教会の働きF
「邪悪な生活からの解放」

聖書個所:使徒の働き3章17−26節

3:17 ですから、兄弟たち。私は知っています。
   あなたがたは、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行ないをしたのです。
3:18 しかし、神は、すべての預言者たちの口を通して、キリストの受難をあらかじめ語っておられたことを、このように実現されました。

3:19 そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。

3:20 それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。
3:21 このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、
   天にとどまっていなければなりません。

3:22 モーセはこう言いました。『神である主は、あなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、
   あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。この方があなたがたに語ることはみな聞きなさい。
3:23 その預言者に聞き従わない者はだれでも、民の中から滅ぼし絶やされる。』
3:24 また、サムエルをはじめとして、彼に続いて語ったすべての預言者たちも、今の時について宣べました。
3:25 あなたがたは預言者たちの子孫です。

   また、神がアブラハムに、『あなたの子孫によって、地の諸民族はみな祝福を受ける。』と言って、
   あなたがたの先祖と結ばれたあの契約の子孫です。

3:26 神は、まずそのしもべ(イエス様)を立てて、あなたがたにお遣わしになりました。
   それは、この方があなたがたを祝福して、ひとりひとりをその邪悪な生活から立ち返らせてくださるためなのです。」

主題:神が私たちを祝福してくださる理由は、私たちを邪悪な生活から解放し、祝福の基とするためである。

導入:LIVE(ライブ)の反対としてのEVIL(イーブル)

 「教会の働き」というシリーズタイトルで、使徒の働きを読み進んでいます。今日はその7回目になりますが、「邪悪な生活からの解放」という題をつけました。かなり過激な題だと思いますが、これは使徒の働き3章26節の御言葉からつけたものです。

3:26 神は、まずそのしもべ(イエス様)を立てて、あなたがたにお遣わしになりました。
   それは、この方があなたがたを祝福して、ひとりひとりをその邪悪な生活から立ち返らせてくださるためなのです。」

 まず、悪あるいは邪悪とは何かということを、少し考えてみたいと思います。

 これを見て下さい。「LIVE」リブと発音すれば住んでいるという意味になりますが、ライブと発音すると、生きている、生き生きとしているというような意味の言葉になります。ライブという言葉は、私たちがよく耳にする言葉ではないでしょうか。音楽でも生演奏のことをライブと言いますし、テレビやラジオでも生放送、実況中継のことをライブ番組と言います。ライブという言葉は、生きている状態、生き生きとしている様子を表現する言葉です。

 さて、この「LIVE(ライブ)」という言葉を反対から読みますと、大変興味深いことが起こります。「LIVE(ライブ)」を反対から読みますと、「EVIL(イーブル)」となります。ある子どもがこのことを発見して、お父さんに言ったそうです。「お父さん、ライブを反対から読むと、イーブルになるよ!」と。「EVIL(イーブル)」という言葉は、少し聞き慣れない言葉かもしれませんが、悪い、邪悪な、悪意に満ちた、有害なというような意味の言葉です。

 このことから、悪とは、生きていることの反対、つまり死をもたらすもの、あるいは生き生きしていることの反対、つまり死んだようないのちのない状態をもたらすものであると言えます。悪とは元気を奪い、いのちを奪い、最後には死をもたらすものだと言えます。

 さて、先ほどの使徒3章26節の御言葉は、私たち一人一人が、邪悪な生活をしていると語っています。私たち一人一人が、他者から元気を奪い、いのちを奪い、死をもたらすような生活をしているのだと聖書は語っているのです。「すべての人は邪悪な生活をしている」ということは、「すべての人は罪人である」という聖書のメッセージを言い換えたものであります。

本論1:私たちは生まれながら邪悪な生活によって他者からいのちを奪っている(心・言葉・行動において)

心において

 見下す高慢な心・優越感、ねたみ・劣等感、憎しみ、敵意、競争心、復讐心、殺意、自己中心

7:20 また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。
7:21 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、
7:22 姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、
7:23 これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」
   マルコ7:20−23

