らかにされている。

2、『神の痛みの神学』における課題点

 日本的思惟についての以上のような考察と、バルトの『神の痛みの神学』に対する真剣な疑問符を受け止めた上で、『神の痛みの神学』における課題点を考えたい。その際、まず痛みの類比における課題点を考え、次に神観についての課題点を考察したい。

A、痛みの類比における課題点

  北森は『神の痛みの神学』において、痛みの類比(analogia doloris)を用いることによって神の痛みを証ししようと試みている[8]。しかしその際、キリスト中心的に類比を行なわず、日本人としての痛みの感覚によって類比を試みる故に、日本的思惟の影響を受け、以下の3つの問題を引き起こしていると考えられる。

(1)神の痛みの超越性を引き下げる傾向にある。

  それゆえ、神の痛みが人間的な(感傷的あるいは浪花節的)レベルにまで引き下げられる。

(2)人間の持つ痛みの感覚の限定性を越えることを困難にする。

   他者に対しての痛みの感覚を持つことを困難にする。

   特に他民族に対しての痛みの感覚が持てない。

 その結果、責任転嫁、開き直りといった虚偽によって、すべての過去の過ちを水に流す、 過去に目を閉ざす、心に刻まないという歩みをあくまでも続けることになりかねない。

(3)日本民族優越性の主張、高慢。

 
 これらの問題は、北森が神の痛みと日本的つらさの比較をする時に生じている問題である。北森自身がそのことについて言及しているので、まずそれを見たい。

『神の痛みと日本のこころとをめぐる以上のごとき考察は、以下に述べるごとき反省を伴わねばならぬ。

 第一、日本の悲劇における「つらさ」すなわち痛みは、他者を生かすために自己を死なしめ、もしくは自己の愛する子を死なしめるとき、具体化したのであるが、しかしこの時の他者は自己にとってもっとも尊きものであった。しかるに神の痛みという言葉は、二重の意味において用いられた。まずそれは神が愛すべからざる者を愛し給うときの御心であり、次にそれは、神がその愛し給う独子を死なしめ給うときの御心であった。そして、前者のために後者が生起したのである。しかるに日本の悲劇における痛みは、もっぱら後者をのみ指し示すものであった。人間が価値なき者・愛すべからざる者を愛し、さらには敵をさえも愛するというとき生起する痛みについては、日本の悲劇といえども知らなかった。(たとい相手が敵の様相を帯びるにせよ―例えば『寺子屋』の菅秀才や『熊谷陣屋』の平敦盛や『鮨屋』の平維盛のごとく―しかし内実においてはあくまで尊き者である)。したがって日本の悲劇における痛みは、神の痛みの一面のみを指示し、他の一面は脱落している(ローマ5:7−8参照)。

 第二、痛みへの感覚をもって神の痛みを捕らえるとき、その感覚は神の痛みに対する奉仕者ではあるが、しかし、それが人間の感覚であるかぎり、なおそこには恣意と錯覚とが潜んでいる。痛みへの感覚のもつ不従順は、神の痛みそのものによって克服されねばならぬ。…

 第三、痛みへの感覚は、神の痛みに奉仕するとき始めて真に生産的となり、真理として結実する。痛みへの感覚はそれ自身として放任されるときには、真実さを失う危険性がある。Spielやplayは劇と遊戯との二義をもつ。痛みへの感覚が遊戯となるとき、もはや致命的である。遊戯の特質は倫理と絶縁することにある。日本の庶民のこころが痛みへの感覚をもちながらも、倫理との絶縁への傾向をもつことは、寒心すべきこととして反省されねばならぬ。この傾向は、痛みへの感覚が神の痛みに奉仕するに至っていないために生ずるものと考えられる。神の痛みのみが倫理の根本たる痛みの切実さを可能ならしめるのである。』[9]


