NEW! 2004年 4月18日
住吉チャペル・主日礼拝式メッセージ
(野町 真理)
6:1 そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、
ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。
彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。
6:2 そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。
「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。
6:3 そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、
評判の良い人たち七人を選びなさい。
私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。
6:4 そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」
6:5 この提案は全員の承認するところとなり、
彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、
およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、
6:6 この人たちを使徒たちの前に立たせた。
そこで使徒たちは祈って、手を彼らの上に置いた。
6:7 こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。
そして、多くの祭司たちが次々に信仰にはいった。
二週間前の4月4日、あの38度の熱が出ていた主の日、私は、第二礼拝式が終わった後、すぐに東田チャペルに行き、聖餐式の司式を行なった。その時に、日本語がとても上手な小学生の女の子に出会った。今日はヤングチャペルの方々もこの礼拝式に合流して参加して下さっていますが、毎週ヤングチャペルにも、そのような日系の女の子が来てくれています。また、愛児舎にも、この春新しく、日系の子どもさんが一人入園してくれました。だんだん日本語を覚えつつ、言葉の壁を越えて、日本人の子供たちと仲良く遊んでいます。
かつてブラジルやペルーなどに移民として移り住み、そこで育った子供たちは、日本語よりもポルトガル語、スペイン語の方が上手になっていった。しかし近年、かつて南米に移民した日系人が、出稼ぎのために日本に移り住んでおられる。そして日本で育った日系の子供たちは、ポルトガル語、スペイン語よりも日本語の方が上手になっている。
6:1 そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、
ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。
彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。
そのころ、弟子たちがふえるにつれて、 うれしい悲鳴。
ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。
旧約聖書の後半部分には、神の民イスラエルの悲惨な歴史が記されている。これ以上ないというほどに神に愛されたはずのユダヤ人は、神の愛を裏切り、神に背を向け続けた結果、捕囚とエルサレム崩壊という厳しい裁きをうけた。それによって、世界各地にユダヤ人は散らされ、離散の民となった。
多くのユダヤ人たちが、地中海沿岸世界、ギリシヤ語で生活している地域で新しい生活を始めた。
そこで育った子供たちは、当然ヘブル語よりもギリシヤ語の方が得意になっていった。
ヘブル語が苦手なユダヤ人が増えてきたので、ヘブル語で書かれた旧約聖書をギリシヤ語へ翻訳する必要が生じた。そして、70人訳聖書と呼ばれるギリシヤ語訳旧約聖書が生み出された。
ことばの壁、文化の壁。
彼ら(ギリシヤ語を使うユダヤ人)のうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。
6:2 そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。
「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。
6:3 そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、
御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。
私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。
6:4 そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」
そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。
この問題を放っておくことをせず、弟子たち全員を呼び集める十二使徒。
私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。
そこで、兄弟たち。
あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。
私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。
そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。
ここで記録されている宣教協力とは何か?それは、教会が主の愛に生きるための宣教協力。
教会全体が、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちの苦情に真剣に耳を傾けた。
ギリシヤ語を使うユダヤ人のうちにいたやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていた。無視されていた。軽んじられていた。ヘブル語を使うユダヤ人たちの眼中になかった(アウトオブ眼中)。
やもめたちは直接苦情を言うことが出来なかった。そこには言葉の壁があった。さらにやもめということで、彼女らはとても弱い立場に立たせられていた。自分から必要を訴えることはとても出来ない弱い立場にいた。だからこそなおざりにされるという状態になっていた。
教会は、この問題に対して、「臭いものには蓋をする」というような態度を取らなかった。
自分たちが、早く何とかしてあげなければならない問題として取り上げた。
先週、住吉チャペルの1階の女性のトイレ(手前側)が、洋式になった。お体の不自由な方は和式のトイレを使うことが出来ないために、礼拝式に来られる時には出来るだけ水分をとらないようにして集い、そしてトイレを我慢しながら礼拝式に集っておられた。
祈りと共に、匿名で何度も指定献金をして下さった方がおられた。そしてそのことによって、役員会が動かされた。
6:5 この提案は全員の承認するところとなり、
彼らは、
信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、
およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、
アンテオケの改宗者ニコラオを選び、
6:6 この人たちを使徒たちの前に立たせた。
そこで使徒たちは祈って、手を彼らの上に置いた。
この7人は、この時、食卓のことに仕えるために選ばれ任命されました。けれども、7人の働きはそれだけに留まりまらず、様々なことにおいて協力し、主の愛をもって仕えていったのではないかと思われます。それぞれの賜物を用いて、主の愛を伝える伝道の働き、主の愛に生きるための教育の働き、主を愛する礼拝のための働き、祈って教会を支える働き、施設整備の働き、会計の働き、事務の働き。そのような様々な働きを、いのちをかけて愛して下さっている主の愛に押し出されて、行なっていったのではないかと私は考えています。
6:7 こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。
そして、多くの祭司たちが次々に信仰にはいった。
「こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。」
「そして、多くの祭司たちが次々に信仰にはいった。」と書かれています。当時祭司という立場の人は、宗教的指導者であり、社会的地位を得ていた人たちでした。そのような祭司たちの多くが、次々に信仰に入っていったということは、驚くべきこと。
エルサレム教会のヘブル語を使うユダヤ人たちは、ギリシヤ語を話すやもめたちを決して軽んじませんでした。宣教協力によって、この問題に対処し、主の愛を実践していったのです。エルサレム教会の目覚しい成長の秘訣は、主の愛に生きるための宣教協力にあったと言う事が出来る。
そして、そのような宣教協力がなされ、伝道師や牧師が御言葉と祈りに専念できる時に、教会は最も力強く宣教の働きを進めていくことができる。
スウェーデンの諸教会の、主の愛に生きる宣教協力によって、言葉の壁を越えて、この教会は生み出された。
42年前に、森川先生ご夫妻が働きを受け継がれましたが、教会員の方々がそれぞれの賜物を用いて互いに仕え合い、主の愛に生きたことによって、教会はここまで成長し、多くの働きが進められてきたことを覚えます。そこにはいつも、森川先生ご夫妻の熱い祈りと、歴代の役員さんたちによる、犠牲を惜しまない献身があったことを覚えます。
4月から新しい歩みを始めた私たちの教会には、主が委ねて下さっている働きが沢山あります。そしてその中には、あなたにしか出来ない働きを、主が備えて下さっています。今まであなたが学ばれたこと、経験なさったこと、そしてあなたの性格や賜物がすべて生かされる働きを、主は備えて下さっています。お一人お一人が、主の御言葉に耳を傾けて祈る中で、それを発見して頂きたい。そして、主にある同労者として、共に仕え合い、主の愛に生きる教会の働きを進めて行きたいと願わされています。
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野町 真理