2:42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
2:43 そして、一同の心に恐れが生じ、
使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。
2:44 信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
2:45 そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。
2:46 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
2:47 神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。
主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。
2:42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
主イエスに特別に選ばれた12使徒たちの教え。主イエスの教え。聖書66巻の御言葉。
聖書の御言葉を慕い求めるということは、御言葉に聴き従うこと。聖書の教えを堅く守ること。
聖書を愛する神様からのラブレターとして慕い求め、喜んで聞き従う。
聖書には、どれほど神様(あなたの造り主)があなたを愛しておられるのかが記されています。聖書を通して、あなたの造り主があなたに対して語られているメッセージを聞くことが出来ます。聖書には、あなたが選ぶべき最善の道、あなたが人生の勝利者となる秘訣、あなたが永遠のいのちと本当の幸せに至る道についての教えと、おりにかなった助けが書き記されています。
聖書の教えに聴き従うということは、人生最高の導き手(ナビゲーター)に聞き従うということですから、間違いがありません。たとえあなたが、人生において道を誤っていたとしても、あるいは進むべき道がわからなくなっていたとしても大丈夫です。なぜなら、最高の導き手であるあなたの神は、あなたが歩むべき最善の道をご存知であるばかりか、あなたをどんな所からでも最善の道に正しく導いて下さるお方ですから。
けれども、最高の導き手であるあなたの神の教えを聞いたとしても、その御声に従わなければ、話は別です。もしあなたが、あくまでもあなた自身を自らの導き手とするならば、どこから来てどこに向かっているのかもわからないまま、人生をさまよい続けるしかないでしょう。そして箴言にある通り、人の目にまっすぐに見える道があったとしても、その道の終わりは死の道、墓場に向かう道でしかありません(箴言14:12、16:25)。
この中にもしまだそのような方がいらっしゃったら、ぜひ聖書の御言葉に耳を傾け、神の御声に聞き従うことによって、あなたも永遠のいのちと本当の幸せに至る道を歩み始めて頂きたいと私は切に祈ります。
教会の専門用語の一つ。兄弟姉妹と呼び合う不思議な関係。神の家族としての親しい関係、おつきあいのこと。
三位一体の神との交わり。父なる神様、子なるイエス様、聖霊なる神様は、交わりにおいて一つであられる。
三位一体の神のかたちに造られた私たち人間は、関係の中で共に生きていくように造られている。
ここでは特に、イエス・キリストによって一つとされた他のキリスト者との交わり。
パン裂きという言葉で表されているのは聖餐です。洗礼・バプテスマと共に教会が大切にしているもう一つの聖礼典。それが聖餐です。
聖餐は、主イエス・キリストが、十字架にかかられる前の夜に、弟子たちと最後の食事(最後の晩餐)をとるとき、パンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与え、また、杯を取って弟子たちにお与えになり、主が再び来られる日までこれを守るようにと定められたものです。
聖餐は、私たちの罪のために十字架にかかり、贖いの死を遂げられたキリストを示す、新しい契約です。また聖餐は、主イエスの十字架の上で裂かれた御体と、流された血潮による新しい契約によって、私たちキリストを信じ受け入れた者が、キリストによって一つにされていることをあらわすものです。私たちの教会では、月に一度聖餐の時を持っていますが、感謝をもって、パンとぶどうジュースを味わいます。
主の祈りを土台とした、共に祈る教会の祈り。祈りの課題を出し合って祈り合うことの素晴らしさ。
祈りのネットワーク=教会の働きは決して個人プレーではない。
教会の働きは決して、牧師や伝道師だけの働きではありません。教会スタッフだけの働きでもありません。
聖書は、教会はキリストの体であり、私たち一人一人はそれぞれが各器官だと教えています。私たちの体においても、それぞれの器官は、互いに欠けを補い合い、助け合って生きています。そのように、「あなたには、あなたでしか出来ない働きがあります。」ということを、聖書は教えています。そして教会の働きは、どのような働きであったとしても、まず祈りから始まるものであると、私は覚えさせられています。
使徒たちの教え、 交わり、 パン裂き、 そして祈り。初代教会の教会員たちは、この4つのことに専念し、この4つを慕い求めていた様子が記されています。
2:43 そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。
信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。
初代教会の教会員たちが、使徒たちの教え、 交わり、 パン裂き、 そして祈りを慕い求めていたということも不思議なことです。けれども、いっさいの物(資産・持ち物・お金)を共有し、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していたということが、最も不思議なわざであり、あかしの奇蹟ではないかと私は考えています。
普通は、「私のものは私のもの。あなたのものはあなたのもの」、うっかりすれば、「私のものは私のもの。あなたのものも私のもの」。
この世は、ギブ&テイクの世界ではなく、 テイク&テイクの世界。どこまでも自己中心で、惜しみなく相手から奪い取ってしまうライフスタイル。相手を蹴落としてでも自分だけが幸せになりたいというヤコブのような生き方。それが普通ではないでしょうか。
ところが初代教会は、いっさいの物を共有し、そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していたと記されているのです。
不思議な教会のライフスタイル
惜しみなく与えられる神の愛、惜しみなく注がれる神の愛を体験したから。