 北森は日本の悲劇における「つらさ」、すなわち痛みの例として『寺子屋』を挙げ、「神の痛み」との痛みの類比を試みている。父松王丸は主君への忠誠を示すために、愛する子を犠牲にし、死におもむかせる。主君への封建主義的な忠誠心と、わが子への父としての愛情にはさまれて、松王丸はつらさを感じる。北森はこの『寺子屋』における「女房喜べ、倅は御役に立ったぞ」という松王丸のことばを日本的つらさ、痛みとして提示するのである[10]。

 これは戦時下の日本において、天皇のために、日本国のために子どもを死なせることが最も尊きものであったことと同じ感覚であると思われる。同様の感覚は北森が本居宣長の古事記伝(二七)の言葉を引用して述べることについても当てはまる。以下にその引用を記す。

『本居宣長が日本(やまと)武尊(たけるのみこと)の悲運に連関して述べている次のごとき言葉は十分注目されねばならぬ。―「此後しも、いささかも勇気は撓(たゆ)み給はず成功をへて大御父天皇の大命を、違へ給わぬばかりの勇き正しき御心ながらも、如此恨み奉るべき事をば恨み、悲しむべき事をば悲しみ泣賜ふ、これぞ人の真心にはありける。此若漢人ならば、かばかりの人は、心の裏には甚く恨み悲みながらも、其はつつみ隠して其色を見せず、かかる時も、ただ例の言痛きこと武勇きことをのみ云てぞあらまし、此を以て戎人のうはべをかざり偽ると皇国の古人の真心なるとを万の事にも思ひわたしてさとるべし」(古事記伝二七)。日本的なるものは「悲しむべき事をば悲しみ泣」くことであって、これを「つつみ隠して其色を見せ」ぬことではない。』[11]

 敗戦を迎えた日本の教会が、まずキリストを裏切ったことに対する痛みを持つことができなかった理由がここに潜んでいると思われる。北森はここで「父」なる神の痛みについては語っている。しかし寺園が指摘しているように、北森は痛みの類比を試みているが、神の痛みを「子」の痛みとして、キリスト論的に展開しているわけではない。ここでは子なる神の痛みは主題とはなっていない。

 また、日本人としての痛みの感覚をもって神の痛みを捕らえようと試みる際、北森が指摘しているようにあくまでもそれが人間の感覚である故に、恣意と錯覚がまさに潜んでいると考えられる。北森は神の痛みそのものによってこの問題の解決を求めようとしているが、実際には神の痛みを認識する手段として痛みの類比を試みている故に、問題は解決されず、神の痛みの超越性が引き下げられることになる。それゆえ、神の痛みが人間的な(感傷的あるいは浪花節的)レベルに引き下げられている。

 痛みの類比を行う際、北森は日本の庶民のこころが他の民族のこころよりも痛みへの感覚を持っていることを前提にしている。しかし、本当にそんなことがいえるのであろうか?日本人が持っている痛みへの感覚は、他の民族と同様に、あくまでも、愛すべき人間、価値ある者、同胞に対してのみ有効であると考えられる。そして、日本人は、日本人以外、特にアジア諸国の民族に対して、痛みの感覚を持ち合わせていないとさえ考えられる。更に言えば、生まれながらの日本人は、罪に対して痛む感覚、つまりまず神に対する罪の痛みの感覚を持っていないのである。神を神としない日本人が、今でも倫理との絶縁への傾向を持つこと、痛みの感覚を持ち得ないことは当然であるといえる。

B、神観についての課題点

 北森は『神の痛みの神学』において、絶対他者としての神観、神学的公理としての第1戒、人間との「対立」における神を否定する。これはキリスト中心的に神学をしない故に、日本的思惟の影響を受けるためだと考えられる。これによって、以下の2つの問題を引き起こしていると考えられる。

