教会の働きE
「美しの門に響いた賛美」

聖書個所:使徒の働き3章1−16節

3:1 ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。
3:2 すると、生まれつき足のきかない男が運ばれて来た。
   この男は、宮にはいる人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。
3:3 彼は、ペテロとヨハネが宮にはいろうとするのを見て、施しを求めた。
3:4 ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい。」と言った。
3:5 男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。
3:6 すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。
   ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、
3:7 彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
3:8 おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。
  そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。
3:9 人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。
3:10 そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、
   この人の身に起こったことに驚き、あきれた。
3:11 この人が、ペテロとヨハネにつきまとっている間に、非常に驚いた人々がみないっせいに、
   ソロモンの廊という回廊にいる彼らのところに、やって来た。
3:12 ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。
   なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。
3:13 アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの先祖の神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。
   あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。
3:14 そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、
3:15 いのちの君を殺しました。
   しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。
3:16 そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、
   あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。
   イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。

主題:イエスによって与えられる信仰は、自立と賛美をもたらす

導入:

 多くの日本人の親が、子どもの誕生を記念して、後生大事に持っているものは何でしょうか?それはへその緒です。よく母親が子どもに向かって、「あなたと私とは、このへその緒でつながっていたのよ。」などと言って、桐箱か何かに入れて大切にしている干からびたへその緒を見せたりします。

 ところが、アメリカやヨーロッパでは、子どもの誕生記念として大切にしているものは、へその緒ではないそうです。皆さん何だと思われるでしょうか?答えは、ベビーシューズだそうです。はいはいしか出来なかった子どもが、初めて親から離れて自分の足でしっかりと立ち、そしてよちよちと歩き出すことが出来た。そのような子どもの自立を、欧米の親は心から喜んで、子どもが一人歩きをし始めた時のベビーシューズを、記念として大切にしているそうです。

 ここに私は、日本人の親子関係、子育て、つまり教育における根本的な問題が、現れているのではないかと思っています。欧米の親は、子どもが親から離れて自立していくことを喜びとし、子どもが自立して巣立っていくことを目標として子どもと接していくのですが、日本人の親は、子どもが親から離れて自立していくことを喜べず、むしろ悲しいことだと思って、いつまでも子どもは自分の手の届く所にいてほしい、いつまでも親の言うとおりの人生を歩む子でいてほしい。そんなふうに願って子どもと接しているのではないかと思うのです。

 現在日本の若者たちが、経済的にも、あるいは精神的にも、なかなか親から自立出来ず、いつまでも親のすねをかじり続け、いつまでも親を頼って、親に依存し続けてしまう原因がここにあるように私は思えてなりません。

 今日の聖書の箇所には、どうすればそのような依存した希望のない人生から解き放たれ、自立して喜びと希望に満ちた人生を生きることが出来るのかが記されてあります。早速ですが、使徒の働き3章に記されている言葉に耳を傾けてみましょう。

本論1:起−ペテロとヨハネに施しを求めた足の不自由な男

3:1 ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。
3:2 すると、生まれつき足のきかない男が運ばれて来た。
   この男は、宮にはいる人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。
3:3 彼は、ペテロとヨハネが宮にはいろうとするのを見て、施しを求めた。

 

本論2:承−美しの門に響いた賛美

3:4 ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい。」と言った。
3:5 男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。
3:6 すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。
   ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、
3:7 彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
3:8 おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。
  そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。

 

本論3:転−歩きながら賛美している男を見た人々の反応

3:9 人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。
3:10 そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、
   この人の身に起こったことに驚き、あきれた。
3:11 この人が、ペテロとヨハネにつきまとっている間に、
   非常に驚いた人々がみないっせいに、
   ソロモンの廊という回廊にいる彼らのところに、やって来た。

 

本論4:結−証言するペテロ−自分の力や信仰深さではなく、主イエスによって与えられる信仰の故に

3:12 ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。
  「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。
   なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。
3:13 アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの先祖の神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。
   あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。
3:14 そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、
3:15 いのちの君を殺しました。
   しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。
   私たちはそのことの証人です。
3:16 そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、
   あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。
   イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。

結論:イエスによって与えられる信仰は、自立と賛美をもたらす

親換え 肉親の親⇒天の父なる神  条件付の愛⇒無条件の愛

自立:経済的自立、精神的自立 

聖書が語る親子関係 2003年 愛児舎懇談会 参考資料

それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、 ふたりは一体となるのである。 創世記2:24

賛美:私の体験 音楽を聴くのは好きだったが、自分で楽器を弾こうとは思わなかった。

   しかも、神様の大きな愛を知る前に聴いていた音楽はとても暗い歌だった。

   けれども、キリストの十字架の愛を知ってから、ギターを買い込んで練習し始めた。

   聖歌隊に入って神を賛美したり、ドラムを練習して神を賛美するバンドを作った。

   JMMS(ジャパン・ミッション・ミュージック・スクール)のコンサート

祈り:


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野町 真理