すべてが色あせて見えるほどに素晴らしい、主イエス・キリスト、大いなる神の愛を体験したから。
主イエスに多く愛され、多く赦されたから。
私のような者のために、いのちまで投げ出して愛して下さり、よみがえって下さった方に出会ったから。
7:36 さて、あるパリサイ人が、いっしょに食事をしたい、とイエスを招いたので、
そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。
7:37 すると、その町にひとりの罪深い女がいて、
イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、
香油のはいった石膏のつぼを持って来て、
7:38 泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、
涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。
7:39 イエスを招いたパリサイ人は、これを見て、
「この方がもし預言者なら、自分にさわっている女がだれで、
どんな女であるか知っておられるはずだ。この女は罪深い者なのだから。」
と心ひそかに思っていた。
7:40 するとイエスは、彼に向かって、「シモン。あなたに言いたいことがあります。」と言われた。
シモンは、「先生。お話しください。」と言った。
7:41 「ある金貸しから、ふたりの者が金を借りていた。
ひとりは五百デナリ、ほかのひとりは五十デナリ借りていた。
7:42 彼らは返すことができなかったので、金貸しはふたりとも赦してやった。
では、ふたりのうちどちらがよけいに金貸しを愛するようになるでしょうか。」
7:43 シモンが、「よけいに赦してもらったほうだと思います。」と答えると、
イエスは、「あなたの判断は当たっています。」と言われた。
7:44 そしてその女のほうを向いて、シモンに言われた。
「この女を見ましたか。
わたしがこの家にはいって来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、
この女は、涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれました。
7:45 あなたは、口づけしてくれなかったが、
この女は、わたしがはいって来たときから足に口づけしてやめませんでした。
7:46 あなたは、わたしの頭に油を塗ってくれなかったが、
この女は、わたしの足に香油を塗ってくれました。
7:47 だから、わたしは言うのです。
『この女の多くの罪は赦されています。
というのは、彼女はよけい愛したからです。
しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。』」
7:48 そして女に、「あなたの罪は赦されています。」と言われた。
7:49 すると、いっしょに食卓にいた人たちは、心の中でこう言い始めた。
「罪を赦したりするこの人は、いったいだれだろう。」
7:50 しかし、イエスは女に言われた。
「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」
19:1 それからイエスは、エリコにはいって、町をお通りになった。
19:2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
19:3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、
群衆のために見ることができなかった。
19:4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。
ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。
19:5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。
「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
19:6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。
19:7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた。」と言ってつぶやいた。
19:8 ところがザアカイは立って、主に言った。
「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。
また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
19:9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。
この人もアブラハムの子なのですから。
19:10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
なぜ教会は、そのような驚くべき共有生活をしたのか?不思議な教会のライフスタイル?
その動機、その原因は、
一人一人が、すべてが色あせて見えるほどに素晴らしい主イエス・キリストを体験したから。
主イエスに多く愛されたことを味わい、多く赦されたことを実感したから。
すべての苦しみの根本的な原因である罪、自己中心な罪と欲望の奴隷状態から解放されたから。
むなしさや孤独、死の恐れなどから救われ、すべての傷が癒されたから。
キリストには変えられません 世の宝もまた富も
このお方が私に 代わって死んだ故です
世の楽しみよ去れ 世の誉よ行け
キリストには変えられません 世のなにものも
キリストには変えられません 有名な人になることも
人の誉める言葉も この心を惹きません
世の楽しみよ去れ 世の誉よ行け
キリストには変えられません 世のなにものも
キリストには変えられません いかに美しいものも
このお方で心の 満たされてある今は
世の楽しみよ去れ 世の誉よ行け
キリストには変えられません 世のなにものも
そして毎日、心を一つにして宮に集まり、
家でパンを裂き、
喜びと真心をもって食事をともにし、
神を賛美し、
すべての民に好意を持たれた。
主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。
The Gospel of Jesus Christ(Shinri Nomachiのホームページ)へ
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野町 真理