(1)神と人間の質的差異、つまり神の超越性を認識して「神を神とする」ということを困難にする。

 ⇒ 偶像礼拝の罪

 ⇒ あるいは神を自分のために利用する信仰、

   私のためのキリストにとどまる信仰


(2)律法を福音の内に含まれる恵みとして認識することを困難にする。

 ⇒ 安価な恵み、服従を伴わない信仰、実質的には自分が主である信仰


 北森は『神の痛みの神学』において、「絶対他者」という神概念を否定する。この点はまさに北森が強烈なバルト批判をしたことによって明らかである。北森はキリスト論的に神学を試みようとしているが、実質的にはエレミヤ31:20を土台とし、父なる神を中心にした神論によって『神の痛みの神学』を構築している。それゆえに日本的思惟の影響を避けることが出来ず、結果的に神の神性を犠牲にするような形で神の受苦性(人間性)を強調していると考えられる。

 このことは十戒に代表される律法、そして主イエスが示された一番大切な戒めに関する重大な問題である。北森はバルトの『神の人間性』をあくまでも転向として受けとめ、また、バルト神学のモティーフ、神学的公理が十戒の第一戒であることを最も受け入れ難いこととして批判している[12]。このことは第一戒に代表される律法を、北森が福音として聞くことができないことに起因しているのではないか。十戒に代表される律法は人間に真の自由を与えることのできる恵みである。そして、十戒の語られる大前提は、恵みによる救いである。

 かつて日本の教会は神社参拝が宗教であるかどうかという判断をキリスト(聖書)に聞かず、日本政府に聞いた。その結果、教会は教会としてのアイデンティティを喪失し、神社参拝は宗教ではないとの政府の意見を受け入れて積極的に神社参拝を行ったのである。韓国のキリスト者にまで神社参拝を勧めに赴いた日本の教会の指導者たちに対して、韓国の抵抗して殉教していったキリスト者は「それは第一戒に反することではないのですか?」と命をかけて問うたのである。しかし、日本人キリスト者は信仰の堕落を食い止めるための歯止めを次から次へと外し、最後の歯止めである第一戒さえも外してしまったのである[13]。

 この日本的思惟の問題は、まさに私たちに真剣な疑問符を提示する。言い換えれば、「神を神とする」という所まで、福音がしっかりと根ざすかどうかという大きな問題が提示されているのである。私たちは今、本当に主を主としてこの国でキリストに従っているのだろうか?本当に聖書を神の言葉として受けとめているのだろうか?もしそうでないならば、今こそキリストによる和解に立って、過去にしっかりと目を向け、神を神とするということから、すべてをやり直し始めなければならないのではないか?私のためのキリストからキリストのための私へと導かれるようにと祈る。他者のための祝福の基、世の光、地の塩としての使命に生きるために。


[1] カール・バルト『福音主義神学入門―カール・バルト著作集10』、204−205頁

[2] 太田和功一『アジアのキリスト者とともに』、いのちのことば社、1986年、141−158頁

[3] 井上良雄『戦後教会史と共に1950−1989』、新教出版社、1995年

[4] 日本同盟基督教団・横浜上野町教会役員会一同、

  『横浜上野町教会よりアジアの中の日本にある基督教徒に送る手紙』、1995年2月26日

  http://www.imasy.or.jp/~yasu-yok/church/tegami01.html

[5] 土居健郎『「甘え」の構造』、弘文堂、1971年

[6] 『新教コイノニア3 日本のキリスト教とバルト』、新教出版社、1986年、33頁の小川圭治「バルトから何を学ぶか」より引用

[7] 井戸垣彰『このくにで主に従う―日本人とキリストの福音』、いのちのことば社、1985年、17−19頁参照

[8] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、89−91頁、2章参照

[9] 同書、235-236頁

[10] 同書、229-232頁

[11] 同書、45頁

[12] 『新教コイノニア3 日本のキリスト教とバルト』、新教出版社、1986年、10−11頁の北森嘉蔵「個人的遍歴の角度から」参照

[13] 渡辺信夫『教会が教会であるために 教会論再考』、新教出版社、28−29項参照


第5章

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