言葉において

 うそ・偽りの言葉、陰口、悪口、ナイフよりも深く心を傷つける言葉

行動において

 親不孝、殺人、姦淫(ポルノ、婚前交渉、レイプ、浮気、不倫)、盗み、詐欺、偽証、約束を守らないこと、喧嘩、暴力、
 いじめ、虐待、離婚、環境破壊、戦争

 偶像崇拝・貪り

 私たちは生まれながら、神のしてはならないと命じられる悪をことごとく行い、神がしなさいと命じられる善を行なうことが出来ない。

創造主なる神に対する邪悪な人間の言動

29:15 ああ。主に自分のはかりごとを深く隠す者たち。彼らはやみの中で事を行ない、そして言う。
   「だれが、私たちを見ていよう。だれが、私たちを知っていよう。」と。
29:16 ああ、あなたがたは、物をさかさに考えている。陶器師を粘土と同じにみなしてよかろうか。
    造られた者が、それを造った者に、「彼は私を造らなかった。」と言い、陶器が陶器師に、「彼はわからずやだ。」と言えようか。
   イザヤ29:15−16

 私たちは何か悪いことをする場合、誰かが見ていないか、知っていないかどうかを調べる。そして誰も見ていない。誰にも知られていないということを確認してから悪いことをする。しかし創造主なる神はすべてをご覧になっておられ、そしてすべてを知っておられる。

 陶器師と粘土の関係⇒創造主に対する神の作品(造られた者)である私たちのさかさ関係

●「彼は私を造らなかった。」

  すべてが偶然・自然沙汰と考える進化論。しかし偶然の中に意味や目的を見出すことは出来ない。

  そして人は意味や目的を見出せないと生きていけない。

  自分の創造主を否定するなら、自分の存在そのものを否定することになる。

●「彼はわからずやだ。」

  自分の願いを神に押し付け、恐れ多くも神を自分の召使のように利用しようとする高慢の表れ。

本論2:しかし神はキリストを遣わし、邪悪な私たちを祝福して下さる。

3:26 神は、まずそのしもべ(イエス様)を立てて、あなたがたにお遣わしになりました。
   それは、この方があなたがたを祝福して、ひとりひとりをその邪悪な生活から立ち返らせてくださるためなのです。」

 邪悪な私たちを主イエスを遣わして祝福して下さる神。

 受肉して、邪悪な私たちに仕えるしもべとなって下さり、十字架でその愛を明らかにして下さった王なる主イエス。

 復活して今も生きておられる主イエス。

本論3:再臨のキリストを覚えて、私たちはどうすればいいのか?

3:17 ですから、兄弟たち。私は知っています。
   あなたがたは、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行ないをしたのです。
3:18 しかし、神は、すべての預言者たちの口を通して、キリストの受難をあらかじめ語っておられたことを、このように実現されました。
3:19 そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。
3:20 それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。
3:21 このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、
   天にとどまっていなければなりません。

 メシヤ(救い主・キリスト)と定められ、天に挙げられた主イエスが、再び来られる。

 罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返らなければならない。

 悔い改める=方向転換をする。神に背を向けることを止め、神の方に向いて生きる。EVIL⇒LIVE

 罪を持ったままでは、再臨の主の前に立つことができない。罪をぬぐい去っていただかなければならない。

結論:神が私たちを祝福して下さる理由は、私たちを邪悪な生活から解放し、祝福の基とするためである。

預言者たちの子孫としての使命

3:22 モーセはこう言いました。『神である主は、あなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、
   あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。この方があなたがたに語ることはみな聞きなさい。
3:23 その預言者に聞き従わない者はだれでも、民の中から滅ぼし絶やされる。』
3:24 また、サムエルをはじめとして、彼に続いて語ったすべての預言者たちも、今の時について宣べました。
3:25 あなたがたは預言者たちの子孫です。

 主イエス・キリストの命令に聞き従うことによって、キリストを証しすることが出来る。−ライブ

アブラハム契約の子孫としての使命

   3:25 …また、神がアブラハムに、『あなたの子孫によって、地の諸民族はみな祝福を受ける。』と言って、
      あなたがたの先祖と結ばれたあの契約の子孫です。

 祝福を受け続ける、祝福の中に留まり続けることによって、祝福の基(祝福)となることが出来る。−ライブ

祈り:


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野町 真理